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2008年に自分がこんな記事を書いていたことに、自分で驚いてしまった。

 ⇒神の業、都江堰 -古代と現代のバランスを
 けれど今の危機に晒されている狭い地域に関して、何の因果か「水」というキーワードが自分の中で合致してしまったので、いたたまれなくて書いている。

 いつも人は驕り高ぶり技術で身を滅ぼす。
 水に敬意を払わなければ、水の報復を受ける。
>何の因果か「水」というキーワードが自分の中で合致してしまった

上の文は現代中国政府の愚かなダム工事について書いたのだけど、悲しいことに、ここ日本でいっそう酷く「水というキーワードが自分の中で合致してしまっ」ている。
一応は「先進国」グループに含まれている技術大国・我が日本でだ。

幼い頃から私たちは「日本の技術は世界一」と教えられて育った。
「洪水を防ぐための治水事業も進んでいるから、川が氾濫して家が沈むことなどもうないのだよ。昔はよくあったけど」
と、大雨のたびに大人たちから昔話を聞いたもの。
でも平成に入って、現実はどうだったろう。
今の洪水災害は昔話を越えている。昭和時代の大人たちさえ見たことがない災害にショックを受け続ける我々。

未曽有の災害?
温暖化で気候が変わったから?
本当にそうだろうか。
実は昔から洪水はこれと同じ規模で起きていたのだが、現代人は「先進技術」という幻想にしがみついて安心していただけなのでは。

7/20整理 住民の危機意識については地域に差があったはずだし、この記事の主旨とは別の話になるためカット】

要因の一つは、ダム治水に頼り切りだった行政の誤った考え方。
それと最大の要因は、自治体の非難指示の出し遅れ。

参考記事: 「もう放流はしないでくれ」水没の街にみたダム行政の”限界”【西日本豪雨】

そもそも、大雨が降れば決壊するのが当たり前のダムに治水を委ねることが間違っている。
そんなことは都江堰が造られた時代の古代人から見ても分かる。
小さなダムという器を造り、「仕事しました」とふんぞり返っている。そして決壊すれば「想定外」と言えば許されると思っている。現代人はなんて愚かなんだろう、と古代人は呆れて眺めているだろう。

百歩譲って、ダムが役に立っていると考えても、放流するのは決まっていたのにどうして住民避難が間に合わなかったのか?
「逃げる」という言葉の意味、「命を護る」という目的が分からなかったのだろうか。

7/20整理 「殺人放流」について。その後の報道で、ダムを放流した国交省側が通知した時間と市の話は食い違っていると分かりました。どちらが本当のことを言っているのか今のところ不明ですが、責任のなすりつけ合いにしか見えないのは私だけでしょうか? それはともかく、この記事の主旨は犯人捜しではないため具体的・詳細な話はカットします】

思うに、日本の行政は優先順位を理解していない。
「命を護る」という第一目的が見えなくなってしまう、何かの障害があるのではないかと思えるほど。もしかしたら自治体行政は住民殺戮が目的なのではないか?と思えるような動きをする。
あまりにも不可解なので陰謀論※まで生まれてしまうのだよな。陰謀と信じたくなるくらい「あり得ない」ということ。

行政を非難するだけでは何も改善されない、今は批判している場合ではないからクレームは抑えろ、と批判叩きをする人たちも多い。
それもそうだと思う。今は被災された人々を助けるべき時。
行政の足を引っ張り救助を邪魔している場合ではない。

でも、そうしていつも「なあなあ」で批判をつぶしてきたから、今の日本の状況がある。
そして次はもっと酷い被害が出る。もっとたくさんの人が死ぬ。
今回の被災には人災の側面が大きいことを、決して忘れるべきではないと思う。


※陰謀論:「日本で起きる災害は日本人殺戮のため、科学兵器で起こされている」という荒唐無稽な都市伝説。日本の災害は古代から同じように繰り返されてきたものなので、「現代科学兵器が起こしている」という話の筋は通らない。しかし行政の動きが殺戮目的なのではないかと疑ってしまうような不可解なものであるのは確か。つまりそんな馬鹿馬鹿しい陰謀論が生じる隙を与えるほど、行政が不手際なのだという証。

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吉野 圭(Yoshino Kei)
Posted by吉野 圭(Yoshino Kei)
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