核(本質)の説明と、いつの世も心に従って生きるのが一番良いという話【返信】

 有意義なメールをいただいたので返信させていただきます。

※当記事には別館記事へのリンクが含まれます。リンク先には政治的な話がありますので、政治が苦手な方、メンタルの弱い方はクリックしないでください

一の集合体を人間社会で再現しようとすると、ただの「地獄」になること


こんにちは。
年始に『永遠の雨、雲間の光』第一話の感想と真理の質問をさせていただいたYです。

Y様、こんにちは。再びのメールありがとうございます!

私の大霊と真理への理解はまだ始まったばかりで、これからしっかり勉強していきたいと思っております。
"核"が見えるとのお話はとても新鮮でした。あれから人の中に核は見えるか?感じるかと意識してみるのですが、残念ながら私にはまだ分かりません...
でも、全ての個は、高次元の一つの存在から生まれた価値の等しい存在達で、そのそれぞれが高次元の可能性を秘めていると今は理解するようになりました。

本当にいつも勉強になります。ありがとうございます。
今後もまたこんな風に真理についての対話をさせていただけたら嬉しいです。

こちらこそ!です。
どうしてもキナ臭い現実へ意識が向いてしまう昨今、ここで書くべき話が思いつかず書きあぐねていました。
本質の対話へ連れ戻してくださるY様のお話、とてもありがたく思います。

>"核"が見えるとのお話はとても新鮮でした。あれから人の中に核は見えるか?感じるかと意識してみるのですが

私も何か超能力的な感覚で、人のオーラのように見えるわけではないのでどうかご無理なさらずに…。
あくまでもイマジネーションなのです。

たとえば物質について分子や原子を考えるとき、我々の頭の中には下図のようなイメージが浮かびますよね。でも専門的な機材を持っているわけではありませんから、その場において顕微鏡などで現実に見ているわけではありません。

 



私の感じている核は、このようにイマジネーションで想起しているものです。
(追記:ただし単なる空想と違うのは、実際にその核が“在る”ことを魂で知覚していることです)

もう少し現実的・現世的に言えば“本質を見る”という言葉に近くなります。
物事の中心。こじれてしまった問題を解きほぐすための点、のようなもの。
私が口癖で言ってしまう「構造を読む」ということも、この核、“本質”へ意識を向けることから始まる気がします。

……ややこしい表現ですね。すみません。
自分でも無意識に行っているイメージなので、うまい表現ができず申し訳ないです。

>全ての個は、高次元の一つの存在から生まれた価値の等しい存在達

仰る通り。
世界の全てと個は等しいのですから、個を踏みにじってはならないわけ――と言うより魂の世界では一個が他の個を支配することは絶対不可能――です。

誰も他の誰かに屈服させられて、何かを強制させられるべきではない。つまり全体主義は真理に照らして誤っている。
私がこう思うのは何かの思想教育を受けた結果ではなく、単にそれが宇宙の真理だから、というだけのことです。

「万物は一から生まれた」は真理なのですが、人間社会において「全ての人間は一つの社会制度に支配されるべきである」ということは言えません。
大霊と同等のエネルギーを持つ魂すべてを、同等の魂一個が呑み込んで永久支配することは不可能。
だから当たり前ですが人間社会において“大霊”の状態を実現することは100%不可能です。
それ風の社会を造ることは可能であってもハリボテに過ぎません。個が意志を失って支配され奴隷を演じる世界は、天国などではなくただの「地獄」と呼ばれます


我々はこの世で何ができるか

これからも真理についての勉強を続けたいから、このキナ臭い時代と社会に対して、ちっぽけな私にも何か出来ることはないだろうかと考えてみました。

巨大な問題や力に対して個人はどうするのが望ましいと思われますか?
まず知ることが第一だと思いますが、一般人はその後具体的にどうしたらいいのでしょう...

