サイコパスは知能が低いという研究結果

 


 資料として記事を上げるために「犯罪者の知能指数」について調べていたらこんな話を見つけた。

 ⇒実はIQが低い!サイコパスの衝動性はここが原因だった

だよねえ……。

私は常々、「サイコパスは知能が低いに違いない」と思っていたのだけど、学者の先生方が「サイコパスは高知能」と言っていたので疑問を抱いていた。きちんと統計を取ったらこういう結果になるのだね。

そんなサイコパスに何故、普通の人々が支配されてしまうのかと言うと、彼らは知能が低いゆえに想定外のことをするからなのだ。

プロのスポーツチーム × 素人のスポーツチーム
を対戦させると、プロのチームが悪戦苦闘するということがよくある。
これは、プロはプロ同士のスピードや対戦方法に慣れているために、素人の能力が想定外で対応しづらいから。
野球だと分かりやすい。プロの速い球で練習しているプロバッターは、極端に遅いスピードの球が打てない。(もちろん、スピードが遅いことを初めから分かっていれば打てるのだろうが、相手が遅い球を投げることを想定していなければ空振りしてしまう)

戦場でもこういうことはあって、初陣の素人や若い指揮官が率いた軍は想定外のことをするために圧勝してしまうこともある。
例、源義経、織田信長等々。
(弱者が強者を倒す華々しさがあるために、特に東洋ではこういう奇策がもてはやされるのだが、一戦が全てのスポーツゲームと違って戦争は長期に続くのが普通だから現実には禁忌)

あとはサイコパスに道義的な観念がないので、普通の人が「これはちょっと……」と躊躇する手段も排除しない。
選択肢が多いということはそれだけ戦闘等では有利とも言える。
対人関係で言えばサイコパスは平気で嘘をつくから、魅力的な人を演じることも可能で、崇拝者を作りやすい。
ただし、道義に反することをすれば後から不利になるのが現実。そこまでの現実を計算できないことが、知能が低い者ならではと言える。


IQが低いからと言って必ずしも犯罪者になるというわけではないから差別に使わないように。
「サイコパスは知能指数が低い傾向がある」とは言えても、その逆は言えない
つまり、「知能指数が低い者が全員、サイコパスになる」と言うことは誤り。現実にそんなことはあり得ない。

しかし映画やドラマのせいでインテリイメージの人が犯罪者扱いされ差別される、という現状を何とかして欲しくてこの資料を上げる。
読書をしているだけで犯罪者呼ばわりされる、不当な現代社会に抗議したい。

※ちなみに筆者は各種診断テストの結果、サイコパスではありませんでした。掠りもしない天然であった。笑

 

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ネイタルホロスコープで読めないものの一つは、「善悪」性質

 


昨晩の記事、『ファシズムは階級闘争が前提なので水瓶座で象徴できない』の続き。

サイコパスを星座で決めつけてはならないこと


スターリンを思い出したついでに彼のネイタルホロスコープを読もうと思い、ネットで資料を探していたのだけど、やはり誰にも分からないようだ。

彼の場合は出生時間が分からないのではなくて出生日さえ分かっていない。
独裁者が自分の出自を隠すために誕生日をごまかす、ということはよくある。しかしどうもスターリン自身も正しい誕生日が分かっていなかったらしい。
12月21日だと本人は思っていたが、後で発見された記録簿には18日と書かれていたとか。
まあ、正確な戸籍制度があるのは日本くらいなので外国ではままあること。
ただ記録が発見された後もスターリンの誕生日は何度か変えられたという。この、自分の出自に関する情報を嘘で塗り固めていくエピソードはいかにもK産国の独裁者らしい。「スターリン」という名すら本名ではないのだし。

いずれにしてもスターリンの太陽星座は、射手座の可能性大か。
革命への情熱と闘争心の強さはこの太陽の表れと思える。
闘争心に歯止めが効かず世界一の粛清を行った……とか。
それと、アセンダントか月に山羊座があるように感じるな。地のサインが強くなければ権力独占しようという気にもならないはず。射手座だけでここまで権力志向を貫けるものではない。

こう書くと射手座や山羊座の人が危険だと言っているように思えるかもしれないが、どうか誤解しないで欲しい。
スターリンの魂が「サインエネルギーを悪く活用した」というだけで、射手座や山羊座に本質的な独裁者気質が備わっているわけではない。
(ましてアセンダントが射手座の人には、むしろ独裁者に闘いを挑むタイプがよくいる)

どの惑星のサインでも良く出るタイプ、悪く出るタイプといる。たまたま自分の見かけた殺人鬼が〇〇座だからと言って
「〇〇座の人はサイコパス」
などと決めつけないで欲しい。

理屈で考えても分かる、まさか人類の12分の1がスターリン級のサイコパスのわけがないだろう。そうだとすれば人類はとっくに滅亡している。
血液型差別をしている人もそうだが、12星座だけで差別している人を見かけると(こんな単純な算数計算もできないほど)本当に頭が悪いのだな……と思う。


