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この記事は一度読書館へ移転したのですが、向こうの雰囲気に合わないため戻しました。(お目汚しのため畳んでいます。見えていない場合は「続きを読む」をクリック)


酒見賢一著、『泣き虫弱虫 諸葛孔明』というコメディ小説があるそうです。

nakimusi.png
『泣き虫弱虫 諸葛孔明』


「口喧嘩無敗だが負けそうになったら火刑(放火)」
「弟をいじめまくっている」
という強烈キャラとして描かれているとの噂で、気になりました。
『三国志』関連のフィクションを全く読むことができない私も、あの『後宮小説』を書いた作家の本なら笑って読めるかなと期待したものです。

噂を聞いてから十年以上。古書店で見つけ、ようやく買いました。
ブログネタとしてここにレビューさせていただきます。
(少々辛口です。冒頭しか読んでいないわりに長いから要注意)

〔目次〕
小説冒頭について
なりきり宣言で前置きとの対話
酒見氏は史実の知識を持っていない、という証拠
感想。この小説主人公のモデルは、酒見氏自身なのでは?
著者の考え。歴史人物へは愛があれば何を書いてもOK、愛がなく愚かな悪口はアウト



■小説冒頭について


冒頭を読み、コメディとしては期待はずれと思いました。
世の中の人たちは
「抱腹絶倒!」
「笑いを堪えるのが大変だから電車で読むのは辛い」
とレビューされていますが、いや、どこで笑えば良いのか分からなかった。ごめん。
『演義』でおなじみフィクションの孔明を知っている人だけが笑える特殊なジョークなのか?
爆笑しているアメリカ人たちと一緒に映画を観ている気分です。アメリカンジョークはアメリカ人にしか分からない、みたいな。

私が笑えなかったのは、既に『演義』でこんな感じの変人として描かれていると勝手に想像していたので(笑)、意外性がなかったせいでもあります。※筆者は『演義』の設定をあまり知りません

主人公は想像していたよりキャラが薄い印象です。
「口喧嘩無敗」と言ってもただ難しそうな言葉を並べ立てるだけで勝った気になっているだけ。相手に関係のない言葉を並べ知識を誇ることのどこが「口喧嘩」だろう?
「火刑」と言ってもただ放火という犯罪行為に走るだけ。これでは単なる犯罪者。エピソードに工夫が感じられない

もっと『今日から俺は!!』の主人公のように工夫に長けたクズで、口喧嘩はウーマン(芸人)の村本くんのように早口で相手へ打撃を与える台詞をまくしたてるような、一流クズのキャラで描かれているのだと思っていました。

そもそもだけど、台詞や内面描写で人格を表現せずに、地の文で「こういうことを行った」と書くだけで人物設定が終わっているのも小説としていかがなものか。

追記 このような言い方は申し訳ないのだけど、歴史ジャンルの読者は作家に対して優しい(甘い)と思った。他ジャンルの小説だと、地の文で人物設定をするような低次元の小説は「プロの小説」として認めてもらえない。歴史創作ファンはもう少し他ジャンルの小説も読んだほうが良いと思う。

小説としてのお粗末さはともかくとして、前書きは作者としての本心を書いたもののようですが、これこそ残念な印象でした。
実は、前書きを読んで本編を読む気を80%ほど失いました。


■なりきり宣言で前置きとの対話


以下、趣向を変えまして。

「孔明なりきり設定」ということで前置きについて対話してみます。
(言い訳や迂遠な表現が面倒なため、「なりきり」ということにしておく)
「なりきり」と言っても筆者はフィクションキャラを知らないのであくまでも現実、ということで。
言語や知識も現代日本に住む「孔明」という設定にしておきます。
現代風に軽い口語体で書きますので少々下品な表現もある点、ご了承ください。


【引用元:文藝春秋の単行本 第3刷より(引用中の……は引用者による略)】
 ちかごろ、わたしにもようやく諸葛孔明の偉大さがわかってきた。
決して皮肉ではない。

いや、皮肉でしかないでしょう。
冒頭から嘘を吐くと口が腐りますよ。

 全国二百万の諸葛孔明ファンからは何をいまさらと言われるかも知れないが、不憫にして覚らなかった。

孔明ファン200万人??
初耳だな。不思議と私は一人も遭遇したことがないが……。笑

『三國志』は漢字が難しいので読めず、『三國志通俗演義』もまた漢字が難しいので読めなかったから、適当に和訳された『三国志』をつらつら眺めたのであった。

ここでかなり読む気が失せた。
酒見氏は「東洋哲学専攻」ということで、東洋古典にはかなりの知識があると勝手に想像していたのだが、「漢字が難しいから読めなかった」と仰るのはどういうことか? 東洋哲学(思想)で扱う書物はほぼ漢字のみだと思うが。
それに「適当に和訳された『三国志』」って何だろうな。『演義』を読んでいない、吉川版も読んでいない、ということは何か子供向けのフィクションを読まれただけなのか。

