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検索で訪れる方のために、各記事に散らばっている諸葛亮(孔明)の性格特徴をまとめておきます。

リライト情報 2018/5/25「よく誤解されていること」追加、6/30孟獲「七度捕らえ七度放す」のエピソード追加。諸葛亮のホロスコープ分析はこちらにあります。

〔目次〕
前置き
基本:まず、何の仕事をした人なのか
フィクションのせいでよく誤解されていること
歴史家による人物評
エピソードに表れた人格
典型的な誹謗中傷:(別記事)
見た目には、そんなに凄い感じじゃない
おまけ。古代中国の名前、「姓」「名」「字」について (別記事)

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■前置き


近ごろ、このブログに「諸葛亮(または孔明)+性格」の検索ワードで来られている方がいるようです。
この人物名では唯一の来訪(笑)。希少過ぎて感謝。
しかし実はこのブログに、諸葛亮の性格特徴がすぐに分かる記事はありません。
せっかく来られた方に申し訳ないので、この記事でまとめておくことにしました。

何故、今まで人物像に関する分かりやすい記事がなかったのかというと。
私には彼の性格を短文でまとめることが困難だからです。

現に私はよく友人や家族などから
「孔明ってどんな人だったの?」
と聞かれることがあります。そんなとき、「うっ…… わ、わからない」と答えたきり言葉に詰まり固まります。
面接試験だったら即、落ちてしまいますね。笑

これだけ長年関わっているのだから「わからない」はずはないのですが、逆に深く関わり過ぎて答えられない。答えづらい。
やはり、陳寿など偉大な歴史家の記録を借りるしかないようです。

ところで最近このような記事を書き連ねているのは「読者様サービス」と、隣国による誹謗中傷(参照/現代的諸葛亮考)に対抗するためなのですが、いい加減この人物のことばかり書き過ぎて私個人としては恥ずかしいです。
この記事以降、しばらく彼のことを語るのは休みます。 と、書いたらなんとなくアクセスが減った気がするので撤回しておきます。笑


■まず、「何の仕事をした人なのか」


しばらく気付きませんでしたが、ここで話題にしている人物が「何をした人なのか」「何者なのか」ということをご存知ない方も多いようです。そこで基本情報を書いておきます。

諸葛亮(しょかつ・りょう)/孔明(こうめい)は、一言でいえば古代中国の政治家であり、軍師(ぐんし)です。
 参考:名前についてはこちら。古代中国の名前、「姓」「名」「字」について。「諸葛亮孔明」は間違い

「軍師」という役職は現代語で「参謀」と訳しても構いません。ただし戦場で殿様に作戦を囁く参謀をイメージすると全く異なります。たとえば現代においては「軍師=国防省の職員」等をイメージすると正確です。つまり国家戦略や、戦争全体の作戦を考える戦争専門家です。
諸葛亮の役職「軍師将軍」というのは、その職員たちをまとめる長官ということになります。
 参考:軍師とは何か

西暦200年頃の古代中国は魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国に分かれて戦争をしていました。
そのうちの蜀という国で、諸葛亮は「軍師府」という防衛部門のトップを勤めていました。また、劉備が蜀の皇帝となってからは首相を勤めています。

フィクションの『三国志/三国演義』での彼は、奇想天外な作戦を立てて敵を翻弄する天才作戦家として描かれているようです。
(筆者は『演義』系フィクションを読んだことがないので正確なことは分かりません、すみません)
『演義』という書物は彼の死後1000年後に編まれたものですが、実は生きている当時から「天才軍師」として騒がれ敵国に恐れられていたことはあまり知られていないようです。『三国演義』のベースとなる民間伝承は、彼の死後だけではなく生きている間から語られていたものと思います。 参考:孔明を天才と祭り上げたのは司馬懿ではない
ただ本人は下で書く通りいたって地味な人物でした。


