人工ホロスコープはどうなる? 邪念の結末

 


noteにて日本始原図アメリカ始原図の記事、どちらも高評価をいただいて感激しました。

 

無名なアカウントがこのように反応をいただけると思っていなくて驚きです。noteで投稿してみて良かったと思います。

 

ご支援ありがたく受け取りました。

これからも長く発信できるよう、体力とメンタルを調整しながら続けていきます。

 

 

人工ホロスコープ、後から見抜かれた本性

さて今回マンデン占星術を分析していて気付いた件、追記です。

運命に関わる話なのでこちらで先に書いておきます。 

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note「アメリカ始原図を読み直す【マンデン占星術2】 」公開


 先月はnoteで『始原図で読む日本の本質と未来【マンデン占星術】』をお読みいただき、ありがとうございました。タイムセールは終了しました。

 

有料記事の第2弾を公開しましたのでお知らせします。

アメリカ始原図を深掘りしました。

『内戦?滅亡? アメリカ始原図を読み直す【マンデン占星術2】』

 こちらも一か月間タイムセールです。11月4日のAM3時まで。基本の始原図部分は無料です。

 

今気付きましたが夜中のちょうど3時に上げていたようで。さすがに疲れました。

この執筆でかなり時間がかかってしまいました。

先月いっぱいで終わらせるつもりだったのですが、仕事など色々忙しくて夜中しか長文が書けず。またプレミアムに課金することになってしまった。

せっかくいただいた売り上げも消化することに。…スミマセン

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首相は雑用係。軍師も主人を操る社会計画者ではありません

復帰した読書館でミーゼスの引用記事など、ちょこちょこ修正・加筆しています。今回も誤変換が酷かったですね。

最近は投稿前に消されることを防ぐため急いで公開してしまい、誤変換や誤表記が多くなっています。公開後に修正しています。しばらくしてから見直していただけると直っている場合があります。…すみません。

 

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読書館を復帰したことなど

先日気まぐれで読書館『On a rainy day』復帰させました。

過去記事を整理しまして置いておくことにします。

 


 

 ※さっそくトップに上がっている本はまた思想系ですから、嫌いな方は避けてください。

最近は小説をほとんど読んでおらず社会系の本しか言及できません。今、必要を感じてあのジャンルに集中しているということです。そのせいであちこち同じ話ばかりになってしまい、申し訳ないです。

 

過去記事もたいしたものはありませんが…… 

(もともと自分の読んだ本を片端から紹介するのは好きではなかった)

たとえば

「沈潜」という言葉に共鳴。『「本から学ばない人」と「読書家」の致命的な差』 

などは以前人気だった記事です。

それと

村上春樹の小説と、村上春樹論

は今となっては貴重な記事でした。

『村上春樹論』は著者名を忘れ探すことができなかったので、ここに書いておいて良かった。

 

 今回何故これを復帰させたかというと、本体デザインを変更する際、デザインの試し場として使わせていただいて。

せっかくファイルをアップロードしたから置いておこうかという気になりました。

これから頻繁に更新する予定はありませんので悪しからず。

今日上げた記事のように時々引用メモとして使うかもしれません。

 

それにしてもオサレ(お洒落)なデザインですよねえ……。好きだなああいうの。

本当はあちらのデザインを本体ブログで使いたかったのですが、無料版だと関連記事が出せないなど不具合があって諦めました。

タイトルも英文字だからこそ生きる筆記体であり、むしろ読書館向きだったかもしれない。

代わりにかつて読書館で使っていたこのデザインをこちらにしたわけです。

以前のブログに比べると読みづらかったり不具合多いと思いますが、ブログ引っ越しに少々時間を取られ過ぎたのでそろそろ落ち着きたいです。しばらくこのまま行きます。

 

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9/9の虹、希望を感じました〔他、デザイン変更など近況〕

 

 


2024年9月9日、午後4時頃の虹です。

仕事の移動中に遭遇しました。

この写真では分かりづらいのですが、東の空全体に架かる二重の大きな虹で、私はちょうど車で東へ向かう道を走っていたために虹のトンネルへ吸い込まれる感覚となりました。人生で見たなかで三位内に入る見事な虹でしたね。

 

日本を担当する神々(オーディエンス)はどうも虹で祝福を示すことが多いようです。

私が虹を神々のメッセージと理解しているから見せてくださるのかもしれませんが。

 

さて今週も色々ありました。

書きたいことは山ほどあったのですが、なかなか長文を書く時間がなく。また休日に書くこととします。

※ここに書くと弊害があるため別館で書きます

 

近況。デザイン変更

今日は手つかずだったブログのデザインをようやく変更しました。

とにかく関連記事(記事下のRelated Posts)を表示したくて悪戦苦闘し、配布スクリプトを利用してもうまくいかないため、やむを得ず昔使っていたテンプレを再利用。

読書館で使っていたものです。懐かしい。

黒×緑の配色は男性的で、私は好きですがこのブログには合わない気がします。

それで色を変えようとさっきまでHTMLをいじっていたのですが、 (テンプレ作成者が)細かく色の設定を変えているらしく大変で。本日はタイムリミットなので終了とします。

何か配色でご提案あれば教えてください。

(たぶんどうでもいいと思いますが)


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note「始原図で読む日本の本質…」(有料記事も増やしていきます)

 お知らせです。

 

日本国の始原図とマンデンに関する話をnoteで書いてみました。

 

 『始原図で読む日本の本質と未来【マンデン占星術】』


 

申し訳ありませんが有料記事としました。

候補の始原図など、占星術好きの方が求めている一般的な情報は公開しています。私の考察部分だけ有料です。

これから少しは運営費を稼がねばと思っています。

ときどきこうして有料記事を書きますが、ご理解ください。

収益なく運営していますと今回の引っ越しのように居場所をなくし、結局は読者様を失望させてしまうなと思ったので。

 

人生残り少なくなってきましたし、本気で書く代わりに有料を増やす方向。 


続き:

『アメリカ始原図を読み直す』投稿しましたのお知らせ


 

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【誕生月に思った】記憶の中の「あの頃」に実年齢が近付く…妙な感覚

近況と雑談です。

 

この夏休みブログの引っ越しで忙殺されたため忘れていましたが、私もまた一つ年を取りました。

メールにてお祝いをくださった方、ありがとうございます。 

 

ところで私の誕生日とは関係ないのだけど、今月前半、旧Twitter(x)のトレンド十位内に「諸葛孔明」と上がっていてドキリとしました。現代のトレンドに上がるとは複雑。

何かまた精神を踏みにじられる中傷でなければいいが…、と警戒しながら開いたところ可愛いフィギュアの画像が。

 ◥◣ 商品化決定 ◢◤
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ねんどろいど
キャスター/諸葛孔明
____________
彩色原型初公開です!
https://x.com/gsc_kahotan/status/1819516550451548438/photo/1


 筆者のその時のポスト。(政治アカウントのためリンクしません)

 

ねんどろいど って何ですか? 魔法学校か何かのマンガキャラ??
と年寄りには分からないことだらけなのですが笑、とりあえず可愛い少年の姿だったから良かった。

本を片手に持っているところが嬉しかったです。相棒(=本)いた!と思いました。

現代の学生であることもいいですね。変な帽子とか変な扇とか(失礼)持っていないところがいい。

まさに孔明にも私にも誕生日プレゼントだと感じて幸せな気分になりました。

歴史界隈におぞましい犯罪者ばかり溢れている昨今、めずらしく純粋な趣味のほっこり作品を見せられ癒されたのです。オーディエンスからのお祝いということにして受け取っておきました。

 

さて現代、現実。

年齢だけで言えば私も“老境”となりました。何も成し遂げられていませんし成長もしていないというのに。

「人生は葉の上の露が渇くようにあっという間」と言いますが、本当に一瞬で時が過ぎ去ったと感じます。

私の場合、恥ずかしながらこうしてずっと十代の頃の体験を語り続け、若い方々向けの神秘話を発信しているせいか全く時が過ぎた感覚がありません。タイムスリップかと思うくらいです。

 

――いや、と言いますか、この体験で語っていた記憶は五十代なので「一瞬で今の年齢が追いついた」感覚もあります。

記憶と現実が逆転したような? なんだか変な感覚ですね。

 

かつて記憶にある自分は遥かに年上、教師たちや親よりも上の仰ぎ見る年寄りでした。

それで「年配の人の意識ってどんなだろう?」と精一杯背伸びして想像していたものです。もちろん自分の記憶としては覚えているのですが、現実肉体がその年齢でなければ実感が湧かないことも多いのです。

それが今は年相応に、“等身大”として語ることができる年になったのだなと妙な感慨を覚えます。

 

この感覚は独特なので表現しづらいですが……最も近いのは、親の年齢に追いついた時の感覚でしょうか。

たとえば自分が高校生の頃、親が五十代で苦労していたとします。

遥かに年上の親の大変さなど高校生に分かるはずがありません。親子で似た性格だから、背伸びをして想像してみれば何となく分かるような気もするでしょう。でも実感はまるで追いつきません。

時が過ぎ「あの頃」の親の年齢に追いついてから、ようやく親の苦労が実感として理解できるようになるもの。そんな感覚に近いです。

 

私の場合、今世と前世の状況は180度違いますから(無名一般人・忙しさも段違い)、殺人的多忙に追い込まれたときの肉体感覚などは体感できませんけどね。できたら死んでいます。

ただ精神的な辛さは実感として分かるようになりました。

たとえばもう無理はできないんだな、とか。自分でコントロールがきかないほど弱気になってしまうものなんだな、とか。

 

【関連記事】 魂が記憶しているもの、肉体が記憶しているもの。肉体感覚は実感としては再生されない


私は体は今のところ同世代より健康だと思います。若く見られますし実際に大きな病気もない。もともと体力はないほうなので(何の自慢)、老化で体力が下がってきて困るなどという実感もまだありません。

それでもやはり心は昔より弱くなった気がします。

体より先に心のエネルギーのほうが弱るのは意外でした。案外、大人のほうが子供よりもダメージに弱いらしい。

 