巨大な野獣型模型兵器を出動させ、口からは火炎放射、硫黄の毒煙を吐かせて野獣車を四散させ、地雷まで仕掛けて、蛮族どもを虫けらのように焼き殺してしまうのであった。
そんな孔明の大人げない所業もさることながら、何故このロボット兵器群を、後の魏との北伐戦……に投入して魏軍を攻撃させなかったのかが不思議でならない。
読者も……見たかったはず。

え、何その設定。
バカなの?

酒見氏も本心からそれらの兵器を孔明が駆使したと信じているわけではないだろうが、隠しきれないフィクション嗜好を感じるな。そんなフィクションを心待ちにする幼稚な精神でいると、いつか現実で痛い目に遭うと思う。

私は現代軍事オタも好きではないが、「陣形だけで戦争に勝つことはできない!」と言う人のほうが東洋古典フィクションに耽溺する歴史創作マニアよりも遥かに人として見込みがあると思う。現実を好み、きちんと現実を見る心構えがあるという点において。

酒見賢一を称えるネット掲示板で、
「『泣き虫弱虫諸葛孔明』は、『三国志』は現実通りに書かなければならないという固定観念を払拭してくれた!」
などと書いている人がいて笑った。
いったいどこに現実に拠って書かれた『三国志』があるんだ? 『演義』通りに書かねばならないと作家が神経を遣っている小説なら、世の中に腐るほど溢れているが。
どうもこの人たちが言う「現実」とは、お馴染み『演義』設定のことを指しているらしい。劉備中心の物語であれば「正統(史実との区別なし)」として分類している。
一般の『三国志』こそTHE フィクションなのだよ。あ、やはりご存知なかった?笑
※一般の『三国志』は中国『三国演義』がベース。「演義」とは「架空物語」という意味。つまりフィクションのことです

そもそもわたしが初めて『三國志』を読んだのは、作家になって後のことである。わたしのデビュー作が、「シンデレラ+三国志+金瓶梅+ラスト・エンペラー」のおもしろさと言われていたので、どんなものか見てみようと思ったのであった。

『後宮小説』が!?
あの小説、アイディアは面白いと思った。私も楽しく読ませてもらった。でも「シンデレラ+三国志+金瓶梅+ラスト・エンペラー」までは行っていないと思う。一作品にも届いていない。
編集か誰か売るためにずいぶん盛ったものだね。と言うか本質的に売り文句として違うと思うが。

まあ作者が鵜呑みにしているふうなのはジョークだと思いたい。鵜呑みにしていたら怖い。
(ここで薄ら、『泣き虫弱虫~』の主人公は作者自身の投影なのでは? と気付いた)

 『三国志』は……
「しかし、こいつら、なんでこんなに戦争ばっかりしてるんだ?」
と感想せざるを得ず、大陸人同士が、やめりゃあいいのに人口が半減するほどの殺し合いを飽きもせずに続けるという異様な話なのである(だが中国史とはこのような強烈な話の連続なのであって、三国時代がとりたてて異常なわけではない)。

中国史だけではない。
君が生まれる頃より二十年も遡らずに「やめりゃあいいのに人口が半減するほどの殺し合い」が世界中で行われた時代があった。日本人もたくさん殺し、殺された。

いや現代も。
この文を書いている最中にも。たった今も世界各地で虐殺が行われている。

古典時代、あるいは中国だけが特殊で異様だと仰るとはね。学校の授業で習った近現代史の記憶は消え去ったのか?
完全なる平和ボケだな。

人間の知性は『三国志』では、人殺しに用いられるばかりである。紛争解決にもっとよい知恵を出すのが知性というものだろうと思いたい。敢えて人類とは度し難い生き物だということを示したいのか。
「……こいつら、結局、根本的に頭が悪いんじゃないのか?」
と首をかしげられることもしばしばである。

それは太平洋戦争の生き残りの前で言えるのかな?

