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疲れるけど良い機会だから、前記事の確認で『はじ三』さんへ行くついでに幾つか記事を覗かせていただきました。
批判ではなく共感で語れそうな記事があったので、コメントしてみようと思います。

しかし……いい加減に一般読者様はこの話にうんざりしているでしょう。
私も実は疲れているのだけど、『我傍』読者様のために書いておくもの。
「迷惑!」と感じる読者様のために畳んでおきます。

■女物の装飾を送る計略の裏話

前記事で少し触れた史実について、kawausoさんがこう書かれていた。

はじめての三国志 『ええっ! 成功事例もあった孔明の女物の衣服を送る計略』
https://hajimete-sangokushi.com/2017/12/17/%e5%ad%94%e6%98%8e%e8%a8%88%e7%95%a5/

より。()と……は当ブログ筆者による。
孔明衰えたるかな……という計略があります。それが他でもない、(司馬懿へ女物の衣服・装飾を送るという計略)。もちろん、冷静な司馬懿がそんな挑発に乗るはずがなく……
智謀の塊のような孔明でさえ、焦りを隠せず成功する筈もない子供騙しの計略を行うのかと、悲しくなったものです。

仰る通りだと思う。
何より痛いのは、「智謀の塊のような孔明」はフィクション、「子供騙しの計略を行った」ほうが史実というところ。

(どうでもいいけど、フィクション小説を書く人は史実が増えてくる後半にこういったキャラチェンジの不具合が起きることを考えなかったのか? いくらなんでもこのキャラ変は読者が戸惑うだろうに)

しかし実際の戦争は、子供騙しみたいなことの繰り返し。表は。
その代わり裏が大事で、物理的な準備(軍事力を整える。兵站を整え管理する)を徹底する。
現実の長期戦はそちらの物理的な力の差で決まる。
奇計だけで勝敗が決定することは、単発戦でない限りあり得ない。

※追記 ここは誤解する人が多いと思うので書いておくと、「物理的な力の差」には見える物理と見えない物理とがある。「見える物理」は兵器・兵員・兵糧など現に保有するものとして数値化できる軍事力。「見えない物理」には様々あるが、たとえばこちらの名に怯み敵が陣地を放棄する・地元住民がこちらへ援助する等々。天気も後者に含まれる。要するに可変ながらほぼ確実な状況の力。こちらは見えづらいが、軍事においては「物理」として計算されるべきもの。(ただし可変ゆえ、楽観的過ぎる計算をしてはいけない)

なのでリスクが無い場合、表向きには子供騙しの挑発でも何でも「試しにやってみる」のが正しいと思う。
何故ならメッセージが伝聞されることで冷静な本人が動かなくても周りが動くことがある。
冷静な本人を刺激すると言うよりは
“世論扇動”
のほうを狙う。
司馬懿の評判が悪くなり騒ぎになれば動かざるを得なくなる、という可能性を試す。

現代で言えばツイッターで相手国トップの悪口を言うようなもの。 
トランプ氏に計算があるのかどうか分からないが、ツイッターで相手国リーダーを批判するのは、本人よりも世論を刺激して操作する目的だとすれば正しい。
ただし、核ミサイルを持つ相手を挑発するのは絶対の絶対にダメだと思うが!

――と、つらつら書いていて気付く。
上記事の後半にちゃんと
孔明の計略は本人よりも敵軍の兵士に作用する
と書かれていた。
さすが。よくお分かりで。(ああ上から目線だ。すみません。おそらく彼のほうが圧倒で歴史知識に詳しいというのに)
生意気を承知で、「さすがだな」と感想コメントを書いておく。
この人は素人による素人のための似非歴史だけではなく、きちんと近現代の戦略を学んでいるのだ。

以下の話も納得。
孔明曰、
「司馬懿は最初から出撃するつもりはない。わざと怒ってみせて自軍の士気を鼓舞しただけだ……
将軍とは戦地では君命も受けない自由裁量が認められているのに、君命だから出撃できんとは猿芝居もよい所だ」
全く同意見(?)だね。 

