我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。自作品『我傍に立つ』裏話と世間雑記、占星術メモ

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吉野 圭-Yoshino Kei
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創作裏話とプライベート、世間話のブログです。+占星術。
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〔ご案内〕このブログでは主に小説内容に関する記事を書いています。

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『我傍に立つ』
…歴史小説ではありません。古代東洋が舞台の架空小説。前世イメージを描いた人間物語です。現代的な感性・現代文で書いたので、特別な知識は要りません。どなたでもお読みいただけます。(ただし戦闘描写は省いています。このため歴史小説好きの方には物足りない可能性があります)→『我傍』ご感想

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『僕が見つけた前世』
… 筆者の体験を描いた「ほぼ自伝」な小説です。十代の子でも読めるよう、柔らかい文体で書いています。日本語が分かる方なら、どなたでもお読みいただけます(ただしPG12)。 →『僕前』ご感想

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『永遠の雨、雲間の光』シリーズ
… SFファンタジー。『我傍』以外の、前世記憶として浮かんだイメージを描いています(3巻は『我傍』と対になる話で、メインストーリーです)。若干、難解。残酷描写があるためPG12。 →『永遠』ご感想

この他、いただいたご感想とレス

【初めての方はこの下も必ずお読みください】
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やり過ぎは、周りを甘やかす。(葬儀のことなどプライベート話)

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吉野 圭-Yoshino Kei
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葬儀や手続き、仕事に追われ、なかなか長文の記事が書けずにいました。更新できなくてすみません。

この時期は火葬場が混むらしく、葬儀まで長く待たねばならなかったため忌引きは取らずに、葬儀の手配と仕事を同時に行いました。
愚痴を言うわけではないのですが、一人で全てを手配したのでさすがに参りました。金銭的な負担も私一人で。

何もかもを一人で同時進行で背負わねばならなかったこと、それでいて周りは文句だけを浴びせて来ること、等々。
怒涛のごとく押し寄せる試練に、つい前世の晩年を思い出してしまいました。
……いや、もちろん、かなり規模は異なりますが。薄っすら状況が似ていたため記憶が疼いた次第。

なんでいつもこうなるのかな? などと思ってしまい、自分で自分を笑いました。
本当に学習能力がない。

周りに苦労をかけたくないと思うあまり、何もかも自分一人で背負おうとしていつもキャパシティオーバーになるわけです。
しかも、やってあげればあげるほど、周りは我がままになっていくというのは不思議な現象。
恋愛で言えば「貢げば貢ぐほど相手は高飛車になる」ということに似ていますか。

どうやら私は甘やかせ体質であるらしい。周りをダメにするタイプ。
こういうところが、本当の意味で自分は賢くないなと思います。
(今は違いますが、絶対にリーダーの器ではない)

しかし今回さりげなくサポートしてくれたのは弟でした。意外と弟が成長していて嬉しかった。
さらに最も心配してくれたのは親族(義父の兄ご家族。私とは血縁ではない)。直接の手出しができないことがもどかしそうでしたが、とても気遣って援助してくださいました。感謝しかありません。

そう言えば、いつも何故か最大に助けてくれるのは他人です。
私がひしひしと感じるのは、血のつながらない他人の愛情ばかり。
これは不思議な私の宿命です。
世知辛い世の中で「そんなに悪い人ばかりではない」と理解するために、他人に助けられる運命を持って生まれるのかもしれないと思います。
生まれた状況の悪さも「他人の有難み」を感じさせてくれるものだとすれば、有難いもの。


――と、
疲れて何を書いているのか分からなくなってしまいました。

まだこれから手続きに追われる日々は続きます。
葬儀と行政手続きによって悲しむ暇も与えない日本のシステムは、良いのか悪いのか。
コストという面では疑問を抱かざるを得ませんね。そういった細かい話はまた次の機会に。


