占いは歴史学ではない。(ゲッターズ飯田さんを見て思う)

 


〔2024年4月16日 改稿・解説を加筆〕

ゲッターズさんが凄い理由


昨日テレビ番組でゲッターズ飯田さんを見かけたが、あの人はつくづく凄い占い師だなと思いました。

飯田さんは四柱推命のことをよく話しているので、中国占術メインにやられている方なのかなと思っていましたが、昨日番組の中で
「世界中の国家が占いで動いているのが分かる」
と仰っていました。
まさか“世界”のスタンダードが中国系の占術のはずがないので、彼は西洋占星術にもかなり詳しい方なのだなということがこの発言で分かります。

調べたら、ゲッターズ飯田さんは13種類の占いを使っているのだとか。
「一つの占いで当たる確率は30%ほど」だと気付き、
「多くの占いのなかの当たるところだけピックアップして使えば、占いの的中率は上がるかも」
と考えて自らの鑑定データと照らし合わせつつ、“当たる”理論を確立していった。

これは最高に正しいやり方で、誠実でもあると思います。

占いを歴史学と勘違いする人々


長年一つのジャンルに固執し続ける占いマニアのなかには、占いを歴史学か何かと混同してしまう方もいますね。
やれ何々の文献に書いてあるから正統だとか、偉大な占い師が言ったから正しいのだという説を掲げ、強固にこだわり他人に押し付ける。
そのお説が現実に生きている人について当たるか・当たらないかなんてことは、どうでもいいのかもしれません。
何故なら彼らはご自分では鑑定していないことが多いからです。鑑定したとしても文献から得た説を押し付けるだけで、本人の「当たっていない」という感想は始めから無視することに決めているか、思い込みで耳に入らないのでしょう。

確かに、私も古い文献に載っている方法はそれなりに理があると信じる者です。
もし古代に宇宙人か何かが降りて伝授したテクノロジーが『占星術』ならば、人間の利権が介在していない、より古い情報のほうが真のテクノロジーを正しく伝えているはずだと推測されるからです。

【参考】近代のイデオロギーで歪められた占星術⇒太陽星座占いも反転思想の都合だった! 太陽中心で占うべきではない真の理由

だけど「文献絶対」と頑なに信じるのも、占いにおいては間違っているでしょう。
(もちろん歴史学でさえ「文献絶対」と鵜呑みにするのは間違っていますが)

たとえば近代において『サビアン占星術』という新しい手法が出ましたが、これは「新しいから」という理由で間違いと決めつけるのは明らかに間違いで、現に当たるのだから正しい情報である可能性が高い。「透視能力者が星座度数の意味を透視した」というのは、もしかしたら古代に占星術が宇宙から伝えられた当時と同じ方法で伝えられた情報なのかもしれず、だとすれば古代の文献より正統だと言えます。

中国系に至っては(宿曜占星術はインド開発なので除く)、そもそもが観察によるフィードバックデータを蓄積させた占法なので、古代文献ばかりが正しいとも言えません。原典でどう書いてあったかはともかく、もしかしたら近代に近付いほうがより「当たる」ようには改良されているのかもしれません。
ただし本質個性については日主を見る古代の手法が正しいと私は考えています。何故なら事実として当たるからです。東洋人は拡大解釈をする民族的性質があるため、歴史が経過するごとに本質分類は現実から離れていきます。

それらは鑑定データで調べて、何が最も当たるのか確かめ定めていくしかないでしょう。

結局のところ占いは歴史学ではないのだから、現に「当たるか・当たらないか」が第一と思います。
古代のある時期の占いが最も当たるというデータを得ているならそれを参考にすればいいし、現代占星術が当たらないと思えば切り捨ててもいいわけです。

当たらない占いを
「教科書に書いてあるから正しいんだ!!」
「○○先生が仰るから正しいんだ!!」
などと言って押し付けるのは最もやってはいけないことでしょうね。

ただ、占い学校に行ったり先生に習ったりして、占い師という職業に就いてしまった後ではもうそのジャンル(組織)のシガラミから逃れられず、密かに「当たってないんじゃないかなこれ」と思いつつ教科書に従わなければならない状況はあるかもしれない。
西洋占星術の占い師さん・マニアさんたちを観ていても、鑑定データを見れば当たっていないことがすぐに明白となることでさえ正しいと主張され続けています。

もしかしたらそれは商売のシガラミだけではなく、
「偉い先生に習った事だから」
「占い学校で習った事だから」
絶対に正しいのだと本気で思い込んでいる場合も多いかもしれません。
それで、データと照合するという、単純でほんの些細な作業すらやってみることもないのかもしれない。
(おそらく教科書を信じ込んでしまうと、データのほうが上位であることなど思いつきもしない)


占い師でデータ重視の人は稀有


そんな「教科書(文献)第一」・「データ無視」の占い師ばかりの世の中ですから、ゲッターズ飯田さんみたいなデータ中心主義の人は稀有に思います。

やはり飯田さんの場合はお笑い芸人で、始めからプロを目指していなかったのが良かったのか?
占いを本業にしようと思う人ならまず学校へ行こう・先生につこうと考えるだろうし、そうなってしまうとシガラミに縛られる。占いマニアも占いマニアで、我がままが許される趣味の世界だけに閉じ籠もると、文献を探索することや議論だけに興味がいって、鑑定結果は無視するようになる。
飯田さんは本業ではないけれども、趣味とも言いきれない状況のなかで誠実に鑑定だけを重ねていったので、今の境地に達したのかな。

私などはデータ量とその分析能力において飯田さんには遠く遠く及びませんが、彼の姿勢だけは目指したいなと思うものです。

ただ私は今、飯田さんのように占いの種類を広げるよりも、逆に絞ろうかと考えています。
色々眺めていて中国占術は意味なしと気付きましたので切り捨てるつもりです。

【2024年 追記】中国占術は意味なし、とまで断言するのは言い過ぎだったなと反省しています。こちらで書いた通り西洋占星術と東洋占術(五行)の結果がシンクロすることはありますので、どちらも遠い昔に人類が高次元から受け取ったテクノロジーと考えることができます。ただ後世の東洋占術は枝葉を広げ過ぎ、社会的成功のための現世利益追求ツールとなり俗に流れてしまったため、私には無用と思います。

やはりどう見ても宇宙真理に近いのは西洋占星術かな、というのが今の結論です。西洋占星術は、現世の人間の欲望を叶えるには向きませんが、人類がもう少し高いところへ視線を向けるために必要なものと感じます。


お断り


そんなわけで来年から、占星術館のサブタイトル「東西占い研究所」の「東」を削除します。(宿曜占星術は結局、西のジャンルに属しますからもう「東」は切り捨てていいですよね)
ご期待の(?)奇門遁甲まで行けませんでした、笑。すみません。

2019/4/2追記 ここで「東を切り捨てる」と述べているのは、私が占いジャンルに限り西洋占星術に絞るという意味であり、文化において「東」が不要だと主張するものではありません。世界には西の対極としての「東」文化が必要です。東西どちらにとっても対極から見る視点が必要なのです。関連→東文化が必要という話

解説(2024年4月16日)


曲がった解釈をする方がいらっしゃるようだから、もう一度分かりやすくまとめてみますね。

かんたんに言えば、「占いにおいては現実と照らし合わせたデータこそ真理に近いはず」ということを書いています。

真理は月星と同じくただ宇宙に存在するもの。人間が知ったからと言って消えるわけでもなく知るまで存在しないわけでもない。
(真理は人間が知った瞬間に消えるとか、知るまで存在しないとする主張が実際にあります。そのように人間を宇宙の独裁者=神として考えるのは近代西洋のイデオロギー。自分が創造主となりたい集団がゴリ押しするゴーマンな反哲学です)

だから、人間はその真理を探るために古い文献や現実データと照らし合わせ誠実に調査すべきだ、ということ。イデオロギーや商売の都合でデータ(事実)を無視しない、真理を歪めてはならない。これは全分野で一貫している私の考えです。

この記事で私は占い師たちが文献にこだわり事実を無視することを批判しています。
その部分だけ読むと、日ごろ自称“新解釈”で史実を歪める者たちを批判し、「当時に近い文献のほうが真理に近いはず!(お前たちの歪んだフィクションと比べれば)」と主張している態度と矛盾していると勘違いする人もいるでしょう。

しかし私は、「真理は存在しない。解釈が存在するだけである」などと言ってはいないので読み間違わないでください。

イデオロギーの都合で「歴史事実や真理は存在しないのだ」と叫んで真理を改造するのはやはり悪魔の行いです。それは人類への敵対行為であり、宇宙へ唾吐く行為です。
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細部に囚われず、複合・全体で見る


世間の占星術ブログでは占星術手法の細かい話を書いたりして毎日記事を更新されるものらしい。
でも私は水星×木星の180度持ち・水瓶座ですから、細かいことを書きません。

