我傍的、ここだけの話

プライベート創作日誌+占星術メモ

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吉野 圭(Yoshino Kei)
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テスト「あなたが権力を握ったら? どんな支配者になる?」

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吉野 圭(Yoshino Kei)
2017/6/21に書いた記事ですが、最近書いていることを裏付けている気がするので上げておきます。

*

ここ数日のニュースが不快で、また面倒なことを書いてしまいそうです。
危険なので、軽いネタを探して心理テストサイトなどを覗いていました。
目に留まったのがこちら。

 ⇒あなたが権力を握ったら?どんな支配者になる?

平凡な日々を送っているあなた。
その一方、世の中にはいつの時代も
富と権力をほしいままにしている人たちがいるもの。
支配する者がいて、支配される者がいる?!

だとしたら、あなたも平凡な人生ではなく
富と権力を握ってみたいと思いませんか?
世界を、人々を、支配してみたいと思いませんか?

というわけで、もし、あなたが権力を握ったとしたら、
どんな支配者になるか?
テストしてみましょう!


設定がファンタジーっぽくて面白そうではないですか。
どうせ当たらないだろうからとジョークのつもりでやったのですが、

筆者結果:
原理主義者型支配者

あなたが権力を握ると、自らが思い描く理想国家をめざし、信念に従って国づくりを行っていくでしょう。
既存の政権や組織の腐敗、矛盾を正し、より良い方向に世の中を導きたい、そのためには思い切った改革が必要と考え、行動する革命家的な素質があります。
正義感が強く、勤勉で、華美なところのない指導者になります。私利私欲を肥やすことを潔しとしない、模範的で、クリーンな人物となるでしょう。
しかし、その裏には、原理原則にこだわり、例外を認めない堅苦しさがあり、法を犯したものや規則に従わない者を厳しく取り締まり、排除しようとする原理主義者の顔があります。
人々の楽しみや快楽を奪い、息詰まるような法治国家が築かれてゆくでしょう。側近たちは、少しの過ちもゆるされず、厳しい自己批判を強いられます。暗い国になるでしょう。
他国の政策に対しても批判的な目を向け、原理主義で対抗します。あなたが名君となるためには、愛と赦しの力を信じて、多様性を受け入れることです。人生の楽しみや快楽を人々が幸せに暮らせるスパイスとして認めることです。あなた自身、人生を楽しむ余裕を持ちましょう。

…… 当たり過ぎていて落ち込む。

いや、今の私に当たっているのかどうか知らないが。
少なくとも『我傍に立つ』で描いた記憶上は、周囲からそう思われていたみたいだね。

>側近たちは、少しの過ちもゆるされず、厳しい自己批判を強いられます

ううむ……そんなことはない、はず。
「少しの過ちも許さない」つもりは全くなかったし、私自身そこまで杓子定規のつもりはないのだが?
(職場でミスに対する許容範囲は広いほう。意図的な嘘や故意の失敗でない限り他人のミスを怒った記憶がない)

ただ、人の生命に関わる重大な法律違反と、最低限の道義に反する行いは許せないと思っているだけ。
決定的な悪事は見過ごしてはならないと思う。上に立つ人間であれば、なおさら。

当たり前だと思うが、な。
現在の日本国の首相のように、ズルをしてお友達に便宜をはかり、ばれそうになったら弱い者に罪をなすりつけ斬り捨てる。そんな不公平な嘘つきが国の上に立ち続けたら国が滅ぶ。

でも遠目に見たら私は上の結果のようなイメージなのだろうな、まさに。
「潔癖」呼ばわりされるわけだ。

>息詰まるような法治国家
>暗い国になるでしょう。

に、何より落ち込んだ。

思うに本人はさほど潔癖なつもりはないし、原理主義のつもりでもないのだけど、「法に厳しい」とのイメージだけで周りが怯えて気を遣うようになってしまうのかもしれない。
 →その後、スピラー解釈等々を見て考え直した。確かにこれは酷い。イメージだけではなく事実、倫理についての潔癖症かもしれない。

