前世と今世、兄弟関係の縁(グループソウルの話)
ニュートン本レポ、続き。
ニュートン氏の解釈はともかく、この本に登場する被験者たちが語る話には確かに自分の記憶を裏付けるものが数多くあります。
「自分の記憶」と言っても、私の場合はスピリット世界(霊界)の記憶がなく、一万年ほどの地球上?での記憶があるだけですが。
(思うにこのことには理由があって、スピリット世界を思い出してしまうと地上の役柄に打ち込むことができなくなってしまうからでしょう。特に私は大根役者っぽいのでスピリット界の関係は思い出さないほうが良さそうです。笑)
この本で自分の記憶を裏付けてもらって最も嬉しかったのは、
・同じグループの魂は、血縁者として生まれることは少ない
という話でした。
血縁者として生まれるのは近隣のグループから来た魂であることが多いそうです。
稀に、同じグループの魂がお互いに大きな影響を与え合う目的で家族に生まれることはありますが、ほとんどの血縁者はさほど深い関係にはない「遠縁」の魂同士なのだとか。
なるほど、これで納得です。
私は全ての前世において血縁者との関係が薄く、後で巡り合う他人と「血よりも濃い」関係を結ぶことがほとんど。
「他人のほうがまるで本物の家族みたいだ」
と思うことが多いです。
(これは今世も同じ)
私の場合、特殊な事情で自ら孤児となることを願ったため、愛情の薄い両親のもとに生まれ棄てられる運命ばかり選んできました。
だから他の方よりもなおさら、家族との魂関係は希薄だったと思います。
顔も覚えていない家族ばかりなので、おそらく近隣グループよりもっと遠いグループから来た魂たちだったでしょう。スピリット世界でほとんど会うことのないような。
前世と今世だけは少し事情が違います。
今の血族は、前々世で仲間に入れていただいた一族の方々だと思います。
前々世でも私は孤児だったのですが、ある貴族的な老人(私が先生と呼ぶ人です)に拾われ、その家族に入れていただきました。先生の一族とは冷たい関係でしたが、その時の「貴族的な家系(名家)」との縁は前世~今世で続いています。
“袖振り合うも多生の縁”
とはよく言いまして、私は今世でも血族にあまり温かい感情を抱いてきませんでしたが、上の記憶を思い出した後はこの縁を有り難く思っています。
あの時、先生の一族との縁がなければ、私は今も孤児として生まれていたでしょう。
ところで兄弟はどうなのかな?
実は私はあまり、「前世の誰々は今世の誰々」ということを考えません。
そういうことを考えていたら日常生活が送れなくなってしまうからです。
特に前世の主人が今の身近な人だったことを想像すると恐ろしい。翌日から突然に平身低頭し、敬語で話してしまう恐れがあり、頭がおかしくなったと思われ入院させられる可能性大です。と言うか恥ずかしくてまともに話せないね。だから前世記憶のブロックは大事です。
そんなわけで、今世の兄弟が前世の誰だったのかも考えません。
実際、前世の兄弟の記憶は曖昧で、兄については存在したことすら覚えていないのでよく分からないというのが正直なところです。(今世に異母兄がいるため前世が裏付けられたというだけ)
ただ前世の兄と今世の兄とでは個性がまるで違うので、別の魂だと感じています。
弟は……もしかしたら同じか?
断片的な記憶にある弟と今世の弟は、個性が似ている気がする。
一つだけ確かなことは、私が「兄弟を持つ」という運命を前世から持ち越しているということです。※
これは「兄弟枠」という権利が与えられたようなものかなと思っています。
※今世も前世も私には姉妹はいません。「姉妹枠」がないという感じです。前世で「妹」または「姉」となったのは引き取られた先の従妹たちだと思います。今世でも伯父に引き取られる運命はあり、義理のきょうだいを持つ予定だったみたいですが、運命が逸れて違う方向に行きました
この通りスピリット界では遠縁の魂とはいえ、血縁者とも運命的な理由がなければ同時期を過ごすことができないのです。
誰もが遠い昔、家族と縁を持ったからこそ今の関係があります。
そう思うとつくづく、
「有り難し (有ることが奇跡)」
なんです。
続き >>血よりも濃い、グループソウルとの絆