身近な例でいえば、買い物をするとき、出来るだけ国産を選んで国内生産者を応援するとか、応援したい国や地域、企業の製品を自分でしっかり調べてから買うよう心掛けるとか、でしょうか?
安い物はなぜ安く売られているのか、どこでどのように作られているのか、また廃棄したときの環境への影響はどうか...等々調べるポイントは色々ありますものね。

我々消費者の意識と行動が変われば、企業も商品企画やサプライチェーンを変えていくと思います。個人と企業が歩調を合わせれば、きっと社会は変わるはずです。最近その動きが出始めている気がしていて、時代の潮目は確実にしかも急速に変わりつつあると感じます。

欲しいから買う、安いから買う、ではなく、未来を考えて建設的に物や暮らし方を選ぶ。一人一人の行動が、欲望よりも人としてあるべき理想の姿に基づいたものになり、その動きが伝播していけば世界は変えられる、との希望を持っています。
>巨大な問題や力に対して個人はどうするのが望ましいと思われますか?

はい、私も巨大な力に対して何ができるか常に悩んでいます。
無名な個人に過ぎない自分の無力さが辛くて歯噛みする日々です。
それでも一個の口を持つ人間としてできることはある、と信じて発言・行動しています。

消費者として国内生産者を応援するために、国内産を買うのはとても良い行動だと思います。
個人ができることは意志を示す発言と行動のみ。
そのような意志が集まればきっと大きな力となります。これがほんとうの「民意」というものです。

ただそのためには個人それぞれが自分で考え、意志を持つことが不可欠でしょう。

「まず知ることが第一」、その通りです。
でも、実際はなかなか正しい知識を仕入れることも難しい。
大きな看板を掲げる者たちが叫んでいることを「知識」だと信じて行動するだけでは駄目なのだと思います。大声で叫ぶ者たちが、人々を煽動しようと罠を仕掛けていることもよくありますから。

“一次情報をチェックせよ”と言われますが、現地へ取材に行けるわけがない一般人には不可能です。
実際には不可能だと知りながら、「ファクトチェックせよ!」と大声で叫ぶ。そのうえで「我々がファクトチェックしてみました!」などと情報を提供するのは、人々を一網打尽に絡めとる罠だと悟るべきです。
例として2020年には「ファクトチェックせよ」と叫んでいるメディアが虚偽の情報を流して思想誘導した、という現実がありました。

このような虚偽を見抜くのはなかなか難しいかもしれません。
でも少し距離をもって遠目に眺め、冷静になって本筋を考えれば矛盾くらいには気付くはずです。その場合、鵜呑みにしてついて行くという行動にはつながらないでしょう。

結局は、個々人が「自分の頭で考えることが大事」ということになります。
それも難しいことなのですが、ただ自分を持ち続けるということだけでも必要です。

ちょっと古風な表現になって難しいかもしれませんが……
「天道・人道に照らして義を貫く」
これが人間社会では大霊とつながり、幸せに生きる唯一の道と思います。

【天道とは】天に存在する法理のこと。世の真実や究極の道徳のことを指す。「おてんと様に照らして恥ずかしくない行い」のオテントは「お天道」と書き、東洋における道徳心の源となっている。「人道」はその「天道」に対応する人としての道理のこと。「義」は、天道・人道に沿った正しい行い。

大きな看板や肩書に目を奪われずに。
SNSの大勢に流されず。
幼い頃から変わることのない「自分の心」によって、何が道義か考える。

たとえば殺人など犯罪を強いる集団があったら、道義に照らして拒否する。ついて行かない。
これだけでも社会を守る免疫になるでしょう。

また、奴隷を使って安い服を作っている会社の店で買い物をしない。
これも「天道・人道に照らした行い」ということになります。
もし個々人がそのように自分で道徳心を持ち考えながら行動していくなら、社会を善いほうへ変えていく力となるはずです。


個々人が自分の生き方を持つことが水瓶座時代

私たちは他者に「~して欲しい」「何で~してくれないの?」と、とかく要求や否定をしがちですが、少し立ち止まって、これを止めてみることを私は提案したいと思います。要求すれば要求が、否定すれば否定が、返ってくるだけですしね(カルマの法則による)。
ですから私たちは肯定的な行いで意思を表さなければなりません。もっと理想をいうならば(他者に)与える行いをしなければなりません。そうすれば他者からきっと与えられるはずです。
つまり、他者や社会を変えようとする前に、まず自分自身を改革することが必要だと思うのです。己が変われば周囲が変わり、自動的に社会が変革されていく。そしてこういうのが水瓶座時代の生き方なのかな、と最近思うようになってきました。

