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一昨日、『全力教室[茂木健一郎]現役東大生相手に「東大生はバカばかり!」』という番組を観ました。
脳科学者の茂木健一郎氏が東大生を相手に授業をするというもの。
この番組についてレビューを書いてみました。


〔目次〕
番組の紹介-茂木氏の話に感じた矛盾点
東大入試の完全面接化について
個性重視と言いながら、東大の個性を否定するのは何故?
部屋の細かい変化に気付かない奴は「無能」なのか?
人と会話することだけが能力を鍛えるなら、やっぱりアインシュタインは無能だったということになる
-まとめ
真の公平とは、個性を認めること
追記

■[茂木健一郎]現役東大生相手に「東大生はバカばかり!」


この番組のなかで茂木氏は、世界大学ランキングにおける東大の順位の低さを憂え、
「東大には発明者がいない。天才がいない。東大生はバカばっかり!」
と東大と日本の教育の在り方を批判。
偏差値教育にこの低い順位の原因があるとし、「ハーバード大学を見習って東大の入試は個性を重視するため、完全に面接で行うべきだ」という主張を展開されました。

…… 一見、公平であるかのようなこのご主張。
まず東大生を「バカ」と言い切るところが「新しい!」と世間から拍手喝采を受けそうな気がしますし、「大学入試は個性で合否を決めろ」という主張はリベラルっぽい雰囲気はあります。

ですが、茂木氏の主張は公平っぽさを装っているだけで、実は公平ではない。

私は彼の主張にいくつか矛盾を感じました。
 


■東大入試の完全面接化について


まず東大生たちは茂木氏が主張する大学入試の完全面接化に対し、
「面接は面接官たちの主観が入り、公平ではない」
と反発していた。

私は東大生たちの主張が正当だと思います。

この日本において、ハーバードのような真の意味での能力主義で面接を行うのは不可能と考えるからです。

国内の全ての大学入試を完全面接化したときに何が起きると考えられるか。
第一に予想されるのは、合否基準を不透明にすることによって、お勉強が苦手であっても親が金持ちであれば受かるというシステムになってしまうことです。
つまり、バカでも金持ちの坊ちゃんなら東大へ行けるようになります。
むろん今はもう既に、高額な塾へ通わせることが出来る・徹底して教育費を注ぐことが出来るという教育費の格差によって、金持ちだけが大学へ入学しやすいように社会的なシステムが仕組まれています。
(その前に、大学の学費すら払えない貧乏人の子は始めから切り捨てられていますが。この国では貧困層出身者は人間と思われていないので話題にも昇らないですよね。金持ちから見れば、学費も払えないような貧民は敵にもならないゴミだから、話題にする必要もないのでしょう)
ただここまでお膳立てしてあげても大学へ入学出来ない金持ちのバカな子が多いという、気の毒な現実があります。決定的に金持ち優位の貴族社会にするためには、大学入試を完全面接として合否の基準を不透明にするしかないのです。
もちろん露骨に金を積むなどということをすれば貧乏人から批判が噴出しますから、そこは「個性」だの「人柄」だのといったグレーなラインで曖昧にぼかすでしょう。
実際は「家柄」と「両親の格(地位)」で選ばれることになるはずです。

さて以上が最悪の未来予想図だとしましょう。

幸いにもこの予想がはずれ、東大の面接官たちが無欲で、金には左右されなかったとします。

それでも問題は起きるはずです。
「コミュニケーション能力のない者の排除」という性格による差別です。

面接における「個性」はそもそも、コミュニケーション能力がなければ面接官に伝えることさえ出来ません。
面接官は、無意識でも意図的でもコミュニケーション能力の高い者を優先して合格させるようになります。

ということは大学が、愛想を振りまくことだけうまく・面接官を気持ち良くさせてくれる営業能力のある若者だけを選び取ることになります。

これでは見た目に高感度の高い、同じような愛想笑いの人間だけが大量生産されることになってしまう。
処理能力は圧倒で高いが会話は不器用な者や、まして発明能力のある変人は「不良品」として社会から排除されてしまいます。

