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 最近よく見かけるCM。
日経電子版はすべてのビジネスパーソンに質の高い情報を届けたい。こんな思いから「知の力」というキャンペーンのテーマに辿り着きました。漫画「三国志」の世界で、「知」を武器にして競い合った武将たちと同じように、現代のビジネスパーソンに求められるのは確かな「情報」に基づく「知」です。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000028.000011115.html

 「知は力なり、ババババーン」
 ……苦笑。


 確かに「知は力」だが、新聞で養われる「知」は短期で役立つ現実社会の知識に留まるだろう。
 それももちろん、地上社会を生きていくうえで非常に大切ではある。短期の具体的な知識がなければ地上を生きることはできない。
 だけど知識ばかりたくさん仕入れても本物の「知」、つまり理解力や構想力を高めることは難しいのでは。


 前記事で、私も
「文化庁データによると、日本人で「本をまったく読まない」と答えている人口は全年齢で50%ほどという。多くの人がネット経由の短文のやり取りでしか文字を見ないということ。確かにこれでは長い文章の、前後の文脈を理解することなど絶対不可能だな。」
 などと書いたが、これは皮肉。
 現実を眺めると、単語のみで「サヨ!」「ウヨ!」と脊髄反射する偏った人たちのほとんどが「半端な読書家」だと思われる。

 「半端な読書家」とは、主な読書が新聞・雑誌で、まとまった読書は新書やミステリ。それも新聞やテレビで話題になった本ばかり。つまり主要メディアに教育され、操られている人々。
 そもそも新聞が偏っているのでその新聞から与えられた本を読めば偏るのも当然。またいつも同じような内容の新書しか読まないから、文脈を理解する能力がほとんど育たない。そのわり自分ではかなりの文章を読みこなしている知識人のつもりでいるので始末に負えない。
 彼ら共通の特徴として、単語だけにはやたらと敏感。たとえば、「デモ」という単語を見かけたらすぐに「このブログ主はサヨでデモ参加者なのだ! 憎きサヨめ!!」と思い込んで叩く(他の記事を読めば反デモのブログ主であると分かるのに)。赤白帽を被った幼児のように、自分と違う色の帽子を見かけると何も考えず自動的に攻撃する。THE思考停止の自動攻撃ロボット。しかもAIにもなれていない、旧式の壊れたロボットだ。

 こんな壊れたロボットたちに比べれば、全く本を読まない人のほうがまし。
 全く本を読まない人たちのなかには、自称読書家を遥かにしのぐ理解力を備えた「賢い」人が存在する。
 私が好きなのは、この種類の真に賢い「本を読まない」人たち。

 どうやら「理解力」は読書さえすれば確実に身に付くものではないらしい。
 読書も理解力を鍛える方法の一つではあるが、読み方(読む本の種類など)によるのでは。上に書いたような偏った読書をするとこじらせ、むしろ理解力を低下させる。
 いっぽうで全く本を読まないのに驚異的な理解力を持つ人々がいる。彼らはたぶん本を読まないので知識に頼ることなく、経験で理解力を養ったのではないかと思う。
 そういう優れた人たちも現実にいるから、本を読まないというだけで他人を「軽蔑する」と言うのは間違いだし、学歴や読書量だけで闇雲に尊敬して従うのも危険だ。

 もちろん、本を読まずギャンブルに溺れているような人たちの多くはどうしようもなく考えることが苦手で、だらだらと日常を過ごしているのだと思うが……。
 私が「賢い」と呼ぶのは現実と真面目に向き合い実体験を積んでいる人たちのこと。
 実体験で理解力を鍛えるのは難しいのかもしれない。ほとんどの人は実体験だけで理解力を高めることができるほど優秀ではない(私も含めて)。
 だから誰でもできる簡単な方法として、「本を読め」と言うのは良いことだとは思う。

 その代わり新聞広告で猛烈にプッシュしているメジャーな新書ばかり読んで満足するのはまずい。
 現代ミステリも理解力を養うのに役立つが、実は冒頭から結末までの筋道がワンパターンなので、ミステリしか読まない人の理解力はある程度で留まってしまうと考えられる。

 お奨めは文学。
 それも現代人には難解な、背伸びをして読まなければならない「古典」と呼ばれているもの。

 難解な古典文学が何故いいかと言うと、古い時代の小説家たちは読者へのサービス精神が薄いからだ。
 現代人は「分かりやすさ」というサービスに甘やかされているため理解力がどんどん落ちている。
 サービス精神の薄い文学なら、こちらが理解力を高めて読解するしかない。

 また、小説がいいというのはやはり、理解力とは「筋道を読む」力だから。
 第一ページから結末までが長い小説の場合、冒頭からの筋を読み記憶しながら最後まで辿って行かなければならない。
 何が話の中心となっているのかポイントを見極め理解することも必要となるので、「全体を眺めて総合理解する」という俯瞰力にも通じると思う。たぶん。

 私は脳や心理学の専門家ではないから「たぶん」としか言えないが(笑)、意外にもこちらと同意見だったので嬉しい。

⇒理解力がない人は何が原因? 頭の回転を速くする方法と習慣
何かを理解するとは、その何かが別の何かとどう繋がっているかを知ることだ。
たとえば小さな子供は「ドイツ」の場所を理解できない。フランスの北東、ポーランドの西と教えても、フランスとは、北東とはなんだ、とくる。フランスはヨーロッパで東西南北というものがあってといえば、ヨーロッパとは何か、ユーラシア大陸の西の方だといえば、ユーラシア大陸はどこだとくる。日本の近くの大きな大陸だといえば、日本はどこ? となる。
結局のところ、世界地図を頭に思い浮かべられるようになり、大陸の名前を知り、日本の位置を知り、というように、ドイツと繋がるはずの情報が頭に入っていなければドイツの場所はすぐにはわからない。ヨーロッパにある、と説明されたところで、ヨーロッパ自体がわからないのだから、理解はできないのだ。

ある情報を与えられてもうまく理解することができないケースは、このように「情報が孤立」してしまっているからだ。

 この「情報が孤立」している人のたとえとしてよく、「木を見て森を見ない人」と言われるのだね。
 「木を見て森を見ない」人は全ての情報を同じレベルの「情報」と見ているので、おそらく優先順位も分からないだろう。
 そのため、些細なことにこだわり重要な事柄をないがしろにしてしまう。
 人の命が最優先であるということも分からないから場合によっては人も殺してしまうかもしれない。現代人にはこのようなタイプが多いと感じる。
この習慣は物事のつながり、因果関係を理解する力を鍛えてくれる。物語はつながりの集合体のようなものだ。誰かが何かをし、それによって何かが起こり、それがまた他の誰かに影響を与え、というように、一つ一つの情報がつながりあい、関連しあって物語は出来上がる。小説を読むのは、情報と情報のつながりを頭に構築していく訓練になる。
日記を書くのもいい習慣だ。日記を書こうにも、物事の因果関係を考えて書かないと意味のわからない日記になってしまう。起こった出来事には必ず「場所」や「時間」や「理由」や「感情」が伴う。過去についてAでBだからCになったという理解を繰り返すことで、つながりへの理解力は高まっていくだろう。

 同意。
 上に書いた通り、読む小説の種類にもよるけどね。
 日記はもちろんブログ記事を書くのでも役立つのではないかな。ツイッターは反射で理解し反射で書いてしまうから理解力を養うにはそれほど有用ではないと思う。
 本当は小説を書くのが最も良いのだろうが、時間のない社会人には難しい。
 何かしら長文を書く習慣があるといいかもしれない。


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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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