映画『メッセージ』 スピ的な感想。転生と「運命の輪」

この間『メッセージ』という映画を観たら、これが少し「運命」や「輪廻」を感じさせて面白かった。
と言うより、物語の背景に散りばめられている思想哲学のワードに興味をそそられただけなのだけど。
正直ストーリーはそんなに面白くないので要注意です。笑 

※この記事には若干、ネタバレあります

作品紹介

<ストーリー>
突如地上に降り立った巨大な宇宙船。
謎の知的生命体と意思の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、
物理学者イアン(ジェレミー・レナー)とともに、“彼ら”が人類に何を伝えようとしているのかを探っていく。
そして、その言語の謎が解けたとき、彼らが地球にやってきた驚くべき真相と、
人類に向けた美しくもせつないラストメッセージが明らかになるーー

日本一般の評価と私の感想

宇宙船が日本のお菓子、「ばかうけ」をモデルにしていることで一時期話題となったのでご記憶の人も多いのでは。
最近では『君の名は』の監督、新海誠が激賞したというコピーでじわじわ話題となっている。

ただ、観た人は期待した映画ではなかったので皆怒っているらしい。
無理もない。特にSF好きの人があの宇宙人の姿に怒るのは分かる。あれは「バカにしてんのかっ」と怒られて当然。
私もSFとしては今いちだと思った。話の緻密さがないので伏線回収がぼやける感じ。SF作品としては正直、これを激賞している新海誠氏、あなたが作った『君の名は』のほうが遥か遥かにうまいですよ。さすが日本人、ストーリー職人。緻密な技巧で他国に敵う者なし。

あと同じ宇宙人との遭遇もので言えば、『コンタクト』とは比べものにならない。あの荘厳さ、リアリティは次元が違う。
『メッセージ』を『コンタクト』と並び称しては駄目だと思うな。詐欺ということになりそう。

でもだからと言って『メッセージ』が無価値なのかというとそうではなくて、私は「ジャンルが違う」と思った。
この映画を誤解している人たちへ大声で伝えたいのは、
『メッセージ』は宇宙人と遭遇するSFを装っているが、そういうジャンルの物語ではない。ということ。
(最近は二国合作の映画『空海』と言い、客寄せのための宣伝が多いな。価値ある作品なのだから正直に宣伝すればいいのに)

原作者にしてみれば描きたいのはそこではないので、「異文化交流」を象徴するものであれば何でも良かった。だからむしろ、あえて陳腐な姿にした。
要するに、寓話なんだねこれは。
しかも日本の某ベストセラー作家が書く寓話もどきと違って、意図があり理論的に整えられた寓話。数学の匂いがする。
私には合っていたみたいだ。このタイプの寓話はとても好きだと思った。


原作のこと

映画では用語について描き切れていないようだったので、遅ればせながら原作も読んだ。
※原作はネピュラ賞受賞、テッド・チャン著『あなたの人生の物語

たとえば、まずこれ。
宇宙人が送ってくる「メッセージ」、すなわち異文化の言語なのだが、
 


公式サイト映像より引用

何故か東洋の筆で描きつけた円に見える。
きっと西洋人から見た書道家の作品は、こんなふうに見えているのだろうなと想像する。

原作を読むと話はこれほど単純ではなくて、もっと複雑に言語学を絡めているのだが、映画監督さんはよく作者の意図をくみ取って視覚的に表したなと思う。
(映画はSF的に「つまらない」と思ったが、原作を読むとよくここまで頑張ってエンターテイメント化したものだと感心してしまう。原作そのままだったらシュールなコメディ映画にしかならない)

宇宙人の文字が、このように映画で「東洋の漢字」ふうに視覚化されたのは象徴的だ。
これはまさにカルチャーショック、正確な対極にある文化同士の対面を描いた物語なのだから。

まず、西洋人にしてみれば漢字などの象形文字言語、すなわち
「一つの象形で全体の意味を表す(漢字一文字で短文程度の意味を表す場合もある、この宇宙人の言語ほど長文ではないが)」
という言語が存在していることが想像しがたい。
一で全を表すには結末が分かっていなければ不可能。
「結末から書き始める」
それはまさにコペルニクス的に、視点を反転させなければ不可能なこと。

主人公である言語学者の女性は、パートナーの物理数学者の助けを得て、誰も越えられなかったこの「視点を反転させる」という壁を超える。
そうして異文化の言語を学び理解するとともに、異文化の思想をも身に付ける。
対極の視点がどちらも正しいという悟り。
すなわち、二律背反

おそらく19世紀頃、西洋人が東洋と本格的な交流を始めた時に受けたカルチャーショックはこんな感じだったのだろうと想像させる。
原作者が中国系アメリカ人でありながら、純然たる西洋教育を受けた人でほとんど中国語(漢字)を解さないからこそ、この物語が生まれたのだな。漢字への興味は持つが異文化としてしか目に映らない。

本来なら我々漢字を理解する日本国民や中国国民のほうがこの映画・原作を深く楽しめるはずなのだが、日本人一般に寓話を嫌う人が多いのは残念。

高度な思想。輪廻転生や占星術を感じさせる「輪」

ところで映画で、宇宙人の文字を
「輪/環・円形」
として視覚的に描いているのは運命に関する解釈としても妥当。
時間には“始まりも終わりもない”、このことを表すのに円を用いたのは本当にうまいと思った。
実際は、宇宙人が描く円にも「書き始め」という起点があるのだけど、最終的にこれが一つの輪となり完結するときに「始まりと終わり」がなくなるわけだ。映像の見た目には切れているが、概念として。

これは偶然にも、魂が旅する輪廻転生と同じ。
(偶然と言うか、映画監督や原作者がおそらく東洋思想その他の古典から取り入れた表現だからだと思う)

安易なスピリチュアルマニアの人々は
「魂には時間がない。故にカルマもない」
と言って、
「だから今すぐ解脱できる。アセンションできる」
と甘えた教義を唱えるのが大好きなのだが(宗教団体やセミナー主催者にお金を払えばアセンションできると思っている)、そんな都合の良いズルは運命の道にあり得ない。

運命の輪が切れた状態で漂流する我々は輪の結を目指して進まなければならない。
その「結」は最初から決まっているので表現としては「始まりと終わり」はないということになるし、地上の時間軸における過去・未来という流れと運命の進む方向は同じとは限らないわけだが。

などと考えていたのは、ちょうど『永遠の雨』の結末部分を推敲していたときだったので、小説内で少しこの表現につられてしまった所があるかもしれない。ちょっと恥ずかしい。
でも私の転生や運命についての考えは、この表現と一致している。

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