ネイタルホロスコープで読めないもの


ネイタルホロスコープから読めないものの一つに、自殺がある。
このことは前に書いたと思う。魂は地上で生きて遂行するための計画を携えているので、途中放棄する計画はホロスコープに表れない。

それともう一つ、根本的な善悪の性質は読むことができない。
これは星座(サイン)というものが善悪を前提としていないからだ。

※「善悪」という言葉を使うと「善悪なんか分からない!」と言う人がいたり、セイギは全て偽善だと言い張り攻撃してくる人がいるのでいつもは避けているのだけど、ここでは便宜上


 ・自己中心的な欲望を持ち
 ・他者を殺したり暴力をふるうことを好む人
 

を「悪」と定義しておく。
それが正確な意味で「悪」なのかどうかの分析はさておき、他者へ迷惑をかけるから有害な存在だ、というほどの定義。
生物学的に言えば「共食い」をして同種を殺す突然変異。種の存続のために淘汰されるのが自然な者。


さて、そのような「淘汰されるべき迷惑存在」、突然変異のサイコパスな独裁者たちはネイタルホロスコープを見れば判別するのだろうか?
――答えは、否、だ。

ある程度は可能性として挙げられているアスペクト等はある。
ただし、当然ながらそのようなネイタルホロスコープを持って生まれた人が、必ずしも全員サイコパスになるとは限らない。
最凶とされるアスペクトを持って生まれた人でも成功し、世界中から称賛を集めている人は数多くいる。

逆に、最吉とされているグランドトラインを持って生まれた人も犯罪者になることがある。
グランドトライン持ちは概ね幼い頃から恵まれているので、のほほんとした性格に育つことが多い。だから犯罪に走る人は滅多にいないようだが、筆者は一例だけ犯罪者のネイタルにグランドトラインを見かけたことがある。
むしろトライン持ちが犯罪の傾向へ走り出した時は歯止めが効かなくなり、グランドクロス等よりも危険かもしれない。

悪へ走るか、善へ向かうかは、魂の性質によって決まる
この魂の「善悪傾向」というものはホロスコープでは表れていないらしく、読むことができない。

このことは古来、占星術師たちの悩みなのだが、もしネイタルホロスコープで善悪が判別できるならそれこそ差別を生むからまずいと思う。
生まれた瞬間に「危険なホロを持つ」という理由で殺処分、などということはあってはならない。
そんな世の中のほうが恐怖のディストピア。

性善説で、被害者をないがしろにして「どのような犯罪者でも更生できるから刑罰を全廃しろ。犯罪者はチヤホヤしておもてなしすべき」と主張するのは絶対に間違い。現代の行き過ぎた犯罪者優遇はおかしい。
だが、生まれた瞬間に何らかの分類で差別するのも間違いだ。
あくまでも、その人の行いから相応しい対処をしないと。



ジェノサイドを防ぐには早い段階で対処を


犯罪対処は後手でしか行えない。
いわゆる、「未犯」を処罰することはできないのが辛いところ。
だからこそ殺戮を好む傾向のある異常者については、気付いた人がなるべく早い段階で対処すべきだ。
(その際、補足情報としてホロスコープを読み込むことはあってもいいのかな。現代ではまず無理だろうけど)

スターリンについては、
「レーニンよ、スターリンの凶暴性に気付いていたなら何故あいつを早めに追放しなかったのだ……」※
と言いたくなるよな。
通常の方法で打つ手はあったはずだというのに。

※ただしこう言うレーニンも大量粛清、大量虐殺している。そもそも「一定数の民を虐殺することで国家を恐怖統治すべき」と提唱したのはレーニン。池上彰氏はレーニン寄りの思想の持ち主なので、思想による虐殺を正当化したいのです。そのためにスターリンただ一人の狂気として思想の欠陥を闇に葬ろうとしている。これは彼らの責任逃れの手段です、プロパガンダに騙されないよう注意。
おそらくスターリンの凶行は思想プログラムのせいであって、個人の資質によるものではありません。このような思想犯罪者はなおさらホロスコープに悪の根拠を探すことは無理でしょうね。〔2022/3/25補足追記〕

 

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ハウスと年齢域の関係を読み解く。ホロスコープは折り畳み、鏡として見る


 人生について考えながら占星術のハウスを眺めていたとき、浮かんできたことをメモ。
※これは思いつきのメモです

昔から私は、円形で表されるホロスコープの図とライフステージの関係を不思議に思っていた。
魂が東の地平線(ASC)から昇り、天頂(MC)を通り、西の地平線(DSC)へ沈む。これは分かりやすい。
でもその後、DSC→IC(地下)→ASCと死後世界を通って生まれ変わるというイメージは実態と合っておらず分かりづらかった。

