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前記事で、「先生と呼ばれるとゾッとする(慇懃無礼だ)」と書いた件について追記です。

もしかしたら気にされている方がいるかもと気付いたので書いておきますが、メール等で「先生」と書いて来られただけで、私が不快に感じることはありません。

本心から人間性を尊重してくださる意味で、あるいはサイト管理者に対する習慣として、私のことを「先生」と呼んでくださる方はたまにいます。
特に占星術サイトでは多いです。

その言葉だけで「嫌味だ!」と怒ることはないのでご安心くださいませ。


たぶん、私は相手の本心を読み取っているのだと思います。

言葉遣いが丁寧でも本心はバカにしているな、という相手は分かるものですよ。
言葉だけではなく、態度や行動を見ているとね。
(メールだと「態度」は見えませんが、実際その人が何を書いてきているのかという内容が「行動」になるかな)

まあ、私はフィクション『三国志』の設定があまりにもショッキングだったため、「先生」という言葉に過剰反応するようになってしまったのかもしれません。※

だから神経過敏で面倒な人間であることは事実ですね。すみません。

ごく普通に人間扱いをしていただければ、ありがたいです。


※フィクション設定: 劉備たちが孔明を「先生」と呼ぶ設定です。これはフィクションが編まれた当時(明の時代。14世紀~17世紀)、孔明のモデルとして同時代の有名人・劉基という人が投影されているからです。劉基は主君と会った際、既に名の知れた「先生」だったので先生と呼ばれるのは正しいのですが、孔明のほうは無名の若造。劉備より二十歳下です(ここを強調しておきたい)。二十歳下の無名の若造に、「先生」はあり得ないでしょう。慇懃にもほどがある。
劉備の最後の手紙を読むと、確かにまるで宰相を「先生」のように尊敬しているようにも感じられますが、決して下から目線ではない。あくまでも対等に、人として認めている。それこそ人としての最大限の礼儀と言えるのではないでしょうか。


*
余談

(現在の私の仕事である)専門職の間では、「先生という呼称をどうするか問題」がかなり熱い議論のネタとなります。

だいたい専門職は
1.「先生」と呼ばれることを何とも思っていない人
2.「先生」と呼ばれていい気分に浸りたい人(そのためその職に就いた)
3.神経質に「先生」と呼ばれることを嫌悪している人
この三種類に分かれるようです。

2のタイプは少ないですね。思っていても仲間内で言わないだけかもしれませんが。
たまに、顧問先で「俺様を先生と呼べ!」と怒鳴り散らしてクレーム入れられ、物議をかもす人はいます。

たいていは1のタイプです。あまり気にしていない。
3の人も意外に多くて、一年に一度ほど遭遇します(笑)。

著名な弁護士に3の偏屈タイプがいて、彼が公演会などで「弁護士は先生と呼ばれるべきではない」と布教しているので、最近は3が増えてきたかもしれませんね。

私は概ね1でしたが、時と場合により3かなという気がします。

何も知らない相手が、良かれと思って「先生」と呼んで来るのに、いちいち怒るのはさすがにどうかと思います。
頭がおかしいと思われるでしょうし、何より「めんどくさい人」と思われるでしょう。
習慣となっているのだから、その習慣を変えるべく説教して回るのも骨が折れます。
相手に合わせて、さらっと受け入れるのが大人の礼儀というものです。

ただ私がゾッとするのは、「先生と呼ぶんだから責任感じてよね」と脅迫された時でしょうか。/もちろん仕事に責任を持つのは当然ですが、それ以上の含みを持つ場合です
あとは前記事にも書いた通り、「先生」と呼ぶが実際はバカにしている、ということが態度にありありと出ている人に会った時ですね。
どちらも人間扱いされていないな、と感じるからゾッとするわけです。
(こういう人は、学歴が低い相手を見下す人と完全に同種。他人を肩書だけで見て人間扱いしない。この種の人を私は嫌悪する)


「専門職の人を、先生と呼ぶべきかどうか」。
この判断は難しいとは思いますが、要するに本心のところで対等な人として接していれば、どんな呼び方をしても問題は起きないのでは。3の人から「やめてください」と言われたら他の呼び方に変えれば問題ないです。
友達ではないけど、友達と同じ気持ちで話をすればいいのではと思いますよ。現実の劉備を見習って。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei
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