もし暗い国になってしまうようなら申し訳ない。
早く死んで良かったのかも、と思ってしまった。

軽いネタのつもりが全く軽くなかった。涙

上のテストで私は「吟遊詩人」になるという回答を選び、芸術を愛すると回答したのにこの結果でした。
よく見ればテスト作成者は心理テスト作家の中嶋真澄さん。
プロの心理テスト作家は凄いものだなと思いました。


【悪口ネタ集めでこの記事を漁っている方へ】
これだけは誤解のないよう言っておくと、記憶上、過去の私は少なくとも「儒教原理主義者」ではありません。儒教に従ったということは全くない、ただ心の底から主人を敬愛していただけです。
参考: 『我傍』主人公は周恩来と似ている? 真の「滅私奉公」とは何か

あと、私(吉野)はバランス主義です。
よく神経質という偏ったイメージを持たれ勘違いされる(このブログや筆者の作品を知らない人にも)のですが、日常生活では適当なところもあるため、本物の潔癖さんに怒られています。笑
要は「人としてダメなことはダメ」というポイントだけ潔癖なのだと思います。
倫理の潔癖と、享楽否定主義は違う。
過度の享楽で人生をおろそかにするのはダメだと思うけど、音楽や文学などの芸術を味わうことは良いことでしょう。
人の適度な楽しみを奪ってはいけない。
国家は現代資本主義国のような「行き過ぎた自由主義」でも、二十世紀共産国家のような「やり過ぎ緊縮主義」でも滅ぶと思う。
(と言うか今は人類が滅ぶ瀬戸際だが)

参考。墨子の言葉は素晴らしいが、完全に人々の楽しみを奪うのはアウトだ。: 技術者の不当な扱いへの嘆きと、墨者十論へのシンパシィ

/これでは反省がない感じ。
私自身はこのように全ての快楽を否定するような偏ったタイプではないのだが、他人は私を「全てにおいて潔癖」というイメージで見、「気張らなければ怒られる」と思うために、「周囲が暗く」なるのだろうね。そこは本当に反省している。
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『諸葛菜』感想記事に追記のお知らせ

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吉野 圭(Yoshino Kei)
前記事と比べていきなり次元の下がる話で申し訳ありませんが。
『吉川英治『諸葛菜』、引用と感想』に不足していた話を追記しておきました。
いつも真夜中過ぎに意識朦朧としながら書いているので、後で読み返すと言葉足らずだったり、何を書いているのだか自分でも分からないことがある。たまに正反対のワードを取り違えることまである、ひどい。苦笑
それで休日など時間があるとき、こうして色々と修正しているわけなのですが。
まったく文筆の基礎がなっていないな自分。このブログも雑談メモとは言え、読みづらい文で申し訳ないです。

(以下マニア向けの余計な話)
ところで、吉川氏の『諸葛菜』を読み直して気付いたけど、日本の三国志フィクションが劉備を差し置いて語るのは吉川氏が作った伝統なのかなあ。
中国本土だとたぶん、劉備がメインでその他は無視されている?後回しに語られるはずなのだが。
民族性も絡み、色々と複雑。
何がどうしてこうなったのか。人間レベルとしての私にはよく分からん。
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「死にたくない人が集まるトピ」を読んで考えた。どうしてこれほど死を恐れる人が多いのか?

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吉野 圭(Yoshino Kei)
ニュースサイトで取り上げられていて、こんな掲示板があることを知った。
ここを読み、意外と「死ぬことが怖くてたまらない」人たちが多いのだと知って驚いている。

 ⇒死にたくない人が集まるトピ
1. 匿名 2018/05/08(火) 22:53:31
死にたくないです。死後のことを考えるとゾッとします。死んだら何も感じなくなるみたいですが、永久に目の覚めない暗闇のようで怖いです。死んだら肉体はなくとも魂の存在となり自我のある状態でこの世を見ていたいです。とにかく死んで明日がこないこと、目が見えないこと、時間が進まないこと、永久に自分に戻れないことが怖いです。死なない特別な存在に自分はなりたいです。なぜ人は死がこんなにも恐怖で仕方がないのでしょうか