今回ブログ引っ越しで参ってつい「かまってちゃん」な甘えを見せてしまったのも、年を取ったせいかもしれません。

子供みたい、と言いましたが私は子供の頃のほうが甘えなかったですね。

ここで誰にもSOSを出さず黙って耐えてしまうと過去の二の舞かなという気がします。

だから今後は少しだけ“自分に甘く”生きていこうと決意しました。世間的にはあり得ない決意表明。笑


 小説更新などあちこち手につかなくなっておりますが、マイペースに存在を続けていくつもりです。見捨てないで眺めてくださると幸せに思います。

 


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折り畳みホロスコープと、五行イメージ。陣形について、等々(返信)


〔2018/10/23筆。最近よく読まれる八陣図に関連する話なのでトップ上げしておきます〕

 

 メールでいただいたお話です。

こちらのインスピレーションは見事に核心を突いていて、感動してしまい、さてどう返そうかと考えあぐねているうちに遅くなってしまいました。
書籍の情報を集めて考察の上、お話ししようと考えていたのですが時間が取れず。
それで、とにかく埋もれさせておくには勿体ないお話と思いましたので、恐縮ですがそのまま引用させていだだきます。

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引越し完了…ようやく繋がりました。結果:一つ前に戻る

 旧URL(https://ksnovel-labo.com/)をブックマークされていた方々、しばらく行方不明となって申し訳ありませんでした。

本日ようやく繋がったようです。

旧URLにwwwが付いています。リダイレクトされていますのでブラウザで見ている方は問題ないと思いますが、RSSでは通知されないはず。修正よろしくお願いします。

※RSSアプリで受信がうまくいかない場合、改めて「 https://www.ksnovel-labo.com/ 」にて検索し直すと改善します

 

結果、他に選択肢がないため一つ前に戻ったわけですが。

またロックされないよう発言に気を付けながらの運営となります。これから自由な発言もできなくなりますね。まるで…(自粛)

行ったり来たりした経緯についてはメモ帳のリンクご参照ください。

 


 

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ご案内〔旧ブログ読者様・初めてお越しの方へ〕

 


ご来訪ありがとうございます。


このブログはかつて小説『我傍に立つ』の裏話を書く目的で開設したものです。

長年続けるうちに作者の体験談、プライベート雑談、趣味の占星術メモ、社会問題まで幅広く書く雑記帳となりました。

身軽になるため2024年8月に移転しています。

過去記事はおよそ1200記事でしたが、ここではリアクション(リンクやご感想)のあった記事、アクセスの高い記事など150記事+αほどを抜粋して転載しています。


過去記事倉庫 … 過去記事は限定公開としました。小説読者様のみパスワード入力でお読みいただけます。→読み方はこちら

 

おすすめ過去記事リストはこちら … かつて当ブログで「要パス」として限定公開していた記事の一覧です。当ブログのコアな記事となります。note有料公開あり。

 

別館のご案内 … 占星術ブログ、東洋史ブログなどへのご案内。近々新しいブログ(近代思想・都市伝説)も始める予定。

 

重い話は別館に分けるとして。

ここ「ksnovel-labo.com」では軽めの雑談やプライベート話、別館更新のお知らせを配信していきたいと思います。

 

更新は気まぐれなのでRSSアプリのご使用をおススメします。 

また主に深夜に投稿していますので通知音を切っておいてください。

〔これまでRSSアプリで更新を受け取って来られた方へ、サブドメイン「www」付のURLへ変更お願い致します ※RSSアプリで受信がうまくいかない場合、改めて https://www.ksnovel-labo.com/ にて検索し直すと改善します〕


【初めての方はこの下も必ずお読みください】

このブログを閲覧されるに当たっての注意点、要パスワード記事について:

・このブログはPG12です。まだ中学生になっていない子は、おとなといっしょでなければ読んではいけません。

・パスワード記事は『我傍に立つ』または『僕が見つけた前世』読者様限定です。メールで筆者にパスワードを問い合わせるのではなく、入力画面に表示される説明の通りにご入力ください。

【ご注意】当ブログ記事には多分にスピリチュアルな内容(前世や死後世界など)に触れる箇所があります抵抗ない方のみ、閲覧ください
このブログでは小説のモデルとした人物について実名で書きますが、これは実名でなければ書けない裏話をするためであり、集客目的ではありません。

【犯罪行為について】誹謗中傷、コピペまたはリライトでの盗用は損害賠償請求させていただきます。引用は著作権法第32条の要件をお守りください。パスワード記事は法律上、引用不可です。メディア・創作家の方はこちらをお読みください。


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【予言】2025年7月問題、たつき諒マンガが示唆する暗号


ブログ引っ越しを終えたら書こうと思っていた話です。


近頃話題となっている、たつき諒氏の『私が見た未来』というマンガはご存知でしょうか?
1999年に出版されたマンガですが、表紙絵で東日本大震災を予言していたとして話題になりました。
さらに2021年発刊の復刻版では「2025年7月の大災難」を予言していることで壮絶な話題となっています。

メンタルに支障をきたす人続出。子供たちへの影響は?

私もこの本のことは以前から知っていましたが、最近の過熱ぶりは行き過ぎているのではと感じています。
恐怖心でメンタルに支障をきたしている人たちが続出していますし、何より子供たちへの影響を心配している人も多いでしょう。

まあ我々もノストラダムス予言世代。
子供の頃からずっと「1999年に人類は必ず滅ぶ」と教えられて育ちました。
多くの健全な子供にとっては人格にもたいした影響を及ぼさないことが分かっています。その時が過ぎれば「五島勉はどうしたんだ。謝れ※」などと懐かしい笑い話となるだけです。
「どうせ1999年に×ぬんだから~」と言って勉強をサボった子もいるようですが、それはサボる理由として予言を使っただけと思われます。完全に本人が悪いです。
(そんなことよりこのロスジェネ世代は人口の多さと大不況で人生を奪われるのですがね。そちらの予言は無かったのか?)



ただ『ノストラダムス大予言』の深刻な影響と考えられるものは、地下鉄サリンテロなどを起こしたカルト宗教など、終末論を唱える宗教団体に絡めとられやすい人々を育てたことではないでしょうか?

サリンテロに及んだカルト宗教の信者たちは『ノストラダムス大予言』を信じて育った世代で、「ハルマゲドン」こと人類滅亡を待ち望むあまり自分たちで蛮行に及んでしまいました。
そのように極端な狂信者として育つのがほんの一部だったとしても、悪影響の程度があまりにも大きいために社会へ多大なダメージを負わせます。

もしも予言をばらまくことに誰かの意図があるとしたら、人類滅亡後の救済に憧れてテロという蛮行に及ぶ“兵隊”を育てることが第一でしょう。

(追記)予言をばらまくことについて他の理由。
・計画を予め暗示して“同志”へ周知させる
・実現した時に「この未来は予言されていた、天の計画だ」と宣伝して正当化する


メディア主導感で臭う怪しさ

今回の2025年7月予言で私が「臭うなあ…」と感じているのは、メディア主導で急激に拡散されていることです。

YouTubeではこの話題に関する動画が大量に上げられています。
 

再生回数が稼げるから・面白い話題だからと取り上げている一般チャンネルがほとんどでしょうが、スポンサーを多く持つ有名インフルエンサーもこの予言を声高に叫んでいることが気になります。


毎日新聞や文春オンラインなどの大手メディアもこぞってこの話題を取り上げています。
 

大手メディアが予言拡散をバックアップしていることで怪しい臭いが増大していますね。

特に「毎日新聞か……」ということで、色々思い出す人も多いでしょう。
ちなみにサリンテロを起こした宗教団体教祖をテレビ番組に出演させて「救世主」と持ち上げたのは毎日系TBS。

もはや赤く染められたお金の臭いしかしません。


占星術解釈:たつき氏の予言は否定しません

誤解しないでほしいのは、私はたつき氏の予言を否定する者ではないということです。

おそらく彼女の予知夢は実現する可能性が高いでしょう。
問題はその夢がどんな未来を表すのか、そして何故ここまでメディアがバックアップして急激に拡散されているかということです。


占星術をする者として未来予測をしてみるなら…うーん… 
 

吉凶が拮抗していますね。
これをぱっと見て「地震が起きる」と言う占星術師は少ないでしょう。

融和する星々が多く、不穏とは言えない星回り。二大勢力が対岸で向き合っているようにも見えますので、平和というわけでもないのですが。
少なくとも地のエネルギーに偏りがなく爆発力が感じられません。だからたとえば噂されているような「巨大地震が起きる」「火山が噴火する」と占断するのは難しいと思います。
天王星×金星、海王星×土星のコンジャンクションが気にはなります。ただどこかに偏りがなければ地のエネルギーは爆発しづらい。
と言うことは自然現象としての地震や噴火が起きる可能性は低いでしょう。あるとすれば対立する二者の間で起きる“人の行い”という推測になります。

天からの災害、すなわち「太陽フレア」とか「彗星衝突」は否定しきれません。
ただあくまでも占星術として読むなら、そこまで絶望的な災厄が天から降ってくるようには見えないのです。それこそ1999年のほうが可能性ありましたね。

このホロスコープは正確ではありませんが五角形も浮き上がります。
(なんとなく筆者自身のホロスコープに近いので感覚的にも分かるのですが)
結界が張り巡らされていると感じます。

これをもし悪く解釈するならば、陰謀(計画)が張り巡らされていることになりますね。
計画には天の計画と地上の人々の陰謀とがありますが、このホロスコープの場合は後者でしょうか。

向き合っている二大勢力…おそらく同盟者たちのバランスがぎりぎり保たれている瞬間と見えます。
しかしこの結界が破られたとき、あるいは「陰謀スタート」で故意にバランスが崩されたとき爆発的なエネルギーが生じる可能性があります。
張られた結界が強ければ強いほど破れたときの被害は大きいのです。


私の推測する2025年7月

たつき諒氏は夢で巨大な津波が襲うビジョンを見たとのこと。
その原因については言及していません。

ただ
「地震もないのに津波が来た」
と仰っていることを上ホロスコープと照らし合わせると、何か人為的な力で“災難”が起こされるのではないかと私は想像します。

たとえば
“アジアで戦争を起こすために日本にある米軍基地・原発を破壊しておかねばならない。
そのために日本列島を津波で破壊しよう”
――と考える勢力があるのかもしれません。
それで海底噴火もどきを故意に起こすということが考えられます。

