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 前記事にて、「生きづらい世の中」とつい書いてしまいましたが、私は決してこの人生が嫌いなわけではありません。

 実は"好きなタイプ"として列挙した特徴全てに当てはまる人は、たった一人だが隣にいてくれます。奇跡的に理想と完全一致する人と巡り会うことが出来ました。
 (この人がいなくなったら究極に孤独だけれども、一人だけでも巡り会えたことを幸運に思う)

 そして、本が読める日常がある。

 何よりも戦争などで脅かされることのない日常、昨日と同じ今日が来るということが有り難い。

 ※戦争状態にある国の国民だけが不幸なのだと決めつけるのは間違っているが、少なくとも戦火に怯えることのない日常は得難く、有り難いものです

 毎日美味しいものを食べ、好きなだけくつろぎ(もちろん仕事がない日だけだが)、好きな人と語り、本を読む。

 正直、この一つだけでも叶ったら幸福だと言えるものの全てがここにある。

 私なんか、本さえ読めればただそれだけで生きている価値があると思ってしまえるのだから贅沢なほど。


 申し訳ないが価値観の違う人と無理に会い、一方的な嫉妬やライバル心を受けながらつまらない付き合いを続けるくらいなら、そういう人々との縁を絶って家で読書していたほうがよほど素晴らしい人生になると思う。バカな人々のために消耗していく時間がもったいない。
 そんな時間があれば本を読みたい、本のために費やすべきだと思う。


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 なんでこんなことをしみじみ書いているかと言うと、NHKの特集番組で戦艦大和の生き残りの方々の話を訊いてしまったから。

 彼らは当時、勇んで出征したのだが、やはり死ぬのが嫌だと感じていたそう。何より死ぬ意味が分からないのに死ぬのが納得いかんと思っていた。
 そして生き残った後は、「死にぞこない」と罵られ自分でも死にぞこなったことを恥じて苦しむ人生だった。
 それでも生きていて良かったと、今は思っているらしい。
 彼らの一人は明るく笑って言った、
「今だったら死ねと言われても嫌だ、と言いますね。生きられるだけ生きていたい。500歳まででも」。

 “生きていたい”と言ったあのお爺さんの笑顔に感動、痺れました。

 私は、「死んでいい」と言う人よりも「生きたい」と言える人のほうが凄まじく人格が優れていると思い、尊敬してしまいます。
 人生辛いことだらけで、おそらく「生きたい」よりも「死にたい」と思う人のほうが多いはず。そして「死」を選ぶことのほうが、生きることより遥かに簡単と思う。
 それなのに、しがみついてでもこの人生を続けたいと言えるのはどんな強者なのか。仏の悟りの域に達した人しかそう思えないのではと思います。
 だからたとえば、一休さんが死ぬ時に
「死にたくない! もっと生きたい!」
 と叫んで「生臭坊主め」とバカにされ笑い話になっているけど、そうではなくてあれは仏に近い尊敬すべき一言だと思う。
 大和の乗り組み員の生き残りたちはその一休さんより上の、死と苦悩を超えたうえでの「生きたい」というお言葉でした。私は彼らに真の悟りを見ました。

 自分は情けないが毎日一回は「もうやることないから死んでいいかな」と思います。
 でもすぐ、こんなんじゃいかんなと思い直す。

 誰からも求められなくなっても、ただ息をしているだけでもここにいる意味はあるのです、実は。たぶん本を読む、休むという行為が出来るだけでも生きている意味はある。
 (何故なら死んだら休憩することさえ出来ない。皆、死は安らぎだと勘違いしているが、安らぎさえ生きている時にしか得られないのだと気付いて私は驚きました)

 だから自分も、あの乗り組み員たちと同じに
「生きられるだけ生きていたい」
 と笑えるように。
 毎日、無事に生きていることを感謝したいと思います。





 今日は『山本五十六』の映画もやっていました。
 この映画は映画館で観たのですが、また少し観てしまった。
 
 そう言えば山本五十六氏は新潟出身とのことで、わたくし自分の生まれ故郷なのに存じ上げず失礼しました。

 “水まんじゅう”ですか……、白砂糖をドバッとかけるあの新潟名物と言われる食べ物、あれも私は出身なのに存じ上げませんでした。
 しかしあれは甘い物苦手な私にはうえっと来る場面。彼の部下の苦労を察します。


 関係ないですが、「山本五十六は諸葛孔明の生まれ変わりだ」という噂が流れていると聞いたことがあります。
 推測するに、
 十 対 一
 の圧倒的武力差に挑んだという共通項のせいでしょうか?

 むろん、別館でも書いた通り、戦術の能力において山本五十六は諸葛亮より圧倒に優秀です。
 (諸葛亮は戦略家すなわち政治家に近いタイプであり、戦術力は低いと言えます)

 それと、山本五十六の豪胆かつ鮮やかな短期戦の手法、ギャンブル好きらしい決断力の素晴らしさ。
 慎重で正道を行くために身動きが取れず、「臆病者」と呼ばれた諸葛亮とは真逆のタイプです。
 戦争を少しでも知っている人間には一瞬で分かることでしょうがね。
 しかし五十六氏と並べられ、諸葛亮は光栄なのではないでしょうか。


 映画のラストシーンを見て……
 大和があのようなことになり彼もさぞ無念だったろうと胸が痛くなりました。

 何故か夏場でもないのに英霊たちへ想いを馳せる年始でした。
 彼らの願いとともに、今年も平和な日常を過ごせるよう心から祈ります。

【2013-01-07筆】
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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