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おとといパンダ外交について検索していて、周恩来(しゅう・おんらい)の名を見かけたので思い出した。
かつて『我傍に立つ』を読まれた方が
「途中まで、主人公のモデルは周恩来だと思っていました」
と仰っていたことを……。

周恩来。
近代史の有名人なのですが、ご存知ですか?

「彼(敵)を知り 己を知れば 百戦あやうからず」。
殺されたくなかったら相手を知ること、勉強することが必要です。

せっかく皆様には私の小説を読んでいただいたので、自作品『我傍に立つ』に絡め、この件について雑談を書いておきます。
興味を持たれたらここを入口として、ぜひ近現代史も学習してみてください。

よろしければこちらもお読みください。関連記事 ⇒現代的“諸葛亮後世評価”考、日本人が気を付けるべきこと

~この下から常体とします。軽めの現代口語で書きますので不謹慎に感じられる表現があるかもしれません、ご容赦ください~

※残酷な話を含みます。大丈夫なときに、つづきを読んでください


〔目次〕
中国近代史の重要人物、周恩来とは
『我傍に立つ』の主人公は周恩来に似ている、と言われたことがあるが…
周恩来と『我傍』主人公との比較
儒教原理主義ロボット
我々の時代と、私の行いについて。「滅私奉公」とは何か



■中国近代史の重要人物、周恩来とは


少し前、日本で言えば昭和の時代に生きていた中国の要人に「周恩来(しゅう・おんらい)」という人物がいる。

周恩来は今の中華人民共和国ができた当初から27年もの長いあいだ、首相を勤めた人。
よくニュースで映る天安門に掲げられた写真で有名なおじさん、「毛沢東(もう・たくとう)」という人が国家主席といって一番偉い人。

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天安門広場

この毛沢東がトップリーダーだとすれば、周恩来はナンバーツー。
知識が豊富で賢く、また善良で人当たりの良い人物だったので、外交シーンでは欧米諸国に評判が良く人気を集めた。
一般的には公平かつ無私の政治をしたとされ、共産党員にはめずらしいクリーンなイメージを持つ。世界中で残虐な行いばかりしている共産国家において、「唯一の良心」と呼ばれている。

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周恩来

ちなみに周恩来は日本に留学経験があり、日本通で知られていた。
このため日本人は周恩来にシンパシィを感じるのか、日本にも周ファンは多くいる。

特に年配の日本人で周恩来に悪いイメージを持つ人は少ないと思う。
「毛沢東は嫌いでも、周恩来は好き」
と仰る人をよく見かける。


■『我傍に立つ』の主人公は周恩来に似ている、と言われたことがあるが…


冒頭で書いた通り、昔『我傍に立つ』を読まれた方から
「途中まで主人公のモデルは周恩来だと思っていました」
と言われたことがある。
私はその時、「めっそうもない」と恐縮しつつ、立場としては近いナンバーツーであるから「確かに似たところもあるのかな」と思ったのだった。恐縮はしたが、悪い気はしなかったのを覚えている。

だが、私も彼の現実の姿をよく知らなかったようだ。
当時まだ壁崩壊から十年、ブラックボックスだった中国から流れてきた情報はさほど多くなかった。

あれから二十年。いろいろと情報分析は進んでいるらしい。

パンダの件で検索していてこんな記事を見つけた。
 ⇒周恩来「上司のイヌ」となって生きた男

上記事からショッキングな話を引用。
確かに、1人の人間としては素晴らしい人物だったに違いありませんが、中国の人々にとっては、周は厄災だったのではないかと思います。
なぜならば、周は毛沢東が始めた文化大革命を積極的に取り組み、もうこれ以上どうしようもない破滅的な状態にまで推進した張本人であるからです。
劉少奇の党籍を剥奪し留置所にぶち込んだのも、迫害を受け失脚・殺害された数多くの人物の逮捕状にサインしたのも、紅衛兵を動員して大衆運動を組織したのも、周の手によってです。周は毛沢東の手となり足となり、機械のごとく任務を遂行しました。
周は毛沢東に気に入られ、権力を維持するためには何でもやりました。
必要であれば、手段を選ばず残忍な方法も躊躇しませんでした。
例えば、1931年5月に上海で起こった中共工作員・顧順章惨殺事件の指揮を執ったのは周であることが後に分かっています。顧順章は中共幹部を国民党に売り渡した「裏切り者」だったのですが、この時の報復は熾烈で、顧順章本人、妻、妻の弟、岳父母などを含む二十数人が同時に殺害されたのでした。

