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(雑談ばかりですみません。女子には引かれそうな話ですが、興味があったらお読みください)

ドラマ『今日から俺は!!』が始まって嬉しい。
ドラマ化してくださった福田監督に感謝。

古い漫画だから、若い人はたぶん知らないでしょう。
最近はキャンペーンで無料にて読めることも多いから、ぜひお試しを。

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■漫画の紹介と、何故に私は『今日から俺は!!』が好きだったのか

引かれるかもしれないが、私はこれが好きだった。

言っておくけど日ごろからヤンキー漫画が好きだったわけではない。そういうタイプではない。笑
ヤンキー漫画で面白いなと思ったのは、これだけ。我ながら不思議だった。

たぶん三橋&伊藤が、「今日からツッパリになる!」と言って転校デビューしただけの本性・平和主義で地味系だからかもしれない。
本来はツッパリではないのに戦いの場に飛び込んだ三橋の、達観しているところに共鳴したのだろうか。

そんな三橋は、“卑怯”の天才。
コショウで目つぶしする。
落とし穴に落とす。等々
「まさか漢(おとこ)が、そこまで卑怯なことをやるまい」
という意表を突く汚い手段を堂々と使う。
そしてそんな子供っぽい手段に、屈強な不良たちが面白いように引っ掛かり三橋は勝ち続ける。
いつしか名が知れ渡り、地元で最強の不良ということになる……というストーリー。

ん?
どこかで聞いたような話だな。
今さら気付いたのだけど、三橋は『三国演義』の諸葛孔明的なキャラなのか?? 笑

ふーん、なるほどな。
私は歴史ジャンルが苦手なので(特に三国志は生理的に無理)よく分からなかったのだけど、確かにエンタ-テイメントフィクションだったら、三橋のようなキャラクターが登場すると面白いのかもしれない。

思うに、
小が大を倒す。力ではなくて知恵で。
というところが爽快感があって、楽しいのだろうね。

さらに三橋の相棒、伊藤が稀有な真っ直ぐキャラで、三橋の卑怯なケンカ手法に疑問を呈するので中和されている。
「そんな卑怯な手段は嫌いだ! 俺は真っ向勝負する」
と言い放ち、血を流しながらも突撃していく伊藤の姿が、三橋と対照的で清々しい。

あと言っておくと、三橋も決して性根から姑息ではない。
自分の利益だけを考えているように見せかけ、実は裏でこっそり準備して友達(伊藤)を助けに行くなどする。
しかもその助けに行くための準備が意外と地道。
つまり三橋は、努力はするタイプ。
結局は
「三橋、イイ奴じゃん」
と思わせてくれるところが創作として上等。

まあそんな感じですが。
難しく考えなくても純粋に笑えるギャグ漫画です。おススメ。


■現実に投影して「卑怯」と「姑息」を考える

ところで三橋のようなやり方を「賢い」と思って、道義に反する姑息な手法を正当化しようとする日本人は多い。
これも歴史フィクションの弊害なのか。
歴史フィクションに中毒して姑息を正当化しているなら改めるべきだ。

三橋の卑怯と、一般の人々が行っている姑息さは違う。

確かに、ドラマ第一話で伊藤を助けに行った際に
「勝てば何をやってもいいんだよ。勝つことが大事さっ」
と言い放った三橋はカッコイイし、正当だと私も思う。

でもそれはその場面で完璧に合理だったから。
まず、強者に立ち向かうために一度きりの手法を使えば済むという状況が前提としてあった。
それと本質的に、悪に立ち向かう友人を救いに行った三橋の行いが道義にかなっていた。(道義=合理)
しかも三橋は、裏側では用意周到に準備している。つまり確実な勝利を狙うために、自分自身は手を抜くことなく徹底した努力をした。その地道な努力こそが、何より合理にかなっている。

『敗けてもいいから、姑息なことはするな 』でも書いた通り、姑息なことをしてはいけない。
「姑息」とは、道義に反し、合理にかなわない行いをすること
つまり文字通りの「一時逃れ」。
道義を踏みにじれば後から必ず不利になる。

たとえば先日のサッカーワールドカップにおいて、日本代表がポーランド戦で行った戦法は、多くの日本人は「賢い知恵!」と絶賛しているのだけど勘違いもいいところ。

 この件について書いた記事 『ポーランド戦に苦言。ギャンブルは「戦略」「戦術」ではない 』

確実でない可能性に全面的に委ねて試合放棄。これは単純な意味であっても合理的ではない。
さらにスポーツとしてあるまじき行いで、道義も踏みにじっている。
「道義を踏みにじる」とは、戦争で言えば、たとえば兵糧が足りないからといって短絡的に通りの住民から略奪するなどの行い。要するに、「人としてやってはいけないこと」。
そういう道義に反することをすれば通りの地元住民から非難を浴びて攻撃される。
物理的にも不利となるわけだ。

精神は現実に反映する。
だから、「道義」は単に精神論ではなくて「合理」とイコールだと言える。

私はもちろん、汚い行いが本能的に嫌い。
恥ずかしながら、きれいごとを本気で言うタイプ。
(もしかしたら本性は伊藤タイプなのかも……)

だから私は
「敗けてもいいから、姑息なことはするな 」
と無条件に思う。
決して利益が先にあって、そのためだけに道義を合わせているわけではない。

でも結局は、道義を守る人が本質的な勝利が得られることが多いのは事実だ。

ただしそのためには、裏側において三橋のような地道な努力が必要であることは間違いない。

ただ精神論を振りかざすだけで勝てると妄信し、裏側の努力を怠っていたら必ず徹底して破滅する。
 例: 太平洋戦争時の日本軍
甘い計画で現実の努力を怠ることも、一時しのぎの意味で「姑息」と言える。
つまり、人事を尽くさないこともまた、犯罪に等しい悪事になり得るのだ。それは広い意味での道義に反する。


――結局、何を言っているのか分からなくなってしまったかも。
まとめると

三橋&伊藤 を足して二で割ると道義にかなってちょうどいい

ということになるのかな。
(なんのこっちゃ。笑)

できれば、私は現実でそういう人を目指したい。鋭意努力しよう。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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