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14:49 すみません、かなり適当に書いてUPしたので意味の通らない箇所が多かった。修正しています

昨日の、インド占星術は当たるか分析で検索していて気になったのだが、あるインド占星術師の方がブログでこんなことを書いてらっしゃった。
月星座占いで有名な西洋占星術の先生が、読者から
「私は先生の本で月星座・射手座で、外国へ行ったほうがいいと書かれました。でも私は外に出るよりも家にいて読書とかするのが好きなんです、どしたらいいでしょうか」
と質問されて、こう答えていました。
「あなたはまだ月を活かしきれていないのです。もっと月へ目を向けて、月を活かして生きると幸せになれますよ」。
私はそれって違うんじゃないかと思うのです。
この質問者の方は、インド占星術だと月が蠍座に入ります。蠍座の月は減衰(弱くなっている)です。このため質問者の方は、家で読書していたほうが向くと思います。
(要旨)
……うーん、と、どこから突っ込もう。笑
この西洋占星術師の先生は明らかに間違っているが、インド占星術のブログ主さんの指摘もどうかと思う。
月だけで外国へ行くべきかどうかアドバイスするなど、あり得ない。月のせいで家にいるほうがラクだからと言って家に籠もるべし、と説くのも違う。
西洋でもインドでも一点の惑星だけで全人生について判断しアドバイスするのは、禁忌の行為だと思うな。

※言わずもがなの前提: 「そもそも占いなんかで人生決めてんじゃねーよ、バカじゃねぇの?」、と考える方は始めからこの話の外にあるので、当カテゴリの記事を無視してください。ここではあくまでも「占星術でアドバイスするとしたら」という前提がある場合について話をしています)

まして月で将来をアドバイスするとは。
月は幼少期や前世を表す。だから、月へ目を向けて月の通りに生きるべきというアドバイスが、方向として違う。
確かに月は慣れた生き方なので本人にとって楽なのだが、それは過去志向の人生となり本人のためにならない。
人生は不慣れなテーマを身に付けるために計画されたカリキュラム。決して、安楽なことばかりではない。せっかく与えられた人生なのに慣れたことばかりやっていても何の意味もないのだよな。

月の世界から抜け出せず、月らしくしか生きられないのであれば仕方がない。今世は「休憩時間」と考えて無為に過ごしても構わない。(全ては自由意思なので)
その代わり、いつかツケは払うことになる。今世で放棄したカリキュラムを来世か来来世で繰り返すことになる。それで構わないなら、安易な道を選ぶといい。

上の質問者さんの場合、ご自身で今世はどうすべきか気付いているのだろう。
おそらく、月とアセンダントが元々ハードアスペクトで、太陽やMCも月と違う方向にあるのではないかな。
たぶん前世で闘いや競争の道に生き、それは元々の自分とかけ離れた生き方で疲れ果ててしまったので、今世はもう少し自分らしく生きたいと考えているのではないか。
その場合、始めから今世を休み時間として人生設計しているのでイージーに生きていい。長い輪廻転生のうち、いつか安楽に生きることも経験しなければならないのだから。

どちらにしても、月で将来をアドバイスすることだけはあり得ないね。
もしどうしても全体を見るのが苦手で、一点だけしか見ることができないなら、太陽で決めたほうがまだマシと言える。
または、MCで決めたほうがいい。(インド占星術にMCはないが)

ちなみに外国で成功しやすいかどうか、つまり生まれた土地から離れたほうが成功しやすいかどうかは、西洋占星術の場合は9室に如実に出る。
これは「遠方で成功した人は第9ハウスに強い感受点が多い」という結果から見て言っているので、9室に感受点が多い人は全員必ず外国へ行かなければならない、という意味ではない。
太陽・MCをよく分析して、人生の方向性がどちらを向いているかを見るのが先。運勢の力を見るのはその後。

そもそも人生は吉凶だけで決まるものでもない。
惑星の力を見るのは、計画を見た後。
目標、方向性を見るのが先だと思う。

失敗するか成功するかなど、考えるのは後でいい。
吉凶など人生の方向性を決める判断基準にしてはならない。
何故なら、失敗することもまた必要な運命で、受けるべきカリキュラムなのかもしれないから。

人生の意味は、成功するか失敗するかではない ということ)


おまけの話、高揚と減衰について。

インド占星術では惑星の「高揚」「減衰」が重要視されるのだが、サイデリアルで季節と食い違っている時点で合理性がないように私には思える。
アセンダントが性格占いとして当たっていない⇒前記事参照 ということに加え、これもサイデリアルに疑問を持つ理由の一つ。

古代、惑星の品位(居場所・高揚・減衰・転落)という考え方が生まれたのは、季節によって星の力が違うように観察されたから。
特に太陽について、春から力が高揚し、真夏に最も力がピークとなるように見えた。ここから、「太陽は牡羊座(当時の春分点)で高揚し、獅子座で最も力を強める」という考えが生まれ、他の惑星についても品位を当てはめるようになった。

だから後世、季節と食い違っているのに、
「インド占星術では現実の星を占います」
と仰るのもおかしい。
むしろ季節と一致している西洋占星術のほうが、現代ではもう「高揚」「減衰」をあまり重視しなくなっているという不思議。

西洋占星術はある時期に気付いたのだと思う。どうやら占星術は、現実の星を観察して報告する天文学とは本質的に違うらしい、と。
(占星術の発祥は天体観察だとするのが定説だが、実はそこに疑問がある)

私も「高揚」「減衰」が全く関係ないとは言わないが、あまり吉凶にこだわり過ぎるのは違うと思っている。
「吉凶」という考えにこだわって自分の道を決めようとする行為がもう、スピリチュアル的には間違っているよね。

吉凶否定の考えに基づき、今の西洋占星術では「吉凶」を嫌悪する。あまりに嫌悪し過ぎ、徹底的に排除することについて、そこまで神経質になるのもどうなのかなと思うが。

要は軸足をどこに置くか。先に目標を目指すなら少しだけ吉凶を考えてもいい。たとえば、12年に一度お祭りとして木星を歓迎する程度なら構わない。
インド占星術はあまりにも軸足を「吉凶」に置き過ぎだし、西洋占星術は太陽に頼り過ぎて「吉凶」を否定する。
(またこれを言うと嫌われるけど)トータルな視点と、バランスが必要。

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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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