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『ソクラテスの弁明』レビューを改稿しました。
かなり昔に書いたものですが読みやすく文章を整えました。(つもり)
http://rainydaybook3.blogspot.jp/2017/12/blog-post_21.html
諸葛亮にも少し触れているので、ここへ来られている方は少し興味があるかな? と想像しています。

去年、日本国憲法9条の改憲騒ぎで
「法的安定性」
という言葉がテレビや新聞でも使われ、一般の方の目に留まる機会が増えましたね。
私は意外だったのですが、この言葉は法律を学んだことがない人にとっては馴染みがなかったようで、改憲賛成論者たちの中には
「あれはメディアが作った造語だ。平和主義のバカどもは造語に騙されている」
と思い込む人が多かったようです。

でも「法的安定性」はメディアの造語などではなく、昔からある言葉です。
この通りの言葉はないにしても、古代から概念としては存在します。
ソクラテスが死をもって守りたかったのも高度な意味での法的安定性でしょう。

諸葛亮をソクラテスと並べて書くのはあまりにも格が違い過ぎて気が引けますが(もちろんソクラテスが遥か上です)、実際に並記していたテキストが存在したので私は驚きましたね。
それにしても、現代の法学を知る私の目から客観的に見て、諸葛亮は明らかに西洋的な思想を持つ人間だったと思います。彼に西洋の知識があったわけではありませんので、それは「生来に」「本質的に」ということです。



おさらいをしておくと、西洋は「法治主義」とされます。
東洋は一般に「人治主義」と言われています。(だから諸葛亮は突然変異の変わったタイプと言えます。このため東洋の歴史学では批判され続けています)

法治が良いか、人治が良いか。
一概に決めつけることは出来ませんが、私(吉野)が法治のほうに共鳴するのは言うまでもないでしょう。まあ現代人としては普通でしょうか。

法律を枉げる(法律をその場の気分で守らなかったり勝手な解釈で運用してしまうこと)と、国民がどうすれば良いのか分からずに混乱し、社会が乱れます。
また権力者による法の濫用(いいかげんな使い方)が増え、何の罪もなく逮捕されたり虐殺されたりしても権力者を訴えることができなくなります。
……早く言えば現代の中華人民共和国みたいな恐怖の社会になってしまうということです。

そうならないために、「法的安定性」=法律が守られて社会秩序が安定することが大事だというわけです。

去年、法学者たちが主張していたのはこういう話です。
政策的に「日本は戦争すべきではない」とか「平和憲法を守れ」という話ではありません。それは完全に別次元の話。政策の話をするのは政府の仕事であって、法学者の仕事ではない。
法律家は法律家の本能で、また仕事として、法的安定性のために語っているだけのことです。
だから憲法学者に対して「頭がお花畑」と発言するのは、「自分は色々なことを区別できない頭ごちゃごちゃの人間である」と大声で発表するのと同じです。
法律が現代の情勢に合わないと言うなら法律を変えねばならない。法律を変える議論をするのは主権者の仕事。法律家は既にある法律を守ること、法に照らして正しく運用されているかを云々することしか許されていないわけです)
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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