危険なスピリチュアル、「色即是空」の甘い罠

 



スピリチュアルには二分野ある


前世に関する小説を書くようになって以降、「やむを得ないこと」として私はスピリチュアルウォッチをしてきました。

それで最近分かってきたのは、スピリチュアルには二分野あるということです。



 1.科学者が霊現象や転生記憶などの事象を報告するもの
 2.人間に降りた高次元の霊が、真理や救いを説くもの

 

私が抵抗なく読めるのは1のジャンルです。
ここで紹介したニュートン氏の本やワイス博士の本を面白いなと思ったのは、著者が迷いながらも「目の前で起きた事象」を報告しているだけの本だからです。
もちろん彼らの報告を全て鵜呑みにしているわけではなく、たとえば被験者の名も病状も記していないニュートン氏などは100%正しいわけではないだろうと思っているのですが(概ね私の体験と一致しているので作り話ではないと思う。ただ一部、医師も無自覚な誘導が可能だったかもしれない)、事実だとしたら面白いし役に立つなと考えます。純粋に、体験報告記として。
脳外科医が自分の臨死体験について分析した『プルーフ・オブ・ヘヴン』などは、さらに分析的で面白そうだなと思います。

でも、1のジャンルはスピリチュアル漬けの人たちにむしろ好まれませんね。

ご盛況なのは2のほうです。
大元は『バシャール』や『バーソロミュー』なのでしょうか。そこから派生し、影響を受けたジャンルのことです。
(『シルバーバーチ』は後にも書きますがこれとは異質です)

まず、2のジャンルはたいてい「色即是空」的な思想を説きます。
正確に言うと仏教の色即是空とは違い、もっと精神的な「現実 即 幻影」という考え方です。
このジャンルでは、「人間に責任はない」と説かれます。
「過去も未来も幻影で、罪はない」と主張される。今すぐ罪からも輪廻からも解き放たれて自由になるべきだ、そうしなければ「アセンション(高次元への移行)」に乗り遅れると急かす。
また自我を蔑み、エゴを棄てなさいと言う。思考は無意味、自分の考えを棄てろ、とも言う。

私は2系のスピリチュアル本を通しで読んだことがありませんが(読む気になれません)、丸ごと転載している人のブログをご紹介いただき、少し読みました。
一見、高尚な思想のように思えます。
しかし私はすぐにこう思いました、
これは西洋人が知らないのをいいことに、仏教や陰陽道を適当にパクって繋ぎ合わせただけの詐欺思想じゃないか?」。

東洋思想を少し齧れば、2のスピリチュアルジャンルの本はすぐに書けてしまいます。
何も知らない西洋人を騙すのはいたって簡単です。
東洋の新奇な思想は西洋人には理解が及ばないため、適当に抜き書きして繋ぎ合わせればものすごく高尚に見えるでしょう。

もちろん、こうも言えます。
「仏教や陰陽道の始祖と同じ次元の霊が降りて、宇宙真理を語った。だから一致しているのだ。パクりではない」と。
そうかもしれません。
だとすれば仏教や陰陽道を学べばいいのではと思いますが、そうしないのは何故?
『老子』では満たされない何かを2のスピリチュアルは満たしてくれるのでしょうか?


「色即是空」の安易な解釈は危険


生半可な「色即是空」は甘い罠です。

思うに、
「物質は幻影。時間は存在しない。過去も未来も無い。罪など幻」
という仏教思想は遠い究極においては真理です。
でもそれは地上に住む人間ごときがすぐに飛びつくべき思想ではないでしょう。

仏教では究極の目標として真理を明かすと同時に、「自分が解脱している」と誤解する傲慢・責任放棄を戒めているはずです。
しかし半端に仏教を齧っただけの知識人は、「現実は幻影」「死 即 無」という思想だけに飛びつきたがる。
何故なら、そのほうがラクだからです。
死後に即、無となるなら、自殺だって気楽にできる。殺人もそう。

2のスピリチュアルジャンルはもっと極端で、生きているうちに即、「現実否定」ができることになっています。
いや、「アセンションに乗り遅れて人類滅亡に巻きこまれないため」に現実を今すぐ棄て、思考を棄て、高次元のスピリチュアル思想(=教祖の言葉)を受け入れろと脅迫します。
アセンションのためなら殺人も善行となるようです。何故なら、彼ら曰く「罪は幻影で責任はない」のだから。

