-
心の健康に良くないと思いながら、昨日もまた悲惨な事件の報道を眺めていた。
どうしてこの国ではこんな理不尽なことが毎日起き続けるのか……?

 ⇒東名で夫婦死亡、25歳男を殺人罪に問えるか

高速道路で夫婦の車の前に割り込み、無理やり停止させた結果、背後からトラックが衝突し夫婦は死亡。
この事故を誘発した車の運転手と、急ブレーキをかけたが停まることができず衝突してしまった背後のトラック運転手が全く同じ
「過失運転致死傷」
という罪だという、あまりにも酷い話。

高速道路の追い越し車線で車を急に停止させれば、死亡事故が起きることは小学生でも予見できる。予見できないのは幼児くらいだ。それなのに「予見できなかった」のだとするなら、幼児以下の知能しかない者、つまり運転する能力の全くない者に免許を与えたことになり行政に責任が生じる
背後から来たトラック運転手は「加害者」と言うより、巻き込まれた被害者のようなもの。当然に無罪だろう。事故の要因を作った男に賠償請求するべきだ。

しかし上の記事を書いた弁護士は「現状では過失運転で妥当。世間の人たちが理不尽を感じることが興味深い」と言う。
この記事は一般感覚からも法的感覚からもおかしい。

色々疑問を持つところはあるのだが少しだけ、
このとき、容疑者が「死ぬかもしれない」という点まで具体的に予見できていたのか、という点がさらに問題があります。読者の皆さんは「死の危険があることは当たり前だろう」という感想を持たれるかもしれません。しかし、事件現場で感情的になっている当事者にとって、どこまで結果を予見して行動できていたか、どこまで合理的に判断ができていたかというのは容易に判断できる問題ではありません。仮に客観的な行為が認められるケースでも殺意がないという可能性も十分考えられます。

「無罪」や「認定落ち」(犯罪の一部が認められず、起訴したものと別の罪について認められること)の判決が出ることは検察官にとって組織内で大きな仕事上の失敗と見なされます。よほど社会に警鐘を鳴らす必要がある場合を除けば、あえて適用が微妙な妨害運転致死傷や殺人で本件を起訴するのは相当難しいといえます。

何を仰っているのだか。
たぶん実務経験値の高い弁護士先生で、検察の起訴内容に従って判断する癖がついているためおかしな思考回路になっているのだと思うが、それにしても感覚が狂い過ぎている。

妨害運転致死傷や危険運転致死傷では、死亡時に運転していなかったという事実があるので確かに認定落ちとなる可能性が高いと思う。
だがこの事件は(いや事故ではなく事件だ)、容疑者が「こいつら夫婦は死んでもいい」と思っていたことは明らかで、未必の故意があるのだから殺人罪が妥当だろう。
「高速道路に投げて殺してやる」と言ったという証言が事実なら故意の殺人の可能性も出てくる。

>よほど社会に警鐘を鳴らす必要がある場合を除けば、
この事件が「社会に警鐘を鳴らす必要がある場合」でなくて、何なんだ?
これが「過失」と見做されるなら、気に入らない者がいたら何人でも未必の故意で殺していいと国家が認めたことになる。

以降「自分の手を汚さなければ殺人が許されるんだ!」と考える者が多くなり、あらゆる高速道路で気に入らない車の前に割り込み停止させ、たくさんの人が殺されることになるだろう。

日本社会、国家の崩壊を招く狂った法律解釈。

*

以前、私に
「自分は法律に裏切られて不幸になった。法律は無意味だ。法律は悪だ」
と仰った人がいる。
何があったのか詳しい話は教えてくださらなかったが、きっと裁判官や弁護士から
「残念ながら、あなたを守るための法律がありません。法改正を待ちましょう」
と言われたのだろう。
本当は現行の法律で充分に適用できたはずなのに。

