-
昨夜は家族と一緒に『ほんとにあった怖い話』を鑑賞。稲垣吾郎さん以前と変わらず番組に出られて良かったねと思いながら。笑

go.gif

今回は怖いだけではなく不思議な話も多くて面白かった。

ドッペルゲンガーを生む『姿見』の話は、異次元空間にまで行ってしまうのが本当に不思議だった。
あんなことが現実にあったのだろうかと見ていて唖然とした。
脚色はあるだろうが、本筋はフィクション作家が考えることが無理な話だと思う。ストーリー展開に脈略がなく、謎を消化する結もないので、フィクションではとても思いつかない。
怖い話だが、神秘の深淵に触れた想い。

短波ラジオで死者の声を聴く、『果てからの念派』は意外な結末で感動。
そう来たか! という、数字の工夫に痺れた。どうしても伝えたいという死者の工夫?に感動を覚える。
私の電波体験とも共通するものを感じます。死後世界の遠くへ行かれた方々は言語が使えないので、数字を使って伝えようとする、というところが真実っぽい)
こういうストーリーはフィクション作家が考えようとしても、「ご都合主義」と批判されることを恐れて逆に描けないのだよね。
やはり真実のストーリーのほうがシンプルで感動する。/こう言いながら実はフィクションだったらすみません、笑。

夏の夜に恐怖の話も愉しいが、もっとこういう不思議で感動する話を増やして欲しいな。


以下は番組を観ながら考えていた雑談。
〔目次〕
たまに怪談話に触れるのも良い
幽霊、見たことある? ごく普通にいる死者たち
霊を認めないことの経済損失
国家が霊を認めリスクを回避できたらな


■たまに怪談話に触れるのも良い

こういう、怪談話はくだらないと思われ嫌悪する方も多いはず。特にスピリチュアル好きな方は「次元が低い」と怒るのでは。
でも私は「下等」だろうが何だろうが差別せず話に耳を傾けてしまう。
現世・地上に拘束されない次元を垣間見せてくれる話なら、怖い話でも構わないと思っているのかもしれない。どうでもいい不倫話や冤罪など、世俗のニュースに触れるより精神衛生に良いと思う。何故なら霊界は公平と感じるから(悪いことをした者は低い次元に堕ち、そうではない者はそれなりの次元へ向かう)。理不尽がないだけ、現世よりまし。

それと、あの番組に出ている子供たちの年代の、皆でお化け話を聴いて怖がっている一体感が今も好きというところはあるかな。
子供心は忘れたくないし、霊魂への畏怖を抱くことは大切なことだと思っている。
何歳であっても見えない存在への畏怖を抱かない者は成長がない。

だけど現世に留まっている霊の話は、あまり気分の良いものではないことも確か。
いつまでも暗い場所に留まり、現世の人にとり憑いて自殺に引きずり込む、等という悪霊は現世の犯罪者と全く同じ。
犯罪者の話を聴いていると、ただただ不快で精神的ダメージを負うだけだと思う。悪霊と関わるダメージはそれと一緒。
怪談話が怖いというのは結局、マイナスの考えに囚われた人間が怖いということになる。相手が生きているか死んでいるかの違いしかない。

なるべくなら彼らと接触したくないし、精神的ダメージを負うのは馬鹿馬鹿しいから、怪談話に触れるのも程々にしたい。
夏の風物詩として少しだけ触れるくらいがちょうどいいのだろう。


■ごく普通にいる死者たち

ところで皆様は、幽霊って見たことありますか?
私は長いこと神秘的なジャンルの話をしているので、「霊感あるでしょ?」と言われるのだけど、実はさほど霊感がなくて神秘体験に縁がない。(前世を思い出す体験以外。あれは記録と照合するなど、ほとんど現実に属する体験だった)
前々記事にも書いた通り、「小さいオジサン」も見たことがない。笑
UFOさえ見たことがない。

伊勢神宮に行った時や、蝶に囲まれた時、虹を見せてもらった時など、オーディエンス(高次元の霊たち)の気配を感じることはよくある。
「この神社にはヤバイ者たちが棲んでいる」
などという雰囲気だけ分かった時がある。
と、いうことは私にも精神次元で死者と共鳴する素質はあるのだろうけど、肉体的に霊を見たりする感度が弱いのかもしれない。何事に対しても私は肉体的な感度が鈍い。