ベースの性格からして、細かいことに興味が向かないタイプです。

「だから詰めが甘いんだよ」
と仰るのは、はい。その通りです(笑)
ケアレスミスだけは本当に反省しております。

もちろん私は細かいことを完全無視しているわけではないのですが、細かい情報を提供すると一般の方々が「そこだけ」に囚われてしまう可能性が大でして、それを恐れているということもあります。
アスペクトや小惑星の話を書くなら、こういうブログで一記事でやるのは危険で(多くの人は一記事しか見ないものだから)、いずれ通しで講座を開かなければならないと考えています。

「細部に囚われる」落とし穴


占星術で初学者の方が必ずと言っていいほど陥る穴が、この「細部に囚われる」ことです。
誰か一人の占星術家が提唱する「手法に囚われる」こともありますね。

特に最初に習った先生の手法や、最初に読んだ本に書いてあった言葉を頑なに信じ続ける方は多いと思います。

それでそのまま何十年も信じ続ける人もいます。
20年から30年前に「ああ、そう言えば一時期だけ流行ったな」という記憶がある説を、未だに唯一無二の占星術手法と信じて、私のような野にいる鑑定屋(※かつて半ボランティアで鑑定していましたが、2017年現在はやっていません)へ
「あの手法じゃなきゃ嘘です。あの手法の通りにやってください」
などと押し付けてきたりする。
私が「これこれこういう理由で、その手法は採用していないんですよ」と説明しても、一切聞く耳持たず。

なかには他の占星術師の鑑定料が高いから、安いところを代わりに利用してやれという悪徳な目的で来られている方もいます。
しかしそうではなくて、本当に心から「その手法しかあり得ないんだ」と頑なに信じている方も実際いるわけです。

思うに、その方にとってはその手法が「占星術の全て」になってしまわれているんですね。


アスペクトや小惑星についても同様です。
料金設定の都合もありまして、私はアスペクト等を網羅的に書き出すことはしていません。
しかし何か一つのアスペクトなり、惑星なりに異常にこだわっている人は多いもので、
「なんであのアスペクトについて書いてくれないんですか!?」
と言われることがあります。
書かないのはお悩みと関係ないし、全体として重要ではないからなのですが、ご本人は始めから「そこだけ」が気になって仕方がないので触れられないことが不本意となる。

占星術の掲示板などを眺めていても、
「○○ハウスにこの惑星があると絶対に事故で死ぬ! キャー―!!」
などという話が飛び交っていますが(笑)。
だいたい占星術を少しだけかじった方は多くの方がこの乗りで、何か細かいことに異常にこだわる傾向があります。

ハウスに何かの惑星があるだけとか、一個だけの象徴で100%同じ結果が出るということはあり得ません。
どうか、細部に囚われないようご忠告申し上げたいです。


俯瞰で見ましょう


これは私独自のやり方ではありますが、ホロスコープは引き(俯瞰)で眺めると真実に近付けると思います。

「詰めが甘い人になるから嫌~」
などとバカにしていないで、細かいところだけ注視するのをやめ、まずは引きで全体図を眺めてみてください。

たった一つのアスペクトや惑星が人生を表すということはあり得ず、全体を眺めて初めて人生の地図は見えてきます。

アスペクトも多くの場合、複合で初めて強力な意味を持ちます。
一点の角度よりも、複数のアスペクトが成す特殊な「形状」が個性を表すわけです。
(だから実占ではオーブを広めにとって個性を見ます)

タイトなメジャーアスペクトの場合、一点だけでも人生に重要な影をもたらすことは確かにあります。
だからその解読をおろそかにすべしと言うわけではありません。
ただもしアスペクトが与える人生への大きな影響というものがあるなら、既に十大惑星でそのメッセージは明かされています。
惑星の読み込みがアスペクト細部の徹底解読と結果として釣り合う、という経験を私は何度もしています。
(逆に言えば、惑星で明かされていないメッセージは人生全体としてたいした意味はない)
なので細部にこだわる暇があるなら、先に大きなところから解読するのが正しいルートではないかと感じます。


お願い


いつも偉そうに、すみません。
でも私のサイトがきっかけでこれから占星術を学んでいかれる人は、ぜひ「全体」を見るように心がけてくださいね。
掲示板で「○○のアスペクトを持つ奴は死ぬ!」などと騒ぐような似非占星術家になりませんように。


関連記事(この記事よりもう少し整っています)
「俯瞰」とは具体的に、どうするのか

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高次霊は人間界の言語を使えない件

 



高次霊と言語


小説を書いていて思い出したのですが、まだ前世など想像もしていなかった頃の夢で、少しだけ過去生の名前のヒントを得ていたことがあったようです。

参考 『僕が見つけた前世』⇒「Age16-April」の最後のあたり
(現実では17歳の秋頃に見た夢。あまりインパクトのない夢だったので、当時たいして気にもとめていなかった。夢ノートの走り書きに残っていたもの)

私はずっと、
「高次元の霊が、過去生の名を教えてくれることは絶対にない。何故なら高次元の視点から見れば、人間界の名前などどうっでもいいことだから」
と書いてきました。

現に、私は
「お前の前世は○○であ~る」
などという尊大なお告げを受け取ったことは一度もありません。
どこかの「ボクは○○の生まれ変わりです!」などと名乗ってビジネスしている方が仰るように、「夢で守護霊から前世の名を告げられた」などということは実際あり得ないのです。笑
もしそんな霊がいたら高次霊でも何でもない。
自分自身の脳の欲望部分の表れか、近くをさまよっていた低級霊が囁いたものと思います。

しかし自分の夢を今こうして改めて点検してみますと、ヒントをもらっていたことはあった……のだな。
私は完全無視していましたが。笑

と言うよりはむしろ、がんばって伝えようとしていたフシさえあります。

それで気付いた。
高次霊が名前を教えないのは「あえて」教えないようにしているわけではなくて、本当に言えないだけなのかもしれない、と。

どうやら音声言語というのは地上に属するもので、地上に近い存在しか扱えないようです。
だから、
「声としての言葉が聴こえたらそれは病的な幻聴か、低級霊の声」
と言うことが出来るわけです。

※彼らのメッセージは音声言語を使わず、意味だけをダイレクトに伝えてきます。ただし彼らの世界に音がないわけではなく、彼らは本性として高度な音楽を持ちます(天界の音楽)。

彼らがかろうじて、地上との共通語言語として使えるのは
「数字」 「記号」 「音楽」
この三点ではないかと思います。
だから昔の哲学者たちは数学や幾何学、高度な音楽を崇めたのではないかと思います。ピタゴラスが数字を神の言語として崇拝し、プラトンが「幾何学を修めない者はこの門をくぐるべからず」と大学の門に掲げたのはこういう理由です。


記号と漢字


ところで、この神々との共通言語のなかで
「記号」
には文字も含まれる可能性があります。

アルファベットもそうですが、アルファベットの場合は組み合わせに人間的な言語力が要るのでなかなか暗号としては使いづらそうな気がします。
その点、漢字は彼らにとって使いやすい記号と言えるのではないでしょうか?

西洋人には漢字が幾何学模様に見えるらしいです。
ということは、彼らにも幾何学模様として見えている可能性があります。

神々とのコンタクトに使うツールとして、もしかしたら漢字は有効なものとなるかもしれません。

なお、世界中で漢字を使える民族は、現在では中国人と日本人のみ。
(韓国では漢字を使える人が少ない)
スピリチュアルな観点から言えば、日本人は優位ですね。


名を教えられた理由

ちなみに夢で高次霊が私の名を教えてきたのは、単に過去生を信じてもらいたかった(=過去生の実在を証明したかった。それで自殺など考えずに前向きに生きて欲しかった)というだけの理由だと思います。

人間の名が彼らにとって「どうっでもいい」ことであるのは、やはり真実です。

もし彼らが人間の名を大切に考えているとしたら、まず先に現在の名を呼びませんか?
過去の名だけ呼んで現在の名を呼ばないなんて、おかしいでしょう。
(だいたい高次元であるはずの霊が、どうして名前で差別するの? 有名だった過去生の名を「高等な名」としてそれだけ呼び、無名の人生の名を「下等な名」として無視する?? 完全公平なはずの高次霊がそんな失礼なことをするわけないでしょうに。名前で差別するのは人間の中でも最も卑しい人たちのすることです)

現在の名を呼んでくれないということは、高次霊は人間を地上の名前で個体識別していないということの証明になります。

 

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前世を思い出したら、すべきこと【前世記憶を現実と照合する方法】

 


もしも前世記憶を思い出したら…
なんとなくの空想で済ませていると記憶に翻弄されがちです。
今の現実と照らし合わせることで、苦手なことを克服し自分らしい生き方を獲得するなど、“今”の人生を深めるために記憶を生かすことができます。

〔目次〕
「夢で済ませるのはもったいない
① 場所・時代を推定(特定)する
② 過去の自分を探す
③ 現在の自分と照合する←特に重要、これだけでも可
(付録) 占いの知識を借りて確認する