(追記すると、7月ということも重要ポイントです。日本の元首相暗×、米国元大統領暗×未遂も7月でした。あの党にとって7月は陰謀を実行する記念月なのかもしれません)

こう言うとまた
「人工地震なんてアタオカの妄想。陰謀論、陰謀論。デマデマ」
というお題目が唱えられるはずですが、現代技術なら可能なことを否定するほうがアタオカです。

地震はともかく海底火山を装った核爆発、などでしたら100%可能でしょう。
もちろん自然現象として隠蔽するにはメディアの言論統制が必要ですが、彼らはメディアを牛耳っているため隠蔽は朝飯前です。

多くの人がスマホで動画撮影していた目の前で、暗×事件や暗×未遂事件を起こして架空の物語にすり替えることすら朝飯前だったのですから。
誰も現場に行けない遠海の爆発などいくらでも「自然現象」と創作できますね。

だから仮にたつき諒氏のビジョンが実現してもそれが人工だという話は表に出て来ないでしょう。
メディアが自然現象だと大声で叫んでウヤムヤにするはずです。

もしかしたら彼女の予言が急に宣伝されるようになったのも、今後の軍事計画を「自然現象だ」とプロパガンダするための布石かもしれません。


たつき諒氏マンガ、表紙の暗号

ここで私が気になっていたことを一つ指摘。

『私が見た未来』の表紙絵なのですが、何故か手で左目が隠されています……。

この「手で左目(片目)を隠す」とは悪魔崇拝を表すポピュラーなハンドサインであり、同志へアピールするための暗号でもあります。
 
世界中のマルクス主義者が起こすデモでは、よく権力側の暴力で片目を失った少女などが象徴として使われます。これは悪魔崇拝を信奉する同志へのアピールなのです。

秘密結社イルミのポーズ、プロビデンスの眼を現す…などと都市伝説界隈で言われていますがどうなのでしょうか。
筆者は北欧神オーディンを現しているのでは? とも思います。逆さ吊りに遭っている状態、すなわち“反抗者”やアンチの側から物を見る、の意味です。

まあたつき諒氏がこの絵を描いたのは悲惨な災難への悲しみを表現したかったから、というだけの偶然かもしれません。

ただ気になったので言及してみました。

(他に手相が描かれているのも気になりますが、手相にはあまり詳しくないので言及しません)


仮に偶然ではないとすれば、たつき氏も初めから「赤い計画」の関係者ということになりますが……。最初に刊行したとき有名になっていないからそれは無いかな? 

皆様はどう思われるでしょうか。
 
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善悪は吉凶に対応している


 昨夜のメモより残したい話をここに拾い上げておきます。

〔2024/7/10筆。日付変更〕

今の時代こそ胸に刻みたい言葉

これは今の時代こそ必要なのでは?と思える言葉です。
道に恵(したが)えば吉。逆に従えば凶。これ影響たり。


『書経』という中国古典からの引用。
漢文だと難しく感じるかもしれませんが、現代日本語にすればいたって当たり前の真理だと分かるはず。


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未来も過去も書き換え可能!? スピリチュアル量子力学を考える〔運命論2022年版-2〕

 


〔2022/09/27筆。日付変更で上げ〕

最近スピリチュアル界で流行している説について考えます。

スピリチュアル分野で“引き寄せ法則”を主張する人たちが、「科学的裏付け」と称してよく論拠にしているのが量子力学です。

「世界は意識によって創造されていることが証明された。したがって思考は現実化する。望むものは何でも引き寄せて物質化できる、過去も書き換えらえる」
と言うのですが、さて本当なのでしょうか?

私が思うに、それはエセ物理学です。

何故そう言えるのか、当記事ではなるべく分かりやすく解説していきます。

量子力学の前提…物が観測で変わる?

先にお断りしておきますと筆者は理数系ではありませんし物理学については完全に素人です。
このため、もしかしたら細部には間違いがあるかもしれません。量子力学の専門家の方へ、用語や認識等に誤りがあればご指摘ください。

ただ自分で言うのも何ですが、昔から“一を聴いて本質を知る”のが得意なほう。
ターゲットをきちんと見据えた場合には、だいたいの核心:構造や真実性が感じ取れるという特技を持ちます。

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私がここで、標本となって伝えたいことは何か?

 


〔2024/3/24筆。大事な話なので上げ。前半のみ常体→敬体へ改稿しました〕

最近アクセスの高い『経緯2.記録と向き合う。「現実調査」の過程 』を読み返していて、今さらながら「時代は変わった……」と思い知りました。

皆様はあの記事を読んで、表の左側を
「後から創作した話」
と思うはず。
でも私は17歳当時、本当に何も知らないで左側に書かれた内容を思い出したものです。

たとえば“忠臣の鑑”というワードも、周囲の人々から言われた言葉として(意訳で)思い出しました。そう呼ばれた人は何万人もいると思い込んでいたのでごく自然に受けとめていました。わりと特殊なケースだと知り、ショックを受けたのは後々のことです。

それに当時は実際、知られていない話でした。少なくとも周囲の友人は誰も知りませんでした。
「教養の欠如した時代」に生まれ育ったもので。

あれから、何故かどんどん流行りだし。
昔に比べれば遥かに多くの人に知られるようになりました。
これもきっとオーディエンスたちの嫌がらせ 支援のおかげだと思います。やれやれ。


若い頃はこんな時代が来るとは思っていなかったので平気で公表したのでした。
それはただ「正直でありたい」と思ったから経緯を告白しただけのことでした。

最初にそうしてしまったために逃れられず、撤回もできず、今日までこうして世間から嘲笑される話をし続けるしかありませんでした。

でも今となっては、正直に語っていて良かったと思います。
たとえ有名とならなくても小説という形で自分自身の記憶がこの世に存在できて良かった。(記憶は多分に間違っている箇所もあるのだろうけど、核心の気持ちは間違いなく真実です)

他人に踏みにじられるばかりの過去。ここに僅かでも自分の言葉で語ることができたことを、心から有難く思っています。

それと私は今、死後世界を証明する標本となりたいと願っているので、あのとき本当のことを言って良かったと思います。

もちろん私の話など信じない人がほとんどでしょうが、1000人のうち一人でも信じてくれたら嬉しく思います。
「魂は存在する」「死は終わりではない」という伝説が真実であると確信する人がこの世に一人でも増え、唯物思想の打破に貢献できるなら本望です。

繰り返し書きますが、
「天知る、地知る、我知る、人知る」
という言葉こそこの世で広めるべき真実です。これはカルマの法則にも適っています。
しかし、唯物思想は「天」も「地」も「人」も否定します。
天地とのつながりを失った「我」は欲望の奴隷となり、道徳も失う。
結果、虐殺の王をヒーローとして崇拝し、無実の人に拷問を与え処刑することを「正しい」と称賛する人々が大量に出てきます。我が子を虐待し、なぶり殺しにすることを心から愉しむ者まで野放しになる。

もちろん天地を意識しなくても道徳を貫ける人はいます。ただ唯物思想があるとこのような異常者たちを抑えられなくなるということ。そもそも、唯物思想は彼らが地上で悪事を自由に行うために考え出した屁理屈なので当然です。

こんな唯物思想が導いている暴力を終わらせるための一助になれるなら、私は喜んで標本になります。


「標本になる」と言っても今のままでは不十分だと承知しています。
今は家族の人生を壊してはならないと思うから、出生日の証明書などは公開できない。
でも、家族が皆世を去り、私自身も死に近付いたら公開しようと思っています。
現代の頭の良い人たちや、未来の人たちがホロスコープなどと比較して理解してくれたら幸い。

※「天知る~」の意味:おてんと様が見ている。悪事は神も自分も知っている。=犯罪が裁かれなくても悪いことをすればカルマの絶対法則で負債を負うということ/アカシックレコードに全ログ残ってますよ!と翻訳してもいいでしょう。



参考になる話、追加 

唯物思想の弊害はこの方が書いている通り。下線は当ブログ筆者による。
『永劫回帰(wikipedia書き手。2019年3月24日現在)』
永劫回帰批判

しかし、『歴史の終わり』を書いたフランシス・フクヤマらに批判されているように、蓄積している知識や歴史が、近代化という不可逆な方向性を持っているのは社会科学的な事実であり、永劫回帰の思想は人類史的なスタンスから見れば誤りである。歴史は繰り返しているようで、弁証法的に発展しているのである[注釈 1]。

また、自然科学的観点に立てば、1.世界はエントロピー増大の法則により常に拡散・多様化していくので類似の状況が再現されてもまったく同じ状況が再現されることはないという熱力学的見解や、2.有限の系に無限の時間を与えても繰り返しが起こるとは限らないことを発見したカオス理論、あるいは、3.本質的に不確定性を内包する量子論など、特に物理学によって永劫回帰を否定することが可能である[注釈 2]。

また、ニーチェの能動的ニヒリズムは、ナチスにヴェルサイユ体制打破という政治的目的に利用され、結果的にヨーロッパに破滅的な戦災を与えた。戦後、新左翼の若者たちの間でも流行し、彼らの刹那的で、盲動的な暴力行為を煽った。絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪すら存在しないと言うことは、あらゆる蛮行や凶行もすべて許されてしまうと言う危険思想に容易に直結する。その政治的に利用されやすい危険性と反省から、哲学者の永井均はその敗北の完璧さにおける思想的な意義を賛美しつつも、「ニーチェは思想家としては敗北した。マルクスには復活の可能性があるが、もはやニーチェにはない」と指摘している[2]。フランシス・フクヤマも、「ユダヤ的対等願望(奴隷道徳)は、ゲルマン的優越願望(貴族道徳)に勝利した」[注釈 3]と指摘し、弁証法的に発展する歴史には目的や終わりがあるとして、歴史の終わりを説いた。ブッダは「犀の角のようにただ独り歩め」と説き、ニヒリズムの政治化を戒めている。

