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いつもに増してマニアックな話です。ここへ来られる9割の方が興味のない話を続け、いいかげん怒られそうですが。筆者の創作に関わる話なのでお許しください。そして、興味のない方はさらっと無視してください。笑


(前記事に続く話で)
「誹謗中傷」と言えば、諸葛亮についてネットで調べると酷い悪口ばかり出てくるので、私はあまり検索をかけません。
このブログで記事を書くために調べ物をするようになって、避けられずに見てしまうことが増えたかな。
知恵袋で頭のあまり良くない人たちが書いたトンデモ記事に遭遇した時は、笑ったりしているのだけど。
※たとえば『本日のお笑いネタ、「イチローは、諸葛亮孔明ではないでしょうか?」

それで、昨日少し勇気を出して、知恵袋にて「諸葛亮」で検索してみた。(実は初めてのこと)
――“解決済み”だけで、9303件。
悪口書き込み件数では現代の芸能人なみ。……信じ難い。
やはり思っていたより知名度あるのかな? 今さら気付いてぞっとした。それでも実際、このブログにこの検索ワードで訪れる人はほぼいないのだが。

もちろん質問は、たいていくだらない悪口か、ゲームについてばかり。

一件だけ、真面目な歴史談義をされている質問を見つけて興味深く読ませていただいた。

 ⇒知恵袋など拝見していると、どうも彼を卑下する書き込みもなかなか見られます。

ちょっと長いけど貴重な書き込みなので引用させていただく。
それと、あまり触れてはならない部分だと思うが、少しだけコメントを書きます。

(2018/2/22若干の修正)

lord_180981さん 2016/6/3010:12:22

諸葛亮について

知恵袋など拝見していると、どうも彼を卑下する書き込みもなかなか見られます。
軍事が苦手だとか、丞相なのだから総力をぶつけられるはずなのにだとか
私は、諸葛亮だから
蜀であそこまで出来たと思います。
曹真が、郭淮が、司馬懿が、同じ蜀の丞相の立場なら、仮に出征は出来ても、戦果なしの国力は衰退の一途を辿るだけだと思います。
たかが将軍や軍師の立場なら、戦だけで評価されるものですが、丞相とはむしろ国を背負う重役なのです。それに戦を含め多様に兼務し、疲弊や不得手もある中でよくあそこまで出来たものだと思います。
魏の将軍達は、戦だけに集中出来たはずなのに、その軍事下手の兼務だらけの疲弊した、国力も最弱な諸葛亮に傷らしい傷も付けれないまま終わりました。
そちらの方が余程無能だと思いますがどうでしょうか?
敢えて守勢に徹したとかの回答はいりません。そんなものは後付けでどうにでもなりますから。打ち破れる策と胆力がなかっただけでしょう、大国なのに。
馬謖以外負けらしい負けがないのが、諸葛亮を補給以外で打ち破れなかった、のが現象としての事実じゃないでしょうか?
皆様のご意見をお聞かせください。

うーむ……。何か、(私が言うべきことではないが)申し訳ない感じ。
ここに書き込むべきではない感じの人に思えるな。
文章や言葉遣いに常識があり、真面目な歴史マニアの方なのだろうなと思う。
一般常識をお持ちの方が、知恵袋みたいなところで書き込むと不快な想いをするだけなのでは。
こういう人がいるから。↓
しかもお前「卑下」の使い方間違ってるぞwwwww
まともに言葉も使えない奴が言葉の重層な積層物である歴史を語るのか?

初対面の人に失礼にも程があるだろう。人としての礼儀を全くわきまえていない。
読めば誰でもニュアンスで理解できる細かな言葉の選択ミスを揚げ足取りする前に、人としての常識と社会ルールを学ぶべき。
(ここまで礼儀をわきまえず暴力的で下卑た言葉遣いをしている人が、言葉について語る資格はないよな)
こういう奴は日本戦争に負けたけどゼロ戦強かった、大和凄かった、日本国力少ないのによく頑張ったで思考停止しちゃう奴なんだろうなあwwwww
こういう発言をするあたり、やはり彼らの所属または共鳴する党が分かるね。(いわゆる、お里が知れる)


BAの回答は私も勉強になりました。(具体的な人物名や、歴史家名について)
長いけど、返信も参考になるから引用しておく。

ベストアンサーに選ばれた回答
te965さん 2016/6/3013:03:48

「魏のほうが大国なのに情けない、無能」論は
歴史家の張儼も言っていることです。
諸葛亮の北伐をどう捉えるかは人によると思うのですが(それこそ正史三国志内でも色々意見がある)

