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昨夜は家族と一緒に、中居正広の『終活って何だ? 僕はこうして死にたい』という番組を観ました。
番組サイト:http://www.fujitv.co.jp/b_hp/150221premium/

私は仕事に関係するから観たのですが……40代前半の中居正広が「終活」番組を司会するのはさすがにちょっと違和感がありました。

「終活」という言葉が流行り過ぎという気がしないでもない。

確かに、30代でも40代でも余命宣告されてしまう方はいます。
でも40代くらいの場合、自分の終活する前に親の死のほうが先である確率のほうが圧倒で高い。親の死後について何も考えていないと、けっこう大変ですよ。
テレビ番組もそのあたりのことをしっかり周知していただきたいです。

親御さん世代には遺言書の大切さをご認識いただきたい。
何か、葬儀場へ行って野菜詰めをしたり、棺桶に入ったり写真撮ったりすることだけが「終活」だというイメージが世間に浸透している気がします。
そんな葬儀の段取りなど後回しで良いので、現世の子供たちや配偶者のことを先に考えましょうよ。
葬儀は自分が死んだ後でも、周りの人間がどうにかすることが出来ます。費用や手配などが多少大変でも、最終的には必ずなんとかなります。
でも遺言など法的な意思表示は、自分が死んだ後は100%どうすることも出来ないんです。
これって怖いことではありませんか。
遺言がないばかりに家族が財産ゼロで放り出される、ということが現実にあります。
自分の葬儀を飾ることばかり考え遺された家族の生活のことを忘れてた、では、いくらなんでも薄情過ぎます。


以前、スピリチュアルジャンルの人が書いた本に
遺言書は書くな! スピリチュアルから言わせてもらえば、遺言書なんか死人のエゴでしかない!」
などということが書かれて驚いたことがあります。
その理由として、
「遺言書なんか書くから相続争いでいつまでも揉めるんだ。遺言書を書かなければ絶対に揉めることはない」
と言うのです。

なんて暴言だろう。ひどい間違いです。
法律について何も知らない素人さんがいい加減なことを本で書くな! と怒りに震えたのを覚えています。

(揉めるような遺言書も確かにあるが、知識なく闇雲に書くからそうなるので、多くの場合で遺言書はないよりあったほうが揉めません。どころか、ちゃんとした遺言書がないばかりに裁判になるケースのほうが圧倒で多い)

私はスピリチュアルに片足突っ込んでいる人間ですが、絶対にあんなことは言いません。

何故ならスピリチュアルな話と、現世の問題である「終活」・「遺言書」は完全に別だからです。

終活・遺言は、死者のためではなく現世で生きていく人のためにするもの。
だからあくまでも現世基準で、現世の国籍がある法律にのっとって終活しなければなりません。
ぼんやりと「あの世」のことを考えるのは、現世の手続きが終わってからにしてください。

※なおこの番組では中盤あたりから癌の話となり、緩和医療について考えるには参考になりました。
 『癌と闘わない私の選択』 吉野実香さん、大変参考になります。
 実香さんブログ: http://ameblo.jp/3bikinoneko-y/




以下はスピリチュアル的な面から「終活」を考えてみます。

「あの世」について考えるのは有意義なことです。
でも、あの世を知らなければ死んではいけない、と言うのも間違いと私は思っています。

たとえば前にもご紹介した、幽体離脱し「あの世」を旅行出来るというCD。
とても興味深いものですし、もし本当に幽体離脱が可能ならスゴイなと思うのですが、
「そのCDを聴いてあの世を知らなければ、あの世にうまく行けない」あるいは
「CDを聴いてあの世を知っておけば、自殺しても大丈夫」
等々と言って販売するのは正当ではないでしょう。


私が思うに、死後世界を見るのは死後で構わないはずなのです。

もちろん、死後の世界を信じていない人は現世をさまよいがちである、ということは言えると思います。
また、トータルに死後世界と来世について考えられる人は、現世で犯罪を犯すことはないはずです。
だから死後のことについて考えると生きる態度が違ってくることがあります。
そのため生きているうちに死後世界を信じて学ぶことは良いことと思います。
しかし何かの宗教に入らなければいけなかったり、スピリチュアルCDを買わなければ死後世界に行けない、ということは絶対にあり得ないです。

どんな魂にも最終的には、死後世界あるいは来世の道が用意されています。
もし「終活」に必要などと言われて宗教やスピリチュアルに勧誘されたなら、きっぱりお断りすべきです。


最後に、葬儀について。
現世の手続きを終えて余裕があったら、そのあと葬儀のことを考えるのは悪いことではありません。

葬儀は死後に自分で立ち会う人もいるようです。
そのため自分なりに好きな葬儀を計画しておくのは悪くないでしょう。
でも、無理に自分で計画しなくても、生前に家族や友人を愛していたならその人たちが良きようにはからってくれるのでは。
上の番組で中居も言っていたけど、
「友人たちがどんな葬儀をしてくれるか見るのも楽しみ」
という考えに同感です。
言わば葬儀は、現世で自分が周りにどう接してきたか、それによって周りが自分をどう思っていたかを知ることが出来る最後の場と言えるかもしれません。

私の経験で言えば、前世では死後すぐに肉体から離れて上へ昇ったから自分の葬儀は見ていませんが、地上の音だけは聞こえていたふしがあります。
(死の直後と葬儀時に地上の人々が話していたことついて記憶があります)
だから葬儀の場で家族や友人たちが話す評価は、全てあなた本人にも聞こえることになります。

なお、戒名は死後世界ではたいして意味を持たないと思います。
だけど本人には戒名が聞こえています。
だから仏教的なランクとしての戒名ではなく、生き方にちなんだ死後名を付けてもらうと良いでしょう。後に自分が何者であったか思い出しやすくなります。

ところで耳は聞こえるわけだから、葬儀で好きな音楽を流してもらうのはいいかもしれないですね。
でも音楽で現世に未練を感じて戻って来てしまわないよう、ほどほどに。

棺桶は、どうせ焼くから何でもいい気がしてしまいますが、人によっては死後すぐに肉体から離れるのではなく肉体の中に留まることもあるらしい。
(フランチェッツォの本によれば。多くは、自殺や生前に良くない行いをした人の場合)
だから棺桶の素材を豪華にする必要はないけど、中だけは少し寝心地の良いものを用意したほうがいいのかもしれません。

衣服は、死に装束にこだわる必要はないでしょう。
おそらく生前によく着ていたものをしばらく身に付ける(そのような表現体で存在する)ことになると思うからです。
どんなに美しい死に装束を用意したとしても、日ごろトレーナーで過ごすほうが多かった人なら、トレーナーでうろうろすることになります(笑)。
死に装束よりも日ごろの身なりを気にしましょうよ。

墓について。
これは、私は自分の経験から分かりません。
死後はすぐに肉体から離れた記憶しかなく、埋められた場所の感覚などありませんので。
豪勢な墓を持ったところで意味がないことは確かです。
死後に暗い場所へ行くのか、空へ行くのかは、埋葬の方法によって決まるのではなく生前の行いによるでしょう。


結局、スピリチュアルな観点からの「終活」ですと、生前の日ごろの行いが重要になるようです。

生まれた時から一日一日、大切に過ごしてきた人なら、人生の終わりに近づいたからといって慌ててスピリチュアル終活する必要はないのではないでしょうか?

明日突然逝っても後悔しない生き方をしたいものです。
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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