上は右回りの考え方だけど、現代占星術はむしろ逆に、
1ハウス(誕生)→3(兄弟・友人との対面)→6(就職)→7(結婚)→10(職責を果たす)→12(老衰)→次の1へ……
というイメージで左回りにライフステージが進む。
そのわり、8ハウスでいきなり「死」というのは不可解。
結婚後の中年期に親が死んで「遺産を相続する」と解釈するのなら、左回りで筋が通るのだけど。
8ハウスは文字通りにホロスコープ持ち主の死を表すこともあり、それが結婚直後に当たる位置にあるのは疑問。
それとDSCは、様々な人物の例を見ていても
「晩年または死後に確定するその人の評価、その人が生きた結果として周囲に起こる反応」
であることは確か。
だとするとやはり「死」は8ハウス、晩年以降はDSCと考えるのが妥当では?
9ハウスが「遠方」なのは、人生の頂点を経て来世への想いを持つようになるからでは…… などと考えていた。

それで、ふっと思い浮かんだ。
もしかしたらホロスコープの円は、地平線(ASC-DSC)で折りたたんで二つに重ねるとイメージしやすいのでは?

つまり上下は、陰と陽だ。
表と裏の同じ時系列を表す。

0地点のASCからスタートして、表の社会ではMCの高みを目指し、DSCで有終の美を目指す。
(だから12ハウスが、「容貌・見た目」を表すのだ。肉体的な見た目の印象は、幼少期に造られる。それに幼少期は自由がきかず、社会的に見れば幽閉されているようなもの)

もう一つ、裏側はプライベート。
同じく0地点のASCからスタートした魂は、1ハウスで本来の性質を地上へ根付かせ、3ハウスで兄弟や友人との関わりを学び、4ハウスで家系や国家に属するアイデンティティを定着させ、6ハウスで負担を担う(現代なら就職する)。そしてDSCへ向かう7ハウスで生涯の伴侶を見つけ、プライベートを完結させる。

こんなふうに、円の上と下とは鏡関係にあり、同時に進むのだろう。
こう考えるとオーソドックスな占星術とも整合性が取れると思う。
/結局はオーソドックスな読み方に戻る感じ。何か当たり前のことを書いているようで、「何を今さら」と思われるかもしれない。


もちろんこれはライフステージに着目した考え方で、各ハウスが全人生のその要素に関わっているのだから、順番だけに囚われてはいけないのだけど。

 

続きの話>> 折り畳みホロスコープと、五行イメージ。陣形について、等々

 

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小説にいただいたご感想(小説サイトにて)

 かつて小説サイトを運営していた頃に読者様からいただいたご感想です。

今改めて読むと、とほうもなく過分なご感想ばかり……。
恐縮で冷や汗が出てきますが、いただいたお言葉を大切にこれからも真面目に生きていこうと思います。
ご感想をくださった皆様、ありがとうございました。

※メールアドレスの無かったご感想のみレスを書いています

『我傍に立つ』

 

 我傍に立つ

 

 

 

 

年齢は当時のもの。一部抜粋です。

しばらく小説を読んで泣くということがなかったが、途中から号泣してしまい、涙が止まらなくなった
(十七歳女性)

感動だ…(マジ)。この小説を読ませていただき本当にありがとうございました!
(十四歳男性)

何度読み返しても、新しい感動を得られる。最初に読んだ時に泣いたのに、また涙が出て来てしまう
(二十代女性)

この小説が私に与えてくれたもの、それは“平凡の中にこそ心の安らぎがある”ということ
(三十代女性)

いつのまにか引き込まれて一気に読んでしまった。とにかく何かにひきつけられました
(五十代男性)

若い人も捨てたものではないと思って、嬉しくなった
(六十代男性)

・一人の人間の一生を描いているというだけでは片付けられない、大変劇的なストーリー
・文章運びに迷いが見受けられず、とてつもないエネルギーを感じる作品に仕上がっている
(某評)

これほどの文章、深い思想を有した小説を、日本人が書いたのを読むのは初めて
(六十代男性)
著者コメント:こちらのご感想は何度拝読しても冷や汗が出てきます。まさかそんなはずはないだろうと思うのですが、ハードルを上げ努力するために掲載させていただいております。

 「我站在傍辺」を読ませて頂きました。 読み始めるとどうにも止まらなく、今ちょっとした寝不足状態と興奮でハイになっているので、少々読み苦しい所もあると思いますが、ご容赦願います。 読み終わった直後の感想は、 「なんて壮大で綺麗で、切ないんだろう…」でした。読んでいるうちに、私まで夢の中に引き込まれてしまいそうになるくらい、胸に響いてきました。 現代においても、いつの時代においても、人と人とは一期一会でしょう。ですが、あの時代(拙い私の知識でですが)では、人が生きて、出会い、別れるということは、もっと強く深い意味を持っていたはずです。だからでしょうか、あの彼らの出会いと別れに、とてつもなく一喜一憂して、思わず涙ぐんでしまいました。
 吉野さんが、夢を書き留めて、それをWeb上で公表して。私が偶然ここにたどり着き、この記録を読んだ。そんな偶然がたくさん重なって、彼らと出会えたことに。その可能性の素晴らしさに、感謝します。
 とても素敵な出会いを有難うございました。 これからもお体に気をつけて、素敵な言葉を綴っていってください。
(Y様 二十代女性)
(メールアドレスがなかったのでこちらにて返信)
 Y様、温かいメールありがとうございます。こうして読者様と出会えてメールをいただけることもまた奇跡。自分だけで心の中に閉じ込めておいたら一生味わえない幸せでした。これからも読者様との一期一会を大切にして、心にあるものを綴っていきたいと思います。
久方ぶりに感動しました
(年代不明)
一言メッセージにとても感激しました。お返事できず申し訳ありませんでした。


