不可抗力で読書しよう


 又吉の『火花』を貸してくれる人がいたので、昨日から読んでいます。切なく心優しい誠実な小説で、私は好きです。
でもこれは芥川賞的な作品ではないですね。
「美しい」なんて言葉、芥川賞文学で使ったらいけないよ。
(使う小説のほうが私は好きなのですが)
普段こういうピュアな作品に賞を与えることなどないのに、話題性だけを求めて信念を簡単に変える。まったく節操のない賞だな。

火花 (文春e-book)


読書感想は他で書くとして世間話。

芸人が賞を取ったという話題性だけでこの本を買い、「あたし芥川賞読んだよ!」とFBやツイッターで写真を投稿し自慢している人たちのことを、私はなんだかな……と多少引きつつ眺めております。

いつから本は、「読んだ自慢」を他人にするために買うものになったのだろう?

「子供の頃、友達が読んだ本よりあえて難しい本を選んで読み、相手に自慢して見下すのが楽しかった」
こんなエピソードを当たり前のこととして語っていた人がいたが、全く理解できず「気色悪い」と思ってしまった。

本は、読みたいなら読めばいい。

読書嫌いな人に「読むな」と言っているわけではありませんよ。
読書は何歳から始めてもいいと思います。
始め苦痛でも読んでいるうちに楽しくなって、本を好きになってくれたなら嬉しいのです。

でも「他人に自慢するため」「他人と競うため」「頭良さげアピール」をするためだけに読むなら、どうか本を読むことをやめて欲しい。
あなた方のおかげで、ますます中身のない、話題性だけのクズ本ばかりが増えてしまう。(又吉の小説はさすが彼自身が読書好きだけあってクズではなかったのが救い)
本は、あなたの身を飾るファッションではないんだよ


他記事にて、
かつて公園読書が趣味だった
と書きました。
(ああそう、お気付きかもしれないが、私は「晴読雨読」の人間です。笑)

普通にただ事実としての過去の日常を書いているだけなのに、「頭良さげアピ」「読書家ぶってキモい~」等と言う人たちがいます。なんなのだろうあの捻くれた僻み根性は。

私が日常的に本を読むのは、ただ習慣だからで、どうしてもやめることができないからです。

それと正直ずっと「貧乏」だったせいもあります。
他の趣味に走るほどの金がなかった。
だから不可抗力で、一番金のかからない読書という趣味を選択するしかなかったという……。
世間様から見れば私は不憫な人間なのです。

なおマンガに走ることができないのは、画像がどうも苦手だからです。
ストーリー的には今の小説家よりマンガ家が創った話のほうが圧倒で好きなのですが、私はどうも脳が活字を処理するほうに向いているらしく、絵があるとそれが邪魔になって苦痛になってしまう。マンガは一時間も読んでいると疲れる。
テレビも映画も、家族が「見て見て」と誘うものは付き合って見ていますが、本当はそれほど得意ではない。動画を眺め続けることは苦手。
だから、ゲームもあまりやりません。

たぶんこれは自慢できることではなくて、画像処理が追いつかないということは脳の機能が劣っている、あるいは古臭いのかもしれません。
(よくお年寄りが「マンガやテレビは疲れる」と言いますよね。要するに私は子供の頃からずっと年寄りなのです。笑)


そのようなわけで、私の読書という趣味は不可抗力です。

そもそも趣味とは不可抗力なものではないでしょうか?
不可抗力ではないものを「趣味」と呼ぶのはおかしいですね。


心理学者によれば、読書という行為を始めると数分で心拍が落ち着き、精神的に安定してくるそうです。
この話を聞いて気付きました。私は精神安定剤代わりにずっと読書をしてきて、もはやこの薬の中毒となり、やめられなくなっているのだと思います。

もしこれから読書を趣味にしたい! と思っているなら、どうか中毒になるまで少し我慢して活字に浸ってください。
そのうち、活字に触れていないと禁断症状が出て辞書まで読むようになるでしょう。

え、そんなキモい奴になりたくない?(笑)
だったら他人と張り合って嘘ばかりついていないで、もっと素直になり、自分らしい趣味を選んでください。

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