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前記事では、公開でお伝えすべきお話もあるように思います。
そこで異次元ではないところだけ抜粋して公開記事とします。
(前世などという若干の異次元はありますが、「釣り」となりそうもない範囲にて)

引用可、ただし参照元としてこの記事へのリンクと著作権者表示をお願いします。



疑問: 現実の孔明は「白羽扇」を持っていたか?

私の答え。
同じ職務の同じ状況を経験した記憶がある私(※前世退行催眠にて多忙な戦略家だった記憶を持つ)から言わせれば
「あの殺人的多忙の状況下、常に扇子を持ち歩くなど不可能。まったく有り得ない」
故に、
「諸葛亮がいつも扇子を持ち歩いていたというイメージは完全なる嘘である」
と断言できます。
このことは誰であっても、現実の戦略家の仕事を見れば裏付けることができるはずです。

史料によれば扇子は漢代の貴族のファッションだったそうです。
つまり有閑の貴族様が、優雅なお話サロン等に出席する際の「お出かけファッション」。
出仕してからの諸葛亮にそのような優雅に過ごす暇があったと思われるでしょうか?

―― 官公庁の激務を経験されたことのない方が想像するのは難しいかもしれません。
事務職は暇だと思われがちだから、あのように扇子など持ち歩く優雅なイメージで描かれるのですね。
きっと世界中の戦略家があの絵を見たらショックを受け、「我々の仕事は暇だと思われているのか。なんて理解されない、報われない仕事なんだ!」と言って泣いてしまうでしょう。

戦略家の仕事は、地味ながら実は非常に多忙です。
私の記憶から言えば、常に執務室に閉じ籠もって机にかじりつき、事務処理と政策立案に追われる日々でした。
文書の処理が多かったので職務中に両手が空くことはなかったと記憶しています。
それから戦闘直前はなおさら多忙で、庁舎内は戦場のごとしでした。
私は庁舎を駆け回って部下たちと話し合ったり、現場を指揮する将軍たちへの説明対応で忙しく、休憩を取る暇もありませんでした。
そんな時に、「白羽扇」などを握りしめていたら「邪魔だ!」と投げ捨ててしまうでしょう。笑
もし当時「扇子を持ち歩く義務」があったとすれば地獄だったと思います。

(以下は曖昧な記憶に基づき、私の記憶で地位名が出て来ないのでボンヤリした話になりますが)
当時の私の立場は一戦争における「総司令官」だったと記憶しています。
これは現場に近い指揮官ではないため、軍配などを振って直接指揮することはありません。そのようなことが可能であるような小規模な戦争・戦闘ではありませんでした。
作戦はトップダウンで、私からはアウトラインが固定化されたものを発します。部隊を直接に指揮するのは小単位の部隊をまとめる現場に近い将軍です。
現場の状況に応じた対応はこの小単位の将軍と、各部隊トップが行います。
無線電話で会話できる現代と違って、現場からの連絡はタイムラグがあるため、総司令官が現場に応じて部隊を指揮することは不可能です。
(つまり例えば、太平洋戦争でフィリピンに出兵した日本軍部隊が、大本営に指示を仰ぐよりも物理的には時間がかかったということです)

諸葛亮……も、完全に同じでしょう。
皇帝の命を受けて総大将として出征した彼が、「白い羽をワサワサ振って兵を動かした」、このような幼稚なイメージは笑止。空想でしかあり得ません。

何度も書くように、リアルな戦争をイメージできない国の民は現実で必ず危機に陥ります。
かつてのアジアがヨーロッパの列強に蹂躙され、日本も先の大戦で大敗北を喫したのは、上のようなファンタジーをいつまでも信じ続けた結果であるというのは決して言い過ぎではないと思います。

ところで今回、調べていて初めて知ったのですが
「諸葛亮が白羽扇を持っていた」
という話は東晋の文献にあり、意外にも亮の死後すぐに作り上げられたイメージだったようです。

もっと遥か未来、明の時代の劉基があのようなファッションであったために、あのキャラクターが作られたのだと思っていました。劉基には失礼なことをしました。

『裴子語林』によれば、
「諸葛亮は司馬懿との戦いの際、白羽扇を持って輿(車)に乗っていた」
という記録があるそうです。
うーん?
たしか最後、敵方と直接の戦闘は交えていないはずなのに、おかしな話です。

……(略)……

上の「輿」に乗った何者かは本人ではないはずです。
諸葛亮の死後、部下たちは諸葛亮が生きているかのように装ったカモフラージュの行軍をしたと記録にあります。
上の逸話は、その行軍を伝える民間のお祭りか何かを事実と間違って記録したものでしょう。
たぶん死んでから100年後くらいに、そういう派手なファッションの人形を輿に乗せて練り歩くお祭りが流行ったのでしょうね。


……と、
ここまで書いてふと思い出したのが、占星術のサビアンシンボル
 獅子座15度 「お祭りの山車」
です。
何かこの「人形を輿に乗せて練り歩くお祭り」を連想させるものがあります。
そしてDSCは、「その人が生きた結果として周囲に起こること」。
山車に乗せられる人形が死後に生まれたと言うことは、諸葛亮のDSCは、やはり獅子座15度で確定かな?
※私は諸葛亮のネイタルホロスコープで、ASC・DSC度数に迷っています

(最後の余談は占星術知識ある人向け。分からない方には、申し訳ないです)
意外と長文の抜粋になってしまった。占星術の話など、余計な箇所が多いですかね。

とにかく私が最も強く主張したいところは、
リアルな戦争をイメージできない国の民は現実で必ず危機に陥ります。
かつてのアジアがヨーロッパの列強に蹂躙され、日本も先の大戦で大敗北を喫したのは、上のようなファンタジーをいつまでも信じ続けた結果であるというのは決して言い過ぎではないと思います。

という箇所です。

拡散していただけると嬉しく思います。


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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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