「夢」で済ませるのはもったいない


日本のスピリチュアル愛好家の方々は、前世記憶らしきイメージを見てもあまり現実照合や検証を行わないようです。
これは惜しいことです。
特に彼らが前世記憶について「夢」だと仰って、現実・現世との照合を最初から行おうとしないことはもったいないです。

宇宙との一体感を味わう、などの神秘体験は「体験すること」それ自体に意義があるのだろうと思います。
ただ輪廻転生という現象は現世に近いところで起きています。そして前世記憶というものは、何か前世起因のトラウマによる不調があり、その調整をはかるために思い出すもの。だから前世記憶は現実と考え、現世と照合する作業を行うことが非常に大切です。
この現実との“すり合わせ”分析を経て初めて、現世の問題は解決に向かいます。

(ワイス博士などの行った退行催眠では、前世を思い出した瞬間に症状が改善されるというケースが紹介されています。しかしそれは幸運なケースなのかなと思います。一般的な退行催眠治療は、やはり長い時間をかけた客観的な分析が必要で、その分析を行ううちに徐々にトラウマが薄れていくものだったはずです)

ヘミシンクでも自力でも、前世を思い出したら必ず現世と照合する作業をしていただきたいものです。

ここに私自身の行った照合経験から、具体的な「照合」の手順をご紹介しておきます。
(過去記事とも重複しますが、改めてまとめてみました)
参考にしていただければ幸いです。 

⇒私の体験と現実照合メモはこちら

【前世記憶を現世と照合する方法】

① 場所・時代を推定(特定)する


これが第一歩となるでしょう。
覚えているイメージを手がかりとして、今の時点での知識を総動員し場所と時代のアタリ(見当)をつけてください。
「西洋か、東洋か」 「100年前か、1000年前か」
最初はこの程度で構いません。
どうせ自分の知識など浅いものなのですから、国の見当をつけたとしてもたいてい間違っていると思ったほうが良いです。(私は当初、激しく間違えていました) 
なお、この時に自分の願望が出やすいことにも注意してください。「自分の前世がこの国の人だったらいいなぁ」と願っていた国とは、現実には異なる場合が多いと思います。

だいたいの見当をつけたら、その周辺の国や時代の記録を読みます。
ここでは消去法で自分の記憶と違う国や時代を片端からカットしていきます。

※追記でご注意 
前世記憶は誰でも必ず、現世イメージが混ざり作り変えられていることが考えられます。このため調度品や服装等々の細部についてはこだわり過ぎないようにしてください。もっと本質的な習慣や時代の状況で考えるようにします

そのようにして、出来る限り狭い範囲に絞ります。


② 過去の自分を探す


次に①で狭めた範囲の時代における、自分自身の痕跡を探します。

100年以内に生まれ変わった人は、前世の家族を探すことも可能でしょう。
近い時代に生まれ変わった人は前世の自分の名や住所を覚えていることもあり、早い段階で過去の自分を発見出来るはず。前世で生きていた土地へ旅し、前世の知り合いと再会して語り合うことも夢ではないと思います。

ただこれはかなり幸運なレア・ケースです。
ほとんどの方は100年以上経過してから生まれ変わっていて、前世の家族や友人もとっくに地上を去っています。前世の住所など仮に覚えていたとしても、もちろん残っていないでしょう。国さえ残っていないことが多いと思います。

そもそも名前を自分で記憶しているケースのほうが少ないはずです。
(言語記憶は一番に失われやすいため。またはダウンロードする必要がないのか? たいてい言語記憶は蘇らない)

でも、諦めないでください。
前世で国家的な役職を持っていたり、何か大きな事件に関わった覚えがあるなら、前世の自分を記録のなかに発見することが出来るかもしれません。
特に中国人やギリシャ人・ローマ人などには記録癖があったため、古代でもかなり現実的で詳細な記録が残されており、「記憶通り」の記録を発見出来る確率は高くなります。

たとえ自分自身を発見出来なくても、自分が関った人のなかに有名人がいれば照合の手がかりになります。
記憶のなかに同時代で生きていた有名人についての知識があれば、これも照合に役立ちます。

ただ注意していただきたいのは、フィクションと現実の記録文献は明確に区別しなければならないということです。
世の中には歴史モデルのフィクションというものがたくさんあります。
もし自分の記憶がフィクションと一致して現実の記録と一致しない、などということがあれば、その記憶は今世で得た単なる知識であり前世記憶でもなんでもありません。
その記憶が本当に「自分が体験した記憶」なのかそれとも知識なのか区別するために、何がフィクションで何が現実の記録なのか、しっかり学んでおく必要があります。
(混同を避けるため、始めの段階ではフィクションを避けて極力触れないようにするのが良いでしょう)
 

③ 現在の自分と照合する


これが誰でも100%出来る、最も確実かつ重要な現世照合の作業です。

ほとんどの方は自分の前世の記録を発見することが出来ないでしょう。
(私自身もほとんどの記憶で発見出来ておりません)
でも、現在生きている自分自身との照合だったら、誰でも100%可能です。

ただしこの照合で「自分のことだから」と気を抜いてはなりません。
漠然としたイメージに走り、満足してしまっては全てが水の泡になります。
たとえば
「あたしはベルサイユ宮殿が大好きだから、前世はフランスの貴族に間違いないわ~♪」
的な、適当な考えは思い込みの域を出ません。
たとえそれが事実だとしても心地良いイメージに溺れているだけでは、いつまでたっても前世の欠点は改善されませんし成長出来ないでしょう。

大切なのは客観性です。
前世の自分と今の自分を客観的に比較し、今のどこが前世と共通しているのか調べてください。

たとえば次のような点を列挙して調べていきます。

●前世の自分の欠点 / 今の自分の欠点
=冷静に欠点を挙げることが最も重要な作業になります。欠点こそ現世の問題解決として役立ちますし、欠点には願望が入る余地がないからです。欠点を挙げるときはなるべく具体的に。自分で思っている欠点だけではなく、他人に言われた言葉も列挙するのが良いです。

●前世の家族関係 / 今世の家族関係
=家族関係や家系の特徴など共通項を列挙しておきます。前世の家族関係は、今世でも似通ったものとなりやすいです。特に家柄、貧富の度合い、家系における性質は引きずりやすいと言えます(何故なら自分自身がそのような家系に生まれやすいカルマを引きずっているので)。
 
●前世での得意・不得意 / 今世での得意・不得意
=性格もそうですが、能力も引きずりやすいものです。肉体に障碍がない限り、たった一回の転生ごときで激しく能力が変化することはありません。能力は生きているうちに訓練して少しずつ成長したり、少しずつ退化するものです。特にスポーツや音楽、勉強などの得意ジャンル(好み)は変化しづらいと言えます。


(付録)占いの知識を借りて確認する


これは最終確認としての裏技です。

何度も書いてきたように、占い、特に西洋占星術のホロスコープには前世の経験が刻まれています。
宿曜占星術ですと、さらにピンポイントに前世の職業まで当ててきます。
参照ページ:筆者のホロスコープ

 ※ただし宿に反映されるのは直前の前世に限る

占いも「科学で実証されていない知識だからあてにならない」と思うかもしれません。
しかし、占いの知識が自分が生まれる前から既に存在していた、自分の脳とは完全に切り離された情報であることは確かです。
この「自分と切り離された」場所にある占いの知識と、自分の前世記憶が一致していたら、その記憶はもう「現実の前世である」としか説明がつかない確信となります。

もちろん他人はそれでも信じてくれないでしょう。
「占い」や「前世」という言葉だけで最初から無考えに否定する人ばかりだからです。
ただこの「現世照合の作業」とは、他人を信じさせるために行うものではなく、自分自身でそれが現実であるかどうかを確認するために行うもの。そして現実のこととしてトラウマを受け止め、先のステップに進むために行うものです。それを忘れないでください。

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「死後の世界の記憶がある人のスレ」より、現世は人間としてまっとうに生きること

 


 面白く読みました。
オカルトまとめサイト ※2系のまとめサイトなので、18禁記事や広告などにご注意
 ⇒死後の世界について記憶あるけど何か質問ある?
 