カルト教団に利用されるのは、まさにこの「悪しき色即是空」です。

色即是空を誤読しての、責任放棄。
地上では何をしても罪はない、殺人も自由、過去の責任に囚われるのはエゴ。
そんなことは全くあり得ないのですが、こちらのジャンルのほうが圧倒で流行る。
「責任はない」と説く思想のほうが甘いために誘われやすいのだと思います。

真理を語る系で私が異質だと思ったのが、『シルバーバーチ』です。
書かれた状況から言えば2のジャンルに入るのかもしれませんが、内容的に1ジャンルに近い。
バーチは徹底して因果律を説いています。自己責任の極みです。教祖様の助けすら必要ないと説く。
そしてアセンションだの何だので焦らせることがありません。むしろ「この道は長い道のり、気長に行け」と説いています。
(あくまでもシルバーバーチ1巻について述べています。後は未読)
どちらかと言うとこちらのほうが本来の仏教的だなと私は思います。仏教が世界で最もマイナーなのは、このように完全自己責任論で甘さがないからです。お金で罪を贖うという逃げ道さえ用意されていません。
自己責任の厳しい思想は人類にあまり受け入れられないようです。
スピリチュアルを利用しようとする人にとっても、『バーチ』の因果律は個人の責任に拠り過ぎていて隙がなく、使いづらいでしょう。
(不幸な人を差別するために使われることはありますが。金を巻き上げるための詐欺では使いづらいので世界中、爆発的には流行らない)

スピリチュアルが暴力になる場合


「色即是空」は本人にとっては罠ですが、他人に対しては暴力にもなり得ます。

私はたびたび、2のスピリチュアルマニアから
「あなたは過去に囚われている。過去は幻影。今すぐ棄てろ」
と攻撃されます。

スピリチュアルマニアと言ってもむろん、自身では体験を持たない人たちです。
前世記憶を持つ人など滅多にいないから「幻影」と嘲笑しやすいのでしょうか。
私はもとから嘲笑されることが分かっていて発表しましたので、今さらこんなことくらいで傷付きはしません。相手に対して幻滅はしますが。

でも同じ論理を他の傷付いている人に用いるのは許せませんね。

たとえば大震災で家族を失った人に対し、
「過去は幻影なのよ。忘れなさい」
と言う。
幼い頃にDVの被害に遭い、成人してもPTSDで苦しんでいる人に対して平気で
「過去に囚われているから苦しむの。今すぐ棄てなさい」
と言う。

これは暴力です。

どうしてこういう無神経なことが平気で言える?

「スピリチュアルは心の麻酔。スピ漬けになると他人の痛みに無神経となる」
と言われているが、本当かもしれないと思いました。


生半可な色即是空では、誰も救われません。
「過去は幻影」と題目を唱えたところで過去は消えません。

過去は過去。
この次元で起きたことは、幻影でも何でもなく現実に起きたことです。過去は覆すことができないし、消えない。
「忘れられないのは心が弱いから」でもない。
過去を無かったことにできるならそんなに簡単なことはないが、記憶の奥底に沈めて忘れた振りをしていても、本当に忘れたわけではない。
過去は在ったこととして、乗り越えたうえで「今を大切に」生きるしかないんです。

前世も、現世記憶が長期となっただけで全く同じなんだけどね。忘れたようで本当は誰も忘れていないのが前世。
そのことはワイス博士の本に書かれているのだが、読んだ人でも理解できないようです。
「前世記憶は現実の記憶と違う」
という差別心が根底にあるのか。

前世まで想像が及ばないのは、やむを得ないことと思う。
でも不幸な目に遭って苦しみ続けている人を非難するのは、明らかに違いますね。


もう一つご紹介。
2に属するものでやはり異質なのがモーゼス『霊訓』。
これは地上に合わせた話をする霊で、やはり性急な悟りを得ようとする人間の怠慢を戒めています。

問『生命は永遠?』

(略)恐らく向上進歩の最極限に到達した、遠い遠い無限の未来に於て、われ等が過去世の一切から離れ去り、天帝の真光に浴しつつ静かに黙想の生活に入るときが、ないではあるまいかと思う。それにつきては、われわれは何も言えない。それは余りにも高きに過ぎる。地上の人間として、そこまで考えようとするのは、けだし早きに失する。