死ぬのは怖いだろう誰だって。
生物である限り死ぬのが怖くなければ生き残れない。死を避ける気持ちは正常で健康的な心理。

ただ、
“死ぬことを想像すると恐怖で夜も眠れなくなる”
という、タナトフォビア(死恐怖症)まで行くと心の病気と言える。
その重度の恐怖心は、パニック障害や精神障害の発症へつながる。

私が上の掲示板を見て驚いたのは、現代ではこの心の病を既に発症している人がとても多いということ。
ここまで多いとは知らなかった。
小学生まで死恐怖症を発症しているという話に驚く。幼い頃から死の恐怖に苛まれなければならないとは。長い人生のほとんどを死の恐怖に怯えながら過ごさなければならないなんて……想像するだけで辛い。

どうしてこれほどにも「死」を恐れる人が現代に多いのか?
言い古されてきたがやはり自明のこと、唯物思想のせいではないだろうか。

以下、まとめずに書きたいことを全て書くので、読みたいところから読んでください。

〔目次〕
発狂した唯物論者の教義を信じさせられている、現代人の不幸
死後は無だと信じている人が何故、死が怖いのか
物に興味のない人が唯物思想を信じると、死は怖くないが自殺志願者となる
死恐怖症も、自殺志願も原因は同じ
半端な輪廻思想も救いとはならない。輪廻の結論として、一瞬の大切さを知ること

☆この記事では便宜上「発狂」という言葉を使いましたが、差別の意図はありません。

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■発狂した唯物論者たちの教義を信じさせられている、現代人の不幸


近代西洋でタナトフォビアの末に発狂した人々を眺めていると、たいてい形而上否定の唯物論者だ。
しかもその人たちは子供の頃、強烈に神を信じていた人々。
神を信じ過ぎた反動から神を心底憎み、心の中で神を殺したので
「死んだら行き場がない」
と自分で思ってしまった。

彼らは「死後は無」と言うのだが、物欲が強いから無となることも怖いという。物質しか拠り所のない彼らにとって、積み重ねてきた「物」が消えうせることが何より怖いのだ。
その結果、彼らは死ぬことを異常に恐れる。
死が恐怖だから肉体にしがみつくことになり、「超人」となることを願った。ところが、永遠の命を得ることは現実には不可能だ。
(最近欧米で流行の「トランスヒューマニズム/超人運動」は、まさに物質世界で永遠の命を得、超人となることを実現させる試み。しかし機械の身体であろうと、物質である限り、永遠に存在し続けることなど不可能だろう)

死ぬことは100%確実。それなのに死んだら行き場がない――永遠の無、永遠の闇に閉じ込められるしかない。
そう信じた唯物論者たちは、恐怖のあまり発狂した。

いっぽう東洋人は抑圧者としての「神」を知らない。地上と神との対立を経験したこともない。
つまり、東洋には唯物思想の前提としての「人間を縛り抑圧する創造主(神)」「創造主が支配する天界」という概念がなかった(雲上に神々は存在していたが、地上との対立構造としての天界ではない)。
だから東洋人は「神を殺す」必要もなかった。
それなのにわけもわからないまま
「神は死んだ」
という言葉だけ輸入し、唯物思想を猿真似した。

東洋人よ、いったい何に反抗しての「形而上サヨウナラ」なのか? ※
神の抑圧という前提もないのに神を殺した東洋人の態度は滑稽極まるが、それはともかくとして日本・東洋を含めた現代世界一般、
「唯物思想だけが正しい」
「目に見える物以外の存在を信じる人は精神異常者か、バカ」
ということにされたのは事実。現実に精神異常となり入院する運命にあるのは唯物論者たちであるのにも関わらず……。

※「形而上」は元々『易経』の中に出て来る漢語で、形のないものという意味。近代西洋でキリスト教と結び付いた、二元論の一方として使われる“Metaphysics”とは歴史背景も意味も異なると思う