毛沢東はその美貌に惹かれて、無理やり関係を結んだと言われています。毛沢東の妻・江青は下っ端女優の出身で嫉妬深い女でした。彼女は、若く美しく、しかも夫・毛沢東の関心を得ていた孫維世が気に入らない。江青は後継者として毛沢東の信頼が厚かったため、周恩来は江青には逆らえませんでした。周恩来は、娘の逮捕状に署名をしました。これにより江青は孫維世を留置所にぶち込み、むごたらしい拷問を加えて殺害させたのです。
(どん引き)

「『我傍に立つ』の主人公は周恩来に似ている」?
……いや、すみません、全く違うでしょう。


■周恩来と自分(記憶)との比較


この項目ではあくまでも、今の私自身と『我傍に立つ』の主人公(記憶、イメージ)についてお話しする。
(現実人物の、記録がない事柄については責任が持てないので)

私なら?
粛清の手伝いをやらされそうになったら姿をくらましますね。即、捕まって殺されたとしてもそのほうがましと思う。
その前に朱元璋の場合と同じく、毛沢東のもとでは私など秒殺で粛清されていると思う。
今もだが、かつての私は君主にへつらうほどの能力すらない小物だからね。

まず私は、何度も述べている通り、周恩来のようなコミュ力が絶望的にない。こんなに堂々と自慢することではないが。笑
人の顔色を窺うという才能が全くないので、思っていることはすぐに顔に出す。出しているつもりはないのだが出ているらしい。
何より相手に合わせるということができない。これは障碍みたいなもの。
 参照 ⇒アスペルガー疑惑もあり
 ⇒コミュ障シンパシー、古市憲寿氏が面白い。LINEスタンプにイマジナリーフレンド

思っていることは始め抑えていても、いずれ必ず正直に言ってしまう。その時は、相手が上司だろうと年上だろうと権威者だろうと、「上から目線」になるかもしれない。
これでも自分では精一杯に努力して、できる限り遠回しに言うくらいの気遣いはしている。だけどそれでは伝わらない場合、絶縁覚悟でストレートに言う。
この言い方が相手にしてみれば容赦ないようで「ヒドイ!」「サイテー!!」と罵られる。
相手のために改善して欲しいからこそ何もかも正直に言うのだけど、ほぼ受け入れられない。そして激怒されたのち、絶縁される。

私のストレートさに笑ってくれて、こういう特殊な障碍こそを「面白い」と言って気に入ってくれる奇特な人でなければ一緒にいることはできないな。
だから私は奇跡的に良いリーダーと巡り合わない限り世の中で浮上することは決してない。
今が証明している。笑

参考。
映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』で若き日のゲバラが、偉い先生が書いた小説について、執筆したご本人の前で辛辣な感想を述べる場面があった。
先生は激怒するかと思いきや、そのストレートさにむしろ笑ってしまう。
あの場面を見た時、この人(青年ゲバラ)ちょっと自分に近い障碍?を持つ方なのでは、と思った。
あまりにも自分をレベルの高い人に喩え過ぎていて申し訳ないが、これは能力のことではなくてあくまでも「正直にしかいられない」という障碍について言っている。
毛沢東や朱元璋、豊臣秀吉など東アジアで典型的な「君主」ならゲバラを処刑してしまうだろう。
確かにゲバラは優秀な人であるが、彼もまた変わり者だ。奇跡に恵まれてあのような人生を送ることになったのだと思う。
(その後のゲバラにも周と同じように、共産リーダーらしく粛清に加担したという噂がある。だけど彼の場合、そのような共産世界が嫌になってカストロの元を去ったのではないかと私は感じる)