いつものことながらこういう話は本当のことかどうか分かりませんが、内容に私は納得出来ますし、感銘を受けるところがあります。

〔目次〕
感銘を受けた書き込み、引用
私がいつも思っていること
現世の悩み


感銘を受けた書き込み、引用。


152: 1 ◆UU1G2j76e. 2012/10/02(火) 00:37:19.51 ID:dYR7SkzS0

>>117
欲を捨てるなんてほぼ不可能だと思うけどね。
欲望の世界なんだからここは。
幸せも不幸もそこから生まれるんだし。

本当に欲を失ったのならこの世にいる必要はきっとなくなるだろうね。
他宗教を批判して弾圧するのは本当に悲しい闘いだとおもうけど、自分の真理を探すのではなく他人に頼り過ぎてしまった結果そうなるんじゃないかな。
自分で考えることをやめて、全てを教典に委ねれば自分が神にはなれないと思う。
神は自分の中にこそあるみたいな言葉ってきっとこんな意味

75: 1 ◆UU1G2j76e. 2012/10/01(月) 22:39:27.53 ID:ebf8oda20

>>59
個人を恨む心を持つのじゃなく、諸悪の根源は何なのかを考えることに尽きるんじゃないかな。
自分のされたことについて、恨むというか悲しむのは当たり前。
でもその恨みをもって復讐心を燃やすのは、やはり間違ってるよ。
痛みや悲しみを知ってるからできることがたくさんある。
それに気付いたとき、それを実践することで自分が救われるよ。
自分が救われることが「許す」ということだと思う。

94: 1 ◆UU1G2j76e. 2012/10/01(月) 23:02:23.21 ID:ebf8oda20

>>77
何をやったか、ってのは重要なことだけど、
どんな心でそれをやったのかが大切だよ。
信長は略奪とかしなかったそうだし、本当に民を想い人を救う心があり、
自分の役割を果たす手段として人を殺したなら、最下層にいくわけじゃないんじゃないかな。
そこにいる人間とは人格が全く別領域なんだから。

でも、手段といえど人を殺すようなこと平気でやる精神じゃ上にはきっと行けないだろうね

169: 1 ◆UU1G2j76e. 2012/10/02(火) 01:12:54.96 ID:dYR7SkzS0

>>129
そうだね。地獄って概念というか明確な区分けはないよ。
例えば永遠にに高い高層ビルがあって、5Fから下は地獄とか表現するなら地獄はありけどね。
あとどれだけ善行を積んでも、こころが貧しければやっぱりダメだと思う。
ポイントを稼ぐみたいなのじゃなくて、単純に人間としてどこまで成長できてるのかって問題かなぁ


177: 1 ◆UU1G2j76e. 2012/10/02(火) 01:34:27.73 ID:dYR7SkzS0

>>148
できそうなタイミングで、あ、今かなてときに行動すればいいと思う。
心に余裕がないときなんていっぱいあるさ。
でも自分が変われば苦しみも少なくなるってわかってるだけで、何かが少しずつ変わってくんじゃないかな



私がいつも思っていること


この
現世では人間として、まっとうに生きようよ
という結論に至る考えは心が芯から温かくなります。

おこがましいけど、私も常々こう思っている。
特に75に関しては、似たようなことをコメントレスで書いたことがある気がします。決してパクっているわけではなくて気持ちは同じということ。

現実には私は、このスレ主さんほど信念を持って生きているわけではなく、毎日悩み苦しみながらですが……。

真実として思うのは、こう。
現世では有名になってもならなくても、どちらでもいいんです。
社会的には成功しても失敗してもいい。
ただ、目の前にあることを懸命に、誠実にこなしていくべきだと思う。それだけです。
ズルいことをしたらいけない。
他人に嫉妬して悪さをしたらいけない。
自己の我がままのために人を虐殺したり、快楽で虐待するのはもってのほか。
貪るな、欲張るな。
ただひたすら人間として、まっとうな生き方をすべき。



よく「高い志を持て」などと言うけど、本当に高い志とは「まっとうな生き方をすること」です。
それが人にとって最も難しく最も高い位置にある目標だからです。

狭い視野で生きている人たちは、「高い志」をビジネス上の成功だの、地位だの名誉だの金だのとしか捉えられません。
それこそ低いんだよ。低次元な意識なんだよ、と思います。
もっと視野を広げ、真実を見なければなりません。

本当に大切なことは平凡な日常のなかにしかない。
昔の人はスピリチュアリズムなど知らなくても、自然とこういう感覚があったものでしょう。


現世の悩み


現世の私は、現世人として日々悩んでばかりです。
上の「真実」は自分に言い聞かせているが、実際には出来ない日もあります。

リンク先のスレ主さんが穏やかで安定した回答をしているので、それが出来ない自分のレベルの低さを感じてしまいます。

この違いは、もちろん私の修行が未熟だからですが。
それと、「死後の世界」とやらをよく知らないせいもあるかもしれません。

私は何故か死ぬとすぐに次の人生に生まれ変わっていることが多いようです。

私が生まれ変わるまでの期間は平均百年以内。
前世から今世だけイレギュラーで、二千年近く開いていますが、この間いわゆる「死後世界」で過ごしていたわけではなく時間を飛ばされて直接に来た感覚です。
だから「死後世界」での生活の記憶がないのです。

私は前世の死後、休みたくてたまらなかったのですがその暇がなかった。
だからずっと、「魂は死後、休むことさえ出来ない。肉体のある現世でしか休むことが出来ないのだ」と思い込んでいました。

しかし上のスレ主さんが仰るには、
「死後の世界では暇になってしまうほどパラダイス」
だそうで。
なんと。訊いてないですよ!

もしかしたら私の場合、ずっと休みなしで生まれ変わってきたのかもしれません。

だからこんなに疲れているのか。

休 暇 が 欲 し い 
と切実に思ってしまいました。笑


これはジョークですが、半ば本気なところはあります。
休みたい・休みたいとばかり思っているので、今世では早く肉体から出たいと思ってしまうのかもしれません。

(だからと言って、幽体離脱の訓練はしませんが。これ以上、悪霊と関わったりして余計な問題を抱えたくないので。肉体から離れるのは死んでからで良いと思います。で、今世が終わったら、今度こそ絶対に休暇をもらいます!)


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吊るされた男と、軍神オーディン

 コメントでタロットの話が出ましたので、一つだけサビアン占星術のなかでタロットと関わり深いシンボルをご紹介させていただきます。

蟹座2度に、『広く平らな場所の上につるされた男』というシンボルがあります。(訳:松村潔)
これはかつて松村先生が書かれた書籍(ルディア版の訳)では、
『魔法の絨毯に乗った男が、大地の巨大な区域を飛び回る』
となっていました。

どちらの表現でも、このシンボルの解釈は
「高い位置の視点を手に入れて、広い視野を得る」
です。

『吊るされる』なんて、なんだか怖いですよね。
これでは何か刑に処されているようであり、不吉なイメージが湧いて「悪いことが起きる」だけの解釈になってしまいそうなので、一般的には後者の『大地の巨大な区域を飛び回る』のほうが解釈のイメージが正しく湧きやすいと思います。

ただ、『吊るされた男』と聞けば、タロットをやる方ならピンとくると思うのです。
これは不吉なだけのイメージではない。
そう、タロットNo.12、そのまま『吊るされた男』です。
このカードは確かに、「処刑」「死刑囚」という怖い意味があるのですが、カードが正位置なら“自己犠牲”などのほかに“逆転の発想・アイディア”を表します。

実はこの、“逆転の発想”こそが「吊るされた男」の正体なのです。

「吊るされた男」は確かに刑の執行で逆さ吊りに遭っているのですが、男は逆さになることで世の中を逆転して見ることが出来、それ故に“逆転の発想”を得ます。

古典的なカードの絵を見ますと、吊るされた男は両肘を突き出し、足を組んだ姿勢で楽しげに刑に遭っています。

 

吊るされた男の画像
 ウィキペディア・パブリックドメインより

この奇妙な絵は、男の体の形で「五芒星」を表しているのです。

「五芒星」は何かと言うと、主に魔術や軍事を表します。

※五芒星を「悪魔のシンボル」と主張している宗教が存在しますが、これはその宗教が異教徒たちに五芒星や六芒星のレッテルを貼って迫害したという歴史によります。シンボル学としては五芒星を「悪魔」と読むのは完全なる誤りです。(それとは別に、近現代では「悪魔崇拝」の思想家たちが五芒星を自分たちのシンボルとして利用している現実もありますので要注意。ナチスの鍵十字と同じで勝手な借用)


――さて、では何故、タロットの12番に「魔術」とか「軍事」が出て来るのか?
というわけで探ってみましたら、北欧のオーディンに行きつきました。

オーディンは北欧の軍神で「魔術・智慧・戦争」をつかさどります。

そしてなんと、上のタロットカード『吊るされた男』とはオーディンそのものを表していたのです。

オーディンはルーン文字の秘密を得るために、ユグドラシルの木で首を吊り、グングニルに突き刺されたまま、九日九夜、自分を最高神オーディンに捧げたという(つまり自分自身に捧げた)。この時は縄が切れて助かった。この逸話にちなんで、オーディンに捧げる犠牲は首に縄をかけて木に吊るし槍で貫く。なお、タロットカードの大アルカナ XII 「吊された男」は、このときのオーディンを描いたものだという解釈がある。
ウィキペディアより
このオーディンはまた、「高座につく者」と呼ばれています。
自ら吊るされて片目を失うという犠牲をはらってまで高度な智恵を手に入れ、高い視点の発想を得ることが出来た者ということ。

つまりオーディンの物語がそのまま、サビアンシンボルの解釈
「高い位置の視点を手に入れて、広い視野を得る」
に投影されているわけです。

だとするなら、一見分かりやすいようだが遠回しな 『魔法の絨毯に乗った男が、大地の巨大な区域を飛び回る』 などとするよりも、『吊るされた男』と言われればタロットを知っている方ならそのままダイレクトに解釈へ直行することが可能なはずです。