(翻訳者の評釈)

……かの印度思想にかぶれた者は、ややもすれば、途中の大切な階段を無視して、一躍最後の理想郷を求めんとするが、これは百弊ありて一利なしである。何の得る所なき自己陶酔、キザな神様気取りの、聖者気取りの穀潰しが、一人出来上がるだけである。


以上モーゼス『霊訓』より引用


【関連記事】
「一括り」に考えてはならないことと、同じと考えるべきこと

2023年の記事です。スピリチュアルを利用した罠の本質的な工作に気付いた後に書いています。
「恥を知らない」人ほど魂レベルが低い。成長するほど恥を知る(反転思想に注意) 

 

 

Share:

ニュートン本の結論:「運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」

 


長々とニュートン本のレポを書いてきましたが、この記事にて締めたいと思います。
(メインテーマとして取り上げるのはこの記事で最後とします。また他の話で引用することはあります)

※「ニュートン本」とは:前世だけではなく死後世界について、たくさんの退行催眠被験者の証言を集めたレポート。マイケル・ニュートン著。⇒ニュートン本、サイトでのご紹介記事

〔目次〕
ニュートン本の結論
仏教圏ではない国に住む人々の、意外過ぎる反応
欧米化で日本でも進む思想の衰退
私が占星術で考えていたこと。運命VS自由意志
人生計画が変えられないように見えるのは、変えると損をするから
ニュートン氏の被験者たちも同じことを言っていた
私の結論。東と西を足した話が真実である


ニュートン本の結論


二冊の著書の最後のほうで、ニュートン氏が章タイトルとして掲げた結論に私は驚いてしまいました。
「自由意志と運命――運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
驚いた理由は、私にはあまりにも当たり前過ぎることだったからです。
あれだけ多くの被験者を催眠にかけ、大量の霊界情報を仕入れた結論がこんな当たり前のこととは。

ただ思えば私も前世記憶がない頃、このような考え方は「当たり前」ではなかったかもしれません。
もちろん私は仏教圏の日本育ちですから「因果応報」や「カルマ」といった用語はよく耳にしていましたが、ただの道徳としか捉えておらずまさか本当のことだとは思っていなかったものです。
(おそらく皆様も現在そうではないでしょうか?)

それでも仏教圏に住む我々は、キリスト教圏の人たちと比べれば「因果応報」「自業自得」といった仏教用語を日常的に使っていますので、まだこの考え方に馴染みがあるほうですね。


仏教圏ではない国に住む人々の、意外過ぎる反応


「人間の運命は神が決めたもの」と幼い頃から教え込まれているキリスト教圏の人々は、上の結論を聞くと本気で混乱してしまうようです。

たとえばニュートン氏がバンクーバーで講演をしたとき、ある取り乱した女性からこのように叫ばれたらしい。
「あなたのようなニューエイジの専門家は、私たちには人生の選択をする自由があると言い、一方で過去のカルマのせいで何かの計画に従う運命にあると言いますが、いったいどっちなんですか。私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから。私の人生は悲しみでいっぱいです」
葬儀などで僧侶の説法中に、こんなクレーム発言をする人はいませんよね?笑
僧侶の説法を本気で信じているわけではないにしても、「全く理解が出来ずに取り乱してしまう」という人は存在しないかと思います。

アメリカと比較して、日本人は思想的に幅広い発想ができる教育を受けたという点、恵まれているのだなと思いました。


欧米化で進む思想の衰退


しかし最近は日本でも、
「運命 VS 自由意志」
の対立で悩む若者が増えているようです。
欧米文化が流入して久しく、「因果応報」の考えが理解しづらくなっているからでしょうか。