■フィクションのせいでよく誤解されていること


吉川英治などの小説『三国志』(≒三国演義)を史実だと思い込んでいる人がたくさんいます。
こちらの酒見賢一氏のように、プロ作家でさえ「適当に和訳された子供向け三国志」を史実だと信じている人たちがいますので注意してください。
ここに諸葛亮について、フィクションであるのに史実だと多くの方が勘違いしている設定を挙げておきます。

・諸葛亮は天才で、高飛車だった

天才だったかどうかは分かりませんが少なくとも「高飛車」な性格ではなかったと思います。
史実には高飛車なエピソードはないはず。むしろ部下から「臆病者」と罵倒されたりしていますので、偉そうには振る舞えなかったタイプでしょう。

・魔法が使える

風を呼ぶ、などの魔法が使えると本気で信じている人が大勢います。
当たり前ですがフィクションです。笑

・詐欺師。周瑜を殺した

「周瑜を殺したのは詐欺師の孔明だ」by秋月さやか女史 
赤壁戦での諸葛亮と周瑜とのやりとりは完全にフィクションです。このようなフィクションを鵜呑みにしないでください。

・神算鬼謀、奇策を弄した

最大のフィクションです。性格タイプとして創造性があったことは確かですが、戦争では「諸葛亮は常に正道を選んだ」と記録にあります。
軍事の基本から言っても、プロの戦略家が奇策ばかり使うことはあり得ません。奇策だけで勝てると思うのは、軍事を知らない人々による空想です。参考:奇策はタブーという話

・常に羽の扇を持ち歩いていた

戦略家は多忙につき、貴族のような扇子を持ち歩くことはあり得ません。笑
参考、になるかどうか。私の考え:現実の孔明は「白羽扇」を持っていたか?2

きりが無いのでこの程度で。とにかく、フィクションは信じないほうが無難です。


■歴史家による人物評


陳寿など近い時代の歴史家評によれば諸葛亮の性格は次の言葉でまとめられるようです。
・忠義、公平、厳粛、無私
・法の運用において私情をはさまず、「忠義をつくして人民の利益をはかった者には、意見の対立した者でも厚く賞し」、「法度にそむき職責に怠慢な者は、親族であってもかならず処罰」するなど徹底的に公正だった
・臨機応変が不得手
・独特の発想をした(新奇の工夫が得意だった)

陳寿評の原文訳はこちらにあるので、参考にしてください。


■エピソードに表れた人格


偉大な歴史家たちの評価は素晴らしいと思います。
しかし人間の個性は、何気ないエピソードに強く表れるもの。
この項目では各種逸話に表れた諸葛亮の性格を分析してみます。
(手元に書籍がないため文献名は省きますが、全て史実であるはずです)

・若い頃のエピソード:
学習法として、重箱の隅を突くような暗誦を嫌い、テキストは一度読んだきりで読み返すことはなかった。学友たちが細かい学習にこだわり議論しているのを眺め、「君たちはそれだけ懸命に勉強しているのだから、少なくとも県知事にはなれると思うよ」と言った。
…これは本人が後に「県知事」を遥かに超える出世をしているため、「自分はお前らより優れている」との嫌味で言ったものと解釈されています。
が、私が思うに、ただ本心から「君たちは県知事になれる」と思ったのでそう言っただけでしょう。「必死で細部まで勉強している人たちは偉いな。自分には真似できない」という素直な感想です。
そうであっても、この態度はいけませんね。子供っぽい。
内心、出世にこだわり必死で勉強する人々(ガリ勉)を気の毒だと思う気持ちがあったのは否めないと思います。

・わりと細かかった晩年:
しかし孔明という人間は細かい仕事も自分でやらなければ気がすまない性格でした。
「襄陽記」にこんな逸話が載っています。
諸葛亮がある時金銭や穀物の出納簿を自ら調べていると、
楊顒という丞相主簿に「自分の仕事をやれ。他人の仕事を奪うなよ(実際はやんわり言ってます)」と窘められた、というお話です。
出典は忘れてしまいましたが、諸葛亮が武器の管理の不十分さを怒っていたという話もあります。
同じ丞相職をしていた曹操からはあまり聞かない細かい指摘です。

