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メールでご質問いただいて刺激を受け、久しぶりに占星術の話です。

メールをくださったR様へ: 当ブログへの温かいご感想ありがとうございます。大変励みになりました。
占星術に関するご質問は他の方々も気になる貴重なお話と思いますので引用させていただきます。

(3/17 10:54読みやすさのために若干改稿)



先に解説。
以前触れた『サイデリアルか、トロピカルか問題』の続きの話になります。

過去の話はこちら。
1.サイデリアルか、トロピカルか問題 アセンダントサインの自己分析
2.この問題の再考 サイデリアルが当たる人も実在するとの報告
3.最終記事、筆者サンプルでハウスも分析してみた

上の記事は結論を出すためのものではありません。あくまでも自分について分析したもの。
前も書いたと思いますが、「サイデリアルかトロピカルか問題」は一流の占星術師たちが大昔から議論してきた話です。何千年を経ても結論が出ていないのですから、半端な占星術サイトを運営している私ごときが解明することなど不可能ですね。

ただ、最近インド占星術師の先生方がネットで
「トロピカルで計算する西洋占星術は天文学的に間違いだから絶対に当たらない。インド占星術だけが正しい天文学に従っているから必ず当たる」
などと断言しているのを眺め、気になっていました。
断言するのはまずいのでは?と。
それで、現に私のようにサイデリアルが当たっていない人間も存在していることを知っていただきたくて、正直な記事を書いたものです。
つまり一人の客としてのレビューをネットに投げてみた、わけですね。

インド占星術への「嫌味な内容」と思われたら申し訳ありません。
もちろんインド占星術の教材を買おうと考えていたことも事実。試してみた結果、私には合わないようだったので買いませんでしたが。

*

以下、R様のメールより引用させていただき、返信を書きます。(具体的なサイト名などは相手方にご迷惑がかかる可能性があるため伏せます)
いまもわたし自身すっきりできる回答を見出せていませんが、メールにも記載させていただいた~さんの方式(アングルやハウスのみサイデリアルで読む方式)で作るホロスコープが、理屈はよくわからないけれど最も的確に「わたし」を表しているような気はしています。
やはり、サイデリアルのアセンダントサインが当たると感じられる方は、ハウスでもサイデリアルのほうが的確と感じられるのですね。
どちらか一方の計算方式について統一的に「当たる」感覚があり、もう一方の計算方式に違和感があるということは、単なる思い込みや気のせいではないと考えられます。
今は二種の基準でホロスコープという「人生計画書」を持って生まれている人々がいる、ということが現実のようです。

サイデリアルかトロピカルかということを考えるとき、サインに思いを馳せますよね。この「サイン」が、最近ますますわからなくなりました。
サイン、占星術における星座って、あらためて何なんでしょう。星座に性格をもたせることの意味や意義、そしてサビアンシンボルが表すものって、何なのでしょうか。
サインは地球の季節感と関係があるのなら、南半球ではどう考えるのかとか、そもそも季節感と太陽暦における年間の月日は地域によって変るし・・・とか、きっと占星術を学ぶ者なら一度は通る道なのでしょうが、現在のわたしが思いきりその道中です。
お気持ち察します。占星術を学ぶ者なら一度は通る道、というお話にはここを読まれる全ての方が共感すると思います。
もちろん私も共感する者の一人です。
模索はいつまでも終わりませんが、長年占星術を眺めてきたなかで選び取っている考え方はあります。
占星術で使われる星座(サイン)は、現実の星座とは異なる
サインとは概念であり、解釈のための情報に過ぎない
というものです。
この考えですと、サインの季節感について、地域による食い違いなどは関係なくなります。

私もトロピカルが北半球の季節感と合っていることだけを理由に、「トロピカルは正しい」と思っているわけではありません。(過去記事を読み返して気付きました、なるほどこちらで私は「トロピカルは季節に合っているから合理的」と書いていますね。すみません言葉足らずでした)
「季節感」について私が最初に述べた箇所は確か、
「インド占星術では惑星の品位が重視される。しかしそもそも、惑星品位とは季節に当てはめて生み出された考え方。季節とずれるサイデリアル方式なのに、品位を重視するのは矛盾しているのではないか?(だとすればトロピカルのほうがむしろ合理的か)」
というお話だったと思います。
いずれにしても私は品位をさほど重視しませんし、現実の季節感にこだわるべきではないとも考えています。

もちろん歴史的なことを言えば、星座とは古代の人々が天体を眺め、季節に合わせて形を想像したもの。(この部分は世間に気を遣い一般的な考えを書いています。私自身はこちらの記事で書いた通り、宇宙の共通言語だと想像しています
しかし、占星術ではそのような星座発祥の歴史に囚われず、サインを「概念に過ぎない」と考えたほうが正しく解釈できると思います。
そもそも現実の天体に合わせて占星術を解釈するのだとすれば、各星座ごとに大きさが異なりますし、昔流行したように13星座で占うことになってしまいます。
現代占星術の主流がそうなっていないのは、サインとは神秘的なエネルギー(または神秘世界のルール)を翻訳するための「情報」に過ぎないと考えられているからです。