 
コミュニケーション能力だけに長けた似たような人材だけが採用されるという現象は、既に企業では一般的となってきているように思います。
何故か。
コミュニケーション能力が高い者は、手っ取り早く金を持って来るからです。
 
確かにそのような人は営業担当として絶大な能力を発揮するのですが、全社員がその同じ種類の人間ばかりとなってしまっては、研究開発は進まず戦略も練ることが出来ず、技術は落ちて会社全体の能力が収縮していきます。つまり見えない資産の減少です。
内部から体質として弱体化しますから、こうなるといずれ会社の利益は減って倒産必至でしょう。
それでも目先のお金が欲しいから、企業は似たような人材だけ雇い続けて来たわけです。
人材のファストフード化です。

企業だけではなく、今は国全体がその方向に向いているようです。

大学入試の完全面接化論は、就職でコミュニケーション能力の高い者を選別する手間を省くために、大学を「手っ取り早く金を持って来る人間」を選別するフィルターとすべきだという考えのように思えます。

学校という場を、ファストフード的に使える人材の大量生産工場にしたいのです。

そうなってしまえば、技術屋は完全に死ぬでしょう。

いよいよ能力の高い個性的で「使いづらい」人間は排除され、個性のゴミ捨て場行きは決定となります。

ますますニート・引き篭もり、自殺者が増えると考えられます。

【補足】 この点、茂木氏には悪気がなかったかもしれません。彼は現実の日本の社会システムをあまりご存知なく、面接でコミュニケーション能力が無い者が排除されやすいという事実に想像が及ばないのだと思います。
おそらくハーバードの天才による天才のスカウトといったことが日本でも可能だと信じている。
きっと、ピュアでいい人なのだろうなと感じます。
しかし日本の現実はそんなふうには出来ていないので。
たとえばサヴァン症候群であまり他人と話すことが出来ないアインシュタインのような人は、日本では確実に面接で排除されます。アインシュタインが日本に生まれていたら一生、人格破綻者扱いで差別され、職にありつくことは出来なかったでしょう。
(スティーブ・ジョブズも同じ。ジョブズなど日本ではアルバイトすら出来ないはず。まして経営者など無理)

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■個性重視と言いながら、東大の個性を否定するのは何故?


東大という場はある種の特殊技能を磨いた人たちの集まる場ではないか、と私は思います。
ペーパーテストを解く特殊技能です。
それはむしろ一般社会から見れば特殊過ぎて、「使えない」と言われてしまうような偏った能力であるかもしれません。
しかし明らかに、「個性的」とは言えるでしょう。

「面接」で合否を決める大学があるなら、それはそれで構いません。
と言うか、既に面接だけで合否を決める学校は存在しますよね。企業向けの即戦力を育てる学校等。

私が疑問に思ったのは、何故にそれを東大が真似しなければならないのか? ということでした。

まして、全ての大学が同じようにしなければならない理由が分からない。

面接で合否を決める大学があって良いなら、ペーパーテストで合否を決める大学もあって良いはずです。それが大学の「個性」というものです。

「個性重視」と主張する茂木氏が、どうして東大そのものの「個性」を認めてやらないのか

どうも茂木氏には、東大しか見えていないようです。
だから東大を改革することでしか、日本は変わらないと考えているらしい。

まさにこれを中心視野と言うのですよね(笑)。周りが見えていない。

どうして、茂木氏が思うことを他の大学がやってはいけないのか。
そんなにハーバードっぽい大学が日本に欲しいなら、茂木氏ご自身で作られたらどうなんだろうか?
そしてその大学で世界大学ランキングのトップを目指せばいいではないか。

茂木氏の言葉の端々に、
「この国には東大しか大学は存在しない」
という意識がちょいちょい感じられ、個人的に不快でした。

※ついでにもっと広い視野から言いますと、大卒だけが人間なのではない。茂木氏は「ヤンキーのように個性的な人間が必要だ」と言いますが、ヤンキーは既に国民のなかに存在しますよ(笑)。大卒者以外で個性的な人間は、たくさん生きているんです。

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■部屋の細かい変化に気付かない奴は「無能」なのか?