→『諸葛亮の死因は過労死らしいけど、一体どんな仕事してたの?』から再引用
「孔明は細かい」と有名になった原因のエピソード。
>諸葛亮が武器の管理の不十分さを怒っていたという話
は、史実だと思います。
命がけの軍事で怠慢を許せないのは当然のことですが、武器管理の現場に総司令官が乗り込んで行くのは……まずかったのではないでしょうか。現場担当者はたまったものではなかっただろうと想像します。

・でも、自分が悪いと思ったら素直に謝る: 
上記事の
楊顒という丞相主簿に「自分の仕事をやれ。他人の仕事を奪うなよ(実際はやんわり言ってます)」と窘められた
という事件の後、亮は
「その通りだね。申し訳ない」
と謝ったそうです。(良かった……)

通常、権力者は下位の者に意見されたら怒るのかもしれません。
ネットの反応を見ると、「お偉いさんなのに謝ってんじゃねーよ」と諸葛亮を非難する声があるのですが、当時も周りから「おかしい」と思われたでしょう。
このエピソードからは、諸葛亮が自分に意見したというだけのことで他人を断罪するタイプではなかったことが分かります。人や立場ではなく、意見の内容を客観的に判断したと言えます。
しかしおそらく自分がそうであるために、他人も全てを客観的・合理的に判断できると考えていたはずです。
上下も立場も気にせず誰に対しても平等に接し、「合理」優先で意見したために、生じた軋轢は多々あったと思われます。
意見されることを嫌う女性の部下がいる職場だったら、きっと「上から目線!」と罵倒された(笑)ことでしょう。

・友人でも処罰する: 
法的安定性を何より重視しました。→法的安定性とは
泣いて馬謖を斬る」の故事はとても有名のようですが、その行いから「怖い」「冷血ロボット」のイメージがあります。
「冷血ロボット」の評価は正しいのかもしれません。
ただし実際は、法文に対して杓子定規というわけではなく、諸葛亮本人が「処罰は罪に応じて適宜に」と述べている通りケースバイケース(法理論に基づき・過去の判例相当に照らし)で判断していたものと思われます。
なお現代の歴史家が、「諸葛亮は保身のためにライバルを次々と粛清していた」と言っていますが、捏造の誹謗中傷です。そのような記録は一切ありません。

・自分が悪いと思ったら自ら降格もする:
上に同じ。
友人であろうと、自分自身であろうと、対応は同等。
立場ではなく「実際に犯された罪・責任」という中身で「適宜」の処罰を考えました。
(現にロボットと呼ばれる筆者が言うのも何ですが)まるでAIです。

・でも実際は、泣いてばかりいる:
やたらと「泣いた」エピソードが多い。多過ぎる。
情にもろいのか、ロボットなのかはっきりして欲しい。
(本人的にはこの「泣いた」エピソードの多さ、恥ずかしいでしょう……)
おそらく情に弱いくせに行いがロボットなので、なおさら辛かったのだと思います。

こんなカルタにまでなっている。痛い。
「意外とよく泣く名軍師」
→人生は格言だ!~横山光輝「三国志」武将かるた

――なんだか、いたたまれなくなってきた。


18/6/30追加
・反乱を起こした少数民族と対等に戦い、対等な話し合いをした:
蜀の南方で少数民族の反乱が起きたときに、諸葛亮は自分で軍を率いて反乱を治めました。
そもそも少数民族の反乱に国家の首相が自分で出向く、ということはあり得ない非常識です。ただ、少数民族だろうと蜀だろうと同じ「集団の代表者」ですから、代表同士で話をしなければならないというのが諸葛亮の考えでした。
軍力は対等ではありませんので当然ながら蜀が圧勝し、敵方のリーダー孟獲は捕らえられます。しかし、諸葛亮は彼を捕虜とともに解放しています。
その後、孟獲は幾度も蜀軍に挑むがそのたびに捕らえられ、同じく解放されたことから諸葛亮に心服したとされています。