そんな鈍い私も一度だけ、霊らしきものを見たことがある。
その時は電車に乗っていて、ドア付近に寄りかかり、ドア窓ガラスに映った車内の人々をぼんやり眺めていた。
それでふと反対側のドア付近に立つ人が、現実にはいない――ガラスには映っているのに現実はそこに人がいない――ということに気付いた。
ごく普通の白っぽい上着を着た男性で、周囲の人たちと何も変わらない様子で電車に乗っていた。透けて見えるところもない。不気味な感じも一切ないから、本当にいない人なのかと疑って何度も現実と見比べ確認してしまった。
相手はそんな私の様子にも気付かず普通に電車に乗っているだけ。
きっとご本人も自分が死んだことに気付かず、いつも通り出勤しているつもりだったのだろう。

特に恐怖もなく、話の展開もない霊体験なので「幽霊話」としては価値ゼロだ。笑
たいていの人がこのくらいの霊体験はしているのではないかな?
あるいは、視界には入っているのに気付かないだけかもしれない。私もその時はたまたまガラスに映った人を観察していたため気付いただけだし。電車内でスマホ画面に夢中な人は絶対に気付かない。

霊感のある人がよく言うには、
「死者は我々と同じようにその辺を普通に歩いている。彼らはただ、自分が死んだことに気付かずいつもの生活をしているだけ」
であるらしい。
私もガラスに映った人を見てそう思った。何も怖がる必要はない。
(自宅で一緒に暮らしていたらちょっと辛いが……)

恨みを持って現世に留まり、生きている人に向かって来て悪さをはたらいたりする霊は、よほど特殊な死者なのだと思う。
殺人鬼になる人に似て、悪霊も精神を病んで壊れてしまっているのだろうな。病む、という表現を使うのは死者に対しておかしいのかもしれないが、何か悪い意識に囚われ縛り付けられていることは、一種の病みだと思う。

お、今気付いた。
日本語の「闇(やみ)」は「病み(やみ)」なのかな。意味が通じる。
古代の和語は音で意味を表しているものだから。 

検索してみた:
【闇・病み】
1.反り。曲り。ねじけ。雲。隈。
2.負の方向に離れるさま。「下がる・勢いを失う・劣る・縮小する・静まる・隅にある・果てる」さま

「やむ(病む)」の名詞化。
ここでは「B: 離れる・反る・曲る」、また「E: 負の方向(小・少・細・低・後・粗・暗・静)に離れる」で、「下がる・勢いを失う・劣る・縮小する・静まる・隅にある・果てる」などの意。

変態:「やめ(病・闇)」「やま(疚)」「やれ(破れ)」「いみ(忌)」「よみ(黄泉)」「よる(夜)」「よわ(弱)」
類語:「かれ(枯れ)」

http://gejirin.com/gsrc/ya/yami.html
ふうむ。
「やみ」=「負の方向へ離れる」という意味であるのが、とても腑に落ちる。

和語って痺れるな。
真理を音で表している。とても精神的で霊的な言語だ。
漢字を充ててしまったのが、かなりもったいない気がする。


■霊を認めないことの経済損失

最近はこういう話を普通にする人が増えてきた。
きっと霊魂は現実にあるし、死者はそこら辺に普通にいるというのは正しいのだろう。

先日の『ホンマでっか』では、理屈の通らない理屈で霊魂を頑なに否定する学者たちがバカに見えて仕方なかった。「バカ」と呼ぶのが失礼なら、自分たちだけの教義を頑なに信じるカルト教信者のよう。
目の前で語られた話にさえ合わない学説を、必死で一方的に押し付ける学者たちに呆れる。
先日の番組では、芸能人たちがついに学者たちを完全無視し、自分たちの霊体験を語り合っている様子が面白かった。

これだけ多くの人が「見た」「体験した」と語っている霊現象を、「あり得ない!」と頑なに言い続けるほうがむしろ頭がおかしく見える。
「1+1は3だ」と言い続け、見ているものを「見えない、見えない」と言い続けるのは精神異常に直結する。
(だから実際、霊を頑なに信じない人が精神病を発症しやすいのだ)

霊現象は現実にも影響していて、経済損失もある。
特にタクシー業界や不動産業界の経済損失は相当ではないか?