さらに現代では新たな宗教としての「科学教」が人類を支配し、「それは科学的ではない」の一言で、物質以外の存在を片端から潰している。
「科学教」信者は、有るものまで無いと言う。
最も過激な信者は、重力も風も無いと主張する。彼らにとって目に見えない・触れられない物は「無い」という定義であるから。
それは、
「1 足す 1は 3」
と押し付けるに等しい。
無理なこと、感覚に反することを信じるように強要されている人間が、発狂するのは当たり前。

その結果としての現代。
何も知らされず、心を壊した人たちが作り上げた聖書「唯物思想」を信じ込まされた現代人たちが、追い詰められて上の掲示板などに集い恐怖を語り合っている。


■死後は無だと信じている人が何故、死が怖いのか


改めて上の掲示板を眺めてみる。

トピ主:
とにかく死んで明日がこないこと、目が見えないこと、時間が進まないこと、永久に自分に戻れないことが怖いです。

他、匿名さんたち:
31. 匿名 2018/05/08(火) 22:58:28
何百年、年千年、何万年、何億年、何兆年、地球が滅びようが続く永遠の無が怖い

93. 匿名 2018/05/08(火) 23:42:20
私もタナトフォビアです
いつかは永遠の無になる
今まで頑張ってきたことも全て無になるんだと思うとから変な汗がでてくる

96. 匿名 2018/05/08(火) 23:45:09
>>94
魂の存在とか生まれ変わりとか天国とか信じてる人が羨ましい
嫌味とかじゃなく本当に羨ましい
私は無になると確信してるから怖くてたまらない

186. 匿名 2018/05/19(土) 21:01:13
死ぬのがほんと怖くて怖くて、たまに発作的に恐怖が沸いてきて心の中で絶叫を上げたりする。
こんなに怖い思いをするんだから、生まれるというのは罰なんだと思う。
どうせ何もかも消えてしまうと思い始めてから、前向きには生きられなくなった。
ちゃんと受け入れられている人が同じ人間だとは信じられない。
年を取れば自然と平気になると思ったけれど、そんな事はないし。
きっと何歳になってもみっともなく取り乱して死ぬんだと思う。

その恐怖をずっと味わい続けていることは気の毒と思う、しかし……、
……分からない……。

「死後は無」だと思っているのに、どうして死んだ後のことを心配するのだろう? 
「無」となった者は何も感じ取れない。感じ取る主体がない。それなのに、そのことを「怖い」と仰る。完全に非合理で、矛盾している。

ここが唯物思想の真に怖いところ。
唯物思想には文字通り「物」しかない。だから、「物」にしがみつくしかない。
「物」にしがみつけない状態はこの上ない恐怖だ。
その究極として、死んで今まで積み重ねた「物」が無に帰してしまうことを考えたら。
自分が「物」のない無の世界へ永久に閉じ込められたとするなら――想像するだけで恐怖が襲ってきて心が壊れてしまうか。


■物に興味のない人が唯物思想を信じると、死は怖くないが自殺志願者となる


意外に思われるだろうが、私は幼い頃、「死後は無」だと心から信じていた
なまじ学習能力が高い子だったために、現代でスタンダードな「唯物思想」を素直に学び取り、真面目に信じていたのだと思う。

だが、そんな私が死を恐れたことは一度もなかった。
「死は無」なのだとすれば何も心配することはない、感じ取ることができなくなるのだと理屈で考えたので。
積み重なった物が消え去るのだとしても、「無」となった存在にとってはどうでもいい。
「無」が「無」となった後のことを心配するのは理屈が通らない。

――と、思うことができたのは、たぶん私には生来的に物欲がなかったからなのだろう。
「しょせん消え去る物」に対して、私は生まれつき一切関心が持てないタイプだった。
しかしそれも障害だったのだと思う。

物に興味を持たない弊害が、やがて「自殺願望」として出た。

私は「死は無」であるのだから、いつ死んでも良いと思っていた。
「肉体は物質に過ぎない」、そして「肉体は自分の所有物」なのだから、いつでも自分自身で処分を決めていいと考えた。
幼い頃、「いつ死んでもいい」という程度の気持ちだったのが、十代となり人生の辛さが増してくると積極的に「死にたい」へ変わった。
それで、毎日のように死ぬことばかり考えていた。