蟹座2度はたまたまタロットそのものだったので分かりやすかったのですが、同様に、サビアンシンボル解釈にはタロット等の知識が役立つことが多々あるはずです。
そのためにも、なるべくなら原文に近い訳を見たほうが良いのかな、という気がします。


なお、この蟹座2度について深く調べたのは、たまたま自分のホロスコープで重大なポイントにこれがあったからです。
※筆者のネイタル、多重ヨッドの一点を成す星に蟹座2度がある。
(速度の遅い惑星であり、生年月日が近い人は皆この度数を持つことになりますので、アスペクトに何か特徴がない限りさほど気にするものではないと思います。以下の「戦争」などの解釈は私のホロスコープに限ったことですので、蟹座2度をお持ちの方の全てが気に病む必要はありません)

私のホロスコープは全体的に戦争と関わりがあります。
ただその星だけは、松村先生の初期の書籍で、『魔法の絨毯に乗った男が、大地の巨大な区域を飛び回る』と書かれていたので戦争とは関わりのないものだと長年思っていました。

ところが、調べてみると 軍神オーディン だという。

軍神……ですか。
しかも魔術まで使う知恵者の扱い。
結局、どこまでも過去生を表していたのだと知り、しばらく凹みました次第です。

それにしても、このシンボルの真相を知って改めてサビアン占星術は凄まじく当たるのだと確信しました。
皆様、私からお送りした鑑定について「なんとなく当たっているかも? 当たらないかも?」程度に思われているでしょうが、自分でも気付いていない過去生を表していることがきっとあると思います。
私だって、過去生の記憶がなければ「軍神」のシンボルを突き付けられても
「はあ?ナンノコッチャ。全く当たってないよ、自分は軍事と関係ないし」
と思っていたでしょうから。


 

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前世を思い出したい人は、何を期待するんでしょうか?

 

いついかなる時代でも、「前世を思い出したい」と思う人は多いものです。

私は17歳のあの日まで前世というものにほとんど興味がなく、思い出したいと考えたことすらありませんでした。

ただ、そんな冷めた私でさえ、自分の前世は何だったんだろう? と想像することはありました。
私の希望としては
・ドイツの靴職人
あるいは
・吟遊詩人
あたりの前世をリクエストしたかったのですが、見事に夢を裏切られて今に至ります(笑)。はい残念。

結果、「いかにも自分らしい」と納得する前世を思い出すことが出来たし、自分の欠点や問題点を知ることも出来たのでとても有意義な体験でしたが、今でもちょっと残念だと思うのは
“自分の前世は何だったんだろう?”
とあれこれ想像することが永久に出来なくなってしまったことです。

思うに、現実を知らないうちは、“前世”と言っても自分とかけ離れたタイプやあり得ない仕事などを空想することが出来るのですよ。

ただ、現実を知ってしまうと、
「自分は自分にしかなれない」
ということを痛いほど思い知ってしまう。

これは子供の頃に将来の夢をあれこれ思い描いていたのに、大人になって現実を知ると「自分は自分にしかなれない」のだということを思い知るのに等しいですね。

将来も、過去も、自分以外のものになどなれないのです。

そう考えると未来と過去は同じものだと分かります。

前世を思い出したい人々のほとんどは、きっと何故だか前世は今と違う自分があると思っている。
つまり、変身願望を叶えたくて前世を見たいと願うのでしょう。
(もちろんそうではない人も一部にいます)

だけど変身願望など叶うことはありませんので、ご期待なさらず。

こう書いてしまうと夢も希望もない話みたいになりますが、逆に言えば、変わりたければ今の自分を変えていけば良いのだと分かるでしょう。
いきなり全く別の自分に「変身!」することは100%不可能でも、少しずつなら変えていけます。


ところで私などは、『我傍に立つ』~『永遠の雨』を読んでいただければ分かる通り、実にワンパターンな人生ばかりです。

数学・幾何学が得意だった → 戦争のトラウマで拒絶して不得意になった

という得意ジャンルの変化・能力の違い(能力はどちらかと言うと下降気味)はあるようですが、概ね虚弱体質でお勉強しか出来ないタイプばかりです。

そもそも、私が記憶をどんどん遡っていったのは、「どこかに違うタイプの人生があるからだろう」と期待したからでもありました。
しかし残念なことに、どこまで行っても虚弱タイプばかり。笑
まるで玉ねぎの皮を剥いても剥いても玉ねぎであるように、自分は自分でしかないのでした。


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死の後、数日間の話

 


今回は、「人は死んだ直後どのように過ごすか?」についてお話ししたいと思います。


臨死体験は生きている人の話


よく「臨死体験」を話してくださる人はいらっしゃいます。
お花畑を見たとか、先に亡くなった家族を見たとかいうものです。

実は先日、私の義父が危篤となってから生還したのですが
「手術中の自分の体を天井近くに浮かび上がって眺めていた」
という体験を話してくれました。
幽霊話など日ごろしない、現実主義の義父です。嘘をついているとは全く思えない。

私も全身麻酔の経験がありますが、義父の体験とは全く違って麻酔を吸った瞬間に意識ゼロでした。生きている人間が麻酔を受ければ、手術中に夢を見られる状態ではないことが分かります。
やはりこういう体験を話してくれる人は、手術中に魂が体から抜けているのでしょう。

このように、生きている者が話す「臨死体験話」はけっこう多いけれど、死んだ後のことを話してくれる死者はなかなかいません。
亡くなっているから話せない。当たり前ですが。
また仮に霊感のある人が幽霊に話を聞いたとしても、その霊魂はたいてい現世に留まっている方なのですよね。
「地縛霊の生活」というものが一般的な例として参考になるのかどうかについては、はなはだ疑問です。

一般的な死~転生の過程を教えられる可能性があるのは、前世の記憶がある者しかいないでしょう。
死んで・生まれ変わった、という過程を通って来た記憶があるので、大多数の人がいずれ辿るはずのその道を教えることが出来るはずです。


中間生


そんな「前世の記憶」がある人々の話をまとめている良書が、お馴染みブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』シリーズです。彼は輪廻転生というものがあるかないか、という検証に耽溺せず、患者の話をそのまま記録されているので参考になります。

その本で書かれているのが、「中間生」という状態です。

魂は肉体が死んだ後に体から抜け、生と死の狭間のような場に辿り着きます。
これが「中間生」の状態。
私も直前の前世ではこの「中間生」の記憶を持ちます。

臨死体験には生きていた時の教育や文化経験により様々なバリエーションがありますが、完全に死んだ後となる「中間生」は、世界中どんな人種でも似たような体験となるようです。

それは
・直前の自分の人生を振り返り
・守護霊や指導霊からアドバイスを与えられる
というものです。

中間生にいるときの感覚は、直前の人生の生き方にもよるでしょうが概ねこのような説明で共通しています。
・幸福感があり
・痛みや苦しみ不安が一切なく
・人生の全てに意味を見出す
生きているときに気付かなかった凄まじい愛情を知ることもあります。

いわゆる「魂の伴侶」、ソウルメイトの存在にはここで気付きます。
“指導霊”というものは、姿形は見えません。
声が天から降って来るような感じです。
一般的に「神様の声」としてイメージされるものです。
ただ、声といっても音声ではない点、注意してください。
意味だけが理解出来るメッセージです。
高級霊――地上を卒業して久しい先輩方の世界に、言語はありません。
これは私の前回の場合。他の方の話によれば、姿のある身近なガイド霊に付き添われて死後世界へ赴く場合もあるようです。前回、私が声を聴いた霊は一般の「ガイド霊」よりも高次元で広範囲の霊と思います。「地球を担当する指導霊」くらいの壮大な存在)

もし催眠中や夢の中などではっきり言語としての音声が聞こえたら、ちょっと「危ない」と思ったほうがいいでしょう。
脳の機能のエラーによる、幻聴の可能性があります。

※幻聴は脳のシステムエラーですから、耳という器官を介することなく脳内で直接に音が作成されます。ですから、はっきりとした音声が本当に聞こえるようです(つまり本人にとっては幻聴などではなく本物の音なのです)。幻聴かそうでないかは、「音が聞こえるか否か」で区別すると良いです。  

指導霊が行うアドバイスは、たいていその直前の人生の意味を教えるためのものであることが多いようです。
「その人生の目的はこういうものだった」
「お前はこの人生でこうすべきだった」
「この人生でクリア出来なかった課題はこういうものだ」
等々。
学校の先生の答え合わせみたいな感じです。

ちなみに優しい先生です。
優しさを通り越して完全なる寛容の意識を感じます。
指導霊に感情はありませんので悪いことをしても叱られることなどはないでしょう。
ただ生前に他人を虐げるなどのひどい罪を犯していた場合は、
「残念。もう一度やり直し」
と事務的に告げられるのではないでしょうか。

人生は100%自己責任です。
閻魔大王など裁いてくれる者も、神もいません。だからこの「中間生」で指導霊や神様から罰を降されたり、地獄へ落とされることはありません。
ただし罪を犯した人にとって、次に生まれる人生が「地獄」であろうとは言えます。

