【質問】何がきっかけで読書好きになったのですか?


 【質問】
何がきっかけで読書好きになったのですか? 読書好きとなったきっかけの本を教えてください! 私も本好きになりたいから、その本を読んでみたいです! ※

【回答】
記憶にございません。笑
物心ついた時にはすでに読書好きでした。


※同じような質問は過去に何件もいただきました。ここでは皆様のご質問をまとめて表現しています。 以下は雑談。

〔目次〕
そう言えば、「読書好きになったきっかけの本」が思い出せない
物心ついた時からの「読書好き」は不思議ですか?
もし、読書好きになった原因が過去世にあるのだとすれば
まとめ。読書好きになるきっかけなんて、何でもいいんです


そう言えば、「読書好きになったきっかけの本」が思い出せない


最近、『戦う書店ガール』というドラマを家族が観ています。本のタイトルが耳に入って来ると私もつい釣られて画面を見てしまいます。

このドラマの中で主人公が「最も好きだ」と言っていたのが、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』。
私も子供の頃にとても好きだった本なので嬉しく思います。あの赤い布張りの装丁、児童書のわりにずしっと手に重かった分厚さが懐かしいですね。

しかし、ドラマの主人公が
「『はてしない物語』で人生が変わった。何度も読み返している」
と言っていて、自分はそれほどではなかったなと思いました。
また読んでみたいなと思う本ではありますが、傍に置いて何度も読み返すということもなかったのです。

“一番好きな本は何ですか”
“人生を変えた本は何ですか”
と聞かれると私は答えに詰まります。
たぶん、あまりにたくさんの本を読んで様々なことを感じてきたせいで、「これ」という一冊を答えるのが難しいのだと思います。
もちろん凄いと思った本を挙げることはできます。最高度に衝撃を受けたのはヘッセ『デミアン』、共感したのはスティーブンキング『スタンド・バイ・ミー』等。
それら読書体験を述べることは可能ながら、その本が「人生を変えた」かどうかと聞かれると難しい。
まして、
「本好きになったきっかけ」
としての本などありません。
何故なら、何かの本と出会ったことをきっかけとして読書好きとなったわけではないからです。

読書好きで有名なタレントの又吉なども、太宰治の『人間失格』と出会ったことをきっかけとして読書好きになった、と公言していますね。
もしかしたら、読書好きの皆さんにそのような本があるのでしょうか。
本を好きになるきっかけとしての本を持たない私は、やはりおかしいのでしょうか?


物心ついた時からの「読書好き」は不思議ですか?


私は物心ついた頃からどういう理由か分からず、読書が好きでした。
「本が好き」と言うよりは、「読書が好き」なのです。本を読むという行為そのものが。

目で文字を追うという行為が好きなのであって、その内容はだいたい何でも良い。もちろん良質な物語を読むことができたなら幸福ですが、退屈な内容であっても文章であれば延々と目で追うことができます。その行為が心地良いのです。

このような感覚は、同じ本好きな人たちに語ってもなかなか理解してもらえないので孤独感があります。
読書家と自称している人たちのなかには、「他人よりも難しそうな本を読んで自己アピールしたい」「他人に勝ちたい。勝ったような気に浸りたい」というだけで無理をして本を読んでいる人も存在します。こういう方々にはまず絶対に理解されません。
ミステリ好きなど、あるジャンルのファンの方々にも理解されないことが多いです。一つのジャンルの本にこだわり、他ジャンルは一切受け付けないと言う読書家はわりと多いように思います。たとえばミステリ好きには純文学など退屈(に見えるらしい)本は敵視され、害悪であるかのように憎まれています。ジャンルにこだわっているということはつまり、内容重視ということでしょう。

私はジャンルにこだわらず読みます。文字であれば本当に何でも良いです。(ある種の女性作家の小説など、生理的に受け付けないものはたまにある)
同じような嗜好の人はどこかにいるでしょうか。
辞書や六法全書でも延々と眺めている人がいたら、少しは孤独が癒されるのですが。
 