特に占いでは、「運命 VS 自由意志」で二派に分裂していることを感じます。

西洋占星術でも中国占術でも、生まれた時に定まる運命(運勢)を読む手法がありますが、その結果を提示されたとたん
「私は自由意志で生きる! 運命 = 神に抗ってやる!」
と激しい反発を見せる人がいるのです。
自由意志で生きると決めている人が、どうして占いで自分の運命を知りたがるのかは謎ですが、ともかく「人間は自由意志でどのような運命にも対抗できる」と頑なに信じている人たちはかなりの人数存在するわけです。
この人たちは中国系の風水など、運勢を変えて金持ちになれるという「裏ワザ」にはまりやすくなります。

いっぽうで、ニュートン氏の講演で取り乱した女性のように
「私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから」
と信じている人たちも多くいます。
西洋占星術を選ぶのはこちら派の人が多い。
西洋占星術ではこの女性の発言が真実であるとしか思えない場面に遭遇します。確定的な運命、大筋の人生計画というものは現実にあり、それは予め出生時のホロスコープに書き込まれているようなのです。
ある人の死後にホロスコープを開いてみたら、全ては始めから決められたことだったと知って愕然とするという体験は、西洋占星術をやる者なら皆がしていると思います。

このように見てくるとまるで矛盾しているように思えますね。
上の女性が「いったいどっちなんですか!?」と混乱してしまうのも当然と言えます。

でもそう思ってしまうのは、視点が現世という狭い時限にしかないからです。


私が占星術で考えていたこと。運命VS自由意志


「運命 VS 自由意志」、どちらが真実か?

私が自分の記憶から確信していることは、「どちらも真実」です。

つまり視点を現世に限ったときには
人生計画の大筋は誕生時に確定している
が真実となります。

しかし視点を三世(…過去世、現世、来世…)に広げると、
魂は自分の運命を自分で決定していく
が真実となります。

このことをお寺の説法風にではなく、分かりやすくするため現代のゲームルール風に表現しますと、こうなります。

1.ログイン(出生)前に自分のアバタ―(肉体)を自分で選択。魂の属性や経験値により、選択可能なアバタ―候補がいくつか提示される。
2.アバタ―のスペック(才能)は、過去ログイン履歴の経験値によって決まる。
3.アバタ―に与えられる課題(運命)も、過去のログイン履歴から自動計算され設定される。
4.ログイン後に大筋のシナリオを変更することは原則として不可。
5.次回のログイン(来世)時に選べるアバタ―・シナリオはこれまでの履歴に今回の行動を加味して計算され提示される。

「4」の項目でお気付きかもしれませんが、シナリオを変更することは“原則として”不可となっています。
つまり人生計画のシナリオは変更することが、現実には可能なのです。それを実行しているのがおそらく風水などの裏ワザを使って大金持ちになったりしている人たちでしょう。
あるいは西洋占星術でも、予め何月何日に交通事故に遭うことを知っていたら外出を控え、事故に遭う運命を避けることができると言えます。
最大の計画変更は、自殺です。課題を消化する以前に自殺するという計画は誰のシナリオにもない(ホロスコープにも表れません)ので、自殺した者は生まれる前のシナリオを変更したことになります。

このように計画変更した人たちにとっては、
「私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから。」
という上の女性の発言が真実とはならないわけです。

しかし多くの人がシナリオ変更を選ばないですね。
まるで決定された運命の通りに生きているように見える。
何故なのか。
それは、シナリオを変更してしまえば自分自身が来世で(あるいは霊界で)損をするからです。

人生計画が変えられないように見えるのは、変えると損をするから


運命変更の裏ワザを使って金持ちになったりすることや、自殺することは、せっかく経験値を上げるために与えられた人生というチャンスを逃すことになります。
マイナスに振れたバランスを取るために計画された課題だとしたら、その放棄によってさらにマイナスに転じます。そして来世にはもっと苦しい課題を与えられることになる。

自殺した場合は何度も書いてきましたが「始めからやり直し」となります。同じ人生、いや、おそらくもっと重い課題を負う人生が繰り返されることになります。※
裏ワザを使って金持ちになった場合は、来世の運勢を前借りしてしまった可能性が高くなります。無意味に気楽に生きた人生によって、もっとマイナスのカルマを負うことになるでしょう。(前にも書いたように、これは負債を返すべき時に返さず、借金を重ねることに似ています)