以下はアマゾンでいただいたレビューです。
不当に削除されたもの、今後も削除される恐れがあるもの(5つ星で長文等)をこちらへまとめて転載させていただきます。
sora
5つ星のうち5.0 「真実の物語」に涙
2018年5月20日

心の琴線に触れるとても感動的な物語でした。
このような小説は初めて。

隆恒と、主人公至暁の、主従関係という表面上の立場を超えた在り方が素晴らしいです。

今まで考えたこともなかった、「上に立つ者の孤独」というものに気づかされました。
周囲から期待され、求められるばかりの人生に疲れきっていた隆恒は、自分と同じかそれ以上の夢と器を持った至暁という人に出逢ったことで、救われたのだと思います。
自分も誰かの夢のために生き、役立つことができる。それが彼にとってどれほどの癒やしとなり、生きる力となったのか。
そんな、自分に新たな命を与えてくれた至暁の夢を叶えるために、彼が王となる決心をする場面は感動的で泣いてしまいました。

主人公の至暁が、声高にではなく静かに語る言葉には、人の心を動かす力が秘められていると思います。
隆恒はそれを聴き逃さず、受け止める器のある人物だった。
お互いがお互いを必要としながら、決して依存的ではなく、命の輝きのようなものを分けあい与え合っている。
本当に素晴らしいと思いました。

一方、隆恒の死後、至暁が彼と同じような孤独に陥っていく様子は、読み進めることが辛いほどでした。
周囲の多くの人たちは、彼の志を理解する器を持たず、劣等感から至暁に嫉妬し、彼を貶めることで自らを正当化することに終始するという…、今の時代にも、あらゆる場面で遭遇することです。
彼の孤独はどれほどだっただろうと、想像するのも辛くなります。
人は良くも悪くも人の中で影響し合って生きていて、決してそこから逃れることはできないと痛感させられます。
まるで神様から与えられた修行場のような世界で、それでも最後の最後まで、自分を失わず、切ないほどひたむきに懸命に生き抜く至暁の姿に涙。

「私の夢は、〝全ての人々が真実を手にした世界をこの世で見る 〟ということなのです 。
そして私自身は 、真実がこの世で実現するための 、突破口の一つになりたいと思っています 。」

これは、自分の中に、ぼんやりと存在していた何かと同じだ、と思い、泣きそうになりました。
自分では、うまく言葉にすることもできず、はっきり自覚すらできていなかった、でも確かにずっと長い間追い求めていた何かが、そこに語られていると思い、鳥肌の立つ思いでした。

主人公の言葉が、そのまま著者ご自身の心の声だと想像すると、このような思いを秘めている方が同時代に生きておられるのだと、とても勇気をもらえる気がします。
返信はblog-entry-918.htmlにあります。

Amazon カスタマー
5つ星のうち5.0
人としての道理とは何か
2019年11月4日

今まで想像していた人物像とかけ離れていましたが、それでも主人公の真っ直ぐで清廉潔白な人柄は尊ばれて当然のものに思います。
仲間たちとの日々は苦しみはあっても、とてもキラキラしていて、幸せだったんだろうなぁと文字を伝って感じとれました。だからこそ、主人公がたった一人で国のために尽くそうとする姿あまりにが遣る瀬無く、自分を責めてばかりいる責任の強さに対して「どうしてこの人ばかり」と無念と悔しさで気付けば涙が出ていました。

しかし、苦難も幸福も紙一重です。
主人公は耐え難い苦難と同等に主人との絆に出会えました。二人の信頼関係は普通の人では滅多に体験できない崇高なもののように思います。それを存分に経験できたのはかなりの幸ではないでしょうか。
波乱に満ちた人生にも関わらず、最後の最後まで"自分よりも国民のために"と見事な生き様に感服するばかりで、読了後、自分の人間の小ささをしばらく省みました。

何かに迷い、何かに踏ん切りがつかない時は、またこの本を読み返すと思います。
この物語を文字にして残してくれたことに感謝いたします。
返信はblog-entry-1580.htmlにあります。


こちら↓は何の問題もなく正しく投稿されたレビューなのですが、アマゾンレビュー担当者によって不当に削除されたものです(トラブルがあり苦情を申し立てたところ、報復のように削除された)。レビュアーの方の誠実を残すため、掲載させていただきます。
5つ星のうち 5.0