永劫回帰は科学的に確定される現象や政治思想としてではなく、あくまでも実存主義の構えの柱の一つであり、個人の心的現象内によって発生しうるものなのかもしれない。ニーチェは、個人幻想の枠内ならば、人間は因果律も時間軸も超えられることを叫び、個人幻想の絶対的自由を主張したかったとも解釈しうる。これについて、永井均は永劫回帰は思想と言うよりも、ある日突然ニーチェを襲った体験である点を強調している[3]。

永井均はニーチェ哲学とは徹底した「問い」であると指摘している。確かにニーチェ哲学は狂気をはらんでいるが、それは無知や短絡的思考からくる狂気ではない。一般人なら適当なところでやめてしまう疑問を問い続けた結果であり、哲学的思索を徹底したがゆえに発生する狂気なのである。民主主義は価値相対主義を説くが、すべての価値を相対化し続けたら、絶対的な善悪だけでなく相対的善悪も否定されてしまい、究極的には善悪すべてが無意味化するのではないのか? 民主主義は国民の平等を説くが、すべての国民に平等に価値があるということは、すべての国民には平等に価値がないと言い換えられるのではないのか? キリスト教は普遍愛を説くが、すべてを平等に愛すると言うことは、何も愛していないというニヒリズムなのではないのか? フランシス・フクヤマはニーチェの近代批判は本質的で根源的であり、論理的に反駁するのが困難であることを認めている。永劫回帰の能動的ニヒリズムから貴族道徳の復活を説くニーチェ思想は、現代人の視点からしたら危険思想以外のなにものでもないので、多数派の支持を受けることはなく、もはや政治思想として復活することはありえない。その点においてニーチェは思想家としては間違いなく完敗した。しかし、感覚的に拒否できても、論理的に反駁することが困難である点がニーチェ哲学の特徴のひとつである。


>絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪すら存在しないと言うことは、あらゆる蛮行や凶行もすべて許されてしまうと言う危険思想に容易に直結する

そう。
このため蛮行を目的に生まれてきている者たちに大活用されている。
現代の病の原点である。

>感覚的に拒否できても、論理的に反駁することが困難である点がニーチェ哲学の特徴のひとつである。

今のところはね。
だけど自然科学でも政治でも誤っており、道義に反するということは、合理ではないということだろう。
地上に照らせば必ず反駁する論理がある。

ニーチェさんが自身で反駁してくれたらいいのにな。
(生まれ変わりを否定したニーチェ自身がもし別の肉体を持って別の人生を歩んでいるとしたら、ただそれだけで『ツァラトゥストラ』の反駁になる。世界が変わる)
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“多様性を求めるつもりが排除” …真の「水瓶座らしい生き方」とは?

 


〔2020/12/20筆。日付変更、一部改稿〕

ここのところ書いてきた通り、2021年以降は“水瓶座”らしい世界へシフトしていきます。

では「水瓶座らしい生き方」って何なのでしょうか?

今年初め~前回の記事でも説明してきたのですが、いまいち分からないという方が多いかもしれない……。

重複もありますが、ここで改めてまとめておきます。

自分軸という言葉、正しく伝わっているでしょうか?

私は性根(ASC)から水瓶座なので「水瓶座らしい生き方」が感覚で分かります。しかし、無意識に染みついた主義・振る舞いだからこそ表現するのが難しいところがあります。

そうでなくても言葉で伝えるのは難しい。

たとえば“自分軸”という言葉も、漢字の表面的な意味に囚われる人は「自分の我がまま・自己中心的な意見を他人に押し付けること」と曲解してしまうだろうと思います。

(以下数行、二つのテーマが混在して話が分かりづらくなっていたためカットします)

水瓶座らしい“自分軸”とは、ただ他者と比べない自分軸ということです。

他者との比較・競争を判断基準としないこと。嫉妬だけを原動力として生き、「マウント取る」だの「取られる」だのという上下の話ばかりしているような人は、これからの水瓶座らしい世界観に乗ることはとうてい無理でしょう。

自分は自分。他人は他人。そう理解すること。自分は誰の上でもなく下でもないという真実を悟る。

つまり分かりやすく言えば、ありきたりな表現ですがオンリーワンで生きることです。それが水瓶座らしい個性を大切にする生き方です。

私はずっとそういう生き方をしてきました。前世も含め。
いつもオンリーワン(ナンバーワンではなく)と言われてしまうのは、「自分は自分。他人は他人」と本心から思っているせいではないか?と想像しています。
 

最も水瓶座らしい歌

古い歌ですが、このような水瓶座の世界観を最もよく表しているのがSMAPの『世界に一つだけの花』です。

自分に誇りを持ち、自分だけの花を咲かせる。他者と自分を比べるためではなく。……

歌詞引用:

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one


花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

『世界に一つだけの花』作詞:槇原敬之 作曲:槇原敬之 j-lyric.netより引用

ちなみにこれは確か仏教の説法から取った話だったと思います。多神教らしい考え方(多様性ではなく)で私は大好き。これからの水瓶座時代にはピッタリです。

【詳細(別館)】


平等・多様性という言葉が上滑りしています。排除する人になっていませんか?

水瓶座時代へ近付いたせいなのか、最近は水瓶座のシンボルである「自由・平等・博愛」をイメージするような用語を口にする人が増えました。

たとえば流行りのSDGsなどもこの流れを利用した看板です。

“多様性”や“ジェンダーフリー”などの旗を掲げることも流行っていますね。私が子供の頃には考えられない時代となりました。

もともと私は、人種や民族・性別(性志向)で差別することが大嫌い。私自身が差別を発想することも無いし、差別を目撃しただけで精神的にダメージを受けます。そんな自分の特性は子供の頃は特殊で浮いていました。周りの誰も「差別の発想をしない」ということ自体が分からないので、想いを胸に秘め口にチャックをして生きてきました。

ところが今、周りのほうが「反差別、反差別」と騒ぎ始めたので逆に白けています。

SDGsなどを掲げる団体をうさん臭いなと感じるのは、もともとその気持ちを持って生まれた我々には、あの旗が偽物であり嘘だと丸分かりだからです。いずれ真逆の正体を明かして暴力革命に突っ走ることは火を見るより明らか。

だいたい今さらあえて争点として掲げていること自体が、本心から「反差別」を願っている人々ではない証拠。しかも他人を誹謗中傷・吊るし上げするために「反差別」という言葉を利用しているのが分かるので、怒りを覚えます。

今、SNSの流行に乗って「ジェンダーフリー!」「フェミニズム!」を叫んでいる一般女性たちも多いですね。

申し訳ないけど私には皆さんの口にする「平等」は上滑りしているように見えます。

実はその上滑り、最も危険なことです。本物ではない、本心ではないものは必ず暴走する。「本当の平等とは何か」ということも分からないのに口から出まかせで唱えているので、見た目だけの平等を求めようとして無理にフラットにしようとしているのですね。そのうち平等圧力という暴力を快楽として行うようになる。自分たちの思うフラットに従わない者を「反乱分子」と呼んで切り捨てる(殺す)。

暴走の例。昨日のtumblrメモより転載:
“多様性を求めているつもりが、「排除」を進めていた”

名言。これだよ私が彼ら彼女らに言いたかったことは!

「フェミニスト」の皮を被り、男性を言い負かすことに快感を覚えていた私の話

…これは女性の日常的な問題を書いているかのようだけど、暴力が始まる経緯を具体的に記した名記事だと思った。

結局、女性の攻撃は女性に向かうという矛盾が特に悲しかったね。それはただの嫉妬心で性的衝動だと言える。性を否定しながら、誰よりも性に生きている。獣化だ。

最近流行のニワカ「平等性」「多様性」求道者たちは、何が平等で公平なのか分かっていない。だからとにかく吊るし上げ・排除しかしない。

ただ自分一人の我がままを押し通し、他者から奪うことを「平等」だと思っている。

似非平等の罠にはまった人たちが100%暴力に走る背景。

アメリカではフェミニズムが行き過ぎていて、女性が可愛らしい服を着たり、派手なメイクをしているだけで女性から暴力をふるわれるそうだ。最悪だ。

皆、着たい物を着て好きな人と結婚すれば(結婚したくなければ付き合っていけば)いいのに。

勘違いの平等も多様性も、いい加減にしたら?

本当の平等や多様性は個性を認めること

フェミニンで可愛い服を着たい女の人もいるんだ、それでOKでしょ。

可愛い女性が好きな男も多い。そのどこが悪い?

他者の好みを認められないのはあなたが誰よりも「多様性が無くて狭量」「差別主義者」だということ。

その気持ちは嫉妬心から来ている。

他人軸の嫉妬心は、他者を尊重するという意味での真の平等とはかけ離れている。

こんな悲しい暴力を最近あちこちで見かけるようになりました。あなたもこうなっていませんか?

(なお、リンク先の記事であのような口撃を「正論ロジハラ」と呼んでいますが、他者を攻撃することだけを目的とした論理の捻じ曲げは正論とは言えません。詭弁と言うのです。言葉は正しく使おう。おさらい→ロジハラとは何?