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伝書猫ニュースと、動物たちの自由について

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吉野 圭-Yoshino Kei
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今は残虐な事件を見るのが辛いので、あえて心が温かくなるものを眺めるようにしている。

今日はヤフーニュースにほっこりした。
(元記事はデイリースポーツ。リンク先は元記事)
話題になったツイートなのだけど、こういう話をニュースに選ぶセンスが好きだ。



ニュース記事はこちら ⇒「お名前は?」ネコの首輪に手紙をつけたら…お返事が!伝書鳩ならぬ「伝書猫」の思い出
 そんな「伝書鳩」ならぬ「伝書猫」のようなお話が、ツイッターで話題を集めています。昔の思い出話だと思ってつぶやいたところ、偶然にも飼い主だった人が投稿を発見。あらたにメッセージでのやり取りが始まったというおまけつきです。時間を超えてネコちゃんが取り持ってくれた不思議な出会いに、ネット中が感動しています。

「伝書猫」。笑
素晴らしい。思いつかなかった。確かに猫にメッセージを持たせれば家に帰るのだから、飼い主さんとやり取りできるよね。

でも最近は、
-ネコは家の中で飼うべきだという意見があるようです。家の外に出ているネコとの思い出を紹介されていることに、問題がないのかと指摘する人もいるようです。

 「家の外に出られるようにして飼うと、感染症の可能性があったり、交通事故にあったりする可能性もあります。また、周りに迷惑をかけることもありますので、獣医師としての立場としては、家の中で飼われることをおすすめします。でもそうしてしまうと、今回のような出会いや交流はなかなか生まれませんね。ダイズくんと出会った6、7年前は、私の住んでいる地域には、いっぱい外にネコがいました。ネコが自由に行き来していた昔の思い出として、楽しんでもらえるとうれしいです」
との寂しいお知らせ。
世知辛い世の中だな。
猫だけは自由に町を行き来して、「伴に暮らす」ことができる生き物だと思っていたのに残念だ。

私は自由であるべき動物を家などに拘束して“飼う”という意識が嫌いで、だから紐で括りつけなければならない犬を飼うことはとても苦手だ。
子供の頃に一度だけ、母が拾ってきた捨て犬を保護するために飼ったことがあったが、その時も首輪をして括りつけているのがとても嫌だった。二度と犬は飼うまいと思った。

猫も閉じ込めなければいけないなら、この先飼うことはないかな。

対等の友達でなければ、動物たちとの付き合いは全く楽しくない。
閉じ込めてまで動物を飼いたくはない。
そんな権利は、我々人間にないと思う。

人と対等の顔をした猫たちが自由に町を歩き回っていた時代が懐かしい。
終わってしまったのなら、無理をしてまで求める必要もないね。

そんなわけで「伝書猫」も昔話の伝説となっていくだろう。


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『ラ・ラ・ランド』には人生の素晴らしさが集約されている

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吉野 圭-Yoshino Kei
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数日ぶりに自宅へ戻って休養。息抜きに、ちょうど放送されていた『ラ・ラ・ランド』を鑑賞しました。
ミュージカル映画は苦手……と思っていましたが、観て良かった。
長く心に刻まれそうな映画です。

(感想は常体で書きます)



日本での売り方は違うと思った

革新的な手法を使った新感覚ミュージカル映画だの、アカデミー賞ノミネートだの、珠玉の恋愛映画だの。
日本ではそのようなコピーが躍っていて、私は興味が持てなかった。

日本での売り方は間違っていたと思う。
これは技術や賞ばかり称えるような映画ではない。
ただ監督の情熱に共鳴すべき映画だ。
表面的なことしか称えないコピーではそのことが永久に分からない。危うく見逃すところだった。