一見矛盾しているようなのだけど、実は
 死恐怖症 = 自殺願望
とイコールで表すことができる同じ病だ。
この対極にある心理は同じ一つの唯物思想という考えから発している。

参考。この状況を知って欲しい。
「昨年の自殺者数は2万1321人」
「過去最多だった03年(3万4427人)の約3分の2になった。ただ、20歳未満は前年比47人増の567人」
戦乱状態と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に悲惨だ。


■死恐怖症も、自殺志願も原因は同じ


唯物思想を信じて「死恐怖症」となるか、「自殺志願者」となるかの分かれ道は、「物欲があるかどうか」に関わる。
物を大切に思う人は死が怖くなる。
物に興味がない人は自殺願望が強くなる。
つまり、「物」という基準しかないので、生きるも地獄・死ぬも地獄 どちらの地獄を選ぶか? という極端な二択しかなくなる。

このどちらでもない、中間の状態に至るにはどうすればいいのか?
と言うと、やはり古代の人々がそうしてきたように、死後世界を信じて「生まれ変わり」などを受け入れるしかないのかもしれない。

実を言えば「輪廻転生」だって辛いことがなくなる思想ではないのだけど……。


■半端な輪廻思想も救いとはならない。輪廻の結論として、一瞬の大切さを知ること


考えてみれば私は、
「唯物思想」も
「輪廻思想」も
どちらも信じる状態を経験してきたのだな。

どちらが良かったか、と問われると、実はすぐに答えられない。
何故なら、唯物思想のほうが圧倒でラクだったから。
だって何も考えなくていいではないか。笑
唯物思想は思考停止したい人、怠惰な人に向くと思う。
(だから現代人に絶賛支持されているのだろう)

でも、どちらが正しいと思うか、と問われれば、私は今「輪廻思想のほう」と答えるしかない。
それは思想でも宗教でもなく、ただの法則でしかないために。

>魂の存在とか生まれ変わりとか天国とか信じてる人が羨ましい

確かに教祖様の言うことをボンヤリ信じられる人は羨ましいな。唯物思想を信じている人たちも含む。
他人の話を鵜呑みにするだけで疑問を持たない人は、自分で何も考えなくて済んでいるから、ラクでいいなと思う。
(これは嫌味に当たるかな、「羨ましい」は嘘だから。他人の言葉を鵜呑みにしている人は不幸だから気の毒だと思っている。ただ、心理状態としてはラクなのだろう)

私は教祖や聖書など他人の言葉を「信じて」いるわけではないために、むしろ輪廻転生という法則が厳しく感じられる。
物理化学の法則と全く同じように、宇宙法則でしかない。ということは人間ごときの「信じる・信じない」とはまるで別次元にあるシステムだから、「信じない」ことを選ぶこともできない。いや、信じないことを選んでも別にいいのだけど、そんなことで宇宙法則は変わらない。
つまり、我々の意識が一切関係ない。
言わば「信じる・信じない」ではなくて、「知る・知らない」でしかないところが、とても過酷だと感じられるな。

実を言えば、私は輪廻転生(死後世界)の実在を知った結果、「死後は無」と信じていた子供の頃より死ぬことが怖くなった
何故なら、真面目に生きていかねば死後世界で受け入れてもらえず、来世があったとしても苦しい人生となることが分かったから。
今この一瞬が、未来の評価につながる。そう思いながら生きるのは、わりとしんどい。
まるで良い大学へ推薦入学したいから学生生活を懸命にがんばる、という学生のごとき心境。

推薦の評価を意識してしまう人生など、くだらない。
これはこれでどうなのかと思う。
(こんな今と比べて前世は完全に無心だったのだ。無心だから必死で生きられたと言える)

でも少なくとも、簡単に「死んでもいい」とは思えなくなった。
このことは、肉体を大切にせず、生きることに対して投げやりだった私を救った。
たぶん究極の救いではないにしても、私にとっては命を救う緊急避難だったのだ。

