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来世について考えていました。雑談です。

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タレントのヒロミ氏が、「生まれ変わったら何になりたいか?」という質問に
「丸の内のOLになりたい。お昼休みに小さな袋を持って、ランチはどこにしよっかなーと言って歩きたい」
と答えていて笑った。
彼らしい、素敵な回答。
どうしてOLになりたいかというと、ヒロミ氏曰く、
今の自分とは全く別の者になりたい。何を考えているか分からない人たちの、頭の中を知ることができるじゃん。なんであんな小さな袋を持ち歩いているのか、ポーチの中には何が入ってんのかなー、とか」(要旨)
だとか。

うん、分からなくはない。
私も子供の頃、来世では全く別の存在になりたい、なれるのだと信じていたな。
我々一般日本人の「生まれ変わり」とは、ほとんど変身願望を叶える「テクマクマヤコン」という呪文なのだ。
 →テクマクマヤコンとは

しかし私は、具体的な前世を思い出して以降、
「別の存在になるのは無理」
と悟ったので輪廻転生という言葉から得られるファンタジー感が消えてしまった。

確かに肉体を変えて環境を変え、見た目には「全く別の存在」になることは可能。このため異性や異業種、異国人の生活等々を味わうことができる。
でもそれはあくまでも外観上だけのこと。
中身が変わらないので、未経験の世界の人とは話が噛み合わず友達を作りづらい。このため、結果として「分からない」のは同じだったりする。
たとえばオッサンが女子に生まれ変わっても中身はオッサンなので、女子同士の会話に入り込めない。結果、女子文化を理解できない。
もちろん器用な人は、潜入スパイの感覚で異文化を調査して身に付けていくことを愉しむのだろうが。そのような擬態では、本当の意味で変身したとは言えないかもしれない。

そんなわけで、私には来世に関して夢がない。どうせ「生まれ変わっても自分」だと分かっているので。
ああ、つまらん。
前世に関しても、あれこれ想像するのが楽しいという感覚を永久に失ってしまったことだけは寂しいと思う。
「前世記憶の弊害」というものがあるとすれば、このように前世や来世に関して、想像の範囲が狭まりファンタジー感が消えてしまうことだ。

何度も書いている通り、これが私にとっての海王星カルミネートの結果。ファンタジーが現実に溶け出してくるのではなくて、その逆に現実がファンタジーを奪ってしまった。
今でも、あの「生まれ変わり」という変身願望を失ってしまったことを、少々寂しいと思うことがある。
(もっとも私の場合、自分自身の発想が貧困過ぎたために現実が想像を遥かに上回っていた、笑。予想外の過去を知ることができたことは、楽しかったかな)


ところで、もし変身願望を諦めて、現実に近い「来世」を知りたいなら方法があるらしい。
『前世療法』を世に紹介したブライアン・L・ワイス博士が提唱する、『未来世療法』というもの。

『未来世療法』



これは確定した未来を見るものではない。
そもそも未来は確定していない。
あくまでも、「現状のまま生きていたら来世ではどんな人生になる?」という結果を見せられる。
たんなる未来予測とは違って、現実にある未来という平行世界(パラレルワールド)のうち、今という選択肢につながる来世を見ることになる。
『未来世療法』とはこの「今のままの来世」を見て、「嫌だ」と思うなら現状を変えていこうよ、という治療(思想)。
具体的に治療はどうするかと言うと、
「もし今の状況をこう変えたら、来世でどうなる?」
という設定で再び未来を見る。こうすると来世の状況が変わっていることを実感でき、運命は変えられるのだと認識できることになる。

ざっくり言うと、ドラえもんのひみつ道具の『タイムテレビ』『もしもボックス』のセットのようなものかな。
(分かります? ドラえもん世代ではない人、ごめん)

怠けがちな人間にとっては実に効果的な治療法だと思う。
本来は、今につながる過去(過去世とは限らず現世中の過去も含む)を思い出すだけで、「今は未来につながっている。今を必死で生きなければ!」と悟るべき。
でも過去を見ても反省できない人なら、来世を見せつけられることは効果的だろう。


書き忘れるところだった――私は、生まれ変わったらどうなりたいか?
実はもう地球に生まれ変わりたくないなと思っていたのだけど、他へ行くことが許されずまた戻ってしまうのだとすれば、今度こそ
「平均的な生き方がしたい」
かな。
何、この低次元な望み。笑

何故こんな低次元なことが私の最大の望みなのかと言うと。
私の場合、褒められるのもバカにされるのも極端な人生ばかりだった。
実力を遥かに超えて恐怖を覚えるほど持ち上げられたかと思えば、今度は何も叶わないほど底辺に突き落とされ、実力は僅かも活かしてもらえずバカにされる人生。

もう……、もう本当に極端なのは勘弁して欲しい。
(ただし、よく考えればこれがバランスの法則ではあるのだが。強い力で極端に振れた針は対極へ行くしかなくなる)

頼むから、実力そのままで評価されたい。
実力に見合った形で、社会の役に立つよう生きたい。
多くの人が当たり前に持っている「自分らしい人生」というものを味わいたい。
ささやかだけど、その「ささやか」が私には遠く遠く叶い難い願いに思える。涙。

そのために具体的に自分は何をすればいいのか?
『未来世療法』で説かれた来世は、私は見たことがないのだけど、推測するに努力を忘れないことかな。
死ぬまで勉強を忘れないようにしたい。
今、怠けてしまえばきっと「あ、要らないのね」と言われて来世でも再び学習の機会を奪われてしまうことになりかねない。
(とは言え、人生は自分で選ぶのだけどね。選択肢が狭まってしまうということ)
来世ではまた貧乏でもいいから、奨学金のある国に生まれたいと思う。能力を正当に評価してくれる、真の意味で公平な国に。

※来世もまだ地球があればの話、笑。
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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