引き寄せの法則の是非 ~占星術と輪廻の観点から~

 

最近また『引き寄せの法則』という言葉を見かけることが多くなった気がするので、改めてこの件について書いてみます。

(以前書いた記事、『シークレットのシークレット』はまとまりがなかったから補足。繰り返しの部分もあります)

引き寄せ法則の是非と、陰謀論


近年はネット上でこの言葉を見かけることが多くなりましたね。
どうもネットの傾向としては批判的な意見が多いようです。
『成功哲学』や『引き寄せ法則』を教えるセミナーに通う人が増え、実行する人が増えた結果、実現できていないと感じる人の数が増えたのか。
それでネット上に、
「二十年経っても三十年経っても思考は実現しない!」
「引き寄せ法則など詐欺だ! 金返せ!」
とクレームを書き込む人が多くなったのではないかと思います。

さらに陰謀論者による
「引き寄せの法則は悪魔を呼び寄せる魔術だ!」
という主張も流行していますね。
例によって、ルシファーに操られた秘密結社がどうのこうの、という主張。
またフリーなんちゃらの陰謀論かと脱力します。ワンパターンな人たちです。

ただ、欲望にまみれた「引き寄せ法則」をなんとなく邪悪なものだと感じるのは、これらカルト教信者たちだけではないのも確かです。

私も「引き寄せ法則は生理的に受け付けない」と感じている一人。
「大金持ちになりたい」「有名になりたい」
といった、あからさまな欲望に拒絶感を抱いているからです。

もちろん人間として健全な範囲の欲望は構わないと思いますよ。
"夢を叶えたい"
"幸せになりたい"
"ポジティブに生きたい"
と願うのは結構なことです。
それだけなら微笑ましく、応援したくなります。
しかし「大富豪になって権威を得て、圧倒的な優位に立ちたい」という過度な欲望はまずいなと思う。

「悪魔を地上に呼び寄せる」
ということはなくても、利己主義の欲望に邪悪なエネルギーが集まって来ることは本当だと思います。
利己主義の欲望を持てば邪悪なエネルギーを引き寄せ、そのエネルギーとくっ付き取り込まれる。すると来世を含めた長期視点で見た場合に、魂にとっての不幸=激しく遠回りの奈落の底へ向かうことになります。
この意味で
「引き寄せ法則を使うと不幸になる」
と言うのは、あながち間違いではないでしょう。
まあ、セミナーへ大金を注ぎ込んで破産し家庭崩壊させた人の場合は、現世の物理次元で当然に「不幸となった」と言えるでしょうが。

人類という総合的な視点で考えても
「引き寄せ法則」
が普及することはまずいと思います。
全人類が個人的な欲望を無制限に貪り続けた場合、行き着く結末は物理次元破綻・地球上の生命滅亡です。
結果として、まるで
「悪魔を地上に呼び寄せた」
かのような地獄が現実のものとなることは避けられない。

物理次元で全人類が自己の欲望を徹底的に貪るだけの物質は存在していないのだということを、「引き寄せ法則」中毒の方々は少し冷静になって考えるべきではないでしょうか。
『成功哲学』や『シークレット』を全人類が読めば、全員が「セレブ」と呼ばれるような大富豪になれるのか? 
それは物理的、理論的に不可能です。
(もし全人類が同じだけの富を所有するのであれば、その所有は平均ということになり、「セレブ」ではなくなる)

地上的な意味で「悪魔」の正体は何かというと、無制限な利己主義のことです。
自己を食い殺すまで欲望を貪り続ける人間自身が悪魔だった、ということに最終的に気付くと思います。

※一神教信者の差別主義者もこの利己主義者=悪魔に含まれます



地上の引き寄せ法則は「方便」


私は「引き寄せ法則」を頭ごなしに否定する者ではありません。
「引き寄せ法則」は究極の次元では真実なのだと思っています。
あくまでも「究極次元」では真実。

しかしそれはそのまま、この地上に引用すると誤解される話です。
何故なら『引き寄せの法則』は地上で
「金持ちになりたい!」
「有名になりたい!」
という利己的な欲望を叶えるためのツールとして捉えられるだけだからです。
こういうことがあるから、地上においては言っていいことと悪いこととがあるのです。