手法は幻想的、でも物語はリアル。本物の人生を描いたストーリー

音楽やダンスの素晴らしさも感動するところではある。確かに。
散りばめられた古典映画へのオマージュには監督の映画愛を感じて楽しい。
(私はあまり映画に詳しいわけではないけど、それでもオマージュは分かりやすく情熱が伝わってくる)
ダンスや音楽、衣装まで、古いアメリカの雰囲気を醸し出しているところも好きだ。
そこへ現代の要素が割り込むのがまた皮肉で笑った。
パーティ客の乗る車が全てプリウスだったり、50年代さながらのダンスの後にiPhoneの着信音が響いたり。冷や水を浴びせる演出がある。アメリカの高等ジョークなのかなあれは。

音楽や映像だけではなく、ストーリーも素晴らしかった。

ストーリーあらすじ:
夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミア<エマ・ストーン>は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン<ライアン・ゴズリング>と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。

映画情報より

夢を選ぶか恋愛(友情)を選ぶか。
多くの人が経験する葛藤だと思う。
同じ経験をしたことがある人は共鳴するだろう。

最近流行った『ボヘミアン・ラプソディ』とも似たリアルなテーマだ。あちらは一つの現実そのもので、こちらは多くの人の現実を集めてデフォルメ化した寓話というだけの違い。
現実を素材にした寓話だからこそ、こういう経験がない人は何が描かれているのか理解できず退屈だろうと思う。


ミアとセバスチャンの選択に賛否両論

※ここからはネタバレあります

この映画のラストを
「ハッピーエンド」
と称し、
「陳腐でご都合主義な成功物語。世の中そんなにうまくいくか!」
と怒っている人たちも多いのだけど本当にストーリーを理解しているのだろうか?
特に「ハッピー」と称している人たちは大丈夫か?? と心配になる。
「成功のために愛を裏切った、汚い女の話」などという解釈をしている人もいて、心の貧しさを感じる。

これは一面では確かにハッピーエンド。
でも完全なハッピーではない。
むしろアンハッピーエンドの割合のほうが多いからこそ、長く心に残り得る物語となっている。

“戻らないIF”を思い描くのはラストの走馬燈。
現実に返り、最後に視線と視線を交わした二人。セバスチャンがミアを見つめて微笑み、無言で頷くシーンは胸が熱くなった。

これは男女の恋愛物語なのだけど、その前にお互いを想い合う人間同士の話だ。
人が人を本当に大切に想う、「人として愛する」とはどういうことなのかが描かれている。
恋愛がらみではなくてもあのようなことが現実にある。
たとえば同性の友人同士であっても、心底から相手を想い、遠く離れて応援し続けることがある。

遠く離れても想い合う。相手の幸福を願う。それは本物の人間同士の愛と呼べる。

でもたとえそうだとしても、好きな者同士が離れるのは何より辛いことだ。
「あの人と結婚していれば」
「あの人と伴に生きていれば」
そんな心残りを抱えて生きる人生は想像外に辛い。
ずっと喉に棘が刺さっているような痛みを感じながら生きることになる。

他人が「サクセス」と呼ぶ目標、金や地位や名誉を得ることは、最終的にどうでもいい。
たいていの人が成功してからそのことに気付く。
失って初めて知る、
「高みに昇ることなどより大切なものがあった」と。

ラストの走馬燈が「大切なもの」を鮮やかに浮き彫りにしている。
反転した現実の「アンハッピー」があるからこそ、はっきりと眩しく輝いて見える。

一個の物語としてはあの走馬燈は蛇足で、芸術性を貶める危険もあった。でもあのシーンはきっと『ニューシネマパラダイス』へのオマージュ。そうだと分かった人には切なさの増幅という効果がもたらされて感動が高まる。
トトが涙を流して観た、カットされたキスシーンのフィルムと同じメッセージが『ラ・ラ・ランド』の走馬燈に篭められているのだろう。


人生の集約のような音楽と映像

最後に物語以外のことも。

この映画は、懐かしい音楽と映像に満ちていた。
それはアメリカの人たちが最も活き活きとしていて楽しく過ごしていた時代の産物。
全ては過ぎ去った時代のもの。今はもう忘れられていて捨てられかけている。