皆さんナンバーツーだけに着目して人格がどうの、才能がどうのと分かったようなことを仰るが、その前にトップを見るべきだ。
当たり前のことなのだが、部下が活きるかどうかはトップ次第。家臣が素材なら、トップは調理人。もちろん素材の良し悪しも料理の味に関わってくるが、その前にまともに食べられる料理を作れるかどうかは、調理人の技量にかかっている。皆さんそのことを忘れている。
『我傍に立つ』で素晴らしく優れていたのは間違いなく私の主人であって、私ごときは素のまま生きただけの芋に過ぎない。

周恩来に話を戻す。

上記事の話がどこまで真実かは分からない。他の情報では
「周恩来は文革に抵抗し、何人かを救った」
という話もある。⇒周恩来はなぜ人民から愛された?文化大革命への抵抗とは
とは言え、責めを免れる安全な範囲で救ったのみで、毛沢東の暴走を止められなかったのは事実だろう。
のみならず、もし自分の恣意的な感情にまかせて粛清へ積極的に加担したこともあったのだとすれば軽蔑する。

何より、
>顧順章本人、妻、妻の弟、岳父母などを含む二十数人が同時に殺害された
あり得ない。これは私だったら全く、あり得ない。
仮に罪が真実あったのだとしても、本人以外は関係ないでしょう。
などという道義が通用するのは、日本でも中国でもほとんどなかったことだが。私には無理だ。
そもそも自分の権威を守るための粛清は、なおさら無理。

/以下の段落だけ少し現実人物の話:
中国ではこういうことが「当然の正義」としてまかり通っているわりに、法を守りその本人の罪を問うただけの人物(諸葛亮)は、延々と「悪」のレッテルを貼られ責められている。
何故か法治が責められ、人治が称賛される中国
法を守り限定的に処罰することは「悪」で、無実の人々を好きほうだいに大粛清することは「褒められるべき正義」とは? どういうことだよ。私には全く理解できない。
もし皆様が、部下を処刑したという一点だけで諸葛亮を共産リーダーたちと重ねているなら、大きな間違いだ。現実の本質を見るべき。
色々なことをごちゃ混ぜに理解し、本質を見ないからこそ共産主義のような詐欺に騙される。
多くの人々がイメージしか見ず、本質を見ないことをよく知っていて理屈を捻じ曲げ、事実を捏造するのが共産主義者(あるいは世間一般の詐欺師)の常套手段。注意せよ。


■儒教原理主義ロボットたち


周恩来についての上記事を読み暗澹たる気持ちになるのは、やはり「滅私奉公」という言葉の意味を激しく読み違える人が多いことだ。
家臣、ナンバーツーと呼ばれる人々の多くはこの過ちに堕ちる。

ここで問い。
――独裁的リーダーのもと、道義に反する命令を降されたらどうするか?
たとえば周恩来のように、無実の人々を処刑するよう命じられたら、あなただったらどうしますか。

自分が殺されたくないから従う。
家族を殺されたくないから従うしかない。
そう答える人は多いと思うが、その場合は罪の意識があるだろう。いずれ後悔もするはずだ。

やっかいなのは
「どのような命令でも君主の言う通りに従うのが忠義であり、臣下として正しい道なのだ。昔からそう教えられてきた」
という一見正当な伝統に思われる理屈を振りかざし、無考えに従う者。
この場合、罪の意識などないどころか自分が正義の旗手だと思っているのでやっかい。
彼は主人の命令をまるで聖書の言葉のごとく受け取り、どのような凶行でも命令を遂行する。聖書を否定する人がいれば、彼らは神である主人の名のもと、何の罪の意識もなく殺してしまうだろう。

これを「儒教原理主義」という。※
東洋人が陥りがちな罠。
上の通り周恩来はこの罠に堕ちたと言えるだろう。


■我々の時代と、私の行いについて。「滅私奉公」とは何か


ここで皆様が薄っすら思うことは、
「お前こそ儒教原理主義グループの代表者だろう」
ということではないだろうか?
(仮に私が描いた物語が、私の現実だったとすれば)

違うというのに。
もう一度繰り返すが、本質を見るべきだ。

記憶にある私の人生では、幸いにも儒教原理主義を強要されたことはない。
現代語でもっと分かりやすく表現しておくと、パワハラを受けたことがない

記憶上、私は周りから「忠臣の鑑」と呼ばれていたし、小説ストーリーでもその通り書いたのでたぶん意外に思われるだろう。
でもはっきりと申し上げると、
 ・上から
 ・強い権力による脅迫で
 ・したくもないことをやれと強要

