魂が記憶しているもの、肉体が記憶しているもの(前世記憶について再考)

 

久しぶりに輪廻転生に関する話。
医学的な話ではありませんので雑談としてお読みください。

記憶喪失の花嫁


家族が観ていた番組、『さんま・玉緒の夢かなえたろかSP』で記憶喪失の女性(丸山さん)の話を見かけた。
丸山さんは交通事故に遭い、「解離性健忘症」を患ってしまったという。
家族や恋人のこと、人生で起きた出来事の全てを忘れてしまったのだが、トイレへ行くなど本能的なことは覚えていて日常生活に支障はなかったらしい。

大変だったのは朝起きるたびに記憶がリセットされること。
そして何より辛いのは、「感情」を失ってしまい、誰かを好きだとか嫌いだとかの気持ちがなくなってしまったことだった。このため結婚式間近だった恋人への愛情があるのかどうかも分からなくなってしまった。

後に回復して感情が蘇り、記憶もその時点から蓄積されるようになった。
事故後の丸山さんを献身的に支えた彼氏へまた恋をしたので、彼女のほうから「結婚してください」とプロポーズした。

彼女が事故に遭って自分のことを忘れても愛情を失うことなく、尽くし続けた恋人の健気さ。「あなたに二度、恋をしました」とプロポーズする彼女の言葉があまりにも感動的で、まるで映画のよう。
ヤラセでなければいいな……と思ってしまった私はやはり心が汚れているのか? 笑
それくらい稀有で素晴らしい愛の話だった。

テレビ番組だからもしかしたら多少の演出はあるかもしれない。でも核心のところは真実だと思う。
特に、「解離性健忘症」の症状はリアリティがあり本当の体験者の話だと感じた。


体験者の話で、気付いたこと


彼女の症状を聞いていて私が興味深く思ったのは、なんと
 記憶している事柄がちょうど前世記憶と正反対
であること。
 
前世記憶には以下のような特徴がある。
・映像イメージが強い
・感情の記憶が強烈に蘇る
・「何を経験したか」というエピソード記憶はあるが、「いつ、どこで」という経緯の詳細までは分からない
・人の名前は一切蘇らない(呼んでも呼ばれても聞き取れない。現在の脳で再生不可能)※
・言語記憶がない(当時の言語を使用できない)
・数字の記憶(年数や数量)はないが、幾何学などの数学的な記憶はぼんやりとある
・肉体に関すること、トイレや食事などの記憶は一切ない(100%カット)

※現在の母国語ではない場合。再生するための言語ファイルが脳に無いため再生不能、という感じ。ただし地上時間で転生までの期間が短い場合など、稀に言語記憶が再生できることもあるらしい。

〔関連記事〕 質問回答。前世に関してどのくらいの記憶があるのか?

これは私の場合。
私は転生までの期間が長いせいか肉体記憶が一切なく、したがって純粋に魂(≒クラウド)の記憶を再生したのだと考えられる。

反対に、生きているうちに記憶喪失「解離性健忘症」となった方の症状は、丸山さんが語るにはこう。
・映像記憶を失う(家族の顔さえ覚えていない)
・エピソード記憶を失う(このため自分が何者かも分からない)
・言語記憶は残る(言語は扱えるが具体的な記憶がないため自分の名も分からない)
・計算の技術、数学的知識は失う
・生存に必要な肉体記憶は残っている(食事、トイレは普通にできる)
・感情記憶を失う

――この完璧な反転に驚いた。

これは、魂の記憶と肉体の記憶はきれいに二つに分かれている、ということを意味していないか?

つまり記憶というものは、その種類によって保存場所が違うということなのでは。

※脳は記憶装置だと思われているけれども、実際は受信機に過ぎないという話がある。私も、脳はせいぜいパソコンの一時メモリ程度しか記憶保存していないのではと感じる。その他の膨大な人生記憶は全て魂が携え、クラウド上に保存しているのでは。だから魂が肉体とうまく接続されていないと、クラウドへ記憶蓄積することができず「毎朝リセット」のような状態になるのではないかと想像した。肉体は、魂と連動して初めて長期の記憶を蓄積することが可能になるのだろう。

追記 ここで言う「肉体」は地上に属する「幽体=魂と連動した準肉体」も含む。「幽体」記憶は死後世界へ行かない限り残るため、死後に地上を浮遊しているだけの霊にはまだ言語等の肉体記憶があると考えられる。


