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昨日の続き。
『はじめての三国志』さんの面白かった記事へコメントさせていただきます。
(お気付きかもしれないが、もはや書くネタが思いつかないのです。自分の創作『我傍』については書き尽くした感がある。結局、現実の話に触れて刺激されるほうが色々と考えられると気付いた)

※2018/2/25 若干の文章修正

〔目次〕
『孔明の最期の晩餐』について書かれた記事
三国時代の食事は「中華」より、「和食」に近い
貧しい最期の食事
『実は孔明は墨者(ぼくしゃ)だった!?』、付きまとう科学者臭
技術者の不当な扱いへの嘆きと、墨者十論へのシンパシィ



■『孔明の最期の晩餐』について書かれた記事


まずはこちらの記事から。

 ⇒孔明の最期の晩餐は一体何を食べていたの?


そうだな考えたことはないけど、言われてみれば食べ物は大事だな。

私も食べ物にはあまり興味がない。
女子たちがSNSで「今日は〇〇食べました!」等と食卓の画像をあげているのを眺め、何故そんな画像を喜々として上げるんだろうか? と常々不思議に思っていた。
自分の食事についてもブログ等で触れたことがない気がする。

>兵士が御飯を食べていないわけはないんですが、ありふれた戦場の食事風景を、記録に残そうという考えは誰にも浮かばなかったのでしょう。

そう、上の記事ライターさんが仰る通りだと思う。
兵糧として何をどこからどれだけ用意するかという作戦項目は大事でも、実際に何を食べたかには関心が向けられない。

だけど後世から見ればそういう生活の細かいことが大事な情報となるのだから、いつの時代でも食事について書いておくべきなんだなと思った。
(現代は女子たちが日々の食べ物を記録し続けているから、後世の歴史学者は大助かりだろう)

本題。諸葛亮の最期の晩餐について。
晋書 高祖宣帝懿紀において、司馬懿が蜀の使者に尋ねます。
「諸葛孔明殿はどのようにお暮らしか。どのくらい食事を摂っておられるか」
それに使者は「三、四升です」と答えています。

実際は後漢時代の一升が200mlらしいので、それで換算すると、
当時の三~四升は600mlから800ml、炊いた米にすると
最大で計算して680グラムです。
お茶碗一杯のご飯が140グラムなので、凡そ五杯分、
カロリーベースだと1175キロカロリーにしかなりません。
成人男性は、一日通常、2000キロカロリーを消費しますから
デスクワークとは言え、孔明はこのままでは痩せ続ける公算です。

1175キロカロリー。
なるほど、過労死の前に餓死に近い。免疫が下がるねこれでは。

……他人事として言っている私(吉野)も実は、相当ヤバイかもしれない。
相方がいるおかげで必要カロリーをクリアしているが、留守の日は平気で一日食べなかったりして怒られる。
数字の威力は凄いなと改めて思う。上のカロリー計算を見て、かなり血の気が引き反省した。(遅い)


■三国時代の食事は「中華」より、「和食」に近い


ところで上記事によれば当時の一般的な食事は
 主食: 「米飯」または「麦飯」(蒸したもの)
 副菜: ネギやニラ、カブや青菜などの塩漬け
 調味料: ジャン(味噌や醤油の原型、発酵食)
 肉類: 牛豚羊の炙り肉、魚
とのこと。

ここブログ等でも何度も書いてきたように、私の情報(イメージ)でもその通り。
意外に思われるだろうが漢代末期(~三国時代)の食事は、現在の日本食からそれほど遠くない。
少なくとも、我々が「中華料理」としてイメージする料理より遥かに「和食」のほうが近い。

全体に素材を生かしたシンプルな味付けの料理としてイメージすれば正しい。これって和食でしょう?