あるいは……これは想像ですが、善行を重ねて人生を卒業した者が高次元の場に昇って高級霊となる、と言われているのと同じように、悪行を重ねた者が落ちる「地獄」に近い低次元の場があるのかもしれません。
それが昔から言われていた
「天国」「地獄」
の真相かな、と思います。
つまり、ヨーロッパ的な死後世界と仏教的な輪廻転生思想、あわせたものが正解に近いのだと思います。

転生し人間界へ戻って行ける魂には、まだ可能性が与えられていることになります。


筆者の体験


では、具体的に人は死の直後にどのような体験をするのか?
ここからは自分の体験を手がかりとして考えてみたいと思います。

以下は自分が観た死後の記憶です。
小説などにも書きましたので「もういいよ」と思われるでしょうが、小説はフィクションであって正確ではないので、「神秘体験の記録」として求められる方はこの記事を参考にしてください。

(死に近付き、肉体が遠くなっていく。意識が高く昇って行く感覚)
自分を呼ぶ者たちの声がしばらく聞こえていた。
その声が少しずつ、少しずつ遠くなっていった。

気付けば空と地の間のような場に居た。
見渡す限り空が続いていた。
上も、下も、澄み切った空。淡い青。

(この時点でもう完全に死んでいると思います。地上と天上の間にいるようです。物質的な高所とは違います)

自分の体を見ると生きている時と同じ服装をしていた。

(肉体はないのですが、体があるかのように振る舞うことが出来ます。私は日常着ていた衣服で、立ち姿勢でいました。なお普通に肉体があるときのように目の位置から自分の体を見下ろすのではなく、遠くから自分の姿全体を見ることが出来ます)

服を眺めながら自分の死んだ時の年齢、職業など、生前のことを思い出す。(確認する)
目の前の空がスクリーンとなったように、人生の映像が映し出されて一気に流れる。
ここで全てのことを思い出す。

指導霊からのメッセージが聞こえた。
「お前の人生に一切の罪はなかった」……
生前、自分はたくさんの人を殺したため罪があると思って非常に苦しんでいたが、死後の意識から眺めれば罪はないと知った。

先ほどまで生きていた頃には辛かった全てのことが、もう全く辛くはないと感じていた。
痛みはなく、苦しみも一切なく、ただ幸福に包まれていた。
空のスクリーンに大きく、生前の知り合いの顔が映し出された。
凄まじい愛情が感じられる。
彼とは長い転生の間で深い絆で結ばれた、“魂の伴侶”だったと知った。
……略
実はこの後も指導霊との会話は続いていました。
私は
「もう人生には満足した。生まれなくてもいい」
と言ったのですが、指導霊から
「まあまあ、そんなこと言わずに。もう一度くらい生まれてみないか?」
などと諭されて(笑)生まれることになったという経緯です。

どうやら私は疲れ切っていて、現世に生まれる気力が本当になかったようです。
そこを「まあまあ。そう言わず」などと指導霊が諭すのは、なんだか漫才のようで、本当にあり得るのか?とちょっと首を傾げてしまうのですが。
現状の人生を振り返ってみれば「さもありなん」です。
(疲れていたから休ませていただくために生まれたのだと思えば筋が通る)

ところでこの体験から興味深いな、と思ったのは、人は死後も生前の服を身に付けているらしいということでした。
生前の服とは「最後に着ていた服」、ではないのでご注意を。
「生前のその人を象徴する服」です。
つまり、健康だった時に最もよく着ていた服、気に入りの服を着ているようです。
 →その後、そうではないかもしれない(実際に普段着で埋葬されたかもしれない)と気付きました。これ以外に中間生の記憶が無いのでどちらが正解か分かりません、すみません。

それから驚くのは、死後しばらく地上の人々の話し声が聞こえていたらしいことです。
どう考えても肉体は終わり、耳の機能などないはずなのに、地上の人があれこれ話していたことが死者の自分に届いていたフシがあります。
たとえば、死後の自分について誰かが評価した言葉。
それから、戒名 諡号(その意味)。
これらの話し声が、自分では地上の人々の声だとは気付かないままに記憶されています。

どうも昔からよく言われているように、
「死者の枕元で遺産分けの争いをするな。本人が聞いているから」
というのは本当らしいです。

遺体を焼いても無駄です。耳で聞いているわけではないので、死者には聞こえます。
だからお葬式で亡くなった人の悪口も絶対に言わないように。死者にその声はしっかり届いていますよ。

さて、ではいつまで生前の服を着ていたり、地上の声が聞こえているのか?というと、これが一般に言われているように49日という日数が目安になるのではないかと思います。
この一ヶ月半前後とはたぶん、生まれ変わりの準備に入る頃までの期間です。

前の人生から次の人生へ生まれ変わる場としての「待機場」に移れば、意識がストップしますので、もう地上の声は聞こえないでしょう。姿形もなくなるから、前の人生の服もここで消えるはずです。

生まれ変わりの「待機」をしている間、時は感じません。
(正確に言うと時間のない場にいるのだと思います)

百年以内に生まれ変わる魂もいるいっぽうで、千年待ち・二千年待ちの魂もあると思います。
その待ち時間の感覚はないということです。
私もいきなり二千年近く時空を飛ばされて来たというイメージです。

なお、一般的には天国から地上を見下ろして親を選ぶ様子が語られています。
私の場合は、今世の親を選んでいる記憶はありません。
上にも書いたように指導霊に「まあまあ」と諭されて生まれたくらいなので、自分から積極的に親を選ばなかったのだと思います。
本人にやる気がないので、いざ生まれる時は強制で飛ばされた、のかもしれません。
この部分だけ特殊事例ですので参考になさらないでくだい。笑

ほとんどの方は「生まれたい!」と強く望み、人生を楽しみにして生まれて来ています。
生まれるチャンスが与えらえる機会は、オリンピック選手に選ばれるように幸運なことなので、生まれる意気込みは相当のものです。

両親や生まれる家庭も、当然ながら自分自身で必死で選びます。
もちろん不幸な家庭に生まれる魂もあるでしょう。
それすら選んで生まれて来ている、と言うのが真相です。何らかの課題クリアのためにです。

今現在、死にたいほど苦しんでいる方は「自分で望んで生まれて来た」と考えるのは抵抗があると思いますが、自ら理由あって選んだのだと思えば人生全てのことに意味があると言えます。

補足

ただし「自分で選んで生まれてきた」と言っても、たとえば虐待をする親のもとに我慢して留まる必要はありません。その虐待から逃れて自分らしく生きること、その選択をする勇気を出すことが人生課題であると考えられます。

また虐待をする側、暴力をふるう側も、被害者に対して「お前が選んだのだから受け入れろ」と自分が暴力をふるうことの言い訳として輪廻思想を使ってはいけません。暴力をふるう側はそれを行わない自制を養うことが人生課題であることは明らかです。もしその暴力の誘惑に負けて、幼い我が子を殴って殺してしまったならば、来世以降に相応のツケが廻ってきます。自己中心的に行った悪事が「罪を悔いて、神に祈れば消える」などと甘く考えてはいけません。宇宙法則、自然法則はもっと遥かに厳しいものです。
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前世を思い出す方法。安全な退行催眠のやり方と、注意してほしいこと

 

 

 前世の記憶を思い出したいと願う人へ、私はまず『前世療法』で有名なワイス博士の催眠CDなどをお薦めしています。精神医学博士による催眠であり、ヘミシンクなどと比べても安全だと考えるからです。

 

「ワイス博士の催眠CDを聴いても前世の記憶は蘇らなかった」と仰る方へ。
まだカウンセリングやセミナーを予約するのはお待ちください。まずこちらの方法を試してみては。
私はこの方法で前世を思い出しました。
友人が雑誌で見たというだけの方法なので、まったくお金はかかっていないのです。前世を思い出すべき人がお金をかける必要はありません。

※こちらを必ず読んでから行ってください →注意及び免責

 

 

前世を思い出すための自己催眠、具体的なやり方


実は私はワイス博士のCDでは、ストーリーとしての人生を思いだせたことはありません。ワンカット程度ずつの切れ切れの映像を見ることは出来るのですが。

たぶん販売されているワイス博士のCDは時間が短いので、きちんと思い出す前に映像がストップして切れ切れになってしまうのでしょう。言葉による誘導が正直邪魔となって、映像が途切れてしまうこともあります。

さて、では私が行った退行催眠はどんなものだったか?
その安上がりで簡単な方法はこちらです。

① アナログ時代のテレビの「砂嵐の音」を流します。


この音源を得ることが第一関門だと思います。昔はテレビを砂嵐に合わせれば良かっただけですが、今はそんな音を出してくれるテレビがありませんね。ネットで音源を探してみてください。  ⇒砂嵐の音
何故、砂嵐の音を使うのかと言うと、上の検索でも分かるように「母親の胎内の音に近い」からだと思います。

