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2014年7月31日筆 『もう一度、「滅私奉公とは何か」という話』

〔目次〕
33は菩薩にならなければいけない?
特別な人間と思い込み過ぎないこと
33の人へメッセージ



■33は菩薩にならなければいけない?


ご紹介いただいた数秘術の先生のブログを読んでいましたら、
「自分はマスターナンバーの33なのだから菩薩にならなければ」
と思い込むあまり、菩薩を目指して自己犠牲を行い、尽くし過ぎて適応障害という心の病に至ったことがあるらしい。
(ご病気後は33の解釈を変えて救われたとか)

⇒数秘術 ライフパス33"神話"の誤解

占いをきっかけとしてこのように思い込み過ぎてしまい、結果的に心の病になってしまうこともあるとしたら、占いは有害となりますよね。

私は個人的に、33の人は占いなど知らなくてもそのような「自己犠牲」→「無理をして潰れる」という負のスパイラルに陥りやすいのではと思っています。

ただもしそのような性質を後押しする言葉として、「33神話=33の人は菩薩である」という解釈があるとしたら危険なので、思い込み過ぎないよう気を付けるべきでしょう。


■特別な人間と思い込み過ぎないこと


あまり、「自分は特別な人間」などと思い込み過ぎても人生疲れるではないですか。

そもそも「自分は他人とは違う特別な人間である」と、何ら現実的な理由なく思い込むのは精神病の一種です。
現実に理由あって、「こういう部分について自分は特殊だ」と客観的に理解するのは正しい自己認識ですが。

……ここ強調しておきます。
「特殊さの認識」と「特別意識」は違いますよ

たとえば何か病気になったとき、「自分は他の健康な人とは違う体なのだ」と理解する。そして健康な人と同じような行動はしない。その病気なりの行動をとるよう心がける。これが、「自分は特殊だ」という正しい認識のしかたです。
そうではなく、何ら客観的な理由もなしに「自分は特別な能力を持つ人間だ」と、優位意識を持つ。これがちょっと壊れてしまった心による、特別意識です。

マスターナンバーの解釈には、前記事に引用したような
このゾロ目の数字はマスターナンバーといって、
非常に珍しくて、
人智を超えた能力を持ち、
まさに神に近い存在とされている。

こういう刺激的なことを言う人がいるので勘違いしやすく、「ちょっと壊れてしまった心による特別意識」に陥る人が出て来るかもしれない。
それだけではなく、マスターナンバーを崇めたりする人も出るかもしれませんね。
嫉妬から敵対心を持つ人も多いでしょう。
だから、テレビなどでああいう安易な解釈を流すのは危険だ、ヤメロと私は言うのです。


確かに、マスターナンバーを持つ人は数は少ない。
しかしだからと言って優れているわけではない。

魂の輪廻の回数が多くて経験値が高い、ということはたぶんあります。
つまり、「特殊」というのは客観的に正しい認識だということです。
ただその特殊性は「優位」なのではなくて、単に魂が年を取っているだけです。

全ての魂は同列で、平等です。
いずれ全ての魂が卒業し、先輩となり、後輩を指導するようになる。
それは時の流れとして今どの時点にいるか、ということに過ぎず、優劣などないんです。

年寄り嗤うな、往く道じゃ。 子供叱るな、来た道じゃ。
って言葉を知らないかな?
マスターナンバー等を特別と思ってしまいがちな人は、この言葉を胸で何度も繰り返すべきです。



■メッセージ


最後に、33の人へメッセージ。

上の記事で先生も仰っている通り、同じ「33」でも色々なレベルの人がいると思います。
なかには奉仕ということに慣れていないので、間違った自己犠牲に陥る人がいる。
慣れない人はブレーキをかけることが出来ないのだろうと想像します。そんな時は本当に心身を壊してしまうでしょう。


私は早いうちからそんな自分の性質に気付いていて、奉仕にブレーキをかける癖がついています。
これはおそらく前世の経験がある故です。

私の場合、これと決めた相手や目的のためなら、死んでも構わないと思うんですよ。
前世でそうなったときは、自分は幸福な人間だと心の底から思いました。命を差し出して惜しくない人々のために死んだ。自分にとって、それ以上に幸福なことはないんです。

ただ尽くすのは、相手によります

実は私は普通の人よりも好き嫌いが激しいほうで、嫌いな相手には指一本動かしたくないと思います。
だから相手によって態度が極端になります。嫌いな相手はバッサリ縁を断つ(そして周囲が恐怖におののく)。
そのため私に対して「優しい人」と言う人がいるいっぽうで、「サイテー」「心底怖い」と言う人もいる。
そういうところが「悪魔的」と言われるのかもしれないが、むしろそれが「33らしさ」なのではないでしょうか?


ここで用語のご紹介。

「滅私奉公(めっしぼうこう)」という言葉をご存じでしょうか。
この言葉は一人歩きしていて正しく理解されていないと私は思います。思考停止して、自分の意志を失い、嫌な相手にも無条件で尽くす操り人形となるのが「滅私奉公」だと誤解されているようなのです。
マスターナンバー33を菩薩だと思い込み過ぎてしまう人は、この誤った「滅私奉公」をしてしまいがちではないでしょうか。

本当の「滅私」とは、私利私欲を捨てることです。「私」とは利己主義のことで、意志を失うことではありません。
心と頭を正しく持ち、主人のため他者のため何が最適かを考え、自己犠牲のもと尽くす。
場合によっては主人であっても諌めることをする。
これが本当の滅私奉公と考えられます。

少なくとも、私はそのように致します。


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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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