十代か二十代だったら物を知らないからこういう暴言を吐くのも仕方ないと思うが、年齢を見たら書いた時点で四十代ということで少々引いた。
年齢にしては幼稚過ぎる発言。

>人類の知性は紛争解決に用いるべきである

この部分は私も全く同感、同意。
でも三国時代だけではなくて、第二次世界大戦時でも他のどんな時代でも、ほとんどの人が好き好んで戦争を選んだわけではないんだよ。大人だったらそんなことは普通、分かるはず。

しかし『三国志』のフィクションしか読んでいないと確かに全員、頭が悪そうに感じるのも無理はない。
フィクションの作者が頭が悪いからだろう。 
……虫けらのように殺されてゆく。それを、
「乾坤一擲の大智謀、秘計が当たったわい!」
と喜んだり、褒めたり、けなしあったりしているのである。
そう、こんなふうに、フィクション作家は頭の悪いことを書く。

※この記事で使う「フィクション」の用語定義は記事下↓注記参照

歴史フィクションしか読まないとバカになると言うのは、脳の成長が作者と同じレベルのままで止まってしまうから。
そもそもフィクションは平和な時代に書かれるものだから、フィクション作者の多くは戦争を知らないのである。
結果、素人に育てられた平和ボケの素人が大勢育つことになる。
(例外は吉川英治の時代だが、彼は『演義』に忠実であろうとして現実の戦争体験は反映していない/失礼。吉川版『三国志』も全て読んでいないので断定するのは違うかもしれない。少なくとも筆者が耐えられなくなって読むのを放棄したページまではそう。少し覗いたラストのほうで孔明が死体の山を見て泣き崩れるシーンがあり、そこに作者ご自身が実際に見た戦場の記憶と気持ちが反映されていたので、私も泣いた)

 その天下麻の如く乱れた凶悪無残の地獄に、天が平和を勧めて遣わした一人涼やかな忠烈義仁の男、それが諸葛亮孔明だ、ということになっている。

これも初耳。
誰がこんなこと言ったんだ? 気色悪いな。

あと、
>諸葛亮孔明
姓名字のフル表記をすると無知がばれますよ。

『三国志』の創作家は一切記録を調べず、無知なまま小説を書いて印税を稼げるのか。『蒼天航路』の作者も「ぶっちゃけ何も知らないで書いてる」と言っていたが。
ラクな商売だな。他ジャンルの作家では絶対に許されない。
三国志創作の読者のレベルがどれだけ低いのかが窺い知れる。

 しかし孔明の逸話を史書に照らして検討していくと、途端に深い疑念にとらわれることになる。結局孔明は戦火に油を注ぎこそすれ、平和を実現させることはなかった。また戦に勝ったことなど数えるほどしかなく、何故この男が稀代の軍略家と讃えられるのかさっぱり分からない。孔明神話というものか。
>何故この男が稀代の軍略家と讃えられるのかさっぱり分からない。

うん、私もさっぱり分からない(笑)。
まずあなた方の「孔明神話」というものが分からないし、よく知らないので理解し難い。

だけど負けた側には言いたい放題に言っていい、という意識はどうかと思う。
本当に酒見氏は史書に照らして調べたのかどうか疑わしいが(後で書くように事実誤認が多いのでどうも嘘ではないかと思う)、勝てば何をした人間でもヒーローと崇め、負ければどんな悪口でも浴びせて良いと考えるのはどうだろう。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」
として記録されるのは人間社会において仕方ないことだと思うのだが、敗軍の将へ悪口を浴びせることは日本人の美学には反すると思うがね。

私も他の敗軍の将に対してこういうことは言いたくない。人として恥ずかしい

 とくに晩年、なんの気に入らないことがあったのかは知らないが、天下の大勢が魏の曹操の一族により定まり、ようやく平和が訪れそうなことが分かっていながら、もう意地になっているとしか思われない北伐四回に及び、蜀の民衆を疲弊させて迷惑をかけ、しかも魏の領土を一片たりとも奪れなかったという意味では全戦全敗しているのである。なんなんだ一体。

