引き寄せ法則と運命絶対論、どちらも信じ過ぎてはいけない理由〔運命論2022年版〕

 


「運命 VS 自由意志」の論戦が、未だにあちこちで繰り広げられているようです。
同じ話を繰り返して申し訳ないですが、この件について2022年の現在における考えを改めて書いておきます。

引き寄せ法則が相変わらず大声で叫ばれている

近年は“引き寄せの法則”大盛況のために、自由意志が絶対的に正しい・運命など完全に存在しないという主張のほうが有力です。

有力、と言っても正しさが証明されたわけではなく、
「人生は完全に自由意志で選択できる。どんな未来も思念で引き寄せて、好きな夢を実現できる!」
といったご都合主義を歓迎する人たちの声が大きいというだけです。
(例によって数は少ないが、工作員の声が大きいため多数派であるように錯覚させられている)

結果、この運命否定論は我がままな欲望家の言い訳として利用され、
「我々は何を求めてもいい。道徳は無い、神も罪も存在しない」
と叫んで蛮行にふける者が増えました。

“引き寄せ”を信じる人たちは誹謗中傷だと怒るでしょうが現実を冷静に眺めてください。
実際、そうなっていませんか?
今まさに、歪んだ自由主義による破壊活動が世界中で進行中ではないですか。

何故こうなってしまったのか源流を明かすと、“引き寄せ法則”もアンチ神つまり悪魔崇拝のサロンから生まれた魔術だからです。

引き寄せを推進している首謀者たちは、善悪を破壊し世界を反転させ地獄化すること=蛮行フリーダムを実現することを本質的な目的とし、実行しています。
(一見、“引き寄せ”は反唯物主義で蛮行に対抗しているように見えますが、実はそうではなく同じ集団からの分派なわけです。…ややこしい。いずれ整理して書きます)

そのような思想背景は数年前の私には見えていませんでしたが、“引き寄せ法則”の危険性には早いうちから気付いていて、当ブログでもたびたび「引き寄せの誤り」を指摘してきました。

たとえば:
危険なスピリチュアル、「色即是空」の甘い罠

今考えると「西洋人が知らないのをいいことに、仏教や陰陽道を適当にパクって繋ぎ合わせただけの詐欺思想」と言うのは誤りでしたけどね。アンチ神、アンチ世界の立場から生まれた彼ら独自の思想(願望)でした。
ただ、東洋思想を曲解で援用し箔をつけている部分はあると思います。

「引き寄せ否定者イコール運命論者」というわけではない


このように私は若い頃から“引き寄せは危険”と直感していましたし、自身の転生体験に照らしても誤りだと分かっていたので反対の立場をとってきました。

しかしだからといって運命絶対論者ではありません。
「人間を監視している神様が、人間に運命を押し付けている」
「神様の創った運命は絶対だから従わなければならない」
と考えているわけではないということです。

故に、キリスト教の牧師のように単純な
「上から目線の道徳教師」
でありたいと思っているわけではないのです。

こちらで書いた、道徳教師を受け入れるとは「周りが道徳教師と呼ぶから仕方なく受け入れる」という意味。私自身は地上に輝く義の星、動かぬ真善美を信じていますが、それを見つめることは羊を調教するキリスト教の牧師とは違うでしょう。

“引き寄せ法則”の誤りを指摘しただけで
「運命絶対論者。奴隷根性。偽善の道徳教師」
とレッテルし、反射的に石を投げつける癖やめましょう。

それはいわゆる「ネトウヨ」認定の弾圧と同じ、手当たり次第に敵とレッテルしたいだけの脊髄反射。
どうしても二極でしか生きられないのは人間の本能、逃れることが難しい癖なのかもしれませんが、そろそろ現実の相手を見て話をしていただきたいです。何度も説明するのは時間の無駄ですから。

運命について、過去に筆者の考えを書いた記事はたとえばこちらです。

【運命論まとめ】 「幸せ」って何ですか? 因果応報、カルマの受け取りも自分で選んだ道

ここに引用したメール文の主は筆者に石を投げているわけではなく、他の人の主張と混同して疑問をぶつけてこられただけなのですが、おかげで考えをまとめることができたので感謝しています。
それにしても冗長な記事で、すみません。拾い読みでもしていただければ筆者の考えが見える… かもしれない。