② 部屋を暗くして、仰向けに寝ます。


ゆったりとした姿勢で寝ることが出来るなら、ソファでもベッドでも布団の上でも良いです。

③ 目を閉じ、現在から少しずつ記憶を遡っていきます。


なるべく順番にゆっくり辿ってください。
 現在 → 学生時代 → 幼稚園時代 → 幼い頃

④ やがて、記憶を思い出せなくなるほど昔へ辿り着くでしょう。


先を思い出そうとすると、思い出せなくて苦しい感じがあります。

⑤ それでも思い出そうとしてみてください。


すると、真っ黒で分厚いカーテンか、暗く深い堀のような感覚がイメージされるかと思います。
それを越えることには恐怖を感じますが、思い切って飛び込んでみましょう。

⑥ 黒いカーテン・闇の堀を越えた先に見える映像が、前世の記憶です。


……

⑦ 30分くらいしたら現実に意識が戻るようアラームをセットしておいてください。


ここで気持ち良くなって眠ってしまうと、見た映像を忘れてしまいます。


たったこれだけです。
⑤~⑥は人によって差があると思いますが、多かれ少なかれ最初は抵抗を感じると思います。
「黒いカーテン」または「暗く深い堀」は、今世と前世の境目でしょう。
つまり死の領域です。
この堀で仕切って、前世の記憶が今世に流れ出ないよう堰き止めている気がします。
だからここは「越えてはいけない領域」という感覚があって当然です。
私の場合、とても怖かったのでここで引き返そうとしたのですが、引き返すことが出来ず“落ちる”ような感覚で向こう側へ行ってしまいました。
その後、最初に見えたのは薄いヴェールが風で持ち上がり、ヴェールの向こう側の景色が見えるような映像です。
死の領域を越え、前回の人生の記憶が開かれる様子がイメージ化されたものと思います。

★この退行催眠で私が見たイメージについてはこちら ⇒死の直後  ⇒前世記憶


催眠中のコツ、判断のポイント


この方法は、自分で自分にかける退行催眠なので危険はないはずです。

危険な暗示をかけないよう自分の無意識がコントロールしてくれるはず。

ただ死の場面に直面したり、ショッキングな出来事に遭遇したら体と同化せずすぐに視点を離してください。現世の記憶と同じように、少し離れた視点から客観的に自分を眺めることが出来ます。こうすれば、「痛かった」「苦しかった」という記憶はあっても体感として感じることはありません。

ところでこのような催眠の場合、
「単なる自分の空想がイメージとなって出て来てしまうのでは? だとすると本物の記憶か、単なる空想か区別がつかない」
と思われるかもしれませんが、心配要りません。

私は、記憶が蘇る前に
「自分の前世は落ち武者だったんじゃないか?」
「江戸時代の町娘かな」「出来ればドイツの靴職人がいいなぁ」
等々と次から次へと自分なりに思いついた前世をイメージしていましたが、本物の記憶は圧倒的なリアリティがあり、泡のように湧いてきた空想を全て吹き飛ばしてしまいました。
(と言うよりも、記憶へ切り替わると自動で映像が再生される感じで現在の思考は入り込みませんので、妄想に左右される余地はありません)

ちなみに、私の前世は一瞬たりとも自分で想像したことがなかった時代・国・立場の人生でした。
本物の前世の記憶を思い出したときは、自分の空想力がどれほど貧困だったかを思い知って落ち込むことでしょう。


そのイメージが本物の前世の記憶かどうか? 判別する目安


本物の前世記憶だったら、次のような感覚があるはずです。

・圧倒的なリアリティ


記憶が蘇った瞬間、空想映像から現実に切り替わる感覚がある。ドラマを見ている時に急にニュース映像が飛び込んできたかのようなリアリティを感じる。

・予想外の内容


それまで想像していた前世とは全く違い、徹底的に期待を裏切ってくれるのでガッカリする。(たいてい自分で自分の過去は嫌なものである)

・アイデンティティの一致


ただし、確かにこれは自分自身だと思い出す感覚がある。

・恥ずかしさがある


自分で自分の幼い頃の映像を見ているような恥ずかしさがある。穴があったら入りたくてたまらない。だが、記憶からは目を逸らせないので精神的拷問。(自分の幼稚園時代のビデオの強制上映会に等しい)

・解放感がある


記憶を思い出した後は、今まで謎だった不可解な悩みの原因が全て分かってスッキリした気分になる。

・自己肯定感を得る


前世の自分は嫌いでショックだが、不思議と「このままの自分でいいんだ」という感覚となる。

※あくまでも目安として参考にしてください。全ての方が、前世記憶を思い出す際にこの全ての条件を満たすわけではありません

ポイント、おさらい。

前世の記憶とは嫌なものである。何故なら、反省すべき過去がなければ、あなたは今ここに居る必要がないから。


皆様が上の全ての感覚を満たすとは限りませんが、少なくとも前世を思い出すときは必ず「嫌だ」という感覚があるはずです。
ショッキングな映像もあると思います。
人によっては死の瞬間を思い出すこともあるでしょう。
前世とは誰にとっても100%夢の物語ではないのです。ファンタジックで幸福な夢だけを思い描いているなら、今すぐ前世への興味は捨てたほうが良いです。


他人の魂に憑依されたか否かの判別(チェックリスト)


憑依体質の方は、前世の記憶を思い出している最中に他人の魂に乗り移られることがあるようです。
この場合、その他人の記憶を「自分の過去生」と勘違いしてしまう場合があります。
見分けるポイントは次の通り。下記のどれかが当てはまったら、前世の記憶ではなく他人の過去を見てしまっただけの可能性があります。

・知らない言語を話せるようになった


亡くなったばかりの幽体は言語を記憶していますが、 長期間「死の領域(中間生)」を越えて転生した魂は言語記憶などの情報が曖昧になります (特定の土地以外では必要がなくなるからです。必要がないため来世で言語記憶はダウンロードもされません)。
自分の名前や親しい人の名前など、キーワードだけ思い出す人はいるようですが言語を操れるようになることはほぼないと思います。
(幼少期の前世記憶は例外。参照:『前世記憶とは何か』
もし鮮やかに知らない言語を操れるようになったら、最近死んだばかりで浮遊していた魂に乗り移られた可能性があります。 


・その記憶と今の人生に共通点がない 


特に重要です。
家族構成、家庭環境、小さい頃に得意だったことなど、全く共通項がない場合は他人の魂に乗り移られた可能性が高いでしょう。幼い頃は前世の影響がまだ残っていますので、少なくとも性格や得意分野には必ず共通項があります。

・記憶を思い出しても、現在の悩みの原因が分からない 


自分の過去生なら、現在の悩みの原因をその記憶に見出してスッキリした感覚があります。当然ながら、他人の人生を観ただけの場合はこのような感覚がありません。

・記憶を思い出した時を境に、急に恐怖に襲われるようになった


過去生で自分が経験したことなら、必ず今世に想い当たるふしがあるはずです。
水で亡くなった人は水に対するトラウマ、埋められて殺された人は狭い場所を怖がるなど。それは前世記憶を思い出す遥か以前、生まれた時から抱いている不可解な感覚です。
今までそんな恐怖はなかったのに、記憶を思い出した日を境として急に何かが怖くなった場合は、明らかに他人の魂に憑依されているだけです。(前世の記憶を思い出した後は、逆に今まで不可解だった恐怖が少しずつ消えていくのを感じます)

以上、参考になればと思います。


※必ずお読みください※ 注意及び免責


この記事を書いている者は心理療法の専門家ではありませんので、何か問題があればすぐ医師にご相談ください。 当サイト運営者は精神疾患・身体の不調について一切の責任を負えません。

<注意点>
催眠中、耳元や頭の中ではっきりとした音声が聴こえた時はすぐに中止してください。前世の会話が音声で聴こえることはありません。全て現世の記憶と一緒で、「何を言われたか」や相手の声のトーンを思い出すだけです。音で聴こえるものは幻聴の可能性があります。


【解説。この記事を置いている理由】
この記事を最初に読む方のために書いておきます。
私は、全ての人が前世を思い出す必要はないと考える者です。
当たり前のことなのですが、この当たり前が「スピリチュアル」に興味を抱く人にはなかなかご理解いただけません。

「どうしても前世を思い出したい!」と仰って、身元の明らかでない霊能者やカウンセラーのもとへ足しげく通ったり、高額CDを購入しセミナーへ通う人をよく見かけます。
そんな方へ私はいつも市販されているブライアン・L・ワイス博士のCD書籍などを奨めてきました。(比較的に安いし、安全だからです。最近行われている彼のセミナーは高額過ぎるのでお奨めできませんが)

このページは
「前世に興味があるがワイス博士のCDで全く思い出せなかった」
という方のために次の手段としてご提案したものです。
これは高額な催眠療法や霊視などに足しげく通われることを防ぐためです。
全ての霊視カウンセラーが悪徳ではないと思いますが、現実には危険なこともあるからです。またトータル数十万円もする不当に高い催眠CDや、 セミナー等に通ってお金を使い果たす人もいます。