どう生きるか、それは自分が決めること。

投稿者 kv 投稿日 2016/4/24
形式: Kindle版

この小説を思い出しただけで、胸がいっぱいになって言葉が出てきません。
涙が止まりません。
とてつもないエネルギーに溢れた小説です。

この小説を読むと、今の日本人は(私も含めて)あまりに誤魔化しの中で生きているのがわかり、恥ずかしさや焦りさえ感じます。自分は正直に生きていない、人生を無駄に生きているのではないか、と真剣に反省したくなるのです。

何が正しくて間違えているか、などという判断はしょせん人間にはわからない。
でも、自分の”心の声”ははっきりわかる。
それなのに、それを無視して生きている毎日。そんな自分にうんざりする。

義、信念、尊厳、友情、利他心、。。。そんな、人間らしい感情を持って人生を生き抜いた人たちの話です。
人間としての”心の叫び”を聞きたかったら是非読んでください。

物質主義に毒されて自分を見失ってしまう日常生活の中、たまに読み返すべき小説だと改めて思います。
読み始めると竜巻のようなとてつもないエネルギーに巻き込まれ、読みきる頃には疲れ切ってます(笑)。人生の苦渋を正面から受け止めなければいけないのですが、同時に、読み終えたときに”人生って素晴らしい!”という清々しい幸福感を感じることができます。

渾身の傑作です。

(この小説はあまりに素晴らしいので何を書いたらよいかわからず、レビューを控えていました。でも、一人でも多くの方に読んでもらいたいので正直な感想を書きました。是非ご自身で読んでみてください。)

コメント 3人のお客様がこれが役に立ったと考えています.
このレビューを読むと涙が出てきます。
特に、
「人間らしい感情」
「人間としての”心の叫び”」
と書いてくださっていることを嬉しく思います。
これだけ真っ直ぐに、深く伝わっていたのだと知って報われる想いです。
レビューに救われるということが現実にあるのだなと知りました。kv様、ありがとうございました。

追加。
『僕が見つけた前世』のレビューですが、やはりアマゾン担当者に消されたため掲載しておきます。
5つ星のうち 5.0

前世を信じても信じなくても面白い本です。読み出したら止まらなくなります。

投稿者 kv 投稿日 2016/4/24
形式: Kindle版 Amazonで購入

面白いです。夢中で一気読みしてしまいました。紹介文は軽めに書いてありますが、実はとても深い内容です。それに、実は”一冊で3度美味しい”小説です。

その1)高校生になった気分で、わくわくドキドキします。恥ずかしいこと、傷ついたこと、理不尽な世の中への怒り、友人の優しさや嫉妬などの微妙な感情。。。著者は高校生か!と思ってしまうぐらい活き活きと描かれています。きっと理子ちゃんファンは多いでしょうね。私も大好きです。高橋とかも、「ああ、こんなヤツいたなあ」と誰もが思うはず。主人公は非常に繊細な神経の持ち主でその苦しさが伝わってくるのですが、一見平凡に見える友人たちにさえ彼らの苦しみや悩みを行間からひしひしと感じます。他の小説でもそうですが、吉野圭さんは人物の心のひだを表現するのが非常に鋭く、上手いです。私のような中年の読者を瞬時に高校時代にトリップさせてしまうのですから。

その2)主人公が前世を見つけ、疑い続けながら真実を知っていく過程がサスペンスのようでドキドキします。驚く展開がいくつもあり、読むのを止められなくなります。前世とか信じていても、信じていなくても、面白いです。信じている人には「これは安っぽい話ではない」とだけお伝えしておきたいです。信じていない人には「このストーリーを全て創作できる著者って凄い才能ですよね」と言いたい。いずれにせよ、他の本にはない、大変個性的な内容です(私は占いとか好きではないタイプなので、主人公が過去生について非常に懐疑的な姿勢を持ち続けて解明していく姿勢に好感が持てました)。

その3)実は現代の物質主義に侵された私たち、平和の有り難みを忘れてしまった私たちへの鋭いメッセージが何気なく書かれています。私がドキッとした箇所を少しご紹介します。

「偏差値勝負はお前らだけの勝負であり、勝負に参加していない人には関係ない。そもそも自分より数値の低い人を意識して安心している時点で、自分がたかだかそのレベルの能力しかない人間であることを暴露している。本当に自信があるなら、他人と自分を比べる必要は全くないはずだ。」

「自分の大切な趣味を失うということは自分を失うということだ。それは絶対にしてはいけないことだとようやく気付けた。誰にバカにされても、人間として最低限、自分の好きなことだけは失ってはならないんだ。」

「今のこの国はあんな奴らばかりだ。自分より弱いと決めつけた人間を寄ってたかって虐待して、自尊心を満たそうとする。無抵抗の相手を殴って鬱憤を晴らせばますます自分が惨めになるだけなのに、それを恥とも思わない。眺めている人たちも弱い者を助けようという発想すら浮かばない。」

