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数学の三大問題を解決して世界を驚かせた数学者、岡潔の物語
『天才を育てた女房〜世界が認めた数学者と妻の愛』
というドラマを眺めていた。

前にも書いた通り私は「文系」ということで生きてきて、数学はさっぱりだったのだが。
数学者の生きている世界には惹かれるものがある。

冒頭から岡潔の名言「スミレはスミレ」に打たれた。
私は「数学なんかをして人類にどういう利益があるのだ」と問う人に対しては、
スミレはスミレのように咲けばよいのであって、
そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、
スミレのあずかり知らないことだ、と答えて来た。
――岡潔 参考
共鳴する。

花や風、水の流れを見ては数式を思い浮かべる数学者たち。
彼らにとって数式は言語であり音楽に等しいものなのだと思う。
それはシンプルで美しい世界だ。
我々が言葉を用い、詩情を表現するところ、ただ数式に変換されているだけなのだとしたら「数は味気ない」と思ってしまうのが間違いなのだろう。

むしろ自然の真理は、欲にまみれた人間たちの力が介入して理論を捻じ曲げたりしないので、なおさら「美しい」と言えるのではないだろうか。
私もそういう世界に憧れる。
眺めていたいのは捻じ曲げられることのない真理、あるいは誠実に生きる人間の心で、欲得や嫉妬にまみれた汚い人間たちではない。

でも肉体がある限り欲得の人間社会で生きていかなければならないのは、辛いな。
ドラマでも岡潔氏があまりにも変人で、率直過ぎるために教授や学生たちの反感を買い、大学から追い出されてしまう経緯が描かれている。
その後フランスに留学したが、潔が数学を続けるために親は田畑を売り借金を負わねばならず、潔も仕事をすることを嫌ったので生活は困窮した。子供にまともな食事をさせることもできなかった。
苦難の果てに三大問題を解決するという偉業を成し遂げたが、日本人の誰も理解できない数学論文だったために「妄想」と一笑に付され見向きもされなかった。ついに潔は神経を病んで入院してしまう。

一般常識から見れば彼は「生活能力のない落伍者」だろう。いわゆる「社会不適合者」というもの。
嫁は出て行くのが当たり前だが、妻みちは夫の才能を信じて支え続けた。
その彼女の想いがやがて奇跡を起こす……。

夫婦の愛情を描いた感動ドラマだ。
奥さんの愛情は確かに素晴らしい。彼女がいなかったら岡潔は存在すら世に知られなかっただろう。そこは感動した。
だけどこのドラマはもう一つの見方があって、それは日本社会の絶望をありありと描いているということ。

岡潔の論文が発表されたとき、ある教授が言い放つ。
「君の説はここにいる誰にも理解できない
だから君の説は、君の頭の中だけで暴走している妄想に過ぎない
彼の説に対して何か反証があったわけでもない。某論文捏造事件のように不正があり、疑いを持たれる理由があったわけでもない。
ただ「我々が理解できない」から、「妄想」と断じる。
岡潔は、
「それでも地球は廻っている……(誰も理解できなくても真理は真理として存在している)」
と言ったのだが相手にされず嘲笑されるだけ。

結局、彼も海外の数学者たちに認められてようやく日本でも知られるようになり、勲章を受けるに至った。
海外の人に引き上げられなければ、危うく奇跡の数学者が潰れるところだった。

そう、これが日本社会ではないだろうか。
「真理など、どうでもいい」と言う人々。それよりコミュニケーション重視。「偉い人に対してどれだけ尻尾を振ったか」で未来が決まる。
何年経っても同じようなことが繰り返され、才能が潰されている。

そもそも才能があっても親に金がなければ大学にさえ行けないのだから、このドラマのような物語が始まるところさえも辿り着けない。まず、才能には関係なく、たくさんの子供たちが金で足を切られている。話にならない。

やはりこの国では才能は育たない。
日本社会全体が、常に才能を摘み取る方向でしか動いていないようだ。
最近思うのだけど、これは日本国民全員の願いなのではないかな?
この国では誰も才能が育つことを望んでいない。
才能ある者など、要らないと皆が思っている。だから徹底的に芽を摘む。出る杭は打つ。
単にそういう土壌なのであって、システムの問題ではない。だから教育システムの改革など表面的なことでは変えられない気がする。
もうずっと前から言われてきたが、やはり真理を求める若い人は海外へ行くしかないな。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei
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