これは神秘主義の影響を受けた考え方です。
サビアンシンボルなどは神秘主義の極みですね。
「透視能力者が黄道360度の一度ごとにシンボルを読み解いた」
というもの。
このような神秘主義者たちの話は、占星術が天文学と同等だと考えている人たちには通じません。彼らはシンボルを迷信だと嫌って否定します。
しかし私の経験上、サビアンシンボルは当たります。(他の大勢の方々の経験でも裏付けられています)
天文学の理屈では通らないことです。
これは占星術のサインが実際の星座ではなく神秘世界の情報に過ぎない、ということの裏付けになると思います。

どうやら占星術とは
「惑星重力が人体生成に影響して運命を決める」
などという物理学的なものではないようです。
やはり死後世界の先輩たちと地上との取り決めによる「位置情報」や「共通言語」のようなもの、と考えるのが妥当です。
歴史のいつの時点でその合議が成されたのかは分かりませんが、地上と死後世界とで情報がやり取りされ、徐々にこの「共通言語」が作られていったと考えています。
(あるいは過去のいつかの時点で死後世界の先輩方から一方的に与えられた情報なのかもしれません。人類が冥王星を発見していない時代でも冥王星が影響していた事例などを考えれば)

だから、占星術を物理次元の学問だと思い過ぎると混乱が増すはずです。
「実際の天文と一致していない」という批判を回避するために、次々と新しい手法を生み出さなければならないからです。
たとえば最近はサインを否定し、ハウスだけで読み解く手法も出てきたようですが、これなども「星座の大きさや数が現実天体と一致していない」という批判を回避するためではないでしょうか。
追記 また占い師の先生によっては「当たっていない」という批判を回避するためサインを取り払った人もいるはず。サインがあると「当たっていない」感覚が露骨に分かりやすいからです。特に太陽サイン中心の占星術だと「当たっていない」とのクレームを受けやすいと思います。

 〔関連記事〕 占いから逃げ続ける西洋占星術の今後

占星術師たちは本当に相談者(鑑定する相手)で結果を見ているのだろうか、と疑問になります。
そんな批判回避で保身するよりもまず、相談者の人生のほうが大事なのでは?と私は思います。

手法を選び取る際に重要なのは、
「実際の天文と一致するかどうか」ではなく、「実際の人の人生や事象と一致するかどうか」
です。
いつだかサイトで、占星術を法令解釈に喩えたこともありました。
 ⇒「天の法令」として読む占星術
(二つの記事をつなげていて、まとまりないので読みづらいかもしれませんが)

事実こそを「最高の判例」と考えて。
もし、サイデリアルか・トロピカルか、サインの解釈等で迷われた際には、相手にとってどれが最も正しい解釈となるか考えると良いと思います。
目の前の事実を無視して、「理屈でこうだからこうなるはず」と押し付けてしまっては必ず相手の不利益になります。現時点で地上に住む人間の理屈(計算力)は、死後世界の先輩方に比べて遥かに劣るためです。
吉野さんはヘリオセントリックについてはどうお考えでいらっしゃいますか?じつは前回のメールで併せて伺ってみたかったのですが、さすがにあれもこれも書くのが憚られ・・・けっきょく今回あれもこれもになってしまいましたが。汗
太陽を中心とした、実際の太陽系に即した占星術、星読みということで、この地球に生まれてきたことの意味や使命を思うとき、わたしはとても有効な捉え方であると感じています。そしてヘリオセントリックでは、地球上のデータや考え方に基づく「サイン」を扱うことに疑問があります。ここでも「サインって何なんだろう」と思うのです。
そうですね、ヘリオセントリックはずっと気になっているのですが、まだ分析していないのでお答えしかねます。すみません。

今のところ推測として思うのは、
「現時点で地球上に住む人間には、従来の占星術のほうが向いているのでは」
ということです。
太陽視点から人間を見下ろすのは、我々にはちょっと早過ぎるように感じます。

何故、占星術でアングルが重要視されてきたかというと「自分の立ち位置から世界を眺めることこそ重要」だからではないでしょうか。
我々は地球で生きると決めてこの場に降りて来ているので、地上に立った視点から過去・現在・未来を眺めなければならない気がします。
その意味で実は、「天動説」が真実かもしれません。
「天動説」や「地球平面説」は昔の人がバカだったゆえの迷信ではなく、案外、魂からの視点という意味での哲学的真相を表していたのかも……? 

だからもしかしたら地球を卒業して人間をガイドするようになった魂たちにとっては、ヘリオセントリックのほうが正しくなるのでしょう。
早くそうなりたいものです。

 関連記事 ⇒“汝、自身を知れ” 地に立つということ、ヘリオセントリックをどう見るべきか

*

最後に、わたくしごとですが
追伸:吉野さんはご自身についてたびたび「ロボット気質」と書かれていますが、わたしは個人的に吉野さんを、人の感情や想いに敏で、それに誠実にあたろうとする、鋭く豊かな感性と情感をもってらっしゃると感じています。

恐縮です。
でも、とても嬉しかったです。
現実では「心がない」だの「ロボット」と言われることが多いので、感情があると仰っていただけることほど嬉しいことはありません。

温かいお言葉に感謝致します。
それなのに、やはりヘリオセントリックについてなど身もふたもないようなことを書き過ぎている気がします。批判として響いていなければいいのですが。
半端な推測に過ぎませんので、また勉強してから記事を書きたいと思います。

このたびは本当に、ありがとうございました。


>>続き。サイデリアルが当たる人は99%という話
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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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