最後に、個人的に一番感動した部分です。

「せっかく平和な時代に生きているのだから、この平和を味わいたい。前世で忙しかったぶん、休日を取り戻すのもいい。無名人として一生を読書三昧で過ごすのもいいかもしれない。僕には贅沢なくらいの人生だ。」

吉野圭、渾身の傑作「我傍に立つ」を既に読んだ人なら、この文の深さを理解することができ、涙が止まらなくなるはず。

日本人は(私も含めて)完全に平和ボケしてますから、平和の有り難みが全くわかってないです。失ってからでは遅いですから、そういう意味でも吉野さんの小説は我々に大切なことを考えさせてくれる貴重なものだと思います。
2018/09/04追記 この方のレビューは幸福な思い出です。改めて、感謝)


以下は、タイトルの明記がなかったご感想ですが『我傍』へのご感想と推測されるためここへ掲載させていただきます。
読んでいて涙が出てきそうになった場面がたくさんありました。久々に感動できました^^すごくよかったです!!
(16歳の方)
いただいたのは何年前でしょう。今ごろこんなところでレスすみません。公開可でいただいたのですが、どの小説についての感想か分からずそのままになってしまいました。こちらこそ感激でした、ありがとうございました。
言葉で言い尽くせないくらい感動
ありがとうございます。もう本当に恐縮してしまいました。返信なしでそのままになってしまったことお詫びします。
マジ普通に泣いた
この一言だけのメッセージ、本気で嬉しかったです。ありがとうございます。


……他
過分な評価、温かいご感想を多数いただきました。
皆様、ありがとうございました!

『僕が見つけた前世』


この小説は2023年5月にAmazonでの販売を停止するため、「参考になった」数の多い上位レビューを引用させていただきます。
他の方のご感想は当ブログ経由でいただいたレビューと一緒にこちら「僕前レビュー」のタグでまとめています。
あっさむ
5つ星のうち5.0 ささやかながらも響く「癒し」をもたらす本
2016年12月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入

皆さんは、「生きづらさ」を感じてはいませんか?
人生に、閉塞感を感じてはいませんか?
特に、今までの人生からは説明できないそれを。
その原因がわかったら、どんなにか心が軽くなるでしょうか。

物語は、苦学生の静香くんが、たった一人で、誰にも言えない悩みを抱え込む所で始まります。
「勉強が出来てしまう」という悩み。
目立ちたくない、注目されたくない…。
そんな切実な思いがあり、彼は成績の悪い生徒を演じていたのでした。誰にも打ち明けられない秘密を持つ事。それはまさしく孤独です。
ところが、前世記憶を辿るにつれ、彼に救いがやってきます。
勉強ができる訳と、目立ちたくない性分の正体が判明します。
それだけではありません。
彼の悩み、それを興味本位ではなく真剣に付き合い、受け止めてくれる女性との出会いにより、彼は心の底から癒されるのです。これを経て、青年となった彼は少し前向きな気持ちで、人生を漕ぎ出すのでした。

本を読み終わった私は、自身の悩みを克服するべく、前世を辿る事にしました。
私自身、特に勉強などしていないのに
「物凄い勉強家だと思う」
と言われる事が少々コンプレックスで、またお金を持つ事、物質的に富む事に関して苦手意識を持っていました。
これは、どうやら私の過去生が、没落貴族出身の聖職者であるかららしいのです。若い頃は英才教育のもと、家を継ぐ事を当然と思って生きていましたが、戦乱に乗じて一家は離散し、貴族生活しか知らず、行き場を失った私は修道生活を送る事を選びました。
それは決して愉快な前世ではありませんでしたが、悩みの正体が判明して癒されたのも事実でした。

静香くんを孤独から解放する過程の感動をもたらし、その上前世記憶を辿る機会を提供して下さった筆者様には、感謝の言葉に尽きません。ありがとうございました。

3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
ブログ読者様からいただいたレビューではありませんのでご本人に届くかどうか分かりませんが、返信させていただきました

『Little Life(あの頃、君は僕の隣にいた)』


littleall.jpgLittle Life
2章あたりから、ずっとロムっていました。透くんがどんなふうに成長していくのかを楽しみにしながら。 (略)…じんわり暖かいものが来ました。これからも、頑張って下さい。 よしのさんの小説が、私は好きです。
(K様:二十代女性)

様々な場面で起こる、様々な問題・事件には、毎回胸をハラハラさせていました。(略)…本来の恋愛小説というものを見たような気がして、とても感動しました。見ていることによって、喜怒哀楽の感情が出てくる。これが、本来の小説全てのあるべき姿だと、僕は思っています。そして、この小説にはそれがあり、関心の心もあります
(A様:十代男性)

どちらかというと、あのどん底までの落ちっぷり、透の葛藤こそがこの話の、メインでしたね。 「痛いなぁ」と悶えながら読んでました。 周りの友達はそういうのが苦手な人が多いので、なかなかこの気持ちは共感されませんが。透の視点で進むということで、透の心情がよく出てよかったのですが、鈴の心情がいまいちつかみにくかったかなと思います。(略)… 生意気なことを言ってますが、あまり気にしないでください。(^^; では、これからもがんばってください。
(S様:十代男性)

