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前記事『INTJとされる著名人たちは誰か?』の続き。

MBTIテストにおける「Aタイプ(自己主張型)」か「Tタイプ(慎重型)」かを判別するための補足です。

一般にAタイプは強気、Tタイプは弱気な感じと思われているようです。
しかし現実で気弱な私はテストを受けた結果、意外にも「ややAタイプ寄り」でした。テスト結果の記事

当ブログを閲覧している方々がどう感じているか分からないけど、筆者は現実でかなり気弱なタイプです。「傲慢」と言われたのは人生で二度だけ、両方とも相手が少々自由奔放な女性で、私がその行いについて正直に苦言したために「傲慢」と罵倒されたもの。例の事件
子供の頃、通知表(成績表)に毎回書かれた先生の言葉は「控えめ過ぎます」「もっと積極的になりましょう」「もっと自己主張しましょう」でした。
それでもテスト上はINTJで、しかもAタイプであるらしい。
Aタイプは「自己主張型:情緒安定、リラックス、公平」。反対のTタイプは「慎重型:繊細、成功願望あり、自意識過剰」。
この解釈定義だと、私は繊細なTタイプのイメージではないかな? と思うのですが、考えてみれば確かに低いところでずっと情緒は安定している気がします。笑 
(でもほぼ中間だから、それほど極端なAタイプでもない)

前記事で挙げた諸葛亮も似たような感じで、自意識のあまりない、テンションの低いところで精神の安定したタイプだったはず。フィクションは自信過剰なイメージのようですが、史実は明らかに弱気ですね。

どうも、『16Personalities』の「自己主張型」「慎重型」という定義が間違っているような気がします。
Aタイプだから積極的なわけでもないし自己主張できるわけでもない。そもそもI(内向型)である時点で自己主張は得意ではないはずなので、「主張型」と定義するのはおかしいです。矛盾しています。
AとTは、情緒のバランス、自意識の強弱の指標と考えるべきかもしれません。


史料での裏付け


上では、ついでに同じく気弱に見える諸葛亮についても「おそらくAタイプだろう」と書いたものの、裏付ける史料がないので信ぴょう性がなかったかもしれない。

中国サイトの『諸葛孔明の手紙』翻訳文に、これを裏付ける箇所がありました。
 徳と才能を備える者の行いは、心静かで安らか、精神が集中し、エネルギーのバランスを保つことから来る。
この手紙文には「お前が言うか」という箇所が散見され 、もしかしたら他人が書いたのではと私は思っていますが、少なくともその文を書いた人から見て彼は
「心静かで安らか」
「エネルギーバランスを保っている」
と見えたということになります。
(ここを本人が書いたのだとしたら、心のバランスを採ることが理想だと思っていたことになる)

これは「気弱さ」「強気さ」と、A(安定)タイプかTタイプかということは関わりがないことの裏付けになるのでは?
AかTかは、要するに情緒が動きやすいかどうかを意味するかもしれない。

私も、内心はかなり「テンパっている」つもりの時でも表にあまり出ないようです。
と言うより、もしかしたら他人とテンパる基準が違うのかもしれない。

車の運転免許を取るとき、精神バランスを検査する適性診断テストを受けます。
この適性テストで私は
「常に精神が安定していて心穏やかな人です。運転中もストレスが少ないため安全です」
と出て心底から驚きました。
(ただし他の項目では、「変化に対応する能力が低いため巻き込まれ事故に遭いがち」とか。当たり過ぎ。笑)
日常生活でストレスを感じているつもりなのに不思議だな。やはりストレスの基準が他の人と違うのか。

現にこういう事例がありますから、「自己主張型」や「慎重型」というワードに惑わされないほうがいいと思います。




余談の歴史話

※上の手紙文で「お前が言うか」の箇所:


「人は心と身体を修養し…」 →「身体」は修養できなかった事実があるし、そもそも身体のことなど無関心なタイプだろうが
「最後には社会にとって何の価値もない人間」 →え? 若い頃の隠遁生活は、社会に無価値な「無為」こそを目指したものであるはずなのに?
「人はどのような状況にも柔軟に適応し」 →ええとね……言わずもがなだけど、ここは「お前が言うか」大賞間違いなし。本人が書いたなら恥ずかしいでしょう。笑
「そのような人物は永遠に凡人、あるいはそれ以下」 →謎の発言。お前は凡人として生きるつもりだったはずだけどね。『出師表』にも書いたはず

以前にもこの違和感については触れました(関連記事参照)が、翻訳文が悪いのか、それとも他人が書いたのか、本人の行いや主義と反する部分が多々見られます。
いっぽうで、
「人が世俗の名利に淡白でなければ、己の志が見えなくなる」
「能力を高めるには刻苦勉励しなければならない。努力を怠れば、才能と智慧が伸びることはない」
「欲深くなってはいけない」
など、世俗の欲や怠慢を嫌うところ確かに本人らしいと感じる箇所もあり、この手紙は他人が書いたものと完全否定することもできません。
おそらくベースは確かに本人が書いたもので、他人が少々加筆した文が含まれるはず。

価値観の食い違いによる誤った加筆ですね。
「志」を単なる「立身出世」と考えるなら、それは世俗の欲とイコールなので誤り。誤っているから全体文に矛盾が出ている。
この価値観の食い違い、おそらく近現代中国人には(一部の日本人にも)理解できないでしょう。

関連記事:違和感を覚えた「孔明の手紙」 (要パスワード)
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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