そのことを嘆くのでもなく現代を否定するのでもなく、ただ
「あの頃の音楽・映像は良かったな。好きだったな」
と微笑んで懐かしむ心がこの映画にはある。
『ラ・ラ・ランド』の前面に出ている物語がアンハッピーなので、対照的にバックの音楽や映像が鮮やかに引き立ち、記憶に刻み付けられた。
過去にあのような心躍る文化を生み出した人々へ、純粋な称賛の気持ちが湧いてくる。

ストーリーに焦点を置いても、音楽に焦点を置いても深く味わえるのは、どちらも手を抜いていない本物だからだ。
まるで本当の人生のようだと思った。

ここには人生の素晴らしさが集約されている。
悲惨な出来事にうんざりして地上を去りたいと思っても、やはり捨てがたいのはこういう芸術を生み出す人間の情熱のせいだ。


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「憎まれっ子、世にはばかる」という真実。人の亡くなり方について

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吉野 圭-Yoshino Kei
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ブログ更新が滞って申し訳ないです。近親者が急逝したため長文が書けなかったものです。

(中国では旧暦正月ですから、中国在住の方へうっかり「明けましておめでとう」などと言ってしまいました。無礼をお許しください)

こんなプライベートなことを書くべきではないと思って控えていたのですが、その人の亡くなり方があまりに見事で広くお伝えしたくなりました。

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病院嫌いの義父、癌なのに一切治療を受けず自宅で逝く

亡くなったのは義理の父です。

「義父」という表現をすると一般的には結婚相手(配偶者)の父親を連想するようですが、今ここに書いているのは実母の再婚相手のことです。
(前に亡くなったのは配偶者の親。養父も「義父」という表現をしますし、日本語は難しいですね)

五年前、呼吸困難となり救急に運ばれて危篤となり、「手術中の自分の体を天井近くに浮かび上がって眺めていた」という臨死体験を語ってくれた人です。→死の後、数日間の話にて
あのときは生還しましたが今回は旅立ってしまいました。

半年前から食が細くなり急激に痩せはじめ、誰の目にも長くないのではと思えるほど体が衰えていったのですが、私たちが
「大きな病院で検査しろ」
と言っても病院嫌いの彼は聴く耳を持たず。
重い腰を上げて検査したのはようやく先月のことでした。

それで全身検査の結果、癌が発見され、既に三か所へ転移していることが分かりました。
医師もまだ全貌が見えていなかったようで明確な告知はされなかったのですが、末期ではあったのでしょう。

7日から入院の予定だったのですが、その直前に急逝してしまったものです。
最後の日の数時間前まで意識がはっきりしており、家族と会話もでき、自宅のベッドで眠るように亡くなったことは幸せだったろうと思います。

その日、義父にしてはめずらしく「プリンが食べたい」とリクエストして、母がコージーコーナーでプリンを買って来ました。
少し食べた後、
「ちょっと寝る」
と言って寝室へ。
数時間後、彼が息をしていないことに気付いた母が救急車を呼びました。
私は仕事中に「彼が死んじゃった」との狼狽した母の電話を受けて駆け付けたのですが、あまりにも急なことに信じられませんでした。その前日には会って会話していたからです。声は弱かったものの、目には意思の輝きがあって普段通りの彼でした。
弟も当日の昼に電話したとき彼の元気な声を聴いています。だから弟に電話で知らせた時、やはり信じられなかったらしく数秒黙った後、「嘘でしょ?」と言っていました。

自宅へ帰って来た義父は、体は冷たくなっていたもののやはり眠っているかのようでした。
ベッドに寝ているといつ起きてもおかしくないと思ってしまう。つい、亡くなっていることを忘れてしまいそうなほど、死が非現実的に思えます。