透の優柔不断さだとか、弱さみたいなものも、高校生としてはリアルだと思いました。周りの人たちのことも、真実も、大人だってわからないようなことに高校生である二人が気付くのは難しいことなのかなあと思いました。(略)…とにかくとても人間らしい場面をたくさん見せてくれた気がするのです。…この小説を読むことが出来て本当によかったです! 本にして持ち歩きたいです(笑) ほんとうにあたたかい気持ちになれました。
(M様:十代女性)

(略)透の素直に自分の気持ちを受け入れられずに戸惑っている気持ちやもどかしさ、同じ環境でなくても、10代のころ自分の気持ちを表現したり、その気持ちが嘘なのか本当なのかもわからず苦悩した時を思い出し読みながら考え込んでしまいました。このような状況におかれてしまう人は少ないと思いますが、どんな人でもこの話に引き込まれる要素というか魅力はあると思います。子供のころの今よりもっと純粋に人を好きになれた気持ちを思い出して涙しました・・・。映画とかになったらいーなと思います(笑
(L(R)様:二十代男性)

たまたまパソコンで見ていたらこの小説を見つけてとても深い感銘をうけました。まだたいした恋愛もしたことの無いような高校生ですが、今は、常にこの小説<little life >のことを考えてしまいます。このような小説を読めた喜びと同時に、読み終わってしまった悲しさや、続きを読みたい・ ・・(略)など、読んでいて苦しくなり、また何かが心の中で動き続けているような感じがします。
(K様:十代男性)

(略)little life、読ませていただきました。 大変、読み応えありました。 吉野さまのような小説には、ネット上では、 なかなかお目にかかれません。 ありがとうございました。 これから、他の作品もだんだんに、読ませていただきます。 今後のご活躍と御自愛をお祈りいたします。
(E様:四十代女性)

小説は一日で読みました。 途中、ずっと泣いてしまい、自分でも焦りました。 私は今、この世界に自分は一人だと思っているから。 これは確信。きっと、私は一人。 家族にも愛されず、誰からも愛されず、一人でいる。 だから最初、私は透を見て、似てると思いました。 でもそれは最初の内だけ。 透と私は似ていない。 私がどんなに手を伸ばしても、あの世界に行き着く事は出来ない。 今回、この小説を読んで良かったと思っています。 ありがとうございました
(R様:十代女性)

小説同盟を転々としていたら偶然この小説に出会いました。 最後まで読ませてもらいましたが…凄い感動しました… 透と鈴の強いキズナがとても素晴らしかったです。 これから他の小説も読ませてもらいます。 これからも応援しているので更新頑張ってくださぃ。
(S様:十代男性)

若くて青くて苦いふたりの物語が、読んでいて本当に痛かったです。正直、一人称のお話は主人公の心情との距離が近すぎて苦手なのですが、このお話は絶妙なバランスでひりひりとした痛みを抱えつつも最後まで読ませて頂きました。ありがとうございます。
 K様、ご丁寧な感想メール、ありがとうございました。
 絶妙なバランス、とのこと。嬉しかったです。痛い恋愛の小説は好みが分かれるものですが、最後まで書いて良かったと思います。K様のおかげで、また恋愛小説を書きたいという気持ちが湧いてきました。大変励みになりました。感謝致します。
感動しました。
時折、涙でうるうるしながら拝読させていただきました。
人を心底愛するって、素晴らしいですね。はがゆいですが、そんな気持ちに気づくには多少の回り道はしょうがないですよね。
この小説では、そんなことさえもまた素直に受け入れることができました。
 ご感想ありがとうございます。公開可とのことなので、掲載させていただきますね。(最後の一文だけ結末に関わることなので非公開とさせていただきます、すみません)
 人を愛しきることはいくつになっても難しいと思います。私も小説を書いていて、「これは本当に愛なのか?」と悩むことが多いです。そのため主人公もフラフラ遠回りしてしまいがちなのですが、この小説を受け入れていただけて嬉しいです。
 小説の主人公とともに泣いたり笑ったりしていただくことは最高の幸せです。これからも、この気持ちを忘れずに執筆を続けていこうと思います。ありがとうございました。

2011/1/9にメールを下さった方
 非公開ご希望とのことですが、大変励みになったこと感謝致したく返信させていただきます。
 行動や風景の描写には「邪魔」というご批判もあり、自信をなくしていたところです。しかし「良質」と仰っていただけて勇気が出ました。
 あまり人気の出ない地味な作品ばかりとなりますが、これからも自分の信念を貫いて大切に書いていきたいと思います。

 ご感想をくださった皆様、ありがとうございます。
 連載中もたくさんの応援メッセージをいただきました。長い執筆を支えていただき、大感謝です!