繰り返しになるが、当時は発酵食がメインだったため味も和食に近かったはず。
今の中国人と違って、魚の刺身も食べていた。まるで日本人。
上のライターさん別のライターさんの記事だったかな、「米などの食べ方は我々が思っているのと違う」と書かれているけど、蒸すか炊くかの違いなので食感は近いものになると思う。
(パエリアやピラフ、チャーハンよりは近い。ただし白米ではないだろう)

これらの料理を裏付ける物として漢代末期の鍋類が出土しているのだが、それは高温に耐えられる鍋ではなく、蒸すか煮るかしかできなかった。だからほとんど油を使わずに調理していたことになる。
現在の中華料理とは明らかに違う。

今の「中華料理」は当時の漢人から見て「異民族」と呼ばれた人々、特に西方の人々が持ち込んだ調理法だと思う。
異民族の文化と漢民族の文化とが混ざり始めるのが三国時代終了以降。
つまり、諸葛亮を始めとする三国時代の戦略家たちが異民族を引き入れたことによって、我々のイメージする「中華文化」が作られていくことになるわけだが……。

余談が過ぎた。

まとめ。
上記の事を加味して考える孔明さんの最期の晩餐は、、
・麦飯、一杯+付け合わせの塩葱、
・豆粥、一杯
・韮や葵、筍の漬物
・酢を抜いた菁の羹(あつもの:スープ)

ま、貧しい、、、でも、一日の食事が三~四升なら、
これくらいの食事でも充分、お腹一杯になりますね。

素晴らしい。よくここまで推測されたなと尊敬する。
正解かどうか分からないけど、たぶんそんなものではないかと思う。
文字通りの「最期」に近付くと、これすら食べられなかったはずだが。

しかし本当に貧しい食事だな!
人が
「大成功して出世し、有名になりたい」
と願うのはほぼ「毎日ラクして美味しいものが食べたい」という欲求が第一にあるからなのでは?
だから、ほとんどの人が諸葛亮の食事を見て「こんな人生は送りたくない」と思うのではないだろうか。本人は、別にそれで構わないと思っていたはずだが。(特に食べ物に興味がないタイプ)

私から見てもあのような食事で充分、幸せだと感じる。
私はご飯と漬物と味噌汁があれば満足。
もっとカロリーを採らねばならんので、頑張って豚肉など食べるけど。


■『実は孔明は墨者(ぼくしゃ)だった!?』、付きまとう科学者臭


もう一つ、同じライターさんで面白かった記事。

 ⇒実は孔明は墨者(ぼくしゃ)だった!?意外すぎる6つの理由

「墨者」とは、上記事の定義だと「科学者・技術者」のギルド集団のことである。

科学者か……なるほどね。

文系のくせに、何故か付きまとう科学者臭。笑

占星術的な余談、やはりこの人物はASC水瓶座だろうと結論付けられる。
たとえ文系でも科学者臭がするのが、水瓶座。
太陽にも月にも水瓶座がないのだとすると、ASCを抜きにして、いったいどこに水瓶座(科学者)の要素があるのやら。

ただ諸葛亮がいくつか発明のアイディアを出したことは事実でも、さすがに「自ら図面をひいた」と言うのは違うと思う。
読書しかしていない文系の人間が、そこまでの専門技術はないだろう。
アイディアのみ出して実際の図面は部下の技術者へ頼んだはず。
(だいたいアイディアを出すのは得意でも実行力がないのが水瓶座の特徴でして……)
※筆者も科学や技術の話題が嫌いではないほうだけど図面はひけません。ひこうとすら考えたことがなかった


■技術者の不当な扱いへの嘆きと、墨者十論へのシンパシィ


それにしても、いつの時代でも技術者は不当に低く評価されるものだね。
私は技術がないので技術者を激しく尊敬するのだけど。

現代も、文系出の官僚や政治家ばかり権力を持ち、国家の宝として大切にされるべき理系出の技術者は下で使われている。
嘆かわしいことだ。

私も、平等主義の墨家の思想は好きだな。
孟子も好きだが墨子もね。

上が下を虐げるために歪められ、厳格化された「儒教原理主義」よりは、平等主義の墨子のほうが好きかもしれない。
(行き過ぎると共産主義っぽくなるので程々にしたいが)

上記事で引用された『墨者十論』には全て共感でき、心震える。
・兼愛(けんあい):全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え、