蜀の民を疲弊させたうえに全敗したことについて異論はない。(※実際は敗戦したことは一度もなく目的を達成できなかっただけ)
その点、どこまでも責められるべきと思う。

でも、あまりの幼稚な無理解にため息が出るな。
大人の発言とは思えない。引くほど幼稚。
ネット掲示板で、曹操崇拝の中学生による孔明への悪口を見かけた気分だ。

一点だけこれは危険な思想だと思う箇所を指摘しておく。

>平和が訪れそうなことが分かっていながら

「天下統一 イコール 平和」
というのは大きな勘違いだし、こういうことを作家さんが公に書くのは危険だ。

三国時代は遠くの他人事であり、自分だけは永久平和の下で暮らせるという妄想を抱いている人には分かりづらいと思うが、上のような思想を撒き散らすとお隣の独裁国家(現代中国)が諸手をあげて大喜びしますよ。

「天下統一」とは中華人民共和国が掲げている旗で、彼らは可能なら世界制覇、少なくともアジア諸国は占領下に置く気でいる。
そのことを正当化するために、曹操や始皇帝などを「天下統一で平和を目指した素晴らしい人物たち。再評価すべし」というキャンペーンを行っている。
参照 ⇒現代的“諸葛亮後世評価”考、日本人が気を付けるべきこと

彼らは狡猾だからフィクションを使って宣伝をしていることに気付くべきだ。
平和ボケもいい加減にすべきと思う。
曹操つまり現代中国を称賛し、日本を「曹操サマ」へ売り渡して、売国奴と呼ばれたいのか?

 とにかくわたしの目には、まずは、孔明が、おとなげない男、と印象づけられたことは確かである。

>おとなげない

お前もな。(旧2chふうに。笑)


■この作者は史実の知識を持っていない、という証拠


あとは本編の冒頭へ少し突っ込み、
 孔明が十四、五の頃、徐州に曹操軍が大挙侵攻して

初平四年、十二歳(数え十三)でしたね。
記録を読んだと仰るが何の本を読まれたのだろう。

(ここは作家が、「俺のフィクション能力を見ろ!」と誇示するための創作部分ではないことは明らか。事実を引用したつもりでの本気の間違いなので恥ずかしい。酒見氏は「記録を読んだ」と仰っているが、こういう事実誤認が多いので嘘だということが分かる。彼は陳寿筆の正史を『三國志』と表記すると宣言しているものの、後で出てくる『三國志』引用の中には『演義』の設定も多く含まれ、頭の中がごちゃごちゃの様子。推測するに酒見氏は、加来氏など現代歴史家の解説書などをさらっと読んだだけで鵜呑みにしているのでは? あるいはネット検索の知識。明らかに、原典に当たっていない

 とにかく貧しい暮らしでも勉強だけは一生懸命にやっていたらしい。

出世のための勉強を「一生懸命に」した覚えはないな。
出世を目指して勉強だけは一生懸命にやった、というあたりは作者自身の投影だろうな。

こんな時代に出世して安定収入を得るには人足兵隊に取られる前に公務員になるしかなく、……(そのため孔明は必死で勉強した)

役人の家に生まれたのだから元々正規の道筋が「公務員」ね。そんな基礎的な知識もないの?
正規の道を蹴って隠棲した。だから「変わり者」の評があったというのが史実。

 子供たちが新参者の孔明を囲んで、……と意地悪に脅したりする

フィクションとしては面白い設定。せっかく良い設定なのだからもう少し細かいエピソードで面白く書けば良かったのでは?
でも現実を言うと、名家の子なので一人で街歩きをすることはなく意地悪な子供たちに囲まれるということもなかった。農夫の子と一緒に遊び、喧嘩をするなどもってのほか。

 算命というのは占星術系の運命学であり、……後の淵海子平、四柱推命などの元となる。西洋ではバビロニアを紀元とするホロスコープが発達していき、……同じく天文観察占星を基盤とする秘学であるから、両者の類似点は多い。

(吉野にて)これはちょっと違う。五行は五つの星を元に生まれたと言われており、推命が生年月日から占う点では確かに西洋系とも類似しているが、バビロニア発祥の占星術とは系統が違う。結果もかなり異なる。

 算命占星などは軍師の必須科目であり

ということになったのはどうやら占い師であり軍師でもあった劉基が人気となった時代以降のようだね。この当時はまだ「知っていて当然」の常識的知識ではあっても、軍師の必須科目とまでは言えないと思う。

 諸葛喬は……襄陽諸葛家の後継ぎとしてやって来る……ただしその頃には孔明の嫡男諸葛瞻も生まれているから

?? 
この方、いったい何の本を「記録」として読まれたのだろう。
喬を養子にしたのは瞻が生まれる遥か前。喬が十四、五歳の頃だったような。
(と言う私も、記録を基にして言っていないかもしれない。これは記憶のほうか。ということは間違いの可能性もあり。ただし瞻が生まれるより前だったことは確か)