上で書いた通り、一見平等を求めている人が暴力に走るのは「他人軸=他者との比較で生きている」からです。

金儲けしている者、賢い人、美貌に恵まれている女性などを眺めて「ズルい。こんなの不公平」と嫉妬ばかりしているので、「反差別」の旗を利用して対象を攻撃。そして“敵”である優位者を倒し、相手の持ち物を奪ってしまう。
……現実にこんな革命が行われた国はたくさんあって、全て大虐殺を繰り返すディストピアになってしまったという歴史があります。すでに実証されていますので、あの旗について行っては絶対にダメですよ。残虐な殺され方をする人たちはもちろん不幸ですが、獣化して殺戮マシーンとして生きることになる人も不幸です。

私は今、とにかく「男女とも仲良くすればいいのに」と思っています。
男女は違っていて当たり前。水瓶座は中性的な星座で、私自身は中性的なほうですが男性らしい人や女性らしい人が好きですよ。男らしい格好や、女らしい格好を好む人たちは大いに結構。人は誰もが自由にファッションを楽しむべきです。

「ジェンダーフリー」と言いながら同性愛者だけをチヤホヤし、異性愛を禁じる・非難するのもおかしい。そんな態度をする人は全く自由主義者ではありません、ひどい嘘つきです。誰かが性別や性志向によって差別され、後ろめたい想いをする社会は異常で間違っています。

お互いの生まれ持った個性を認め合い、尊重し合うのが水瓶座の世界です。

(暴力をふるう者ではない限り)相手の個性を認めてどうか仲良くしてください。

 

真の平等と公平を理解しよう

新時代、水瓶座の時代に乗り遅れたくないなら真の“平等”と“公平”を理解しておきましょう。

水瓶座は「反差別」と言うより「無差別」です。始めから差別心が無い。だから嫉妬で攻撃する対象がありませんし(不公平を是正すべきとは言うかもしれませんが攻撃目的ではない)、見た目のフラットさにもこだわりません。

他人の個性と能力をそれぞれに認め、それぞれに応じた評価※をすべきだと思っています。

結果の平等ではなく機会の平等。結果の平等にこだわる社会は、恐怖のディストピアです

法律も正当であれば守るべきと思うのがバランス主義の水瓶座らしい考え方。水瓶座は自由が好きなのですが、無制限な自由を求める極端なアナキストではありません。

この人間社会で無制限に何もかも自由と言うのは難しいでしょう。殺人までもが自由とは言えませんから。他者から命・人権・自由を奪うような我がままは決して許されません。だから相手の肉体や心を殺す暴力を制御しなければいけないと考えます。社会を破壊して殺戮を推奨するようなカルト思想も、無制限に許すべきではないのです(弾圧するという意味ではありません。人類の免疫で殺人思想を防いでいくべきということ)。

それから、水瓶座は性善説でも性悪説でもありません。どちらの存在も知っていて認めています。ただしこの世で他者を傷付け、奪って貪るのは許されないと考えるだけです。人道主義(漢語の意味で)こそ水瓶座の判断基準です。

 

まとめ

ここで水瓶座らしい生き方をまとめておくと、

何事も、極端に走らず。

急がず、慌てずに。

皆が責任ある自由を持って生きる方法を探し。

全てを見渡して拾い上げながら、トータルで真ん中の道を歩いて行く。

ということになると思います。

ほとんど自分のポリシーを表現しただけ(笑)なのですが、強度の水瓶座として参考までに。

 

【占星術館の関連記事】

K's Fortune Labo 宿曜占星術×西洋占星術: “水瓶座の時代”に共産社会主義が実現する!? 真相を星座の解釈から読んでみた
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矛盾は成長の証? 考えが変わったということ

 

 

 前記事、『賛辞を無視してきた私も、人間の言葉は無視できない』に関連して。

過去こちらの記事で見事に矛盾したことを書いていたことに気付き、自分で驚いている。


他人の評価と自分は関係ないものと考えるしかなく、と言うことは結局、有名になろうがなるまいが現世に遺る評価は「自分とは関係ない」ことになる。

これは現在生存する有名人でも同じ話だと思いますよ。
現代の芸能人はネットでエゴサーチをするようだが、どうしてそんなことをするのか全く分からない。
「自分」と「他人の評価」は全く別物。
二種の世界は永久に断絶していて、決して交わることはない。
結局、他人の評価は自分にとって何の関係もないのです。

『人は誰でも15分間だけは有名になれる』より

 

……「関係ない」は言い過ぎだったなと思って、撤回しておいた。

でもこの頃は「関係ない」と思っていたんだよな本当に。
今もまだ、他人の評価が現実の自分に影響を及ぼすことはないから、「評価など関係ない」とは思っているが。

現に私は今でも自分(吉野圭)のエゴサーチをしない。
仕事に支障をきたすなど現実への影響がない限り、どうでもいい。
 ※現実に影響を及ぼすなら賠償請求させていただきますので注意してください

他人の評価に振り回されることは本当に危険で、その評価に合わせて自分を繕うことは最もやってはいけないことだと思っている。
「独裁者とは自らが頂点にいるために信奉者の奴隷になっているひと」、全くその通りだと思う。

何事も、いついかなる時も他人軸であってはならない。
核では変わらない自己を保ち続けなければならない。

ただ最近知った評価は、初めて人間としての誠実さから発したもので、さらに「核の自己」に触れていたから向き合ってみようと思った。

自分が精神的に一段上に行くためには、そろそろ現実のこととして受け入れて感謝しなければならないのだと感じている。
この膨大な重荷を受け入れなければ終われないのだと思う。

そんなわけで、
矛盾しているのは考えが変わったからで、考えが変わるということは成長の証だと思って眺めてください。

私も皆さんと同じ、現代文化に浸って育った現代人の一人。
天上で何が計画されているかなど把握していないし、果てしない過去の歴史など本当には理解が及んでいない。

遅ればせながら、今ようやく少し勉強しようと思っているところ。

私の変化を見守ってくだされば幸い。



〔2019/04/07筆。2024年現在は再び黒い思惑に騙される日本人を眺めやる気を失っています。自戒のためこの記事をトップ上げ。結局は人の評価に動かされているなあと反省〕
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「魂“中心”主義」が新時代の光明となる

 


〔2022/05/22筆。日付変更で上げておきます〕

思いつきを書きますね。

別館で更新した記事「あの陰謀論を解説」を書いていて思ったことは、やはり魂や死後世界の確信が重要だということでした。

何度も書いてきましたが。
間もなく古い時代が終わりを告げ、本格的な風の時代が始まります。

古い時代が何であったのかというと、占星術館で書いたとおり「地の時代」でした。
人類は地がもたらす物質的豊かさ(石油、鉱物による科学的恵み。安定社会)を享受したけれども、唯物主義で地に縛り付けられヒエラルキーに囚われ、身動きが取れない全体主義で苦しみました。まさに“地獄”と思えるような奴隷世界を味わった人も多かったわけです。

では、これから風の時代へ人類を切り替えるにはどのような思想・文化が必要でしょうか?

――新しい時代の文化の基礎となるのは、間違いなく「魂」であろうと昨日記事を書いていてふと思いました。

ちょうどこの文を書いていた瞬間でした。
実際、彼らは徹底した唯物主義者であり、神はおろか死後世界も魂も信じません。魂を信じないからこそ、「個」を否定する全体主義者とならざるを得ないのです。
そう、鍵は「魂」。
この地獄を崩壊させるのは、個性を保ち続ける「魂」の存在を信じる最もシンプルな人類の信仰心だけです。

何故なら理論上、個々に意志を持つ「魂」があると確信した人類で全体主義は広まりようもない。
殺すことでも屈服させられない、何物にも縛られない完全自由な「個の意志」があるとしたら、支配者たちは奴隷を縛り付けることが不可能となるからです。
だからこそ、支配者たちにとって「魂」の存在、「死後世界」の実在は恐怖で仕方ないのです。奴隷を縛り続けるため絶対に否定しなければならない、ということになります。
(自分が死後に永遠の地獄へ堕ちると確信する意味でもきっと恐怖でしょう)

現に今、あの全体主義者たちがネット上のあちこちで
「魂は存在しない」
「生まれ変わりはあり得ないと証明された」
との大量書き込みをしているようです。
彼らは昔からそのような証明不可能な断定をばらまいてきましたが、最近ますます唯物主義での抵抗が激しくなっていますね。
明らかに焦っているご様子。
悪魔たちの断末魔という感じです。

いくら断定的に「魂は無い」と言っても証明不可能なものは不可能。
「悪魔の証明」という用語を使うまでもなく、唯物思想は真実ではないからです。

間もなくその時は訪れます。物神が死に、羊たちが軛から解き放たれるときが。

お互いに「魂」として飛び立ち、全体主義を切り裂く光明となりましょう。

【追記】単純な唯心論も悪用されがちで危険なので「魂“中心”主義」としました。
 
 
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死の淵にいる人へ。「過去にすがるな」? いいえ、すがってください。人生は思い出だけでも充分

 


 〔2020/6/3筆。2024/7/16トップ上げ〕

 ブログ整理のために過去記事を読み直していてふと、自分が過去にこんな本音を書いていたのか… と驚くことがあります。
多くの人へ呼びかける目的で書いたポピュラーな(需要がありそうな)記事よりも、誰にも読まれずひっそり埋もれている独白記事のほうが真に役立ちそうに思います。

今日、呻いていたのは
 『ヨルシカの詞が胸に響き過ぎる』
という記事。
正確に言えばヨルシカの歌詞に感嘆して呻いていたのですが、この記事には十代の頃の危機が刻まれていて痛いものがありますね。
でも痛いからこそ真実がある気がします。

誰もが通る若い頃の危機。
私の場合、死の淵へ落ちる寸前のギリギリで命が救われました。
よく生き残ったものだ……と我ながら思います。

振り返れば、戦争で肉体が危機に晒されるより、現代のいわゆる“腐った平和”における精神の危機のほうが過酷でした。
何よりも過酷であるのは、「孤独」であること。
愛が無いと誤解してしまうこと。
共鳴する友を見つけられないと早合点してしまうこと。
それ故に、自分の存在意義・生きる意味を完全に見失ってしまうこと……。

私は“前世の思い出”により、自分でも愛された過去があったことを知り、生きていていいのだと知ることができました。
こんな異次元の方法は堂々と自慢できるものではありません。とても他者へお奨めはできません。
ただ私の場合、その異次元の最終手段によって「死」の淵へ落ちるまであと1センチくらいのところで「生」に踏みとどまることができたと言えます。

あの当時は生きることが最優先でした。
だから異次元の方法が必要だったわけです。
今はもう前世であることを否定していませんが、当時は自分自身の前世である必要など全く無いと思っていました。自分と似たキャラクター※が愛され認められた時代があった、その厳然たる事実だけで生きる自信を取り戻すには充分でした。

※たとえば「お勉強ができる」。ただその程度の共通項でも良かった。似たキャラクターが認められるという世界の存在を、当時の私は全く知らなかったので。自分が生きていて良い世界があるということは、存在否定され続け死にかけている者にとっては救いなのです。たとえそれが過ぎ去った時代であったとしても。


