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23:19誤字など修正しました

前記事の、公孫瓚の件でネット検索していて見つけたサイト『はじめての三国志』、執筆されている方々が史実にも詳しく面白い。
一般の、フィクションしか知らない「三国志オタク」レベルではない人たちが書いている18/10/5打消し線。史実に詳しい方は数人だけ、フィクションしかご存知ない方も多いなと感じた

最近ここに書くネタがなくなってきたから、こちらでネタをお借りして話をしてみようかなと思う。
あまり深入りするとまた怒り心頭に発すると思うので、遊びで済むよう、ほどほどに。



まずは関羽さんから。以下敬称略。

蜀ファンに衝撃!実は関羽は劉備の部下ではなく群雄(同盟主)だった!?
関羽は劉備と主従の仲ではなく、群雄の一人で劉備とは同盟主に過ぎなかった。何故なら劉備とは別行動が多かったから
(要旨)

なるほど。面白い説ですね。
関羽の記録文は短いので(張飛もだが)、あまり詳しいことは分かっておらず、だからこそこのような説が浮上したのだろうな。

でも、私の感覚としては違うと思う。
信頼に足る記録書である『蜀書』の記録文が短いために論理的な話ができないのが辛いけど、関羽は完全に劉備から独立していたわけではなく、「同盟主」ではない。

そもそも上URLの執筆者も書かれている通り、
劉備は、関羽と張飛を厚遇し、共にベッドで寝る程でしたが、
二人は、衆人の前では、君臣の別を貫き、一日中、
劉備の近くに立ち護衛していたそうです。
こうして見ると、初期の関羽は劉備を主として見ていたようです。
という短い記録からも、三人は個人的に深い友情心で結ばれた仲であったことが証明できるのではないかな。
それに「初期で主従」だったのだとしたら、死ぬまで永続的に仲間だ。(関羽のような任侠気質の人は)
任地が遠方だとか、独立した軍隊を持っていたなどということは仲間意識に関係ない。

現代人はあまりにも演義フィクションのイメージを強く持ち過ぎる。
その反動で、少しでもフィクションからはずれる記録があれば
「桃園の誓いは嘘! 関羽と劉備は赤の他人、同盟主に過ぎないじゃないか!」
と喜んだりショックを受けたりするのだけど、フィクションを知らない外部の私から見ると不可解。

※もちろん「桃園の誓い」はフィクション。現実で仲間意識を持つのにそのような儀式はむしろ邪魔。

何が、
「蜀ファンショック!」
なのかよく分からない。笑
大変だなフィクション好きは、現実を見るといちいちショックを受けなければならないから。

そもそも、上記事では「同盟」「同盟」と連発されているけど、「同盟」という用語の定義が間違っている気がする。
一般的には、「同盟」とは違う国家や団体同士が利害のために共闘の契約を結ぶこと――だよな。
例、Wikipedia goo辞書
この用語定義から、
「関羽は劉備の部下ではなく同盟主だ」
と言うのであれば、関羽はもともと劉備陣営にいた者ではなく他陣営の主だったか、どこかの領主だった者でなければならない。
しかし
「初期は劉備と行動を伴にして主従の関係を持っていた」
という記録がある以上、この人は劉備陣営の一員であり、その者が実力を持っていたため別動隊を与えられ主人とは離れた任地を治めていたということになる。
これは用語定義上、「同盟」ではない。

会社で考えれば分かりやすいのでは?

●家電会社と自動車会社が、電気自動車部門において共同開発 = 同盟
●大企業からある部門が分社して子会社となる = 劉備と関羽の関係

現実では、実の兄弟でさえ親会社・子会社の社長同士となることがある。
それをもって「兄弟の縁を切った」だとか、「同盟主に過ぎない」などとは言えない。
大人なのだから現実では別々の行動をして当然だ。
恋人や夫婦ではあるまいし、「いつも一緒にいなければ嫌」なんて気持ち悪いでしょう。

同じ理屈で、関羽が曹操の配下となったときに「自殺しなければならない」と仰るのも私には理解できない。
演義フィクションでは自殺すべき、ということになっているのか? 
"生きて虜囚の辱めを受けず"?
まるで日本人みたいだな。
(と言うか『演義』のようなフィクションを信じた日本人が、自殺することを忠義と誤解して実行したのだろう。不憫なことだ)

現代中国人もそうだが、当時の中国人も日本人のようにナイーブではなかったと私は思う。
女性はともかく、男は屈辱を感じたくらいでは自害しないでしょう。
まして骨の髄から剛毅な関羽が。
生きて名を挙げたのち、いつか昔の仲間のもとに帰ろうと考えるのが筋というものだろう。その「いつか」が、意外と早かったのだが。笑