解離性健忘症について


参考までに。「解離性健忘症」とは、脳の損傷によらず、大きな精神的ショックを受けた場合に記憶が失われるもの。

症状の表れ方は様々で、たいていそのショックな出来事が起きた瞬間の記憶を失うことが多い。
丸山さんの場合は一時的に感情を失っているので、「離人症」も伴ったのかもしれない。

「離人症」は自分の肉体から離れて傍観しているような感覚に陥る症状。
前記事で紹介した小説、『プラハの春』主人公の恋人も、政府トップからショッキングな仕打ちを受けて離人症を患っていた。

この解離・離人症と併発することがあるのが多重人格。
まるで肉体をたくさんの魂が共同で使っているかのような状態で、「健忘症」も伴う。

脳の損傷とは無関係なため薬などでの治療は困難。
どうしてこのような症状が起きるのか、現代の医学ではあまり詳しく分かっていない。


やはり、魂と肉体は別である


私が想像するに、「解離」や「離人症」などは魂と肉体がうまく接続されていない状態ではないかと思う。

人は虐待など耐え難い苦しみを受けた時に、肉体から一時的に魂を切り離して傍観することがある。
私自身も過去世で酷い虐待を受けていた最中、肉体から浮かび上がって自分が虐待されている様子を傍観していた記憶を持つ。
過去世の記憶ということで、説得力がなくて申し訳ない。だけど肉体から浮かび上がって傍観していた場面はとてもリアルだった。しかもそれが現実の虐待経験者の話と一致した。

あの「浮かび上がる」感覚はたぶん肉体から魂が一時的に離れた状態だ。
そんな時、浮遊している魂がいたら代わりに空いた肉体へ入り込むこともあるだろう。
有名な多重人格者、ビリー・ミリガンは「虐待が辛かったので他の人格に変わってもらった」と話している。それを繰り返していたら24人の人格を持つことになった、と。
(ビリー・ミリガンは人格が入れ替わった時に脳波も変わったが、これは通常の人間では有り得ないことで、単に性格変貌しただけではない。彼の場合は人格が変わると描く絵なども変わり、ビリーが知ることが不可能だった外国の高度な知識や、完璧な外国語を話したこともある。これは物理に反している現象で、現代の医学的な理屈では全く考えられないことだった。いっぽう脳波も変わらず、ただの人格変貌でしかない場合の多重人格は「魂の共存」という話にはならない)

こう言うのは語弊あるかもしれないが、丸山さんは交通事故がショックで心が亡くなりかけたのかもしれない。
一瞬だけ魂が抜けた状態になり、すぐに戻ったが肉体とうまく接続されない状態がしばらく続いた。
だから過去のエピソード記憶を失ってしまったし、記憶の蓄積も長く続かなくなってしまった可能性がある。そして感情も失ってしまった、と。


感情記憶は魂が担うもの


どうやら我々が思っている以上に「魂」と「肉体」は別個の存在だ。

人の本性は魂にある。
感情や人生エピソードなど重要な記憶は全て魂に保存されている。
でも生存に関わる記憶、「食事やトイレなどの肉体に関すること」と「地域を限定した言語」は肉体だけに保存されているらしい。
この二種は生きている間は魂と連動しているが、死ぬと完全に切り離される。
だから転生後、肉体記憶はカットされているわけだ。

ということはもしかしたら、死後に肉体だけが自律して動き出すゾンビやキョンシーの話も、あながち架空のことではなかったりして。


言語に魂が乗らなければ「言葉」とは言えない


前記事で書いたことに関連して補足。

魂は死ぬと地上の言語記憶を失うのだが、これは「言葉」を失うということではない。
感情を伴った「言葉」の記憶は永久に失われない。
つまり地上言語そのものは扱うことができなくなるのだが、「何を言ったか」「言われたか」という内容は意味だけではっきりと記憶している。

「言葉」とは単なる言語の羅列ではない。
魂・感情が乗って初めて「言葉」と呼べるものになる。

魂を失った言語は、いくら上手に扱えたとしてもそれはもう「言葉」とは呼べない。あたかも魂を失った肉体が「ゾンビ」「キョンシー」となるようなもの。

空虚な言語を使うだけのキョンシーになりたくなければ、魂を乗せた「言葉」を失わないことだ。
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