・非攻(ひこう):当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵略は否定するが自衛は認める。

・尚賢(しょうけん):貴賎を問わず賢者を登用すること。
「官無常貴而民無終賤(官に常貴無く、民に終賤無し)」
と主張し、平等主義的色彩が強い考え方。

・尚同(しょうどう):賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従う事で価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。

・節用(せつよう):無駄をなくして物事に費やす金銭を節約する事。

・節葬(せつそう):葬礼を簡素にし祭礼にかかる浪費を防ぐ事。

・非命(ひめい):人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられるという考え。

・非楽(ひらく):人々労働から遠ざける舞楽は人を堕落させるから否定する。

・天志(てんし):天を絶対者として設定し天の意思は人々が正義をなす事と規定、天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。

・明鬼(めいき):善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し争いなど悪い行いを抑制する。

人の道として、全て正しい。
(ただし非楽などは行き過ぎてはいけない)

この墨家の思想が現代で叶えば人類みな平等で、納得のいく人生を送ることができるだろうに。
進んだ文明を持つはずの現代でも未だに叶わないどころか、むしろ離れていっている気がするのは私だけだろうか?
孔明には、法家ばかりではなく風水に詳しいという道家の影響や
これまで述べた墨家の影響など、一つの思想ではない
多面的な人間像が見られます。
孔明を墨者と見るのは、それは違うという批判もあるでしょうが、
彼が当時の支配者層としては例外的に技術者を重んじて、
それを重要視していた事は疑いない事だと思います。
全くその通りと思う。

>それは違うという批判
そんな批判があること自体、驚いてしまう。

たぶん、ルールに厳しいイメージなので「孔明は儒家だ!」「法家だ!」との思い込み等に頑なにこだわる人々が多いのだろうが。

歴史学もそうだが社会思想でも。
いったい何故、皆さん一つの思想だけにこだわろうとするのか私にはよく分からない。

法家も、道家も、儒家も、墨家も、どれも良いところがあるだろうに。
その代わりに偏り過ぎると、どれも悪の道・不都合な歪みへ通じる。
全てを俯瞰して正しいことを選び取ろうとは思わないのか?


結局、自分の意見を書いてしまった。申し訳ない。
でもたぶん諸葛亮も同じだったと思う。
同じ「俯瞰主義」仲間だからね(笑)。←しらじらしい? すみません。ふざけてるな我ながら

孔明が俯瞰主義の理由、上から引用:
しかし、孔明の勉強法は、それ(一つ分野の詰め込み教育)とは違っていて、本を読んで、
大体の意味を理解すれば、次の本に移るという具合でした。

これならば、儒教だけにこだわらず、色々な書物に触れられるので
その膨大な読書の中から、孔明は墨家の思想に触れたのではないでしょうか?


>本を読んで、大体の意味を理解すれば、次の本に移るという具合
そう言ってしまっては身もふたもないのだが。笑
その通りだと思う。

要するに大雑把で、一つ分野を突き詰めないということ。
これは当然ながら欠点でもあるのだけど、カルト思想に囚われ偏ることは何よりも人を愚かにする。
囚われることこそ最も恐れるべきだ。
(と、私は思って生きてきた)

※こう言うのは筆者も完全に同じタイプなので。自己弁護に当たりますか? 実際、私は見た目とのギャップがあり「意外に」大雑把なところあるらしく、驚かれる。そして家族には怒られる、笑。細部に目が届かないのは弱点でもある。ご批判は正当、そして自覚済。このブログでも誤字は山ほどあるはずなので、気付かれた方は遠慮なくご指摘願います。笑




今宵も色々とまとまりなかったが、刺激され楽しく考えることができた。歴史記事ライターkawausoさんへ感謝。

ちなみに、私も動物性タンパクではサーモンが好きです。
せっかくだから昨日の晩餐を記録しておこう。
 ・茸の炊き込みご飯
 ・葱の味噌汁
 ・鮭の切り身の塩焼き(最高のご馳走!)
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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