茂木氏は最後にテストを出しました。

「授業が始まったときに比べて今は部屋が微妙に変化しているけど、お前ら東大生はそれに気づくか?」
と。

実際、変化に気付いた学生は少数でした。

茂木氏はそれをもって
「ほらみろ。だからお前ら東大生はダメなんだ。脳が劣化しているんだ」
とでも言わんばかりに東大生たちを責めていました。

これは非常に疑問に思いました。

人にはそれぞれ得意ジャンルがあります。
スポーツが得意だったり、音楽が得意だったり、勉強が得意だったり。
同じ勉強が得意な人のなかにも、発明や発見が得意だったり、細かい変化に気付くことが得意だったり、記憶や計算が得意だったり……と実に様々なタイプがいます。

人はその得意ジャンルで能力を発揮すれば良いのであって、たとえば一種の「技術屋」である東大生たちが、部屋の変化に気付かないことだけ指摘して
「お前らは脳が劣っている」
などと全否定するのはおかしいのでは。

「ひらめき」が得意な天才が存在するのを否定してはならないのなら、
「記憶力が突出したペーパーテストを解く職人」の存在も同様に否定してはならない。

と思うのですが。

それから、部屋の変化に気付きやすいのはいわゆる「女性脳」ではないかと思いました。
(茂木さんの脳研究ジャンルとは違うのかもしれない)
あの中に一般的な女性脳の持ち主がいたら即座に指摘していたと思います。
男性脳は、部屋の変化などの細部には気付きにくいはずです。たとえば、他人が髪型を変えたことに女はすぐに気付くが男はほとんど気付かない。男性がそのように細部の変化に鈍いからと言って、「男は女より脳が劣っている」と決めつけて良いのでしょうか?? 
それは脳の使い方が違うだけであり、単なる能力タイプの違いです。男性は、細かい情報をカットする代わりに脳を一点集中で使うことが出来ます。部屋の変化などの細かいことに気付かないからこそ発揮出来る能力もあるはずです。

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■人と会話することだけが能力を鍛えるなら、やっぱりアインシュタインは無能だったということになる


茂木氏は最後、
「脳の“ひらめき力”を鍛えたいなら、初対面の人と会話すればいい」
と仰っていました。

結局のところ、「コミュニケーション」だけが脳を鍛えるという結論で終わった気がします。

確かに初対面の人と会話することは脳に大変良いでしょう。
しかしそれだけが能力を鍛える手段だとは、アインシュタインやスティーブ・ジョブズを見る限り、とうてい思えません(笑)。

“ひらめき力”が絶大にあったアインシュタイン、ジョブズのような人たちは、むしろ他人との会話や交流が徹底的に苦手なほうだと思います。世界中の優れた発明家の多くは人格破綻者と呼ばれるほど、他人とのコミュニケーションを取ることが苦手でしょう。

茂木氏も始めの頃にアインシュタインが「他人と会話出来なかった」エピソードを紹介しているのに、最終的にはアインシュタインを否定してしまったことになる。
矛盾だと思います。

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■真の公平とは、個性を認めること


この番組全体を眺めていて、私は芸人の加藤浩次の呟きが最も公平だと感じました。

東大の子たちだって、勉強が出来るという個性を持っているのではないかなあ」と。

加藤氏の呟き、なんかちょっと感動しましたね。優しいなと感じた。
彼はたぶん、自分の個性や存在価値を全否定されてしまった東大生に同情したんでしょう。

実はこういう感覚こそを、「公平」って言うんですね。
「誰がどんな個性を持っていても、そいつの個性を認めようぜ」、という感覚です。

決して、誰もが同じ顔を持ち・同じキャラクターと能力で生きなければならない、ということを強いるのが「公平」ではない。

まして均質な人間を製造する人材工場が、「公平」な教育のわけがない。
それは個性排除の「差別」と言うんです。

茂木氏は最後に
「変わらない自分に誇りを持つな! 変わることを恐れないことこそ勇気だ」なんちゃら、
とアドバイスをされていましたが、それって東大生のように勉強しか出来ない不器用な人に対して
「お前らは使えねぇ、もっと使える人間に変われるよう努力しろ」
ということでしょうか?

