-
長年、エッセイでは劉備についてほとんど触れずに来ました。

本当は私が最も書きたい人であるし、書かねばならない人であろうと思います。
劉備ほど世の中で誤解され、全くの別キャラクター・別人格の人物として描かれている人は他にいないだろうと考えるからです。

だけど長いこと書けずにいます。

テーマが大き過ぎるからです。

それと、実を言うと今さら彼について書くのは恥ずかしいのです。この感情は我ながら何なんだろうと不思議に思うけれども(笑)。


正直言って、彼については処女作の小説で書き尽くした感があります。
あくまでもフィクションの小説だったので「劉備」ということは全く世に伝わりませんが。
(追記。フィクションのほうの人格は劉備そのものではありませんでした、すみません。ただ資料としては多くのことを参考にしています)

今さらあの痛々しい情熱に足を踏み入れる勇気がないというのが本音です。

ただいつか、「劉備」の実名で本当の小説を書きたいという野望は抱いています。

その「いつか」が、いつになるんだろうか。
「いつか」「いつか」と言っているうちに、死んでしまうんだよね。

せめて死ぬまでには実行したいものです。



*
言い忘れていましたが、私は三国志の人物で「誰のファンなの?」と聞かれたら「劉備」と答えることにしています。

ご存知の通り「ファン」なんてレベルではないのですが(笑)。

いや、「ファン」なのかな? (度を越えた)

とにかく、三国志にも歴史にもあまり興味はなかった私が、歴史人物のなかで唯一尊敬し敬愛出来たのが劉備だと言えます。

ずば抜けて能力があるわけではない。
正義の旗を掲げる、演義で描かれるような品格ある善良な英雄でもない。
ただの人です。
しかしだからこそ敬愛します。
彼には「人間として」の真っ当でシンプルな愛、義がある。
そして驚愕すべきことに、若い時から死ぬまで人間性が全くぶれない。
秀吉との比較記事には改めて心震えました。言われてみれば日本の民衆出身のヒーロー・秀吉と劉備は晩年において対象的です。我が子を差し置き、他人である部下を最後まで信じ切った。……本来なら、世界中どこのトップでも粛清して当然なほど権力を持ち得た部下を、です。

あのような人間性を貫いたトップは、いつの時代にもいそうで全くいないと思うのです。



※あくまでも現実の劉備について語っています。『演義』の歪められたイメージしかない三国志マニアの方は、「なにおぉッ! 劉備なぞ小物の俗物じゃ!!」(←一般から見た三オタのイメージ、笑)と反論するだろうと思います。しかしそう思われるのは事実を見る目がないから、見る気もないからです。
関連記事
吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事リクエストはこちらから:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com