地上を去って久しい高次元(地上から距離がある)の霊たちが忘れてしまっているのは、地上人が「実現させたい夢」というのはほとんど地上限定の肉体的欲望ばかり、ということです。
高次元の霊たちにとって「幸福」は魂としての芯からの幸福を意味する言葉です。魂としての芯からの幸福とは、自分で創造した人生計画を実現してカルマのバランスを取り究極の存在へ近付くことです。だから地上での苦難を経験することも「幸福」の一つです。
ところが地上人には「芯からの幸福」の意味が絶対に正しく伝わりません。地上にいると、金持ちになって・ラクをして・人間世界で優位に立ち・チヤホヤされる……という物質次元での欲望を満たすことが「幸福」という意味に変わってしまいます。
(もちろん欲望を満たすことだけが幸福ではない、と分かっている地上人も数多くいます。しかしそのような人はそもそも『引き寄せの法則』などに興味を持ちません。この法則に興味を持つ人に限って物欲が強い、ということがほとんどと思います)
これが、高次霊と地上人との齟齬です。
ここで翻訳の誤りが生じます。

だからこそ「方便」が必要となってきます。
昔の人は高次元語を地上人に伝わるように翻訳することを「方便」と呼びました。
「方便」とは「嘘」という意味ではなくて、真実を段階に応じて翻訳していくことでしょう。
次元に対応し翻訳することを忘れていきなり
「色即是空が真実である。即、現世放棄し、空を目指せ」
と言ったり
「引き寄せの法則は真実である。今すぐ夢を手に入れろ」
と説くのは、危険な行動を招くと思いますね。
それに誤りでもあります。次元に対応していないことは、その次元においては「真実ではない」と言えるからです。

引き寄せ法則が真実となるのは主に、死後~次の生まれ変わりまでの次元においてです。
もちろん生きている間も瞬間瞬間でこの法則が「起点」としてはたらいていますので、「念が未来を創造する」と言うのは超次元の真実ではあります。
しかし地上人が言うところの「真実」、つまり結果が実感されることになるのは来世です。
そして残念ながら結果の時点では、起因としての念は忘れてしまっている。だから地上においてはこの法則は実感されない。故に、地上次元では「真実ではない」と言うのが妥当となります。
 
【追記】おまけの話。『運命を回避するために宗教へ入れ? そんな必要なし』という記事で書きましたが、強く願えば計画されている負のカルマ解消の回避はできる場合が多いようです(裁判官=ガイドが認めれば)。ただしそれは返済の先延ばしに過ぎず、決して計画が変更されてカルマが消失したわけではありません。

「念で未来創造する」ポイントが限定されているのは何故でしょう?
それはこの地上次元が重く安定した物質世界だからです。
そもそも、我々が地上に生まれて来る理由は、時間に縛られた重い物質世界の「地上ルール」において固定化された人生ストーリーを経験するためです。
この「安定」こそが地上生活の醍醐味です。
物理的な安定を求めてわざわざ降りて来ているのですから、そう簡単に地上の現実が変わってしまったら困ります。
一時の地上的な欲望・気の迷いごときで、大勢の魂とともに緻密に織り成された「運命」のダイヤグラムに穴が開いたら大迷惑なのです。自分自身も、せっかく地上で生きる意味というものがなくなってしまいます。
だから、人生計画を決定するポイントは「死後~来世間」に限定されているわけです。

よく『引き寄せ』セミナーの講師が、夢が現実化しないとクレームをつける受講生たちに説明するのは
「思考が現実化するにはタイムラグがあるのだ。物質世界を変えるのは多大なエネルギーを蓄積せねばならず時間がかかるから」
という話。
これは正確とは言えません。
確かにタイムラグではあるんですが、人生計画を立てるポイント(つまり死後~来世間)に存在しなければ新たな計画は追加できないので、時間の長さだけが問題となっているわけではありませんね。
つまり20年や30年の長期間エネルギーをかけ続ければ夢が叶うかと言うとそうではないのです。そもそも超次元に時間は存在しませんから、期間は関係ないはずです。