もし、読書好きになった原因が過去世にあるのだとすれば


ところで自分のこの趣味はいったい何が原因で身に付いたのか。
親の教育? 確かに親の教育は重要のようです。親から「読み聞かせ」をしてもらった子は読書好きになると言われているらしい。
ただ私は幼い頃、親などから「読み聞かせ」をしてもらった記憶は一切ありません。家庭が悲惨な状態だったので、大人たちの誰も子供に「読み聞かせ」をする余裕などなかったというのが現実。

だから思い当たるのは、やはり過去生しかなくなってしまうのです。

しかし一つ前の過去生でも「読書好きになったきっかけ」は思い出せません。良い家柄なので書物の教育は一通り受けたでしょうが、読書を推奨されたり押し付けられた記憶などないのです。
前世でも物心ついた時から読書という行為が好きだったように思います。

思い当たる記憶があるのは、そのさらに前です。
虐待を受け孤独だった頃、書庫へ逃げ込み延々と書物の文字を見つめて過ごしていた……。あの時がきっかけなのではないかと考えています。

つまり私は辛い人生を耐え抜くため書物へ逃げ込んだ。
だから文字を見つめていられるなら何でも良く、文字を目で追うだけで心が落ち着くようになったのでしょう。

そんなわけで、私が読書好きになった本当の「きっかけ」は少々悲惨で哀しいものです。
 

まとめ。読書好きになるきっかけなんて、何でもいいんです


この話で何を伝えたいかと言うと、読書好きになる「きっかけ」なんて何でも良いのだ、ということです。
「面白い本と出会ったから」
でも良いし、
「好きな人が読書を薦めてくれたから」
でも良いと思います。
私のように哀しいきっかけは経験してもらいたくありませんが。

そして誰もが幾つになっても、子供の頃に勉強が嫌いであっても本好きになる可能性はあります。なにしろ私が読書好きとなったギリシャ時代では始め文盲で、先生に文字を教わり初めて読めるようになったのですから。

それとこれが一番大事。
子供を本好きにしたかったら、本を読むことを強制しないでください。

私が強く思うのは、読書は趣味であるべきだということです。
いったい、いつから読書は「良いこと」になり、大人が子供に強制するものになったのでしょうか?

今、ほとんど本を読む人がいなくなってしまった時代にこんなことを言うと出版業界から怒られそうですが、読書は好きな人が行うべき行為。
趣味は「他人に勝ちたいから」とか「頭が良さそうに見られたいから」という目的で行うものではありません。

これからの読書はマニアックな趣味となり、心底から読書に耽溺する同類が増えることを期待します。 

 

Share:

【質問】どうやって占いを戦争で使ったんですか?

 


「占いは好きですか?」
「どうやって占いを戦争で使ったんですか?」
などというご質問メールを多くいただきますので、回答しておきます。
ご質問前に再読お願い致します。



戦略家だった頃の記憶で語れば


私は一つ前の前世にて、東洋の戦略家であったことを明かしています。
※いつの時代に何という名で生きていたかという話は別として、ともかく自分の記憶上、「戦争作戦を考えていた」職業の人間であったことは確かです(出生ホロスコープで裏付け可能)。

世間一般のイメージでは、古代東洋の戦略家はおおむね占いを戦略に用いたと思われているはずです。
それは明代の戦略家・劉基という人物が戦略家である前にまずプロの占い師として名を馳せていたために、「戦略家=占い師」のイメージが定着したからだと思います。

しかしかつての私の場合あくまでも専業の戦略家であったので、仕事として占いを戦略に用いた記憶はないというのが正直なところです。
(プライベートでは決して占いは嫌いではなかったが仕事では使わなかった。陣形で用いたとしてもあくまでも「形」であり、内容的に占いなのではない)

『孫子兵法』※にも「占いを戦争に持ち込むな」とありますように、専業の戦略家が占いを使うのは禁忌であるというのが第一の理由。
それともう一つ、私はプロとして臆病であったが故に占いを使うことが出来なかったのです。