このエピソードは「七度捕らえ七度放す(七縦七擒)」という諺になっています。
七回というのは少し大げさだと思いますが、捕らえた孟獲と捕虜を解放したのは間違いなく史実です。
孟獲が話し合いに応じたのは、反乱を起こした自分たちを人として扱って解放したことと、何より「首相が自分で話し合いに来た」ということが大きかったのではと思います。

このエピソードは馬謖が進言したことになっていますが、諸葛亮の長年の考えも同様のものであり、信念として一貫しています。
「心を攻めろ」
とは懐柔策を意味するのではなく、相手を人間として対等に扱う、という意味です。
現代中国の首脳も「心を攻める」の真意を理解し、少数民族に対する暴虐な行いをやめるべきと思います。
 関連する話。韋皋という「孔明の生まれ変わり」

■見た目には、そんなに凄い感じじゃない


これは載せるかどうか迷いましたが、「孔明ってどんな人?」という質問に最も正確に答えるエピソードだと思うので追加しておきます。

三国時代が過ぎて晋の時代。
東晋の武将、桓温という人が蜀に入ったとき、諸葛亮が生きていたときに下級役人を勤めていたという百歳を超える老人の噂を耳にしました。
桓温は興味を覚え、この老人を招いて尋ねています。
「諸葛丞相は、今で言えば誰と比べられるか?」
すると老人は首を傾げてしばらく考え込んだ後、こう答えました。
「諸葛丞相が存命中の時はそれほど特別で偉そうな方には見えませんでした。(質問者の左右に立つ家臣たちを見て、)あなたの横にいる方々のほうがよほど立派で偉い方のように見えます。しかし諸葛丞相がお亡くなりになられてからは、あの方のような人はこの先、もう二度と表れないのではと思うのです」

このエピソードは、『説郛』に収める殷芸『小説』の中に収められているそうです。ウィキペディア(アーカイブ)
西暦347年の出来事とありますが、諸葛亮は234年に死んでいますので、死後113年も過ぎています。老人が二十歳で役人を勤めていたとすれば133歳です。たまにとんでもなく長寿の人はいるからあり得なくはないものの、事実かどうか微妙な年齢です。もしかしたら年代やシチュエーションはフィクションなのかもしれません。

しかし内容はフィクションではないと思います。
実際に若い頃、諸葛亮の近くで勤めていたことのある誰かが現実に語った話でしょう。私が長年、記録と向き合って来たなかで、最も真実を感じて感動を覚えたエピソードです。

諸葛亮はおそらく、
>それほど特別で偉そうな方には見えませんでした。
と思えたでしょう。
どちらかというと気弱で地味なタイプです。だから見た目には偉そうでも凄そうでもなく、どこにでもいる下級役人のように見えたのではないでしょうか。
(上の占星術で見れば内面は変人なので、少し付き合えば「変わっている」と感じるかもしれませんが)

つまり現代で言うところの、「全くオーラのない」人です。笑
だからおそらく「スゴイ人」を期待して諸葛亮に会う人は、ひどく落胆したのではないかと思います。気の毒に。

しかし
>諸葛丞相がお亡くなりになられてからは、あの方のような人はこの先、もう二度と表れないのではと思うのです
というところ、諸葛亮は嬉しいでしょう。

「凄い人だ」と褒めるのでもなく崇めるのでもなく。
対等に、ただ一個の人間として存在を認める。
これほど高度な人間の誠実が表れた評価は、他の歴史人物の記録でも見たことがないと思います。

心が温かくなるエピソードでした。
諸葛亮の魂はこの無名の老人の評価によって、救われたと思います。


参考: この史実の通り書かれていたらしい伝記、吉川英治著『諸葛菜』について引用と感想


お読みいただき、ありがとうございました。
よろしければ他の歴史記事も読んでみてください。

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