タクシー業界:
タクシーは幽霊を乗車させても走った分だけメーターが動いて、「客を乗せた」という記録が残ってしまう。そのためタクシー運転手は泣く泣く自腹を切り、幽霊の乗車分を払っているという。
東日本大震災の直後、自分が死んだことに気付かない死者たちが、家に帰ろうとしてタクシーに乗車するケースが数多くあった。当然ながら死者はお金を払ってくれないので、無賃乗車として処理された。……その損害額はいかばかりか? 
死者は現実にいないことになっているからカウントもされないが、実際に計算したら膨大な額になると思う。
死者に法的人格がないからといって、現実に存在している損害を、このまま看過していて良いのか?

不動産業界:
今回の『ほんこわ』で事故物件(過去に人が死んだことのある不動産物件)に関する話があった。
不動産法上、事故物件であることは新たな契約者への告知義務がある。しかし実際には社員が書類上住んだことにして、事故物件情報をクリアし、何も告知せず貸すということが行われているらしい。そのために、何も知らずその部屋に住んだ人たちが何人も自殺している、というのが今回の番組で作られた話。
※事故物件の告知義務があるのは次の契約者のみ。つまり事故後、一人でも契約者がいれば、次の契約者には告知義務がなくなる
ある程度は脚色されているだろうが、不動産業界にいる人に訊けば実際よくあることなのだと言う。現実には社員を書類上契約させるだけではなく、事故物件に住むバイトも存在する。
「事故物件」と言っても悪霊が棲んでいるとは限らないので、ほとんど何事も起こらないだろうが、このケースのように繰り返し自殺者が出るようになったらどうするのか? 放置するのはあまりにもリスクが高いと思うが。

事故物件については、
「霊など絶対に存在しない」
と頑なに言い張る心理学者、植木先生のような人たちに住んでもらえばいいのかもしれない。信じない人たちはそのように使って良いのだろう、ご自身で望んでいるのだから。
「霊を信じない」人たちの名簿を作って、事故物件は全てその人たちの間だけで回してもらえば家主の損失はなくなる。
霊を信じない住人が自殺に追い込まれたとしても、自業自得ということになる。

……などいうわけには実際いかないのであって。苦笑
国民の自殺者が増えたら、全体の税収も減って国家的にはマイナスになる。
事故物件を好む人も多い現状、家主たちは助かるが、自殺者が増えるのは困る。
この場合、除霊できる能力を持つ人たちにお願いするのが経済損失を回避する唯一の方法なのではないか。


■国家が霊を認めリスクを回避できたらな

思うに。

これから膨大に死者ばかりが増える。
「お墓が足りなくなる」
という問題で国家も悲鳴を上げているが、上に書いたような霊現象での損失も膨大となって、とても看過できなくなる気がする。おそらく災害レベルの損失になる。
そうなればもはや「霊を信じる? 信じない?」などという議論すらする余地もなくなるだろう。

皆がきちんと霊の存在を認め、科学的・法的に処理するようにしていけたなら、このような経済損失も回避できるのでは。
さらに国が霊に関する職務を管理するなら、悪徳霊能者やカルト宗教も取り締まることができるようになる。
霊能者も国家資格にして、無能力の詐欺師は逮捕するようにすればいいな。


――などと、もちろんこれはSF的な空想話だけど。笑

実際にそんなシステムを作り上げるには、まずは憲法改正(信教の自由制限)から行わねばならない。
霊能者の能力を判定するのも難しい。

でも国家は何でも粛々と、実態に即して全体が良くなるよう努めなければならない義務があると思うのだ。
社会が良くなるためなら、霊魂だろうが何だろうが国家が差別してはならない。
むしろ今は差別して無いことにしているから、妙な新興宗教が生まれて詐欺をはたらく。
たとえば安倍晴明の時代など、「霊魂関連の職務を国が管理する」社会が実現していたという歴史があるのだから、何も100%無理ということではないだろう。
日本は世界的に見ても霊文化の意識が高い特殊な国だから、そんなふうに法改正しても世界は驚かないと思うが。

(追加)あ、晋三さん、安倍晴明のご子孫だろう? 何とかしてよ。国民の権利制限ばかりに必死になっている場合ではないよ。
関連記事
吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事リクエストはこちらから:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com