このような経験から述べます――

今もし自分の存在を否定されて死の淵に立っている人がいたら、どうか少しだけ視野を広げて見まわして欲しいのです。

両親なり恋人なり友達なり、あなたを認めて愛してくれた人が必ずいるはず。
今、その人たちが近くに居なくても。別れてしまったとしても。
誰かが愛してくれた思い出を忘れないでください。
“あなたには価値がある”と言ってくれた思い出を胸に、生き延びてください。

「自分のことを愛してくれた人など誰もいない」と思っている人へ。
自分自身でなくとも、過去にはあなたによく似たキャラクターが愛され認められた時代があったかもしれない。

歴史でも文学でもいい。
人類の遺産を漁ってみてください。
膨大な数の人間が生きたこの地上には、必ず共鳴できる人がいるはずです。

そのように過ぎ去った時代を拠り所にするのは、決して「過去にすがる・みっともなくて罪な態度」ではありません。
何故なら、過去は未来に等しいので。今のなかに過去も未来も同時に存在するので。

自分で手放さない限り失われる思い出など微塵もない。
今とは“永遠”から切り離された孤独の箱ではありません。

現在、誹謗中傷であなたを否定して殺したがっている人々は、必ず
「過去の栄光にすがるな。過去の思い出なんか無意味、今は存在しないもの。今のお前に価値はない」
と言ってくるでしょう。
それはあなたを“永遠”から分断された“今”という牢獄へ追いやり、孤独死させるための策略。
そんな策略に乗って死んでしまうことに何の意味もありませんよ。

人生に完璧さなど求めてはいけません。
誰でも必ず辛い時があります。
今が悪いからといって過去や未来の全てを否定しては駄目です。
たとえば今現在、誹謗中傷されて存在を否定されているからといって、過去や未来は消えません。決して。

どうしても愛された思い出や共鳴する人物が見つからないなら、空を見上げてください。目に沁みる青さを。
瞼を閉じて風を感じるだけでもいい。
その青を、または風を思い出として味わうためにあなたは今ここにいる。

確かに言えることは、死んでしまったらもう思い出を作れなくなるということです。
空の青さを魂に刻むことすらできなくなる。
だから生きることには意味があります。

 

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利き手は転生で引き継がれる? 星座ごとに象徴されるジャンルは?【返信】

 2024/5/9にいただいたご質問への回答です。遅くなりました。

占星術に関するご質問については別館で詳しい記事を書いてから返信しよう……と思っていたのですが、書く時間がなかったのでさわり(要点)だけご説明します。

利き手は転生しても引き継がれるのか


まず転生に関するご質問から。

Q.利き手は過去から引き継いだりする可能性もあったりするのでしょうか?

そうですね。利き手は脳・身体の使い方の癖だから、過去世から引き継ぐことも多いはずです。

私は今世では生まれつき左利きで、幼いうちに右へ矯正されたそうです。
前世ではどうだったか記憶にありませんが、(今とあまり変わらない性格タイプだったので)生まれつきは左利きだった可能性が高いと思います。しかし前世の時代や国を考えると当然に右へ矯正されたでしょう。
一度矯正を経験したせいなのか、今は右利きとして暮らしていても不便を感じたことはありません。ただ左右で混乱することはあるので車の運転は控えています。
この経験を繰り返せば始めから右利きとして生まれるか、またはクロスドミナンスに慣れて迷うことはなくなるのだろうと思います。

身体に関する話をもう少し付け足すと、当ブログ読者様なら皆様ご存知の通り私には「運動神経が鈍い」という最大特徴があります。笑
つまり身体の扱いが得意ではないのです。
これは多くの人生で読書や勉強にばかり興味を持って、身体を動かす経験をあまり積んでこなかったからだと言えます。
特に前世はひどかったと思います。知的な趣味や仕事に偏っており、武芸を磨くことはありませんでした。おかげで現代の学校では体育の科目に苦労しました。

この実体験からも身体の扱い方という技能・癖が転生で引き継がれると言えます。

記憶がなくても人生の経験は積み重なっていくし、経験の少ないことは苦手となるわけです。

【関連】 感情と技術は残る。だから今日は明日へ繋がる


星座ごとの象徴


次に、占星術に関するご質問です。
過去記事と重複する話があるかもしれませんが改めて回答しておきます。

Q.サビアンシンボルか何かの記事に、射手座は戦争と関係があると見たのですが、射手座以外の他の星座にも 射手座と戦争のように それぞれに意味があったりするのでしょうか?他の星座が意味するものがあるならとても気になります…。
参考になるような書籍などがありましたら教えていただけたら嬉しいです。

はい、星座ごとにそれぞれ象徴する仕事などのジャンルがあります。
古代から様々な占星術師たちが「各星座に対応するジャンルは何か?」と分析してきました。分類は手法で多少異なります。

オーソドックスな解釈で公平だなと感じたのは占星術ソフト『Stargazer』小曽根秋男氏の解説本です。
星座の解釈は著者の想像で無限に広がりがちなのですが、こちらはソフトの解説本として書かれただけあって拡大解釈なし。あくまでも例示として「こんなイメージがある」と端的に挙げられているところが良いと思いました。

(付属ソフトは最近のパソコンOSで使えない可能性があります、ご注意を)

もう一つ。
古典的な占星術から見れば特殊ながら、松村潔氏のサビアンシンボル解説書はおススメです。

私がかつてサビアンシンボルを語る際に参考としていたのも主に松村氏の解釈です。
「射手座の前半は戦争を表す」も松村氏の解釈より。妥当と思います。
星座の前半や後半(15度ごと)、または5度ごとに分けての分析は、サビアンシンボルの手がかりがなければ不可能だったでしょう。

たぶん今は中古でしか売られていないと思いますが、『サビアン占星術: 決定版!! (L books elfin books series) 』は読み込みました。
星座を理論的に流れで理解できる名著だと思います。

……とは言え分厚いし中古本も高価ですから、ご無理なさらず。

基本解釈で良ければ筆者の別館をご参照ください。これも古いので、いずれまた暇ができたら解釈を追加していきます。

【筆者の別館】 12星座の基本解釈



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事故や災害は偶然か? 過去との向き合い方【返信】

 

 2024/4/30にM様よりいただいたメールへの返信で、久しぶりに運命の話です。

吉野さん、はじめまして。
Mと申します。

占星術を色々調べていた時に、こちらのサイトに辿りつきました。
吉野さんの作品も今度、Amazonから購入させていただく予定です。
はじめまして、M様。このような辺鄙なブログへお越しいただいたうえ、メッセージありがとうございます。初来訪の方にお声をかけていただきとても勇気づけられました。

プライベートなお話を伏せるため引用は控えめに致します。

“塞翁が馬” 事故や災害の運命


(引用を控えた部分のお話。
M様はかつて目の前で事故を目撃し、後にご自身も事故に遭われたとのこと。しかし事故後に幼い頃を思い出すなどして、空気の流れが変化し人生が動き出した)
長文かつ場違いな内容で申し訳ないですが、このサイトにたどり着き ブログを読んでいたらどうしても前から気になっていることを誰かに聞いてほしくて吉野さんにメッセージをしてしまいました。
プライベートな体験について詳しくお話しいただき恐縮です。
(多くの方に役立つ話だと思いましたので公開返信と致しました)

事故など滅多にない出来事が重なったこと、やはり偶然にしては不思議過ぎますね。
高次な運命の背景があるのでしょう。

“運命の背景”とは、たとえば過去世の因果、経験値を上げるためのプラン、運命の人と結ばれるための準備……等々です。

私も運命については勉強中の身ですが、過去世を思い出した体験から何ごとも偶然はなく理由があるのだと分かるようになりました。
ただその“理由”とは単純な因果応報だけではありませんので、人の世界において説くことが大変難しいと感じています。特に事故や災害などは被災された方の責任と単純に考え、被災者を鞭打つ嫌な人もいます。このため大声で運命を説くことには慎重となってしまいます。

災害を描いたドラマ『BLUE MOMENT』の中で先日、
「災害に遭った人は“何故、自分が?”と考えて苦しむ。でも災害に遭ったことは、ただただ偶然に不運だっただけだ」
というセリフがありました。
(要旨。天気予報で被災回避しようと奮闘するストーリーに反するようなセリフだなと思いましたが、その場面では被災者を慰める説得力がありました)

確かに家族や自分が災害に巻き込まれたという“不幸”な状況に打ちひしがれている時は、「何故?」などと理由を求めればなおさら苦しむものかもしれません。
危機意識が低かった自分を責めたり、対応が遅かった政府、果ては運命を作った神まで恨んで怒りの感情に支配されてしまうこともあります。
だとすれば「偶然だった」という言葉が慰めとなり、「仕方がなかった」と考えることが救いとなるでしょう。
でも救われるのは一時の感情。
「偶然」は地上の苦しみを和らげるための麻酔とも思います。

背景にある真理はそうではなく、人生で起きるたいていのことは予め高次の理由でセットされているようです。
他記事と重複しますが、これは信じたい・信じたくないという「好み」とは関係のない、ただ在る真理。

塞翁(さいおう)が馬”とはよく言ったもので、幸不幸は人間の価値観ではとうてい計り知れないものでしょう。

だから人間が追求すべきことは現世利益ではなく、人生という高次のプランを受け取り活かすことだと言えます。
それができずに「運命に抗う」を言い訳として、嘘をついたり他人に危害を加えて自己中心の利益ばかり貪る人たちがいます。そのような人たちは来世に禍根(かこん)を積み重ねる。……つまり、長い間もがき続けるのだろうなあと思います。

〔追記〕 もちろん困難に負けないという意味で「運命に抗おう」と自分に言い聞かせ、がんばることは素晴らしい。努力は必要です。運命論は諦めの早さにつながり良くない思想だ、との考えもあります。でもそれより自己中な犯罪の言い訳として「反運命」「反道徳」「反神」を唱える人たちが、現代ではあまりに多いという話です。

過去への向き合い方


ご質問箇所は引用させていただきます。
例えば事故にあったことで幼少期など色々思い出したり 空気の流れが変わった感覚や物事が動き出すような出来事を体験した場合、過去世や内面と向き合ったほうが良いのでしょうか?
過去世についてはご無理なさらず。
ずっと書いてきましたが、思い出すべき時が来れば自然に思い出すはずです。
担当のガイドさん(地上で活動する魂を見守る先輩の霊)が、過去世の記憶が必要だと判断した場合に思い出すよう導くことでしょう。

仮にこのブログに来られたことが“導き”なのだとすれば、下記事の方法で思い出す場面があるのではないでしょうか?