 孔明にはある方面に対しては精密神妙なる客観視が出来るのだが、ある方面には不思議なほどに主観的で無批判であるという奇妙な欠点が見受けられる。

これは現実において、正当。
(孔明と言うより当ブログ筆者もですね。先日も友人に同じことを言われた)

追記
と言うかこの評価も、諸葛亮の死の直後に当時の知識人たちが行ったとされる議論そのままパクリ。
おそらく記録書からネット民がパクってUP → それを見た酒見氏が鵜呑みにしてパクリ、という流れなのだと思う。

何故そう断定できるかというと、酒見氏がこの程度の現実知識で「孔明にはある方面に対しては~無批判」などという評価ができるわけがないので。
この人の知識にはそんなことを評価するに足る材料がない。
おそらく酒見氏本人もパクリであることに気付いていないと思う。
他人の説を「自説」と勘違いしてそのまま書く。プロの物書きさんとして信じ難い怠慢、情けないし恥ずかしい。


生年と没年について

 孔明は一八一年の生まれである。本当かどうかは知らない。

本当だよ。
ちゃんと記録を読めば、他の人物と比較してこれだけ信頼性の高い出生情報はないと分かるだろうに。

(吉野にて)占星術その他で照らし合わせてみても、諸葛亮の生年月日情報は本物と言って間違いありません。古代の歴史人物で正しい生年月日情報が流出している人は、とてもめずらしい。参考⇒諸葛亮のホロスコープ

むろん当然のことのように孔明が誕生したとき様々な奇瑞、神秘現象が起きたというが、もういちいち否定するほうが野暮であり、信じた方がいい。

いちいち嫌味で腹が立つ。
本当にこの小説の主人公、あなたそっくりだね。


没年について。11/3に吉野がツイートした通り、この本で唯一褒めるべきところは
「献帝と諸葛孔明は同い年で、同じ年に死んでいる」
と気付いているところです。
記録をちゃんと読んでいない酒見氏も、生年と没年だけは頭に入っていたみたいね。と言うより、これもネットで誰かが書き込んでいたのだろうが。
参考 ⇒はてなブックマーク

酒見氏曰
>何か関係あるのかな?

うん、関係あるが、地上限定の視点でその関係を話すことはできない。異次元に関わる話なので。
普通の歴史家がこの「奇妙な一致」に言及しないのは、現実的感性から見れば何ら関係のない、ただの「偶然の一致」に過ぎないからです。
言ってもしょうがないこと、って感じですね。
それに言及する酒見氏は鋭いのか、あまり記録を知らない初心者ならではか。


他、流し読みの抜粋
劉備陣営はどうしてこんなにバカばかりなのか?

このネット民のような幼稚な表現から分かることは、酒見賢一はネットに洗脳された曹操の熱烈な崇拝者で、劉備陣営(蜀)を貶める目的のためにこの小説を書いたということ。
しかもネット民と違い、悪口を書いていい気持ちになったあげく印税を稼いで生活しているのだから悪徳だと思う。
歴史人物を愚弄して生活するのは人道に悖る。

酒見氏よ、せっかくファンタジーノベル大賞を獲ったのだから、悪口小説で食べるのではなく一から自分の構成で小説を書いて勝負すべきでは?
(と、これはファンタジーノベル大賞に期待していた一読書好きの意見。酒見氏もファンタジー方面へ行くと思っていたのに、知識も設定も適当過ぎる悪口小説でお茶を濁すとは期待はずれ)



■全体の感想。この小説主人公のモデルは、酒見氏自身なのでは?


疲れたので、この辺で終了しておきます。以下、筆者(吉野)に戻る。

前書きの時点でかなり読む気をなくしていて、もしかしたら読まないかもしれない。
私も「大人げない」から、購入料金の元を取ろうとしてこうしてブログ記事にしている次第です。

もしこの先も読み進めることがあればまたネタとして書きます。
流し読みしたがやはり無理でした。古書店へお返し。この作家の本は今後、二度と買わないと思う。

余談
なんとなく気付いたのだが、この小説の主人公は作者自身の投影ではないでしょうか?
作者の性格は小説に投影されるものです。書いている者は無意識ですが。
と言うことはつまりこの作者さん、幼稚な復讐をするタイプのような気がする。