されたことは本当に一度もない。
どうもその点、皆様に激しい誤解があると思う。

私の主人は独裁者気質の持ち主ではなかったので、権力を使って臣下に何かを強要することは一度もなかった。
信念に基づき強く物事を推し進めようとすることはあったが、そうすることは権力などあろうがなかろうが同じ。圧倒の劣勢で殺されることが分かっていたとしても信念の旗を掲げたわけだから、権力など関係ない人だ。
周りの我々は、彼が信念に基づき行動していることが分かっていたので従っただけ。
人の信念には正しいとか誤りなどないので、賛同するか反対するかしかない。虐殺など明らかな悪行でない限り、周りがとやかく言うこべきことではないだろう。(そもそも自分の我がままで無辜の民を虐殺することは、信念とは呼ばない)

我々は結局、天下統一叶わず、毛沢東などの大国リーダーとして君臨する状況を経験していない。
言わば昇り坂の途中で解散したようなもの。だから全てが明るく好ましく、お互いに好意だけしかない状況で別れることができた、のかもしれない。
毛沢東たちと同じ状況を経験していないので偉そうなことは言えないのだ。
だが、これだけは言える。
もし仮に私の主人が毛沢東のようにおかしくなってしまって、民衆の虐殺などを始めていたならば、私は決死の覚悟で止めただろう。
刺し違えていたかもしれない。
そうなっていたらその瞬間は悲しいが、お互い同時に死ぬことを幸いと思うだろう。信じた相手なのだから自分が責任を持ってあの世に連れ帰る。そうすべきだと思う。好きな相手なら、なおさらだ。
それが真の忠誠であり、信であり愛であり、滅私奉公だと思う。

間違いなく断言できることは、私は儒教原理主義の忠臣ロボットではなかったし、自分の意思を失ったこともないということだ。
自分の意思を持たずに主人の命令だけで行動したことは一度もない。
傍目にそう見えた行動は、ただひたすら
「I LOVE YOU!」
という想いに突き動かされてのもの。(LOVEは同性愛の恋慕ではなくて、東洋的には「仁」の意味ね)
ここで「YOU」は主人であり、前世代の先輩方であり、何より国民。
もし許されるなら大声で絶叫したかった、愛しているーー! と。
むしろ私の信念に基づいた行いは主人の意思には反していたかもしれない。
主人は怒りはしなかっただろうが、あの世で「そこまでしろなんて俺は望んでねーよ、バカ野郎が」と苦笑していた様子が見えるよう。


周恩来ら儒教原理主義者たちが激しく読み間違えているのは、「滅私奉公」の「私」という漢字の意味だ。
滅私奉公の「私」とは、私利私欲の意味。
決して、「私の意思」という意味ではない。

だから意思を失って命令に服従するロボットになることは、「滅私奉公」とは呼ばない。

人間が従って良いのは、ただ純粋な道理のみ
つまり自分の心の内の「義」。
トップも権力も自己都合も、従うべき相手ではないのだ。
だから、主人が狂ってしまい粛清に走ったなら、刺し違えるのが「滅私奉公」と言える。

決して我が意思を失うな、義にのみ従え、ただ仁愛のために行動せよ。
それが本当の「滅私奉公」だ。



注記
この記事では中国人の名前について日本読みし、敬称は略しています

※近代中国における歴史学や儒教について: 共産主義は一切の過去の歴史や思想を否定し、形而上学や宗教を否定する。
理屈では共産主義は儒教も否定しているはずなのだが、儒教は独裁政権にとって都合良く利用できるから「上に逆らってはいけない」という思想のみ残した気配がある。結果、儒教思想の下地があったぶん、独裁が早く広まり根付いてしまうという残念なことになった。
伝統的には中国思想は、「革命 = 命をあらためる」という思想と常にセット。つまり民衆による政治の監視が前提。しかし一党独裁を永遠のものとしたい共産党は、自分たちが革命を終えたら「革命」を封印してしまった。捻じ曲がった、いびつな社会だ。
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Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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