質問者様の考えはあながち間違いではないと思います。

現実問題
領土的な成果は確かに微小なものでしたが
所々で魏将を打ち破ることで
国威・武勲を大いに輝かせたのは事実かと思います。

季漢輔臣賛や劉禅の詔勅なんかにも書いてあります。

(返信)
***
te965さん 2016/6/3020:30:54
「魏に蜀を攻める意志がなかった」
  というのは違うと思います。
  230年には曹真主導で進行を実行に移しますが失敗に終わりました。
続く4次北伐では
張郃が死亡し
恐らく司馬懿も会戦で手痛いダメージを負っています(漢晋春秋)

「本音は諸葛亮を倒したかったが、撃破できなかった(守勢に入る)
というのが正しい所でしょう
***
te965さん 2016/6/3020:52:19
もっとも
結局は領土進展はほとんどなかったんですから
一連の北伐は蜀側の戦略的な敗北ではあるでしょうね。

しかし魏にしてみれば
やはり大いに諸葛亮を打ち破ってやりたかった所でしょう。
「死せる諸葛…」
だなんて言われるわけですからね。

***

質問者 lord_180981さん 2016/7/112:40:25
確かにそうですね。私も蜀の勇猛な引き分けだと思います。国力差をものともせず渡りあったわけですから。なので曹操より、、と比べられるなら納得もまだいきますが、それ以外の人物が諸葛亮に割って入れないと思います。

***
te965さん 2016/7/113:07:00
諸葛亮は慎重な人だったので
リスクの高い行動はしなかったと思います。

そういう意味では
陳寿の言うように
変幻自在、臨機応変の軍略
は得意じゃなかったのかな…?
とは思います。

しかし
軍隊の統治に長けてたり
陣形的な要素を評価する記述は
けっこうあるので

「軍師」というよりは「将帥」的な要素に優れた人だったのかな…と

諸葛亮が奮戦した北伐は
結果として蜀漢のイデオロギーや存在意義を高らかに示すことになりました。

仮に諸葛亮が長生きして
主力が四散するような大敗を喫したなら
伝説にならなかったかもしれませんね。

「五丈原という大舞台で威信を保ったまま悲劇的に死んだ」
というのは大きいと思います。

***
質問した人からのコメント

2016/7/1 13:10:01

ありがとうございました。蜀と諸葛亮の明と暗を書いてくださったので、一番客観的に読めましたのでBAにさせていただきました。
みなさんご回答ありがとうございました。

あと良いなと思った回答、
kousonnkennennさん

2016/6/3019:46:17

「敢えて守勢に徹した」というのは、諸葛亮との戦術レベルでの攻防のことではなく、戦略上の問題です。
つまり、諸葛亮の存命中、魏は蜀にはまともに侵攻しておらず、諸葛亮の攻勢に対して守勢に徹した、わけです。

これが敢えて、なのか、仕方なく、なのかは分かりませんが、まあ、仕方なくでしょうけど、ともあれ、魏は自国の領土をしっかり守り抜いてるんですから、戦略的には魏の勝利といってよいでしょう。少なくとも諸葛亮の勝利ではないです(あえていうなら陰平方面を切り取ったくらいです)。

問題は、魏がではなぜ蜀に攻め込まなかったか、という事ですが、まあ、単純に言えば、呉がいるから、です。
蜀を攻めるには、やはり十万オーバーの大戦力が必要ですし、そんな戦力を蜀に投入すれば、当然、呉方面が手薄になって、危ういことになる、という事でしょう。
基本的に、戦は攻める方が不利で守る方が有利なんですから、これはどうしてもそうなります。

各国に油断ならない人材がいる状況ですから、お互いに危険な賭けには出られない、勝利の確信がない戦は仕掛けられない、というのが本音だったろうと思います。
その中で、諸葛亮だけがはっきりとした勝利の確信がないのに軍を動かしているんです。度胸満点というべきでしょうけど、やはり最後の部分では国運を賭けるような戦いはできず、負けそうになったらすぐに引き上げてます。
この辺は、弱小国の丞相として、ジリ貧の愚をおかす前になんとか一矢報いようという悲壮な使命感を感じますが、やはり限界でしょう。

決して、諸葛亮が無能だったわけでもなく、戦下手だったわけでもありません。むしろ、戦でも諸葛亮は優秀な部類であったと思いますが、そういう事情から危険は冒さず、無理は避けたという事でしょう。

魏の将軍たちは、あくまで諸葛亮の迎撃が任務であり、勝手に蜀に攻め入ることはできませんから、諸葛亮が撤退したら、それで仕舞いです。

曹真がどうの、司馬懿がどうの、ということではなく、曹叡にその気がなかったんだからどうしようもないですし、三国情勢的にも厳しかったでしょう。

まあ、結局、一定以上有能な人物同士がひしめいている状況なので、決定的な打開は難しかったというだけです。
蜀が滅びるのも、呉が滅びるのも(魏が滅びるのも)、国の内部で問題があったのが大きく、そこに付け入られただけです。