【案内】前世を思い出す方法。安全な退行催眠のやり方と、注意してほしいこと

もしかしたら同じ事故に遭われた方や、相手の方、体験を共有したご兄弟(姉妹)などと過去世で関係があったかもしれません。
しかしくれぐれも無理はなさらないでください。
今現在の人生が過去世の結果ですから、ほとんどの人が幼い頃のことを思い出すだけで充分です。そうではなかった場合だけ過去世の出来事が思い出されます。

なお「過去との向き合い方」については私の態度を反面教師としてくださいね。
最近分かってきたのですが、私は特殊過ぎる使命があって過去世を思い出したのだと思われます。現世・現代で行われている犯罪を目撃し告発する使命です。
通常は自分の停滞した運命を解決するために過去世を思い出すはず。つまり、自分自身の人生のために思い出します。
公の問題と関わることはほとんどないと考えられますので、過去の話ばかりに時間を費やす必要はありません。

それから、自己の“内面に向き合うこと”は、いついかなる時も必要だと私は思っています。
でも特に内面に向き合うことが必要となる時期が、誰にでもありますね。
たぶんM様は事故の体験をしたときに無意識で深く内面と向き合い、大きく前進されたのではないでしょうか。
今後も折に触れその際のメモを読み返せば生き方のヒントが得られるはずです。
困難の時にならなければ分からないこともあります。人生の困難とは気付きを得るための活力ともなり得ます。

ご挨拶


このような曖昧な答えで回答になっているでしょうか?
私自身が人の前世を読むなどの霊能力はないために具体的な話ができず、申し訳ないです。

このたびはメールをくださったことに心から感謝致します。

私事ですが最近は険悪な世間話も書いているため多くの読者様を失ってしまったようです。
またネット上の言論統制が年々激しくなり、現に検索からのアクセスも激減しています。
いよいよ本当に発信自体の限界を感じています。
――偉そうに回答していますが困難な運命で身動きが取れなくなり、アドバイスが必要となっているのは私かもしれません。

このような状況でもまだ見てくださる方がいるなら、もう少しここに留まろうと思いました。ありがとうございます。
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「真理」や「天道」を無きものにする反転思想家たち

冒頭、険悪な報告からとなります。
心の弱い方、険悪な話が苦手な方はリンクをクリックしないようご注意ください。

読者様より、かつて筆者へ殺害を臭わせる脅迫文を送り付けてきた犯罪者のものらしいSNSアカウントを見つけたことご報告いただきました。

ご報告くださった方によれば「そのアカウントから個人情報を辿り住所特定に動いている」とのこと…、
確かに公開情報を閲覧するだけなら不法行為とはならないのですが、住所特定して直接に嫌がらせするのは犯罪なのでやめましょう。分かっているでしょうけど。

返信コメントやDMなどで絡むのも控えてください。
相手方はメールの文面からも、平気で人を殺すカルト活動家であることが分かります。反社会的な人物に絡むのは大変危険です。

私も該当アカウントのURLを教えていただきましたが、全体に危険な香りが漂っていてあまり深く読めませんでした。
ただここのブログに反応して書いたような記事が散見されましたね。
リンクも貼らずに反論、否定を書き連ねています。陰口で不満を吐き出さずにいられない陰険さが表れている。
上のメール文でもそうでしたが人と話をすることが完全にできないタイプであるらしい。
どっちが「人の話を聞かない・融通のきかない」人物なのでしょうか? 彼らは鏡を見ながらつい自分のことを言ってしまう癖があるようです。

悪魔思想家たちはこんな感じ


別館記事を読まない方のために簡単に解説しておきます。

現代、彼のような反社会的人物は概ねM主義者であり、反転思想家(たとえばニーチェなど反哲学者を名乗る者)を強く崇拝しています。

いわゆる典型的な「悪魔崇拝※」と呼ばれる思想の持ち主ですね。

※ここで「悪魔崇拝」と呼ぶのは古代の宗教差別を抜いた狭義、近代思想における反転主義のことです。現代において暴力至上を掲げ、歴史捏造や言論弾圧、殺人・破壊活動をしている勢力のこと。

実際に犯罪活動をしているか否かで醜悪さのグラデーションはありますが、善良さを憎み・あらゆる悪事を正しいと本気で信じている点がコピーロボットのごとく共通しています。
思考を失っているために命令されたならどのような残虐な犯罪でも遂行する。
善悪の観念も反転していますから、そもそも人としての言葉が通じません。前記事でも書いた「魂を喰われたハニワ」です。

本人たちは「自分は人間である。自分の頭で考えている」と思い込んでいるが自我を失っていることに薄々気付いているため、この点を指摘すると激怒します。
“人間”の定義をすり変えているようですし、“自分の頭で考える”もカルトを受け入れるという意味に変換しているようです。

…このように彼らは言葉の意味を反転させていますから何を言っても処置なし。自らを省みて悔いることは永久にないのでしょう。このため鏡を見て敵の姿だと思い込み、自分自身を忠実に表現する罵詈雑言を叫んでいます。

主張の特徴


過去記事と繰り返しになりますが、上のSNSを参考として彼らに共通する主張を抽出しますと

・「善人こそ悪人だ。善良な者こそおぞましい支配者だ」「無辜の民を虐殺することこそ正義だ」などと、人類の価値観とは反対のことを述べる。善良さへの徹底的な憎しみ、道徳を破壊する衝動を持つ。

・「真理は存在しない」「事実も存在しない」と主張。だから自分たちに都合の良い歴史事実を創作していいと信じている。「願望を唱えれば過去も書き変えられる」と本気で信じる、引き寄せ法則の狂信的な信者である。

・ニーチェやマルクスを代表とする悪魔思想家を熱烈に信奉している。そもそも彼らの主張はニーチェやマルクスの丸ごとコピーである。自分自身の考えは持たない。個人の意志を失っている全体主義者

等々です。
抽出のためには役に立ちました。教えてくださってありがとう。


「真理はない! 天道は憎むべき一神教だ!」と叫ぶ悪魔の手下たち


この件に関連して思い出しましたが、最近あの勢力に乗っ取られているWikipediaで
「天道とは一神教のこと。人類が憎み打倒すべき宗教」
との思想誘導が書き込みされているらしいですね。

真理だけではなく、天道も無きものにするつもりか。
嘘を吐き犯罪ばかりしている彼らにとって真理や天道があると都合が悪いようです。

――と言うことは、真理や天道に怯えているわけですね? その時点で真理・天道の存在を認めたことになるのですが、自家撞着(矛盾)に気付かない愚かな鴨さん。

「天に唾する」とはこのことです。
人間社会を正すために悪人を罰する親切な神様がいるわけではなくて、上に吐いた唾がただ重力で自分の顔に返ってくるだけなのですよ。

こんな自然法則すら彼らは憎み、「法則なんか存在しない!」と主張しているのですが。願望を唱えても無駄。宇宙の摂理は厳格であること、いずれあなたの身をもって分かるんじゃない?
まあ星の重力に支配されるのも嫌だと言うのなら宇宙空間に亡命すればいい。誰も止めないので、どうぞどうぞ地球を出て行って。
いや宇宙そのものを憎んでいるのでしたっけ。ならば宇宙を出て行けば?

そもそも「天道」とは本来、星々の通る道のこと。その道を読み、人の運命に照らし合わせて「宿命」などの解釈が生まれただけ。
「悪いことをすれば自分に返る」の幼稚園児でも分かる因果応報ですね。
現代風に翻訳するなら宇宙法則のことです。
もちろん全天体、全法則のことを指すのであって、人を支配する神様を崇める一神教などのことではありません。笑
どこまで無知なのでしょうか。無知ゆえに言葉の定義を平気で歪めている。恥ずかしいな。


あと「真理はない!」について。
そもそも何についての真理なのか? 定義することもせず、ただ「真理はない・真理はない」と唱えているなら狂った宗教です。彼らはオ×ム真理教を批判しているが似た者同士。

真理が存在するかしないかは「何について」かによるでしょう。
たとえばある歴史事実が存在したかどうか。とのテーマならば、過去の厳然たる出来事で「事実という真理」は確かに在ることになる。
これは記録書に書かれたか否かは関係がない。
人が知った瞬間に過去の事実が消えるわけもない
(だとすれば全ての歴史事実は無かったことになる。あなたがここに生まれたという事実も存在しないことになる)

それを「事実は存在しない! 解釈があるだけだ」、「真理は知られた瞬間に消えるのだ!」などと狂った主張をし、自分たちの都合で好き勝手に歴史改造しているのが彼らです。
しかも真理は知られた瞬間に消えると言いながら、何故か自分たちの目的に合わせた歴史事実は「存在する」とご都合主義を唱えるし。
これこそ彼ら悪魔崇拝カルトが「人類の敵」と呼ばれている所以。

……と、専門ではないから哲学の話はこの辺でやめておきます。

なお当ブログで時々使っている「真理」という言葉は、「天道」と似た宇宙法則を指します。そのなかでも核心法則を指す。
それを多くの人が知れば人間社会も大きく改善されるはずと私が感じているものです。
この意味での真理はただ「存在するもの」なので、人が知ったからと言って消えるわけではありません。
月や太陽が人に見られた瞬間に消えていないのと同じことです。
月や太陽なども「在るのに無い」、と叫ぶのがいかに狂った主張か分かるでしょう。

【参考になる話、引用】


1.真理を考え過ぎて自家撞着に陥り壊れていった反哲学者たち:
「悪」は「善」から分泌される——哲学者・古賀徹が語る「真理」とは。より
哲学が、一番大事にしているのは「真理」です。「真理」を僕なりに説明すると、「在るものを『在るもの』として示すこと。在るのに無いフリをしないこと」だと思っています。
↑このシンプルな考えで良いのでは? と思いますが、現代では反哲学が蔓延しているから学べば学ぶほど狂っていくようですね。
そして毒書に魂を喰われて操られ、ドン・キホーテのように無意味な敵と戦う「運動」で人生を消耗していくのでしょう。