当然ながら、今の私は「死んだら全て無効になる」と思う恐怖も皆無。
行いは全て積み重なっていく。
地球が残っていれば人類の記録にさえ残されてしまうだろう。千年でも二千年でも軽く残される。二千年前の自分が書いたものを、昨日書いた文書のように目の当りにすることさえあるかもしれない。(恥ずかし過ぎる。涙)
昨日は今日に等しい。だから一瞬一瞬をおろそかにはできない。投げやりになっている暇などないということだ。


上に書いた通りこのような輪廻思想も究極的に人類を救うとは言えない。
輪廻法則の知覚は、現時点で死恐怖症という病を発症している人を救うかもしれないが、救いは一時的なものだろう。
魂という個性も永遠のものではなく、運命の輪が閉じればいつかは解放されるエネルギーに過ぎないために。
いつかは根元という源へ戻り、魂の個性は消える。
それはもしかしたら、肉体の死と似たことなのかもしれない。人間には想像することもできない長期だとしても、いつか終わるという意味では同じ。

だから結局、究極には同じなのだ。一生も百生も。
大きいと小さいは完全に等しい。
∴今という人生に全てが詰まっている。一個のDNAに全細胞の情報が籠められているように。

だから、半端に輪廻思想を信じるだけでは何も救われない。
もっと先のこと、「終わりと始まり」を超えた究極のところを悟らなければならない。

この投稿が秀逸:
185. 匿名 2018/05/17(木) 02:35:48
曾祖母が4歳の頃亡くなってそれから寝るときに目を閉じるのが怖くなった。
……
けど、死は常に隣にあってたまたま生きてるなら、生きてるうちに好きなことしなきゃなぁと思うまで回復できたよ
好きなことをして死にたい。
自分のために自分の人生を生きたいな

その通り。
私も完全に同意。

私は永遠の命を知って、この人と同じ結論に至った。
実感の程度が「同じ」かどうかは分からないが、笑。私は思っているだけではなく、たぶん実感として知覚した。

「人生は虚しい」などと思うのは気のせい。
やがては消える個性。存在する限り(魂が存在している限り)、この個として二度と味わうことができない一瞬一瞬を大切に味わって生きていくしかない。

一瞬こそ永遠だ。

一瞬を味わうことこそ、輪廻の目的。


逆説的だけどね。これが真実。

私が自分をサンプルとして皆様に伝えたいのは、「輪廻転生は真実」であるということと同時に、今一瞬こそが大切なのだということ。
だからそんなに恐れなくてよろしい。

大丈夫、大丈夫。
死も生も、(究極の視点から観れば)怖いことなんか何もない。
死後と転生を記憶している私が保証する。

 参考になるかもしれない記事: 死の後、数日間の話

 過去にこの感覚に触れた記事: 一瞬と永遠

 自殺したい病の人へ、もう一つの提案。「分」を自覚すること: 「分をわきまえる」という言葉の本当の意味。自分さえ見失った現代人の不幸


【追記】
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『永遠の雨3』、本の更新のお知らせ

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吉野 圭(Yoshino Kei)
先日お知らせいただきました、『永遠の雨、雲間の光3』第四話-(十四)で、縦線と横線が逆になっていた件。
おそらくKindleでうまく表示できない文字だったのだろうと考え、記号を削除しました。

細かいことなのですが、こちらの方法で更新をお願い致します。

1.アプリではなくブラウザで、アマゾンにアクセスしてログインする。

2.「アカウント&リスト」をタップするかカーソルを合わせる。表示された項目の中から、「コンテンツと端末の管理」を選ぶ。

kousin2.gif


3.「アップデートがあります」をタップ。

kousin.gif


次回に本を開いた時には修正されています。
お手数かけてすみません。
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「行動血液型診断」 あなたの性格は何型系? で分かること

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吉野 圭(Yoshino Kei)
久々にこんな診断をやってみた。
人から「A型っぽくないね」とか、「O型っぽくないね」と言われたことありませんか?
そんなあなたの行動パターンは何型なのか診断します。