■孔明を「独裁者」と呼ぶタイトル

もう一個。同じくkawausoさんの記事で、このタイトルに脱力し笑う。

 『ええっ! 独裁者諸葛亮を叱りつけた部下がいた!』
https://hajimete-sangokushi.com/2018/08/07/%e8%ab%b8%e8%91%9b%e4%ba%ae%e5%8f%b1%e3%82%8b%e9%83%a8%e4%b8%8b/

「独裁者」って……。
まったく。
酷い釣りのタイトルだ。
アンチがホイホイ釣れそう。

まあ事実、傍から見れば当時の彼はほぼ独裁権力を持っていたと言えるのだけどね。
自ら丞相に就任して独裁的な政治を行った事が分かっています。
ん、誤解される言い方。外部から見るとそうなるのかな。
亮を丞相にしたのは生前の劉備だし、彼が死んだからと言って丞相の地位を返上できるわけがない。まして敬愛する主人から託された遺児を放棄するなど。国民から逃げ出して責任放棄も絶対無理な状況でしょう、あり得ない。
ところが、この蜀では無双状態の孔明を面と向かって叱りつけた部下が存在していたのです。
そんな命知らずが本当にいたのか見てみましょう。
「命知らず」って。笑
確かに一般的な独裁者を部下が「上から目線」で叱り飛ばしたら、部下は処刑されるだろう。現実に「命知らず」となるよね。
でも、諸葛亮は意見したからと言って処刑するタイプではないことが知れ渡っていた。だからこそ、堂々と叱ることができたのだと思う。
(叱った人の人格の高潔さもある。たいていの人は、大丈夫な相手だと分かっていても保身に縛られて思ったことが言えない。思ったことを言えるのは自己保身よりも、他人のためを考えることができる高潔な人。この点、陳寿も同様で素晴らしい)

余談だが上記事の叱責文を当ブログ筆者も改めて読み、身につまされている。
「道で行き倒れた人間の事は管轄外で構わず……」
現実にそんなことは絶対できないが、ここまでしっかりとした分別が必要ということ。
「他人には他人の人生がある。死ぬと分かっても放っておけ」。
全くその通り。お節介こそ相手のためにならない。
メモして部屋の壁に貼らなければ。

孔明は仕事についてはかなりのワカランチーノ(だから例え話で説得しようとした)
これもその通り。笑った。
事実、反省していても実行できなかったから死んだわけなので。

なお、このエピソードは当ブログでも孔明の人格エピソードとして紹介しているが、叱責した人へ亮は
「その通りだね。済まない」
と謝っている。
おそらく中国的には、これは批判される行い。
だから日本でも、このエピソードに対しては「お偉いさんが下位の奴に謝ってんじゃねーよ!ボケ!クズ!」と批判されている(ネットで)。
確かにこのように上下をわきまえず、下位の者へ頭を下げることは「誤り」とされる。
中国史では、このような立場をわきまえない行いをした人が、ただそれだけで処刑されたことがあった。そこまで地位の上下・仕事の分担は厳しく徹底的に分けられており、「他人の仕事を取るな」と教育されていた。
そんなことは中国の常識。

だから諸葛亮は、“常識がない”と言えるのだよな。中国的には。
なのでコミュ障、理解されず、周りから反感を買ったのだと思われる。

ところで、現代まで続く日本の縦割り行政は、このような中国式の分担教育が徹底されたからかもしれない。
現代ではむしろ弊害が起きていて批判の声も高い。
もちろん、
「何でもやれ」
と言うのはやはり間違いで、仕事の範囲を守らずに自分の首を絞め、それこそ過労死しては元も子もないのは確か。
でもあまりにも管轄を徹底し過ぎても人が死ぬでしょう?
行政も無理のない範囲で、枠を超えた対応ができるように法改正していくべきでは。

 ……と、話が逸れた。
 こうして延々と考えが広がっていくのが自分の悪いところ。

疲れたのでこの辺で終わり。
また機会があれば亮ネタを探してコメントします。


三国志カテゴリ
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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