仰る通りですね。
要求ばかりしている人は、自由と我がままをはき違えています。
あるいは明確に社会破壊の目的をもって、わざと攻撃的な要求をしている者たちもいますが。そのような破壊魔が増えれば社会が破壊されるだけではなく、彼ら自身の人生も破壊されるでしょう。

>(他者に)与える行いをしなければなりません。そうすれば他者からきっと与えられるはず

はい、そうですね。「情けは人のためならず」。
(この諺の意味:他者へ温情をかければ因果応報で自分へ還る。だから積極的に他者のためになる行いをしなさい、という仏教の教え)

ただ一つだけ、批判について私の持論を述べれば。
批判を禁止して口封じ※する世の中ほど危険なものはありません。それは全体主義そのものです。

※批判を禁止して口封じ~:昨今若い人たちに大流行しているオンラインサロンは、批判を禁止することで詐欺やカルト宗教の温床となっている。このように批判を禁止し信者集めする手法は、K産主義など全体主義社会形成への基礎となる 【関連記事】オンラインサロンに違和感

「批判すると批判が還ってくる」
という理屈は、確かに現実そうなのですが今の世ではその弊害ばかりが過剰にクローズアップされ、犯罪者が逃れる手段として悪用されています。
「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」
と言い、被害者をさらに打ちのめして口封じしてしまう。そして犯罪者はいくら罪を重ねても批難されることなく、蛮行にふけることが許される社会の素地を造っている。

「引き寄せの法則」というものが声高に叫ばれていますが、これも同じ目的で創られた可能性があります。
引き寄せの理屈によれば
「批判が批判を引き寄せるから、罪を責めることはやめろ」
「正義を振りかざすのは悪だ」
と主張することが可能になる。
そうなれば犯罪者を裁くことさえ「悪」ということになる。こうして世界の善悪が反転し、蛮行やりたい放題の世が実現する……。

今の世にはこのような欺瞞が溢れ道徳が封じられていること、我々は騙されて悪魔たち(蛮行を愉しむ悪癖を持つ霊たち)の奴隷となりかけていることには、気付くべきと思います。

実際、批判すれば敵を生んで面倒な立場に追い込まれる。
これはカルマの法則と言うより、地上の人間行動学に照らして事実でしょう。

私も今、他者の悪行を指摘しているので不利な状況に追い込まれていますね。
SNSで凍結はしょっちゅうのこと。このブログも大手検索会社からは検索八分を受けていますし、一部ブラウザで表示されなくなっているのも検閲・言論弾圧の一種かもしれません。
私ごとき、たかが無力な個人の発言に対してこのような圧力がかかるのですから、著名な批判者たちは命も狙われているでしょう。

でもだからと言って我々のような批判者が口を閉ざしてしまえば、嘘だけがまかり通る世の中となります。(既になりかけています)
全体主義に侵されてしまった国々では、皆がそのように口を閉ざし暴力を許したので地獄化したのです。

Y様の仰りたいことは分かります。
最近の私の発言を眺めて心を痛めてらっしゃるのでしょう……。攻撃的で汚い言葉ばかり発してしまい、本当にすみません。
ここのブログに通ってくださった方々の多くが離れてしまったことは承知しています。

柄にもない発言を続けることは、私も辛いのです。攻撃的なキャラを演じることは疲れますし精神的に参っています。
それでも地獄化する世の中を歓迎するわけにはいかないので、発言を引っ込めることはしません。
ナチュラルキラー細胞はただ危険だというメッセージを叫びウイルスに討たれて死ぬ運命。嫌われるだけで密かに死んでいくのだとしても、免疫として死ぬなら本望です。