さて、荊州の襄陽太守になった関羽は、この頃から傲慢な態度が増えます。
孫権が自分の息子を、関羽の娘と結婚させたいと申し出ると、その使者をボロクソに罵って、孫権を激怒させています。

「傲慢」と言うか、本当に嫌だっただけだな。息子を政略結婚の道具に差し出せとはふざけんな、と怒鳴って蹴った感じだな。
劉備は孫権の妹と結婚しているのに、ひっどいなー。笑
(張飛ほどではないが、関羽も自分の心に忠実な人。クールな豪傑ながら、政略だけでは決して動かない。それは劉備も同じなのだが、孫権の妹と結婚した時は奇跡的に譲ったのだと言える)

関羽が劉備の義弟という固定観念を持つ、私達は関羽が年を取り、思考の柔軟性を失い、目上の人間に厳しく出る性格が顕著になったから、と考えてしまいがちですが、果たしてそうでしょうか?
実は関羽は、襄陽の太守となった頃から、自身は劉備の部下ではなく独立した群雄である、という考えになっていたのではないでしょうか?
いやいや。そうではなく、元々の性格です(笑)。
老いても性格が変わらなかっただけ。と思います。

関羽は自分が好きな相手(劉備など)には絶大に親切で尽くすが、嫌いな相手はとことん嫌いで無体なこともする。
ただその「好き嫌い」の理由が人として良いか悪いかである点、「自分に歯向かった者を嫌って殺す」曹操のような独裁者タイプとは違う。そして一度好きになったらその仲間意識は生涯変わることがない。
任侠的な性格を思い浮かべると正解だと思う。

思うに、演義フィクションは初期の関羽のキャラ設定を間違えている。
だから話が進むにつれて、現実の出来事との整合性が取れなくなり、読者は
「関羽の性格、変わった。ショック!」
という印象を持つことになる。
欠点もある現実の関羽のほうが遥かに魅力的、だと私は思うが。

その年に、関羽は樊城の曹仁(そうじん)を攻撃しています。この前後、蜀書関羽伝には劉備の指図も孔明の影もありません。関羽独自の行動であり、荊州北部を抑える曹操の影響力を駆逐して、群雄となった、自身の領土を拡大しようとしたのでしょう。

それは全体の長期戦略にかない、現地の裁量の範囲で妥当な軍事行動。
「劉備の指図も孔明の影もない」
と言うが、子供ではあるまいし、いちいち細かいことまで指導しなければ動けないわけがない。
未だに孔明が全員の一挙手一投足を指示していたというイメージが一般的なのか。数人で経営している零細企業ではないというのに。規模が違う。いったい、孔明は体が幾つあったと思っているのか?
皆さま相変わらずフィクションの固定観念から脱し切れていないと思った。

関羽の中では、中国は三国志ではなく、自身を含めた、四国志に見えていたのかも知れません。
それはないな。妄想し過ぎ(笑)。
記録を抜粋して論理的には言えないけど、関羽はそういう人ではない。

後世に忠義の人として、伝えられる関羽ですが、それは真実の関羽を伝えているものではないかも知れません。
ん、そんなことないですね。
「忠義」の人というフィクションのあのキャラクターはいかがなものかと思うが、「義」の人であることは確か。
それも論語的な、上から教わったものではなく自分の本心に従うという意味の「義」ね。
繰り返すが、全体に「任侠っぽい感じの人」をイメージすれば関羽の全ての行動に統一感が見えるはず。

もし、関羽が呂蒙に殺される事なく、呉や魏とそこそこ上手くやり、劉備の方が、先に死んでしまったら、、その後は、、孔明政権になった蜀から完全に切れて、関楚(かんそ)の旗を立てて、蜀と呉と魏のど真ん中で中原に鹿を追う関羽の姿が現れたかも知れません。
そうなっていたら、それこそ強固な「同盟」を結んでいただろうね(笑)。
「関羽が孔明を嫌っていてよそよそしい感じ」は、フィクションのほうの嘘のイメージ。現実は違う。
関羽と孔明の仲が良いことは記録で裏付けられている。
そして関羽のような任侠気質の人は、決して好いた仲間を裏切らない。

もちろん、それでも関羽と劉備がお互いを信頼する事は絶大でした。であればこそ、関羽が呂蒙(りょもう)に討たれると、劉備は激怒して無謀な夷陵の戦いに打って出るのです。
うん、そうでしょうね。
劉備の行動こそ、関羽が最後まで劉備陣営の仲間だったことの証
行動に優る証拠はない。


三国志カテゴリ
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei
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