他、短編など


『緑雨』
まず……とても美しいお話でした!
主人公の「祐ちゃん」(祐介なのかもしれないし、祐太なのかもしれません。明記せず、読み手に想像させてくださるところが心憎いです)は、二十歳になったある日、幼いころに出会った初恋の女性と再会します。心から想っていた相手との再会。不安や期待が祐の胸中に広がります。
物語の始めから、詩のように綺麗な情景描写が続き、読み終えたくないと思ったほどです。
中盤は祐の回顧場面です。大人になった祐が、自分の気持ちと向き合います。
ラストは……ほろりと泣けました。(職場で閲覧される場合はご注意くださいね)

文章は、読みやすいうえに、物語に引き込まれるような魅力があります。
色彩豊かな表現、と申し上げれば伝わるでしょうか。
祐のせつない気持ちを、さらりと、かつ艶やかに書かれています。
また、驚いたのは固有名詞が極端に少ないこと。それなのにひとつひとつの場面がとても印象的です。想像力をかきたてられる文章です。

最後に私がいいなぁと思ったのは。
伏線として書かれたと思うのですが、最初に出てくる薄い青色。
こちらを「水色」とか「ブルー」とかで表現されず、またその色がのちに出てくるあたり、本当にうまいなぁ、とうなってしまいました。

ありがちなテーマをここまで美しく仕立てることのできる作者さま。
他の作品が気になりますね。

吉野圭さま、すてきなお話をありがとうございました。

「ほのぼのオンライン小説感想」様 https://blogs.yahoo.co.jp/hermitage_of_words/archive/2009/03/30
 オンライン上でのレビューはいつも断りなしにしていただいておりますが、「ほのぼのオンライン小説感想」様からはご丁寧にお知らせいただきました。“転載どうぞ”とのことなので、こちらにも掲載させていただきます。ありがとうございました。
 他にも小説感想サイトさんにてご紹介いただいたとのこと、人づてに知りました。ありがとうございます。

非公開希望の方へのレス:

「好みの作品と出会えた…」 (空蝉)
の方。(ご感想は非公開とのことですが、メールアドレスがなかったのでこちらにてレスさせていただきます。このレスも必要なければご連絡ください)
大変恐縮しました。他作品もお気に召していただけていたら、嬉しいのですが。なかなか同じレベルの作品を書くのは難しいものです。これからも努力を怠らずに執筆続けていきます。

「面白くて序章から最新話まで一気に読んでしまいました」 (永遠の雨~)
この小説は読んでもらえているのか?と思い悩んでいたところだったので感激でした! 先を楽しみにしてくださる方がいる、ということに勇気付けられます。ありがとうございます。

 ……等々
 非公開希望でいただくことのほうが多いですが、皆様のお声を励みに頑張っております。
 これからもよろしくお願いします。一言メッセージだけでも本当に嬉しいので、どうぞお気軽に。

このほか、当ブログ経由でいただいたご感想


>>我傍に立つ

>>僕の見つけた前世(他)

>>永遠の雨、雲間の光

 

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反転する来世。運命の力学、見本

 前記事で掲載した『あの頃、君は僕の隣にいた』(現人生モデルの小説)のご感想をいただいて、今さらながら前世と今世の人生は正確に反転していると気付いています。

〔前世〕 ⇔ 〔今世〕
 戦争の時代 ⇔ 平和の時代
 伯父に引き取られる ⇔ 母親・弟と暮らす
 実力を遥かに超えて認められる ⇔ 徹底的に社会で報われない、僅かな力も活かせない
 殺人的多忙 ⇔ その気になれば読書三昧、悠々自適
 (もう一点、公開できる話を追記。>>家系についても反転したという話

等々。
書いていて虚しくなってきたからやめますが。笑
どちらが幸福で不幸なのかは難しいところ。

今の私としては、過剰にチヤホヤされるのはお断りなのですが、せめて今持つ実力なりに他人様のお役に立つ人生を送りたかった……と悔しく思っています。

※衰退ポルノ表現カット


他人から見ても今の私は酷く「不幸」で「悲惨」、「カワイソウ」でしょう。
しかし前世の自分に比べればこの人生では相当にクオリティの高い生活を送っています。一定の時間に食事がとれ、睡眠がとれるだけでも前世から見ると凄いこと。(逆に前世は、なんというクオリティの低さ。人間らしい生活をしていなかった)
しかも古今東西の読みたい本が読めるとは奇跡です。東と西の文化が分断されていないということに狂喜!
電子書籍まであるし。ここは桃源郷か? とも思える。

良くも悪くも、「これぞ因果応報」ですね。
「運命は極へ達すると反対方向へ動く」という力学の見本のようです。

それでこの力学が永遠に続くのだとすれば、来世はまた超絶多忙となるわけですからたまったものではないと思うのですが、きっとそうはならないでしょう。

輪廻は「振り子」と言うよりは、「輪」なのです。
対極同士を経験すると、「輪が閉じる」。打消しになる。

そんな気がします。
……そう信じたいだけかもしれませんが。

(少なくとも永劫回帰を、実存・力学として理解するのは誤りです)

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