このページに書いた方法を試してみて、それでも何も見えなかった方はいったん前世の記憶を思い出すことを諦めてください。
思い出すべき人が思い出すのです。
思い出すべきではない人は上にも書いた通りどんなに高額なお金をかけても思い出すことはありません。

境界線(上で書いた「厚いカーテン」「暗い淵」、死の領域)があって前世の記憶が今世に流れ込まないようになっているのには、それなりの理由があります。
ほとんどの方の問題は今世の人生の記憶だけで解決できるからです。
ワイス博士の著書に出てくる患者たちは今世だけで解決できない重度の問題を抱えていたのであり、ある意味では普通よりも不幸~大変な人生を送っていた方だと言えます。
前世を思い出さないということはそれだけ満たされていて、前世にトラウマがなく幸福だということです。
いずれ必要となったらその時には強制的にでも思い出させられるでしょう。

だから見えないなら無理に前世の記憶を求めることはしないでください。
それでも前世への興味を棄てることが出来ない。
どうしても、自分の前世を知りたい。
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この占いをぜひ信じてみてください。 同じ宿の全ての人が同一の職業・同一の人生を送るわけではありませんが、占いで出来る範囲としては最高度に正確な推測となります。


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"出生枠"という考え方

 


輪廻転生に反対する人たちによる「反論」としてよくあるのが、
「地球上の人口が古代と現代では圧倒で違う。物理的におかしい」
というものがあります。

なんでも、
「魂の数は同じであるはずなのに、どうして人口が増えているんだ? 魂の数が足りなくなるじゃないか」
という理屈らしいです(笑)。
そもそも地上の物理では計測出来ないものについて、「物理的におかしい」と言うこと自体がおかしいとは思うのですが。

ただ私は少なくとも、輪廻転生という現象は地上の物理に近いところで起きていて、物理的な見方もある程度は可能だと考えているので上の「物理論者」の言うことも一理あると思います。
彼らの考えで間違っているところは、魂とはいつも必ず100%生まれ変わっているものではない、ということです。


どうして古代と現代とで圧倒の人口差があるのに、魂が足りているのか?
理由は、もともと魂の数は地球上人口より遥か遥かに多いからです。

私はよくこの地上に生きている人々・動物について
「オリンピック選手のようなほんのわずかの選抜魂なんだ」
と感じることがあります。

私もそうだし、あなたも同じ選抜魂=セレブリティです。

ほとんどの魂は霊界とか幽界とか、地上ではないところを浮遊しているかスタンバイしているかで、現に肉体を持って生きている魂はほんの一握りに限られています。
だから生きている者たちは、いつか地上に生まれたいと待ち望んでいる魂たちから羨望の眼差しで見られていると思います。

ちなみにこのスタンバイの時間ですが、地上時間にして100年や200年のこともあるし、1000年や2000年は普通にあるらしいです。
それでもラッキーなほうです。
私も前の人生とは、「2000年近く」間が空いているという感覚があります。


ところで、今この地上の人類の数が爆発的に増えているということは、いったい何を意味するのか。
地上には“出生枠”があるのではないか、という話を前記事で書きました。
始めから生まれることが出来る日時が運命の枠として決まっている、というものです。
この枠のなかから、魂は自分の「前世からの流れを正しく受け継ぎ・現世の計画を達成しやすい」という条件に当てはまる肉体・家庭環境・土地を選び、(正確には自分に合致した出生枠が表れるその奇跡的瞬間まで延々と待ち続け)晴れて誕生します。

 ※占星術とは、この出生枠を読み、逆算でその人の前世と現世を推測する技法だと考えられます
 私の考え方(別館)⇒魂を読むためのホロスコープ・マップ

でも今、爆発的に人類の人口が増えている。
と言うことはこの“出生枠”そのものが増えていることになります。

スピリチュアル界の人々がよく言うように、現代は「何事か起きている」のかもしれません。人類が経験したことのない変化が起きようとしているのか。
それで、なるべく多くの者が経験しなければならず、“出生枠”が増やされているように思えます。
出生枠がむやみに増えたことで、未熟な魂も無理やり割り込んできている……ように感じるのは私だけなのでしょうか。

自分に限って言いますと、やはりどうも無理やりここへ割り込まされたように感じてなりません。
肉体も未熟ですし、昔から魂の半分を置いて来ているような気がしているのです(笑)。
何か急いでここへ生まれる必要があったのか。

同じ感覚を抱いている方はいるかもしれませんね。
いつの時代も大事でしたが、今はいっそう大事な時であることは間違いないので、心して生きていくべきでしょう。

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【前世を推測】好きなことだけではなく嫌いなことも縁が深い


前世で生きた国や職業等は「必ずしも今世で好きなものとは限らない」ということを、筆者を例としてお話しします。 

 

決めつけは禁物です


前世についてよく誤解されていることに、
「前世でやっていたこと(携っていた職業や趣味など)は、今世でも好きに違いない」
という決めつけがあります。

たとえば現在の自分がカラオケに通うことが好きだったら、「前世では歌い手だったのだ」と思ってしまうようなことです。
あるいはどこか海外の国にとても惹かれる場合、「私は前世でその国に生きたに違いない」と言う人もいます。

確かに。
今自分が好きなことは過去に自分が好きだったことの可能性はとても高いと思います。
何故か惹かれる国というのも、前世で生きていた国である可能性はとても高いです。

でも実は全ての人が前世でやっていたこと・前世で生きていた国を今世でも好きになるとは限らないのです。

逆に言えば、
「好きではないから」
「惹かれないから」
それは自分とは関係ないのだと思うのは、大間違いだということです。


戦争体験者のことを考えてみる


たとえば戦争を体験した人のことを考えてください。

戦争で悲惨な体験をした人が、はたして戦争など好きになるでしょうか?

むしろ嫌いになり、「目を逸らしたいもの」になるのではないでしょうか。

このような場合は戦争嫌いの人間として生まれ変わることになるでしょう。
流行の戦争ゲームにも、とても興味を持つことが出来ないはずです。


たとえば自分を例に挙げますと、私は子供の頃から戦略ゲームが苦手(嫌い)です。
一つのコマを動かすとき、そのコマのなかに生身の人間がいることを想像し、その人たちが死ぬことを想像すると「ウワーッ!!」と頭を抱えて叫びたくなるからです。
このため今どきめずらしいと言われるのですが、私は生まれてこのかた一度も戦略ゲームに時間を費やしたことがありません。将棋やチェスも同様に、やりません。
かつて第二次大戦をモデルにしたリアルなゲームが出現したときは、本気でゲーム会社に抗議しようと思ったことがあります。まだあの戦争を体験した人たちが生きているこの時代に、あんなゲームを発売し、どれだけの戦争体験者がトラウマを呼び覚まされ苦しむだろうかと思って許せなかったのです。
……しかし、世間の人々はそういうことに無頓着で、平気で戦争ゲームを楽しみ笑っていることを知り、「自分は他の人と違う」ということに初めて気づいたものです。

何が違うのか、と言うと、体験が違うのです。おそらく。
(後で知ったことですが、私はどうやら前世で戦争に深く関わっていたようです)

前世で戦争を体験した人、あるいは戦争を体験してもまださほどの苦しみを負わないうちに亡くなった人は、戦争ゲームを「単なるゲーム」として楽しむことが出来るでしょう。

逆に戦争との縁が深く、傷も深ければ深いほど、戦争ゲームには近寄らなくなるでしょう。
結果、見た目には
「戦争ゲームに興味がない人」
となるわけです。

だから「興味がない」・「嫌い」なことや国であっても、自分の前世と関係がないとは限りません。
本当は関係が深いからこそ興味を持てず、嫌いなのだということもあることに注意していただきたいです。


嫌いな物にも気を付けてみる


付け加えますと、前世で縁が深いのだが「興味がない」「嫌い」なことは、他のことに比べると圧倒で一番に「興味がない」「嫌い」なことだったりします。
それについて考えると虫唾が走ったり、涙が出たり、肌が粟立ったりといった現象が起きます。

“自分の前世はどんな人だったと思う?”
と聞かれ、真っ先に「これだけは嫌だ」と思い浮かぶ職業・国が実は最も苦しい経験をした前世だったということもあります。
(私がそうでした)

このように生理的な拒絶反応が起きるからこそ確かに前世だという証にもなるのでしょうが、自分では実際に思い出すまで気付けません。
最初から全く縁がないから「関心がない」ということと、トラウマに触れるのを恐れて「興味を持たない」ようにしていることの区別は、非常に難しいものです。


そのため、そもそも「好き・嫌い」で前世を推測すべきではないと私はお伝えしています。

基準とすべきは「得意・不得意」。
あるいは、「馴染みがあるかどうか」です。
拒絶反応があるのだけれども、何故かそこから目を離せない。
その映像などに触れると何故か自分に馴染む。
“慣れている”と感じる。
“深く理解”出来る。
そんなことや国があれば、前世でそれらと縁が深いのだと考えられます。
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