>私たちは肯定的な行いで意思を表さなければなりません。

Y様も他の皆様も、どうかそのようにポジティブな生き方をされてください。
暗い世の中が過ぎた後には、ポジティブに未来を創造する人々の存在が何よりも必要です。

>己が変われば周囲が変わり、自動的に社会が変革されていく。

そうですね、私もそう思いますよ。
変革というものは穏やかに、人のなかの本能を発揮して(天道とつながって)自動的に成されるものです。
無理に社会を改革しようとした者たちが招いた地獄が20世紀の東側です。

残念ながら、社会改革という看板の裏で世界を滅ぼしたい・地獄を招きたいという野心を持つ者たちはいつの時代でも一定数います。
そのような地獄化へ反抗し、密かに死んできたのがナチュラルキラー細胞として生まれてきた人々でしょう。
そんな免疫たる人々の行動も、魂の本性に基づきます。
“ナチュラル”という名がふさわしい自然由来の免疫です。そのように生きざるを得ないのです。
人の幸せを保つために、陰でひっそりと死んできたNK細胞たちの存在も知っていただけたら嬉しいなと思います。
批判の言葉は誰かを傷付けたい言い訳としての「正義の暴走」などではなく、ただ守るためだけに使われています。暴力と混同して、口封じしようとする人たちが多いのは残念なことです。

他者を貪る蛮行を除けば、様々な生き方が許されています。一種類だけの決まりきった「べき」という生き方などありません。

あなたには、あなたの。
私には、私の相応しい生き方があります。

個が個を保ち、個の心に従って生きる。
それが水瓶座らしい生き方だろう、と水瓶座を負って生まれた私は自信を持って言えます。

「心に従って生きる」へ帰結

マスクや消毒、外出自粛の行動変容はウィルスに強いられてのものですが、大人の魂に必要なのは自発的・自律的な行動変容ですよね。
これには、正しい知識と情熱、絶対やるんだという強い意志が必要でしょう。
決して簡単な道のりではないけれど、先に待つ明るい社会を1日でも早く手繰り寄せるために、自己改革の練習を繰り返していきたい、と強く思います。
はい。とても心強い、ご立派な決意だと思います。
ぜひ明るい未来を信じてポジティブに歩まれてください。

でもどうか気負わずに。
気負って勉強しようとすると、外部の思想に誘導されてしまうこともあります。

人生の旅路は、がんばらなくても焦らなくても大丈夫です。きっと心の声に耳を傾けていれば、自然と自分の生きるべき行動へ導かれていきますよ。

眼を閉じて。
外部からの音を遮断し。
しん、とした自分のなかの静寂だけに耳を澄ましてみてください。

行動しながら心の声を聴くことも大切です。
自分を見失わずにいれば、行動するほどに心の声が強くなっていくのを感じるでしょう。

先日tumblrでメモしておいた言葉が真理だと感じましたので、引用しておきますね。



目を奪われるものがたくさんあるだろう。
しかし、心奪われるものだけを追い求めて生きなさい。

「ネイティブアメリカンの言葉」 mayoshimaさんのメモより
“心奪われる”とは欲望のことではありません、と言ってもなかなか見極めが難しいのですがね。
セミナーや思想本に心奪われたつもりになってカルト思想を追い求める人もいます。それは心の声ではなく、欲望にとり憑かれただけなのだと気付けない。

「目を奪われるもの」とは肉体次元の物事、という意味でしょう。それは実は「耳に囁くもの」でもあります。近くで囁く声は、悪魔(悪霊)の囁きであることがほとんど。

心の声=魂の声、だと言えます。心こそが、我々人間の“核”です。
心の声は、遠くから響いてきます。あるいは体の中心、もっとも深いところから。
だから目も耳も塞いで心の声に耳を澄ますことが大事。
真の智恵は外ではなく、内にある。

――長く語ってきましたが、こんな感じで答えになっていますかどうか。

結局は冒頭のご質問、
「巨大な問題や力に対して個人はどうするのが望ましいと思われますか?」
に対して
心に従って生きるのが一番良い
という回答に帰結します。
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