司馬懿や曹真が諸葛亮の立場であったら、諸葛亮以上のことなんて到底できなかったでしょうし、出征の決断すら出来たか怪しいものです。

諸葛亮だから、蜀はあそこまで出来た、というのは全くその通りだと思いますが、かといって、魏の将軍が無能というのでもなく、この辺は立場の違いでしかありません。
反対に、諸葛亮が魏の国政トップにいたとしても、蜀に大軍で攻め入るような危ないマネはできなかったでしょう。

>諸葛亮だけがはっきりとした勝利の確信がないのに軍を動かしているんです。度胸満点というべきでしょうけど、

そこは命をかけたカモフラージュ的な防衛……「攻撃は最大の防御なり」かもな。
あまり深入りすべきではない話だと思うので裏事情の「妄想」についてはノーコメントにしたいが。
それに実際、私には細かいことがよく分からない部分。

この方の回答は現実的な読み方だと思う。
実際どうだったかなど分かるわけがないので、少なくとも外から眺めた評価として妥当。
つまり現代の世界情勢を分析するかのような視点で、現実的に語ってらっしゃる。
フィクションに耽溺している人々とは違うな。こういう思考が現代でも大切だと思う。

※「歴史家の上を行く」や「素晴らしい」との絶賛は褒め過ぎだったため撤回。よく読んだらそれほど正確な読みではないですね、笑。フィクション崇拝の一般ファンがあまりにも低次元過ぎて、普通の人を見かけると絶賛してしまう。感覚がおかしくなっている。ただこの方のように、現代の国際ニュースのように眺める視点は大事だから見習うべき

一点だけ、部外者の目で客観的に述べるなら、軍事力で圧倒していたにも関わらず守勢に回った魏の戦略は誤っていたと言える(あくまでも魏にとって)。
皇帝に攻める気がなかった、だから説得もしないし行動できなかったと言うのは、軍人の立場においては罪深き怠慢になってしまう。
saikiqpさん 2016/6/3012:18:23

前の質問者様が言われていますが、中国史で弱小国を大国に押し上げた人は何人もいます。王猛や慕容袼らがそうですし、大国に押し上げた人たちは諸葛亮の時に言われている国力、人材、軍事力など全てに対処しています。何故諸葛亮だけ、小国だから大国の魏に負けてしょうがない、人材が少ないのもしょうがない、と言われているのかむしろそちらのほうが疑問です私は。

諸葛亮は郝昭、游楚、徐邈に負けていますけど。ついでに言えば、曹真の抑えに派遣した趙雲も負けましたね。

魏の将軍は軍務だけに専念できる。それは誤解。曹真らには明帝の輔弼という役割もあるし、孫権つまり荊州情勢も見極めながらやらないといけない立場にある。

ついでに言えば、兼務だらけ、と言うなら、自分が信頼できる人材を見つけられなかっただけでは?

>兼務だらけ、と言うなら、自分が信頼できる人材を見つけられなかっただけでは?

全くその通りだと思う。
本当に最悪だな。
(と、あまり悪口を言い過ぎても と言うかそれこそ「卑下」し過ぎてもまた弊害が出るから、抑えよう)

少しだけ「妄想」を述べると、当時は異常事態だったんだよ。
不当に一人に評価が集まり過ぎた。
それが最も大きな「人材不足」の原因。
頭数での人材不足ではなく、国家全体の精神的な意味での「異常事態」。ある種の集団ヒステリー。
一人の人間ではコントロール不能な竜巻のようなものであり、理屈で粛々と対処できるわけがない。それは竜巻の中心となった人が誰であろうと同じだと思う。

ついでに言えば、今この現状も異常事態
現代で何故、1800年前の人間について議論しているのですか?
安倍晋三さんの能力について議論するのが先でしょうよ。日本の民主主義が危急存亡の秋なのだから。

「諸葛亮は無能だ!」「いや、有能だ!」という争いが1800年も続いているとはね。異常事態がずっと続いている。
いったい大昔の故人の能力、しかも外国人の能力について語る意味とは何だろう?

現代中国の共産党は、明確に政策的な理由で諸葛亮を貶めなければならなかったのだけどね。
日本人にいったい何の関係が?? 
関係があるのだとすれば、近代中国が独裁と侵略を進めるために諸葛亮を貶めているので、中国の策略に乗って曹操を褒めたたえ「売国奴」になるべきではないということくらいだが。
この件についてはこちら参照。『現代的“諸葛亮後世評価”考、日本人が気を付けるべきこと

(この記事の続きは要パスワード記事で続く。書きました→『「諸葛亮は無能」VS「有能」の争いはいつまで続くのか 2 』)
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