運命変更のためには転がるボールに同じだけのエネルギーをかける以外に方法はありません。
この「同じエネルギーをかける」というのは、今世の行いだけに可能なことです。
繰り返すと、行いは確かに過去世及び出生前の想念を起点とします。だから超次元では「引き寄せ」が真実となります。
しかし、今世に限って見れば「行いだけが運命を変える」と言えるのです。

※「物質次元を変更するには相手の許可がいる。強く願い続ければ相手の許可が得られて望んだもの(恋愛成就など)が手に入る」と言う人もいますが、そういうこともありません。夫婦となるほどの縁のない魂と深い関係を作る計画は無いので、そのような相手との恋愛を望んでも永久に許可などは得られないでしょう。/『袖触り合うも多生の縁』 = 道ですれ違った人でさえ過去生で何度も縁を作った相手である。まして、終生添い遂げるほどの相手との絆はどれほど深いことか。相思相愛となる相手との縁は魂の兄弟なみに深いと思え


都合の良い勘違いと、騙しのトリック


では、何故に「思考が現実化した」ように見える人が存在するのか?
多くの人が勘違いしているのは、成功者と呼ばれる人たちが
「子供の頃から成功を確信していた」・「ありありと未来を思い描いていた」
と語るのを聞いて、
「そうか。過去に思い描いたことは未来に実現するのだ! 思考が未来を創造し、現実を引き寄せるのだ」
と思ってしまうことです。
これは時間軸が過去から未来へのみ流れる現世特有の勘違い。
『成功哲学』はこの勘違いを利用したトリックと言えます。

成功者たちが未来をありありと思い描くことができたのは、生まれる前に一度その人生をリハーサルしているからです。
と言うよりは夢の中で何度も未来に行き、実際にその未来を経験しているのだと言い換えることができるでしょう。
だって肉体のない次元では
「時間なんて存在しない」
のですから、過去に本物の未来を体験することも可能なわけです。
あるいは、守護霊(ガイド)が声をかけて未来の人生計画を知らせることもあります。

ただほとんどの人は生まれる前に自分で立てた人生計画を忘れているし、未来をありありと思い描いたこともないのに人生計画を実現させています。
実は、出生前に立てた計画実現のためにその計画を強く念じているかどうかということは関係ありません。
ただ流れのまま生きれば自然に実現します。それが生まれる前の人生計画というもの。
だから
「こうなると思わなかった」
と驚くような人生を送る人のほうが圧倒的に多い
はずです。
このことについてセミナー講師たちは説明しません。
不幸な人生となった人に対しては、「あなたが望まない人生となったのは、あなたの心の中に不安があったからだ。あなたの願い方が悪かったのだ」と激しく責め立てますが、逆のケースについてはだんまりです。
つまりたとえば、
「予想外に金持ちになってしまった」
とか
「まさかこんなに有名になるとは思わなかった」
と語る人たちも数多く実在する(むしろそのほうが多い)のに、それが一体何故なのか説明してくれる『引き寄せ法則』講師たちはいません。
たいてい見て見ぬ振り。存在を無視するだけです。
もし『引き寄せ法則』が地上における絶対真実なら、予想外の成功に驚いている人たちが存在することはおかしいのですがね。

もう一つ突っ込み。
暴虐な権力者たちの多くは、自分の権力が永遠に続くと心の底から信じています。信じているからこそ暴虐な態度を取ることができるのです。
『引き寄せ法則』的に言えば、心から信じた未来は実現し続けるはずなので、この暴虐者たちの権力は永遠となるはずです。
しかし現実には彼らの権力は永遠ではない。
むしろたいてい、短期間で権力を奪われ運命は覆されます。
「信じた未来は現実化し続ける」はずなのに何故? 不思議ですね。