全10問の質問に答えて、あなたの行動血液型をチェックしてみましょう♪
 ⇒あなたの行動パターンは何型?行動血液型診断

筆者結果。
ketueki.gif

笑った。……ぶれないな自分。
※私は十年以上前にこの種の「血液型性格診断」をやったことがあるが、AB型80%以上の結果だった

もう少し正確かもしれないテスト。⇒本来の血液型性格診断
あなたは、どちらかというとAB型 でした

コメント:
独創的で芸術肌です。
不安が強いですが、感受性が強い面を活かし平和的な人間関係を作ります。
また、物事を達成するために思慮深く考えるので、計算が速く効率的な考え方をします。
ただ、あまりにも独創的で効率的な思考するので、世間からは理解されず個性的と言われることがあります。
周りに自分をさらけ出す事が少なく、ミステリアスな雰囲気ですが、本人はいたって普通にしているつもりです。

注!)この血液型診断は血液型を検査するものではありません。
本当の性格傾向がどの血液型性格傾向に近いかをチェックするものです。
このコメント内容、水瓶座っぽいな。MBTIの結果とも共通している。
性格診断としては当たっているが。

ちなみに、筆者の本当の血液型はAB型ではない。笑

上のサイトは興味深いデータを提供してくれている。
診断結果統計

本当の血液型がA型の人→734人
A型傾向:20%
B型傾向:33%
O型傾向:26%
AB型傾向:21%

本当の血液型がB型の人→484人
A型傾向:26%
B型傾向:28%
O型傾向:24%
AB型傾向:22%

本当の血液型がO型の人→507人
A型傾向:25%
B型傾向:28%
O型傾向:27%
AB型傾向:20%

本当の血液型がAB型の人→333人
A型傾向:25%
B型傾向:33%
O型傾向:21%
AB型傾向:21%

本当の血液型が分からない人→755人
A型傾向:25%
B型傾向:29%
O型傾向:25%
AB型傾向:20%

全体→2813人
A型傾向:24%
B型傾向:30.2%
O型傾向:25%
AB型傾向:20.8%

2018/5/8
え、全血液型で性格傾向の割合はほぼ一緒!?
これはもう……、
∴血液型と性格は関係なし と結論付けていいのでは。

【裏話】
私は長年、血液型が分からなかった者。(特に検査をしなかったので)
血液型が分からなかった当時、血液型占い信者の友人らが
「ネットの性格診断をやってみれば、性格から血液型が分かるんじゃない?」
と奨めるので、ふざけてこの種の『血液型性格診断』をやっていた。
その後、入院手術する際に血液型が判明し、それらの診断テストは間違っていたことが分かった。
この事実を信者の友人に告げると、
「あなたはずっと血液型が分からなかったから、自分の性格がよく分からなくなっちゃったんだよ!」
などと言われた。

十年後の今、診断してみたが結果は変わらず。笑

人の根本の性格は、変わらないものであるらしい。
上のデータを見ると、皆さんも血液型に左右されず本性の性格は変わらなかったようだね。

私は元々信じていなかったから当然と思ったが。
信者はこのデータを見て何を思う?

*

何故、今になってこんな診断をしているかと言うと、さっき『ホンマでっか』の先生方が
「血液型と性格は関係ある」
などという話をしていたので思い出した。

日ごろスピリチュアル系の話は何の根拠も示さずに「有り得ない」と断定、
ゾンビが子作りするからDNAで死んだ時点の記憶が伝わる。それが前世記憶と呼ばれるもの
などとトンデモな理屈をひねり出してまで否定している“頭の良い”科学の先生方が。
血液型など「科学風」の装いさえあれば、似非科学であっても微々たるデータで鵜呑みにする。
(データ上、脳内ホルモンに対する血液型の影響は微々たるものだったらしい)
彼らは「科学」という聖書なら中身に関わらず信じ、他の分野の異教徒は無条件に弾圧する、「科学教」の信者でしかないのだな。
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