究極の、「我がままではない人」の亡くなり方

義父が急逝したのは思うに、入院したくなかったからかもしれません。

「入院が嫌だったから死んじゃったのかもよ?」
などと私が言うと、「あの人らしい」と言って義父を知る人たちは笑います。
しかしこれは冗談。
本当は自分の我がままで病院から逃げたわけではなく、家族のために逝ってしまったのではないかと感じます。
おそらく、お金のことや看病で家族に迷惑をかけることが嫌だったのではないかと。

とにかく我がままを言わない人でした。
長年ずっと他人に親切ばかりしていましたが、自分自身は誰かの手をわずらわせることを厭いました。
具合が悪くて歩くことさえままならなかったのに、診察のために病院へ車で送ってもらうことも断っていたという徹底ぶりでした。

癌だったのだから相当に痛かったはずだし、苦しかったはず。
しかしその苦しみを訴えることもありませんでした。
「大丈夫」が口癖。
亡くなる前日でさえ、電話した弟に「大丈夫だよ!」と叫んだというのだから驚いてしまいます。

その「迷惑をかけたくない」という気持ちが死さえもコントロールし、入院する直前に逝ってしまったのだと私は悟り、感動して震えました。

行き過ぎた強がりは、家族としては寂しいものがあります。
もう少し助けを求めて欲しかった。手助けしたかった。
しかしこれは彼なりの生き方の美学を貫いた結果だろうと思うので、責める気持ちはありません。

他人第一、自分は後。
我がままを言わない。迷惑をかけない。

そんなポリシーを徹底した美しい去り方に、感動を覚えるとともに深い尊敬の念を抱かずにいられませんでした。
このように稀有な魂を持つ人と縁を持てた自分は幸せ者だと思います。
心から、「ありがとう」と言いたいです。


死にざまは人柄を映し出す

昔から言われていることに、
「死にざまに人生が反映される」
というものがあります。
悪いことをした人に「お前は、ろくな死に方をしないよ!」という言葉を投げるのは、この考えから来ています。
反対に善人は安楽に死ぬものだと考えられているわけです。

現実には必ずしもそうとは言えず、善人が虐待・拷問に遭うなどして悲惨な死に方をすることはよくあることです。むしろそのほうが多いかもしれない。
いっぽう犯罪者がのうのうと生きて楽な死に方をすることも多く、その理不尽さに怒る人もいるでしょう。

実は立派な人は自ら苦しみを選択する傾向があります。
反対に我がままな人は苦しみを避けるので、安楽に生きて安楽に死ぬことが多いと言えます。
だから、悲惨な死に方をした善人に「裏では悪いことをしていたのかも」と思うのは間違っています。それに差別的でもあります。

ただこのたび、義父の美しい死を目の当りにして思い知りました。
「死に方(死因)」に人柄は関係ないが、「死にざま」は確かに人柄を反映するのだと。

我がままではない人は、できるだけ他人に負担をかけまいとするので、ぎりぎりまで苦痛を我慢して急逝してしまう。こういう人が早死にの傾向があるのも、ストレスを自分だけで何とかしようとするから。理屈でも当然だと思います。
いっぽうの我がままな人は、たいした病気ではなくてもグズグズと苦痛を訴え、長いこと他人に迷惑ばかりかけて死んでいく傾向があるように思います。

「憎まれっ子、世にはばかる」(=善い人は早く去ってしまう)
ということわざは、この意味で真実なのだなと実感しました。
昔の人は現実を眺めて的確に真実を述べていたようです。


死に際の美しさと、死後

死に方によって死後どのような次元へ行くのか、スピリチュアル的なことは私には分かりません。

ただ自分の体験を述べるなら、我がままではない生き方をしたほうが死後も幸福な心地でいられると思います。

義父のように美しい死に方をした人が、あの清々しい青空の世界へ旅立つことは間違いないでしょう。

(こう信じたいだけかもしれませんが。今の義父が幸福な次元にいることを私は強く信じています)


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吉野 圭-Yoshino Kei
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