念のため断り書きを置いておきます。

エゴサされた時のために:
作者さんへ。この記事には少々辛口なところもありますが、一般素人のレビューゆえ、プロ作家として上から目線で一笑に付してください。
それに自分は死者を侮辱しているのだから我慢すべき。
死者に対しては何を言ってもやってもいいとして侮辱三昧、自分だけは生者の権利を振りかざして訴えるのでは釣りあいが取れない。


■著者の考え。歴史人物へは愛があれば何を書いてもOK、愛がなく愚かな悪口はアウト


私は三国志のお笑いでもBLでも創作は好きにすれば、と思っているほうですが、人間としての最低限の愛がなければアウトですね。

ちなみに「はわわ」は許せます、何故か。(笑)
参照 ⇒はわわ
一見バカにしているしオモチャとして弄んでいるのだが、きちんと史実を読んで人間としての解釈をしたうえでのお遊びなので、「愛がある」と言える。(※ただし深くは知りません。知ったら冷静でいられないから見ないようにしておく)
諸葛亮が後にこんなロリっ娘として描かれることになろうとは、
いかに天才の彼でも予見できなかったことだろう。
とはいえ、こちらの諸葛亮もそうだが、史実で劉備と諸葛亮の年齢差が親子ほどあったということを考慮すると、必然だったのかもしれないが(黄巾の乱時点で諸葛亮はおよそ三歳)。
その通り。
「劉備と諸葛亮の年齢差が親子ほどあった」ということに着目した視点は、むしろ一般『三国志』(演義)より遥かに史実に近い。むろん現実そのままではないが本質を突いている。
戦術においては孔明らしく大体は完璧だが少し詰めの甘い部分もあり、一部からは『はわわ軍師』と呼ばれていることを気にしている。
これも本当によく記録を見ているなと感心する。孔明には痛い指摘でしょう。
上ページを見て日本の歴史オタも棄てたものではないなと思った。学者よりプロ作家より記録を見ている。酒見氏よ、少しは見習え。

酒見氏のような曹操崇拝者がアウトなところは、曹操を崇拝するあまり話を捏造したり、この作品のように相対的に蜀を貶めて侮辱しようとすること。

自分が萌え萌えしてしまう人物(ここでは曹操)の評価を上げたいからといって、敵対するように見える人物のキャラクターを捻じ曲げ、話を捏造してまで貶めようという行為は人間がやってはいけない。
そんなに曹操を褒め称えたいなら姑息な嘘をつくのではなく、事実善人だったという証拠を挙げて褒めてみろよ。まあ、できないだろうけど。
(学校を建設しただの何だの、そんな小さな善行は総合で見て無意味だからね。報道ステーションがISを賞賛したのと同じ行為。参照記事⇒報道ステーションがISを激賞、批判殺到

そもそも、酒見賢一氏のように自称「ぼくは新解釈の三国志を世の中に出したった」と言う人たちの何が嫌いって、
「既存の三国志の正反対を見て、曹操が大好き! そんな自分が大好き!!
という主張があまりにも強過ぎるところです。
自分が好き過ぎるのが見え見え。
(「曹操を崇拝する自分が素晴らしい」と思っている。人を崇拝することで自己愛を満たそうとする。これは自己愛性人格障害の一種です)

なんでもメジャーな説の正反対を語ってさえいれば、「自分は超絶にスゴイ視点の持ち主。天ッ才」として褒められると思うのは浅はかです。
ただ視点を反対にするだけでは、事実を見ないただの愚者
反対説を標榜するには事実を提示しなければなりません。

【注記】
※この記事中で「フィクション」または「歴史フィクション」とは通俗演義その他、現実の歴史人物名を使用しながら現実を描くことを全く目的としない、作者による空想の割合が圧倒で多い小説・漫画・講談・舞台等の創作物を指します。例:通俗演義を意識した全ての『三国志』や、『蒼天航路』等。もちろん、ここで紹介した酒見氏の『泣き虫弱虫諸葛孔明』も含む。他ジャンルのフィクションは含みません。
(SFやファンタジー等、一から作者の構想で世界観を作り上げるフィクションの中には人間心理の描写が細かく、現実を思わせるような優れた作品が数多くあります。歴史を題材にしたものでも、たとえば近代戦争を題材にした小説で綿密な調査をもとに書かれた小説等はこの記事中で「フィクション」と呼んでいる分野に含みません) 


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