だから人間界で金や名誉ばかりを望むのは間違っているし、欲望を満たす生活に溺れてはいけず、苦しいことがあったからといってすぐに逃げてはいけないのです。

※ニュートン氏の本では例外として、「病気などで肉体に耐え難い痛みがあった」場合にのみ自殺はやむを得ないことと表記されています。しかし私が思うにそう公式通りではなく、個別の事情によるでしょう。たとえば、本来なら死ぬべきだった肉体が無理に延命されている場合に、延命を拒否することは「自殺」とはなりません。


ニュートン氏の被験者たちも同じことを言っていた


以上のように私は自分の記憶から考えてきましたが、ニュートン氏の被験者たちも口を揃えて同じことを言っていると知って驚きました。
(このことから、ニュートン氏の被験者たちの記録は解釈を除いて真実だろうと考えた次第です)

正直、来世はもっと自由に計画するものと考えていたのですが、先に肉体候補がありその中から選ぶのは意外でした。でも理に適っています。
若い魂には因果応報の計算式を使うことが難しいので、「タイムマスター」と呼ばれる専門家が計算したものを受け取るという感じですかね。言わば、会計士などのサービスを受けるようなものでしょうか? 

付け加えると、ニュートン氏の結論
「運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
の「何千年にもわたる」という箇所は特に重要です。
日本では「前世で悪いことしたから今世で酷い目に遭ったんだ。自業自得だ」などと言って差別することがありますが、運命の法則はそんなに単純ではありません。
何故なら、現世の運命は過去何千年にもわたるカルマが積み重なった結果だからです。
運命計画は宇宙法則に加え、「タイムマスター」なる専門職が計算して初めて選択肢を提示できるものらしいので、地上に生きている人間ごときが想像することは不可能です。

ちなみに、東西の占いで導き出されるホロスコープや推命といったものは、「タイムマスター」が計算した出生地点を示す座標と思われます。
出生する肉体は、この地上における誕生日時+場所によって示されます。
マスターがピンで刺した誕生日時+場所を目指し、魂たちは降りていくのでしょう。
(だから占いが当たると言うのは、始めから計画通りの目標地点に降りていくため当然なのです)

このピンを刺すことのできる適切な地点を探すのは、実は非常に困難なことです。
たとえば「魂は死後30年で転生する。転生回数は7回」といった宗教教義を信じている人たちは
「数千年間も転生していない? そんなことはあり得ない!」
などと言いますが、そんなことはざらにあります(笑)。
ニュートン氏の被験者たちも証言しているように、千年や二千年、適切な肉体を待っている魂はたくさんいるようです。
宗教の教義はたいてい、教祖にとって都合の良いフィクションが混ざっているから鵜呑みにしないのが賢明です。


私の結論。東と西を足した話が真実である


ニュートン本レポも最後になるので書いておきますと、私は常々、
「東の思想と西の思想を足した話が真実である」
と思ってきました。

西のキリスト教以降の思想は、全く真実からかけ離れています。
民衆から搾取しようと目論むキリスト教会による、教会のためだけの教義は、新興の悪徳宗教と変わらない欺瞞に埋め尽くされています。そんな都合の良い宗教パンフレットは微塵も信じるに値しません。
ただしキリスト信者たちの「神の言葉を直接に聴きたい」という願望から、現代のスピリチュアリズムが生まれているため、その敬虔な姿勢には感謝します。

東の仏教は仏教で、死んだらすぐに輪廻から解脱できて悟りを得られ無に至ると信じているのは、飛躍し過ぎ。
悟りに憧れるあまり、人間たちが堕落して傲慢になってしまったようです。
「神に耳を傾ける」という姿勢すら失ったことは残念です。おかげでマスターたちとの通信手段を失い、東洋に神託は降りなくなりました。
しかし飛躍さえしなければ、仏教思想は完全なる真実を表わしています。
仏教徒が省略してしまった中間の思想――古代ギリシャ的な「個を保ったままの転生思想(ファンタジーにあるような生まれ変わり)」、西洋人や日本人が語る「天国と地獄」などの概念を取り入れたら完璧になるはずです。


ニュートン氏の本によって上の推測が当たっていたと感じています。
裏付けていただいたこと、本当に感謝しています。

 

Share:

新着

このブログを検索

Powered by Blogger.

メモ・お知らせ