私は上の指南を聞いてもちっとも勇気を持てません。
むしろ、気持ちが落ち込みます。
人によっては、
「自分は変わろうと努力しても変われなかった……やっぱり自分て駄目な人間なんだ」
と思ってしまうでしょう。
「変われ」と強いる台詞は、人に勇気を与え背中を押すどころか、人を追い込んでしまう危険もある言葉だと思います。


真逆の例を紹介します。
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは生涯を通して
「君は君で良い。君自身であれ!!」
という熱きメッセージを若者に送り続けました。
そのメッセージに救われ、自殺を思いとどまった若者は世界中に数知れず存在します。

ヘッセは、決して「変わるな。今の場に留まれ」と言ったわけではないのです。
ただ、どんな個性であってもその個性を受け入れ、認め、成長するように指導しました。
そのうえで一歩踏み出すことこそ、「自分自身に生まれ変わる」ということであるし、魂の変革と言えるのです。

人はまず、自分の本来の個性を受容しなければ一歩踏み出すことは出来ません。
 
「個性」が認められなければ、最初のペンギンにもなれるわけがありません。

天才が生まれる国にしたいなら、個性を潰すような教育を主張するなど最もやってはならないことでしょう。

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【追記】

ところで茂木氏は「公平」「公平」という言葉をやたら口にされていたが、そもそも彼は、大学に行く学費すら持たない子供が存在することをご存知ないのだろうか?

ペーパーテストであれ、面接試験であれ、試験で合否が決定されるならまだ納得出来る。
しかし、「金」というただその基準だけで、最初から試験に参加することすら出来ないのは絶望しかない。

私も、「金」で大学試験に臨む権利すら与えられなかった人間です。
「金」で足を切られた。

こんな国でよくも「公平」などと口に出来るなと呆れます。
どんな入試の方法が公平となるか考えるより先に、そもそもこの国の子供は「金で選別されている」という圧倒的な不公平があることを知るべきでしょう。

茂木先生、「全ての子供が大学入試を受けられることが出来る」という前提で話をされるとは、脳において想像力が欠如している証です。
どうか、想像力をつかさどる脳の部分を鍛えていただきたいです。





■拍手レス:投稿者「あ」様。

>素晴らしい 
×2

ありがとうございました。

■拍手レス2: 皆様、たくさんの拍手ありがとうございます。
そして面倒な長い文章を読んでくださって恐縮です。

11/6に「公平とは個性を認めること」へ拍手くださったT様、いつもありがとうございます。

まったく現代は「コミュニケーション能力」ばかり求められ、皆が疲れ切っているように思います。
テレビにはコミュニケーション能力の高い人ばかり出て来るのは本当ですね。だからテレビを観るとそれだけで落ち込む人も多いそうです。鬱病の人にはテレビを観ないように医師からアドバイスされます。

日常生活でもフェイスブックやライン等で四六時中コミュニケーションを強いられ、監視されているようで、食事も睡眠も出来ず病気になる人も多いとか。
コミュニケーションに偏る世の中自体、全体に病んでいますよ。
確かにコミュニケーション能力の高い人は素敵ですが、人間の能力はそれだけではないということが忘れられている気がします。結果、同じようなキャラクターの人だけが社会で生き残るようになって来ました。それ以外はどんなに能力が高くても、ニート・引き篭もりのゴミ捨て場行き。
大げさなようだけど、このままでは人類がまずいことになるなという気はします。


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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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