これらの事実だけでも地上次元で『引き寄せの法則』が真実ではないことの証明になると思います。
そろそろ無駄なセミナーに大金を注ぐことはやめて、真っ当な人生に目覚めたほうが良いと思います。

――真っ当な人生とは何か。どうすれば「芯からの幸福」が得られるのか。
それはただ、普通に生きることです。
セミナーで植えつけられた画一的な「成功」という価値観を目指す必要はありません。それは他人の価値観です。
あなたは、あなただけの完全オリジナルな人生を生きれば良いのです。
全ての人が最善の人生計画を携えて生まれて来ています。



占星術の観点


占星術の観点から言うと、人の一生は最後まで出生時のホロスコープに表れています。
(ホロスコープから具体的な未来を予測するのは難しいのですが、人生終了後に照らし合わせてみると明らかに一致していることが分かります)
私が観たところ、だいたい35歳~45歳くらいの人が抱く夢は、出生時のホロスコープの方向性と合致しています。
本人が抱く夢ですら出生ホロスコープの通りであることが多いということです。
このことから、やはり出生前に人生計画が決まっているのは確かのようです。

「あなたはもう既に完璧である」
と言うのはこういう意味です。
せっかく完璧な人生計画を持って生まれて来たのだから、それを放棄して欲望に走ることは無意味なだけではなく有害です。

本当のことを言えば、占星術で読み取った宿命は回避できることもあります。
東洋占術では運命をコントロールし、今世限りの欲望を満たす手法も伝えられています。たとえば風水など。
しかしこれらはいわゆる「魔術の領域」であり、悪魔に魂を売る行為だと言うのも当たらずも遠からずです。(悪魔など存在しませんが、自分自身で運命を切り売りして地獄へ歩むという意味で)
そのような手法で刹那的な欲望を満たすのは自分のためにならない、と心得てください。
こちらの記事も参照していただければ幸いです。
 ⇒風水に中毒し過ぎてはならない理由


『引き寄せの法則』は、欲望を叶える魔術ではなく、日本古来の「言霊」などのように戒めと考えるのが最も良い使い方でしょう。

●人を呪わば穴二つ(=自分の行いは自分に返って来る)
●情けは人のためならず(=同上。良い行いをすればいずれ自分に返って来る)
●邪悪な念を持っていると、邪悪な霊を引き寄せる(=悪いエネルギーには悪いエネルギーが寄り付く)

このような諺や言い伝えは真実を教える教訓として非常に優れています。翻訳の誤りもなく、真実に近いと思います。

また、地上次元において最も正確に真実と言え、人間を導くに理想的なのはやはり『バランスの法則』です。

●陽極まれば陰に転ず
●過ぎたるは及ばざるがごとし

過剰に得たエネルギーはいずれ返還しなければなりません。
欠けているエネルギーは補われます。
(幸運が過ぎれば失い、失う不幸が多ければ幸運が見舞うということ)
世界の全てはバランスで出来ています。
偏りにはバランスを取ろうと反対の動きが生じます。
これは宇宙でも地球でも自然な法則です。

だから、行き過ぎた欲望を持つべきではないと言っているのです。
貪れば貪ったぶんだけ、そのツケを払わなければならなくなる。
この法則は人間の一生のおいて必ずしもすぐに実現するとは限りませんが、少なくとも近い来世では必ず実現します。
もちろん今世中でも比較的に実現することが多い現象ですから、地上でも目にしやすい真実と思います。


沖縄の『教訓茶碗』などは、見た目に分かりやすいですね。

茶碗の底に穴が空いている。不思議なことに八分目まではお茶を注いでもこぼれない。ところが欲張り過ぎて茶を注ぎ過ぎると穴からこぼれてしまう。
「欲張り過ぎるな」という古来の教訓を形にした物らしいです。
過剰な欲望を求め過ぎてしまう人は、こんな道具を手元に置いてみてはいかがでしょうか。

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