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<解説> 『我傍に立つ』は、催眠中に見たイメージがベースになっております。  
以下はイメージを見た日から、現実の記録を調査するまでの約六年間の覚え書きです。

当時のメモなど資料は捨ててしまったので記憶に頼って書いています。
このため細部の間違いは多々あると思いますが、一切の嘘(フィクション)はありません。

※ここに書いた経緯は小説『僕が見つけた前世』で、より詳しく分かりやすく書いています。 前世記憶を思い出した時や記録を見つけた時の状況・気持ちについても詳しく書いていますので、小説のほうで追体験されることをお奨めします。ただ小説内の年齢設定はフィクションとして若干、変えております。


■十七歳 十一月/修学旅行にて。“前世を見る実験”中、謎の映像を見る

修学旅行の夜。占いマニアの友人に誘われて、嫌々ながら「前世を見る実験」というものに付き合った。
(当時の私は“前世”等に興味はなかったが断りきれず付き合った)  
友人が雑誌で見たという“実験”方法は、以下のようなもの。

こちらの記事参照(筆者著、当ブログ内です) ⇒前世を思い出す方法~完全無料、自己退行催眠のやり方

形だけ付き合うつもりだったが、黙って目を閉じていると暇だったので思い出を遡っていた。
三歳か二歳で記憶が止まり、それ以上は何も思い出せなくなった。
だがその先にもまだ何かある、と気付いてしまった時、恐怖に襲われた。
「嫌だ。それ以上は見たくない。こんなことはもうやめよう」
と思って目を開けようとした瞬間、頭の中で映像が切り替わった。
以降は、映像の自動再生となる。
つまり意識せずに目の前で展開されていく感覚。
意識がある時に思い出す記憶よりもはっきりとしていて、まるでその場で見ているような現実感があった。
(睡眠中に見る夢とは明らかに違う。睡眠中に見る夢をテレビのドラマにたとえるとしたら、この映像はドラマ中に飛び込んでくるニュース映像のような感じ)
※現実感があったのはこの瞬間のみ。この時の記憶を後で思い出すと、『前世に関して、どのくらい記憶があるのか? 』で書いた通り幼少期の思い出に似てぼんやりした感じになる

映像の内容:

 荒地のような(草の少ない土の広場の)景色が見える。
 激しい砂埃が舞い上がり、その中で多くの馬と馬がぶつかりあっている。
 ちらちらと光が見えた。武器が光っているのだと分かった。
 小さな人影が、ばらばら馬から落ちていく光景が見えた。――あれは戦争だ、と悟る。
 〔略。下記小説参照〕
 男の顔を見ようとした瞬間、それが“過去”の自分の姿だとはっきり分かった。
 自分の顔は直視することが出来ない。だが、完全に自分だと感覚で分かる。

 “過去の私”は、死んでいた。
 死んだ後に生きている時と同じ服を着てそこに立っていたのだった。
 ……そう悟った瞬間、一気に“過去の人生”を思い出す。

★「記憶」の具体的な内容はこちらの小説をお読みください。『我傍に立つ』は小説であるためフィクションを含みますが、巻末にフィクションと実際見たイメージを分ける資料を掲載しています。 waremini.gif  

★または、『僕が見つけた前世』で一ページにまとめています。
 

 回想が終わると映像は切り替わり、空の景色。
 どこまでも青く澄み渡った空、天と地の狭間に居る。
 とても安らかな気持ち。
 辛い人生だったが、今は苦痛はない。罪もない。
 〔略〕  あの人とは確かに、魂の伴侶だったと悟った。
 今、どこかで生まれ変わっているかもしれないが、あの人ならきっと良い人生を送っているだろうと思う。……
友人が部屋の蛍光灯をつけたので、唐突に映像が途切れた。
長い人生を見たような気がしたが、たぶんほんの数秒の出来事。
「何か見えた?」
と友人に聞かれても、面白おかしく話す気になれず黙っていた。
映像はあまりにもリアル過ぎ、しかも自分の深い秘密に関わっているという気がしたため。
映像の中の男は、確かに自分自身だという強い感覚があった。
他人に話すことは自分の素顔をさらすことだ、と感じていた。


■十七歳~二十三歳/イメージを見た直後から、記録と向き合うまで

この映像を見た直後、自分の小さい頃からの謎が解消された気持ちになった。
それは映像の人生に、今の自分の悩みの決定的な原因を見つけることが出来たので。

具体的には:
現在(小学校~高校時)、平均より上程度には勉強が出来るのだが、そのことを周囲に知られるのが非常に怖かった。テストの答えをわざと間違えるなどして成績をコントロールし、“勉強が出来ない振り=平均的な成績の生徒”を装っている。「仮面を被り嘘の自分で生きている」という罪悪感とストレスを常に感じている。

→この悩みの理由:
“過去の自分”は国中の人々から「知能が優れている人」と呼ばれ、現実とのギャップに非常に苦しんだ。このため、現世では無意識に 「アタマがいい」と呼ばれることが怖くて仕方がなかったのではないか? (恐怖のあまり過剰に評価を下げようとしてしまった。本当の自分を周囲に知られてはならないという恐れもストレスだった)


このことから、映像は自己救済のために見たものだと考えられた。

この時点での私の考え ……
「精神的危機にあった現実の自分を救うため、脳が教訓としてこの夢を見せたのではないか = “ほんとうの自分らしく生きて良い”という潜在意識からのメッセージ」
(※脳には、精神的危機を救うための物語を作る機能がある。例、睡眠時の夢)

ところが、まもなく似たような人生の記録(十行程度の紹介文)を発見して、このイメージは自分の脳が作った “オリジナル” ではなかったと思った。後でそうではないと知るのだが。
※この時、私は歴史小説に全く興味のない高校生だった。世間でもまだゲームが未発売で、あまり流行していなかった。私は有名な創作のタイトルだけは知っていたが内容は知らず、『里見八犬伝』との区別さえつかなかった。当然、この時点ではその人物の名前を聞いたこともなかった。だが潜在記憶は本人が意識出来ないことでも記憶 している場合があるという。このため、潜在記憶だろうと考えた

    ↓

「イメージは潜在記憶だった。つまり他人の人生。自分とは何の関係もない」
と思い、どうでも良くなる。
のち、放置。忘却。

■現実調査

二年後、また思い出してから忘れられなくなる。

以来、何年経っても忘れられないので、これはやはり自分にとって重要なイメージだと考えるようになった。
二十三歳の時、現実の記録と向き合うことを決意。


以下は二十三歳時、初めて記録と向き合った時の覚え書き。 
この調査は、以下の疑問点の解決を目的としたもの。

1. 自分が見たイメージは実在した情報か?
2. 実在するとすれば、誰の情報なのか? (複数の人物の情報が混在している可能性はないか)
3. 情報を潜在的に記憶した可能性はないか?

なお次ページの表では、煩雑になるため詳細な人物名・用語を省いている。 >>続き

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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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