-
前記事で触れて思い出した、吉川英治『三国志余禄~諸葛菜』。
確か資料を調べていた二十代前半頃に読んだ。
あらゆる三国志フィクションを読むことのできない私が、日本における本家・吉川三国志のこの後書きだけは読むことができた。誠実さをひしひしと感じる文だったからだ。

今改めて読んでみて懐かしく、こんなことが書かれていたのかと少々驚いている。
(読むことができたと言っても当時は恐々だったので大半は流し読みだった)

shokatusai.gif


資料として引用。青空文庫のパブリックドメインより
 ひと口にいえば、三国志は曹操に始まって孔明に終る二大英傑の成敗争奪の跡を叙したものというもさしつかえない。
 この二人を文芸的に観るならば、曹操は詩人であり、孔明は文豪といえると思う。
 痴や、愚や、狂に近い性格的欠点をも多分に持っている英雄として、人間的なおもしろさは、遥かに、孔明以上なものがある曹操も、後世久しく人の敬仰をうくることにおいては、到底、孔明に及ばない。
 千余年の久しい時の流れは、必然、現実上の両者の勝敗ばかりでなく、その永久的生命の価値をもあきらかに、曹操の名を遥かに、孔明の下に置いてしまった。
 時代の判定以上な判定はこの地上においてはない。
 ところで、孔明という人格を、あらゆる角度から観ると、一体、どこに彼の真があるのか、あまり縹渺として、ちょっと捕捉できないものがある。
 軍略家、武将としてみれば、実にそこに真の孔明がある気がするし、また、政治家として彼を考えると、むしろそのほうに彼の神髄はあるのではないかという気もする。
 思想家ともいえるし、道徳家ともいえる。文豪といえば文豪というもいささかもさしつかえない。
 もちろん彼も人間である以上その性格的短所はいくらでも挙げられようが、――それらの八面玲瓏ともいえる多能、いわゆる玄徳が敬愛おかなかった大才というものはちょっとこの東洋の古今にかけても類のすくない良元帥であったといえよう。

「三国志は曹操に始まって孔明に終る二大英傑の成敗争奪の跡を叙した」?
歴史的事実として、曹操に反旗を翻し、時代を分けたのは劉備だと思うが? (神秘的な背景では確かに曹操は諸葛亮の敵だったのかもしれないが。そんな真相は誰にも分からないはず)
劉備を差し置くこの箇所は、私には複雑。


>孔明は文豪といえると思う。

文豪か……、正真正銘の文豪が仰るとは、孔明も冷や汗が出るのでは。
(そもそも何をもって「文豪」と仰るのかよく分からない。『出師表』? それとも生き方そのものか。ここはたぶん事実の作品を指したものではなく暗喩的な表現であるのだろう。本物の文豪さんなりの解釈なのだと思う)

いっぽう「八面玲瓏」が分からなかった私。文章を書く資格なし。笑
「八面玲瓏(はちめんれいろう)→goo辞書: どの方面も美しくすき通っているさま。心に何のわだかまりもないさま。」……ちょっと眩暈を覚えた。
確かに世の批判通り、吉川さんは孔明を少し褒め過ぎかもしれない。
 とはいえ、彼は決して、いわゆる聖人型の人間ではない。孔孟の学問を基本としていたことはうかがわれるが、その真面目はむしろ忠誠一図な平凡人というところにあった。
……
 彼がいかに平凡を愛したかは、その簡素な生活にも見ることができる。
 孔明がかつて、後主劉禅へささげた表の中にも、日頃の生活態度を、こう述べている。
――成都ニ桑百株、薄田十五頃アリ。
子弟ノ衣食、自ラ余饒アリ。臣ニ至リテハ、外ニ任アリ。別ノ調度ナク、身ニ随ウノ衣食、悉ク官ニ仰ゲリ。別ニ生ヲ治メテ以テ尺寸ヲ長ズルナシ。モシ臣死スルノ日ハ、内ニ余帛アリ、外ニ贏財アラシメテ、以テ、陛下ニ背カザル也。
 枢要な国務に参与する者の心構えの一つとして、孔明はこれを生活にも実践したものであろう。後漢以来、武臣銭を愛すの弊風は三国おのおのの内にも跡を絶たなかったものにちがいない。
 無私忠純の亀鑑を示そうとした彼の気もちは表の辞句以外にもよくあらわれている。
 彼は清廉であるとともに、正直である。兵を用いるや神算鬼謀、敵をあざむくや表裏不測でありながら、軍を離れて、その人間を観るときは、実に、愚ともいえるほど正直な道をまっすぐに歩いた人であった。
昔読んだとき、太字のところに泣いた。
特に「愚ともいえるほど正直な道をまっすぐに」の文。
なかでも、「愚」。
悪口ではなく、愛のある「愚」だ。
いったい誰が彼にこの言葉を充てるだろう? 誠実に対等な人間として見ていなければ、批判を恐れてこんな言葉は充てられないのではないか。アンチですら、「性格悪い」とは言うが「愚」とは言わない。

私(筆者・吉野)の卑近な話で恐縮だけど、子供の頃、「ばか」と言ってもらうのが夢だった時期がある。
天才と呼ばれるほどずば抜けて成績が良かったわけでもないのに、何故か「賢い子」扱いをされて教師にすら距離を置かれてしまっていた私。孤独から抜け出すために、友達に軽い乗りで「ばか」と言ってもらうことを夢見ていた。 関連する話:『【質問】 幼い頃、どんな子供でしたか? 』
今から考えればそれこそバカな夢を見ていたなと思うが。
生まれて初めて、友達に頭をポンと軽く叩かれて「ばぁか」と言われた時、その愛ある言葉が嬉しくて心が融けた。

次元は違うものの、上の吉川氏の言葉はそのときの感動に匹敵した。
いや、遥かにそれ以上か。
魂を救う言葉とは、こういう愛ある対等な言葉だ。


他に。今だから分かる、改めて凄いなと思うお言葉。
 こういう風格のある人に、まま見られる一短所は、謹厳自らを持す余りに、人を責める時にも、自然、厳密に過ぎ峻酷に過ぎる傾きのあることである。潔癖は、むしろ孔明の小さい疵だった。
厳し過ぎると言うよりは、「自分の常識は他人の常識」と思っていたのだろうなあ。特に倫理において。
疵としては、決して小さくない。
  要するに、彼の持した所は、その生活までが、いわゆる八門遁甲であって、どこにも隙がなかった。つまり凡人を安息させる開放がないのである。これは確かに、孔明の一短といえるものでなかろうか。魏、呉に比して、蜀朝に人物の少ないといわれたのも、案外、こうした所に、その素因があったかもしれない。
「凡人を安息させる開放がない」について、その通りだろう。
 だが、ここでもう一言、私見をゆるしてもらえるなら、私はやはりこう云いたい。仲達は天下の奇才だ、といったが、私は、偉大なる平凡人と称えたいのである。孔明ほど正直な人は少ない。律義実直である。決して、孔子孟子のような聖賢の円満人でもなければ、奇矯なる快男児でもない。ただその平凡が世に多い平凡とちがって非常に大きいのである。
 ……感動して言葉にならない。
たぶん「平凡」は、諸葛亮も目指していたところだと思う。その願いが並大抵ではなかったのかもしれない。


以降、『後蜀三十年』は読むのを控えておく。また眠れなくなると思うので。
気付けば午前4時、寝なければ。おやすみなさい。


2018/6/23 不正確だったところ追記
関連記事
吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事リクエストはこちらから:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com