こういう不幸なケースをよく見かける。

私は現代日本の法律はかなり緻密で、美しく組まれたプログラムのようだと感じる。
上位の法で大きな範囲をカバーし、下位の法で細部について定めている。よくメディアが「法律が追い付いていない」と言うのだが、実は事件については現行の刑法でカバーできることがほとんど。
(まだ事件が起きていない場合に、予め行為を禁じることは具体的な法律がなければ不可能だが)

極端な話、人権を守る文言を駆使すれば憲法でさえほとんど道理をカバーできてしまう。
古代人が現代の憲法を与えられたら、義を叶えるための万能の呪文だと思うはず。

だから意外と穴などなく完璧に近いのだ。
それをわざと穴だらけにしているのは、警察・検察・裁判官などの狂った運用者たちだ。

これほど毎日たくさんの理不尽なことが起き、たくさんの人たちが泣いているのは法の運用が狂っているから。
法律が悪なのではなく、運用者が悪なのだと言える。


私には彼ら法運用者の本性が悪で、自分たちと同じ種類の人間をかばっているように思える。
そもそも警察・検察の目的が
「理不尽な結末に国民が苦しむのを眺めて、悦楽に浸ること」
であると考えれば筋が通ってしまう。それほどこの国の法運用は異常で狂っている。

現に警察は、無実の人をつかまえて有罪にするときは、信じ難い作り話をして証拠まで捏造する。
検察も明らかに冤罪だと分かっているのに平然と起訴する。裁判官も同じ。ベルトコンベアに乗せて流すように事務的に冤罪を大量生産している。
組織に組み込まれてしまっている検察・裁判官の辞書に、
「疑わしきは罰せず」
などという言葉など存在しない。
無実の人に「人権」があることなど僅かも想像したことがないはずだ。
(元検察官が、「目の前に連れて来られた人が本当に罪を犯したかどうか、物的証拠があるかどうかなど関係ない。人を有罪にするためには、手続きさえ整っていればそれで良い」とブログに書いていたのを目撃したことがある。本気で国民をベルトコンベアに乗った製造物だと見ているらしい)

それなのに今回のようにむごい殺人相当のことをした者については、急に「慎重に判断すべき」などと言い出す。
冤罪を大量生産してきた工場主たちが、「疑わしきは罰せず」などと慣れない言葉を使って本物の犯罪者を逃そうとする。

【追加】
もう一つ。司法が犯罪者をかばって軽い罪で済ませた判決のうち記憶に新しいのは、無抵抗の女性を34箇所も刺したストーカーに「ちょっと刃物で掠った」程度と同じ殺人未遂で14年6月とした、狂った判決。殺すよりも残酷なことをした凶悪犯を、国民の血税でうまい食事を与えて養ったうえ、14年の短期で社会に出すという。検察官も裁判官も、きっとこの犯人が再び女の子を刺す14年後を愉しみに待っているのだろう。

まるでこの国の法曹たちの使命は、
「悪人だけが幸福になる、犯罪者天国を創ること」
「善人は徹底して苦しめ、泣かせ、殺すこと」
であるようだ。

ん? 
やはり、この国の上層部は悪魔が支配しているのかね。
悪魔など存在しないが、少なくとも「快楽殺人」の悪癖を持つ、悪しき魂たちが占拠している気がするな。

結局のところ、いつも法律より悪しき権力が勝る。
こんな人々によって運用が成されるなら、どれほどアップデートしても無駄。

数年前、憲法解釈の捻じ曲げが堂々とまかり通った現実を見れば分かる。
あの時は大勢の日本国民が捻じ曲げを歓迎した。法的安定性を嘲笑した。
日本国民は
「法的安定性など関係ない」
などと言って平気で理屈を無視できる人たちなのだなと思った。明日は我が身だということも知らずに。
この人たちは自分が冤罪で死刑になっても文句を言ってはいけない。理不尽を歓迎したのだから。

こんな国は人治国家と呼ぶべきであり、すでに法治国家ではない。




アップデートが必要なのは法律ではなく司法関係者。このサイコパスたちを全員クビにして、正常性テストに合格したまともな人間に総入れ替えしたい。

関連記事
吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei
気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事リクエストはこちらから:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com