※『孫子兵法』: 東洋で最も有名な兵法(軍事)テキスト。古典ながら未だに役立つ。近年、アメリカ軍が『孫子』を持ち出したことで分かる通り世界的に有名。

日露戦争時代の戦略家、秋山真之は神仏祈願に傾倒していったといいますが彼はよほど豪胆だったのだろうと思います。
私のような小心者は曖昧な神の力より現実の人間の力のほうを頼りにしてしまいますから、とても神仏に祈っている余裕までなかったわけです。

実際「兵站・前準備」という事務的かつ全体運営的な作業にこそ神経をはらわなければならず、戦闘前はその作業が膨大なため神に祈っている時間的余裕すらありません。
「人事を尽くして天命をまつ」
ことが可能となるのはようやく戦闘当日となってから。
計画がうまくいくように、祈るのは現場の将軍(軍隊指揮者)に対してです。
後ろに控える事務方にとって「神」とはほとんど現場の人々を指します。

……であるので、実はプロの戦略家が占いまで考慮して計画を立てるのは物理的に不可能だ(その時間的余裕もスキルも無し)、というのが残念な現実です。

だからもし占いというものを戦争で役立てるとしたら、別に専業の占い師を置いて戦略家はその意見を仰ぐというのが妥当でしょう。

戦略家と占術家を兼業で出来るとは私には思えませんし、またそれが可能なほどの戦闘状況だとしたらたいした戦闘ではないと思います。

〔追記〕 ただし私自身は、他の過去世で占星術を学んだ経歴があるようです。その素地が今に活かされているのかもしれません。

戦争で占いは使えるのか

さて、もっと根源的な問いとして「戦争で占いは本当に役立つのか?」という点を考えてみましょう。

これはおそらく孫子は否定するでしょうし、私も専業の戦略家だった頃は否定していたと思います。

私は今世の始めでも、占いは嫌いではないが「たかが占い」とちょっと鼻で笑っていたところはありました。
しかし中学時代に西洋占星術というものに出会い、少々考えが変わりました。
(と言うのは自分の魂の歴史として西洋に生きた時間が長く、前々世でもギリシャに生きたため、西洋占星術とは相性が良かったというだけかもしれませんが)

西洋占星術には第二次大戦においてドイツ軍・イギリス軍・ソ連軍が占星術バトルを繰り広げたという歴史的事実があるくらい、実効力があることを感じさせます。

最終的にイギリス軍に軍配が上がったのはやはり専業であった占星術師が強かったということになるでしょうか。
このことを見ても占術家は兼業であってはならず、戦略家は現実計画と兵站手配に徹し、占術家は星読みに徹するなど、専業同士で作業を分担しなければならないことが分かります。

いずれにしろこの歴史的事実から、プロの占星術師がいればそれなりに戦争でも役に立つということは言えるでしょう。

傍論。【戦争に占いを用いて良いか】

私が思うに占星術には運命を変える力はありません。
しかし運命を先読みすれば、訪れる危難を先延ばしにする手段が取れます。
それを実行したのが第二次大戦の交戦国でしょう。

――ただこれは結局は借金の返済を先延ばしにするだけなので、あまりお薦めの方法ではありません。
運命を変更すれば個人と国家に返済を先延ばしさせることになります。

そのことを考えてもやはり、人は与えられた「人事」の中で最善を尽くすのが正しい運命の使い方であり、戦略における常道と思います。

勝利する戦闘というのは、最善を尽くしさえすれば最初から運命で約束されているものです。
これはネイタル(出生)で全ての未来は計画されていることに等しい。ネイタルに描かれた計画を実現するもしないも本人次第だが、背けば負担を負う。
だから人として最善を尽くすのが最もスムーズにいくわけです。

☆2014/11/15の記事。(15/10/23加筆 17/12/24リライト、目次設置)
Share:

新着

Blog Archive