簡単に述べると、私は“引き寄せの法則”を推進することには反対ですが、運命絶対論者でもないということです。地上では運命プログラムを実行すべきと考えますが、実はその運命を創造しているのは自分自身だと言っています。

だからつまり、筆者へどうしても分かりやすいレッテルを貼りたいなら
「仏教信者」
ということにしておいてください。因果律を説く仏教が私の思想に最も近いので。

もちろん特定の仏教宗派を熱狂的に信心しているわけではありません。
実家は何らかの仏教宗派に属しているはずですがはっきり知りません…申し訳ない。
ただ自分の体験した真理に最も近い表現をしているのがインド思想であるから共鳴している、というだけです。厳密なインド思想や仏教の各宗派とは違うところもあるはずと思いますね。(そもそも、仏教も正しくはインド思想と言えないし)

「引き寄せ」「運命絶対論」どちらも地上を地獄化する


以上の運命に関する私の思想は、完全に自身の体験から語ってきたものです。
何かの教科書で植え付けられた思想を布教してきたわけではないのですね。
ぶっちゃけ私はこのジャンル好きの他の方々に比べ、圧倒でスピリチュアル本の読書量が少ないほうでは?と思います。
(たびたび引用してきたワイス氏やニュートン氏の書籍は、あくまでも他の方の体験と比較し自分の体験を分析するために読みました。体験事例は参考にしていますが、思想部分を盲信しているわけではなくニュートン氏個人の思想も私とは異なります)

したがって、純粋に体験事例としての“真理”を述べてきただけに過ぎず、宗教団体まして社会思想とも何の関わりもありませんでした。

しかし最近思うに、どうやらこの運命に対する考え方は想像以上に社会へ影響を与えているようです。

たとえば“引き寄せ法則”の
「未来は完全に自分で選べる、ワクワクするなら何を求めてもいい」
という思想が我がままな人たちへ免罪符を与えてしまった。
欲望のままの現実を引き寄せていいとされるから、邪魔な政治家を殺していいと思っているし、金持ちから財産を強奪することは正義だと思っているし、都合のいいように歴史を書き換えることが可能だと思っている。そうして欲望を引き寄せるために嘘を唱え続けている。
“引き寄せ”が犯罪を引き寄せてしまったのですね。

いっぽうで“運命絶対論”も、
「悪いのはこの運命を創って押し付けた神様。私が悪いことをするのは、私のせいじゃない」
と責任放棄するための言い訳として使われがちです。このため犯罪が増える。
あるいは、教会や政府などの権力が民を奴隷化し、従わせるために「神の命令」で弾圧する。実際、欧州の暗黒時代にはこの思想に基づき、神を振りかざした全体主義が横行しました。今はまた別の物神が全体主義を推進していますが。

どちらの思想も欲望を貪る人、我がままで無責任な人の言い訳に使われてしまい社会を地獄化します。
と言うことは、社会プログラムとしても現実に害をもたらすから、引き寄せ・運命絶対論を信じ過ぎてはいけないと言えるでしょう。

そのように二極の地獄を招かない第三の道は、やはりカルマ論・因果律しかないと思います。

因果律は欲望を無制限に貪ることを許さず、強奪や無慈悲な殺戮を許さず、無責任にならず、それでいて奴隷にもならない。
「他人にしたことは自分へ帰る」という報いの思想が自然と善を行わせ、犯罪の抑止になる。
自分自身の責任において未来を創造(クリエイト)しながら、自身で選んだ約束事(運命計画のこと)を果たすために生きていく。

…社会プログラムとしても完璧※な思想と思います。

私は真理への道として因果律を説いてきただけですが、真理にかなう思想は地上の社会プログラムとしても優れていることになりますね。

※補足:実際には「因果律」も社会プログラムとして実行した場合、罪を犯したい者たちの言い訳に悪用されることがあります。たとえば「虐待されている子供は自らその人生を望んだ」などと言って、虐待を正当化したり。快楽殺人者たちが、「被害者が望んだ」と言ったり「前世の悪事が本人に帰っただけ」と言ったり。現実そこまで単純な運命計画はありません。続きの記事参照。
未熟な人間の社会では弱者を守るための刑罰は絶対必要ですし、道徳教育も必須です。そのような仏教の不足を、東洋では古典的な儒教が補ってきたと言えます。


続き>>未来も過去も書き換え可能!? スピリチュアル量子力学を考える〔運命論2022年版-2〕
 
 
 
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