そしてあるとき、自分の中に根を張っていた常識が突然崩れ、テキストが言わんとしていることが、洪水のようにドドーッと頭に流れ込んできて、モノの見方が完全に書き換えられる瞬間
↑悟りをひらいたかのようですが、もしかしたらこれこそ「魂が喰われていく」瞬間なのかもしれません。
あらかじめ持って生まれた人間としての道徳心が乗っ取られ、非現実的な思想にコントロールされる。
(例:まともな人間は幼児を虐待できないが、イデオロギーに思考を乗っ取られた者は「幼児虐待は正義! 虐待してはならないと言うのは悪の常識だ!」と言って行う。人としての最も根本的な道義を“破壊すべき常識”と呼んだとき、人は人ではなくなる

ハンナ・アーレントの述べる「自分自身との静かな対話」を放棄してしまう瞬間です。

引用文中、アンダーラインは当ブログ筆者による:
「ソクラテスやプラトン以来、私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例が無いほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました」

思考の風がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬよう」(映画「ハンナ・アーレント」(字幕版)のシーンから)



2.当ブログ内の読書メモから
『ガラス玉演戯』より、神様の言葉
真理はあるよ、君。だが、君の求める『教え』、完全にそれだけで賢くなれるような絶対な教え、そんなものはない。君も完全な教えにあこがれてはならない。友よ、それより、君自身の完成にあこがれなさい。神というものは君の中にあるのであって、概念や本の中にあるのではない。真理は生活されるものであって、講義されるものではない。戦いの覚悟をしなさい、ヨーゼフ・クネヒトよ、君の戦いがもう始まっているのが、よくわかる」
ヘッセもユングなどと交流があり、当時の悪魔崇拝思想に触れた人だと思います。
ただヘッセはニーチェ思想について「意味が分からなかった。何故あのような書物が称賛されているのか分からない」(要旨)と述べています。
このエピソードや上の引用文から、ヘッセは自身との静かな対話を放棄しなかった人だと分かります。嘘つきではなかったということです。

おそらく自分に理解できないものを、見栄で「理解した」と嘘をついた瞬間に思考は乗っ取られ始めるのではないでしょうか?
理解できないくせに他人の言葉をトレースする。その思考の放棄こそ人間辞める瞬間。
日本人の高学歴にはこの種のタイプが多い気がします。受験勉強によって、教科書をトレースしそのまま回答する訓練しかして来なかったからです。幼少期から奴隷として調教されてきたのだと言えるでしょう。

(読者様はどうか教科書の奴隷となりませんように)

【真理について関連する話】 占いは歴史学ではない→まとめ
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本は雑読がおススメ。現代の毒書で魂を喰われないために

 お気付きの方もいるかもしれませんが、少し前に読書ブログ『On a rainy day』を削除しました。

※2024/9/26 気まぐれで復帰させています

 https://book.kslabo.work/


ほとんどの記事を整理してしまいレビュー少なめとなっております。

よくクリックされる読書に関する雑談はこちらのブログに掲載しました。

たとえば

二流の読書でバカになる? 広く浅くの雑読を後押しする、嬉しい言葉

とか。

その他は読書カテゴリにあります。



ミスリードの修正


今、早めの終活として過去に自分の書いたものを整理していこうと考えています。
遺すべきものは遺す。
判断を誤っていて、ミスリードする危険のあった記事は削除または修正していかねばと。

(それで水瓶座の基礎解釈も修正したものです)

なかでもミスリードの危険が大きかったのは読書ブログだったと思います。

少し前まで私は現代で行われている思想誘導の犯罪を知らず、毒の含まれている本を注意もせずに紹介していました。
さすがにニーチェやヒトラー、マルクスなど悪魔臭の強い書物は私自身が生理的に無理ですからお奨めすることはありませんでしたが、太宰治はうっかり紹介してしまいましたね。

その他にも今の目では有害だと分かる“毒書(どくしょ)”を紹介していました。
それもそのはず、出版されている本の9割が毒書。現代では偏った思想を持つ作家しか世に出ないよう言論コントロールされているからです。

昔の大人たちが「本なんか読むもんじゃない」と言っていた理由が遅ればせながらようやく分かりました。

たぶん私と同世代の人たちの多くは未だに全く気付いていないでしょう。
テロリストたちが敗北して大人しくなり、改心したように装っていた時代を生きてきたからです。
それが今になって俄かに復活して我が物顔に振る舞い始めました。まるでトコジラミのように再繁殖している。

私が目覚めたのは『三国志』で行われている犯罪に気付いたおかげなのですが、コロナと米国大統領選挙がダメ押しでしたね。我が国の元首相暗殺事件も。

もともとあのカルト思想家たちが悪の限りを尽くしていたことは歴史として知っていました。
まさか今でも僅かも改心することなく、現代の自由主義圏(と言われている日本や米国)でここまでの悪事を堂々とやってのけるとは。

私も性善説に少し傾いて甘い夢を見ていたこと反省しています。
人間は誰でも良心を持ち、いつか自分の過ちに気付けば恥じて改心するものだと信じていました。

しかしそんな考えは夢想に過ぎなかった。
一度カルト思想に脳を侵された者は、騙されたことを自分で認めたくないので永久に改心することなどなく、死ぬまで非合理な嘘をばらまき他人の生き血を吸い続けることしかできないようです。
ぬか漬けの野菜と同じ。一度でも犯罪行為に中毒した脳は二度と元に戻ることがないのでしょう。


魂を喰われない読書


最近になって若かりし頃のカルト夢想を取り戻し、嘘八百のプロパガンダ活動に勤しんでいるお年寄りたちを眺めていると
“瞳が空洞”
ということに気付きます。

「目を見ればその者の本質が分かる」と豪語する私の上司ほど人物鑑定眼がなくとも分かるくらい明々白々。
まるで埴輪(はにわ)のように瞳が真っ黒で生物を感じさせません。

こんな感じ:

 

上司にこの話をしたところ

「あれは背後の者に操られちゃってんだよ。恐怖で操られているのか、思想洗脳されてるのか知らないが、とにかく自分自身が空っぽなの。カルト宗教の信者と同じだね。ああなったら殺人でも何でも命令されれば実行するよ」
と言っていました。私と同じ印象を持っていたようです。

おそらくあの埴輪と化している者たちは、魂が喰われて空っぽになっているのではないかな? と私は感じています。

何に魂が喰われてしまったのかと言うと、本などに含まれている毒思想に。

このたび復帰させた記事『二流の読書でバカになる?』でも触れていますが、どうやら限られたジャンルの本を聖書のごとく崇め、何度も繰り返し読む精読タイプが“魂を喰われる”ことが多いようです。

もちろん良書なら精読もいいでしょう。
たまたま選んだ聖書が良質な心を養ってくれるのであれば繰り返し読んでも構わない。
ただし無知なうちは毒かどうか区別がつかない。毒書を何度も読み込んでいると、気付かないうちに根本から魂を蝕まれ二度と元の人間には戻れなくなってしまうのだと思います。

そして現代の本には強度の毒素が含まれていることがほとんど。
しかも教育現場でも偏った思想を持つハニワ教師たちが毒書を子供たちに奨めています。
特に教師の言いなりになる「良い子」の子供たちは素直に毒を飲んでしまう。何度も、何度も。

「本を読むな」とは私は言いません。
毒を含む本でも読まなければ知識が得られませんし、無知ならばなおさら教祖からの直接の勧誘で洗脳されることがあるからです。

その代わり毒を深く飲み込まないことですね。
つまり、書かれた言葉を鵜呑みにしない。誰かの言葉を完全に脳へトレースしない。教科書の従順な羊にならないこと。

魂を喰われないためには上記事で書いたように雑読が有効です。
毒を含む本、含まない本をたくさん読むことが身を守ると思います。

私がこれまで毒を含む本を読んだとしても、気付けば修正できているのは雑読をしてきたからだと言えます。

我ながらどうかと思いますが、どのような本を読んでも深く自分の中に取り込まない癖があります。
どうやら人並み以上に理解力はあり、心に響く思想には賛同するものの、必ず自分とその本の思想との違いを見つけて批判的に読んでしまう。
(これは歴史人物に対しても同じ。約一名を除きどんな歴史人物にも完全には同調できなかった)

生まれつき他人の思想を自分の脳にトレースすることが難しいようです。だから教祖の信者にはなれなかったし右にも左にもなれない。
これこそ私が“特殊”で“独自性がある”と言われてきたことの所以なのだと思いますが、普通の本能に欠ける障碍だったと言えるかもしれません。

多くの人は私のような障碍者ではないはずなので他人の思想をトレースする本能を持つでしょう。
カルトは高度な心理学でその健全な本能を利用し、信者として捕らえて魂を喰い尽くそうと狙っています。
その罠にはまりやすい行動が「毒書を繰り返し読むこと」なのです。

自律思考で本を読め! と叫んでも難しかったかもしれません。
だからせめて分かりやすい行動として、広くジャンルを定めずの雑読をおススメしています。

 

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『プルーフ・オブ・ヘブン』感想 2 自我を失う臨死体験はレアケース

 前回の続きです。

『プルーフ・オブ・ヘブン』の基本情報、筆者感想は前記事へ

この記事ではアレグザンダー氏の体験について、書籍から引用しながら私自身の体験と比較したいと思います。

アレグザンダー氏の体験


「私自身の体験と比較したい」と書きましたが、私は前回死んだときの記憶を持つ者に過ぎません。
しかも前回は死後世界(スピリット界。死後に魂が過ごす次元)へ行かずに直接ここへ飛ばされたようです。だから死後世界について自身の体験から述べることはできないこと、先にご了解ください。

当ブログで書いている死後世界の話は、本などで読んだ他の体験者の話を引用したものです。
たとえばマイケル・ニュートンの著作やファーニス『スピリットランド』等。
(引用しているからと言って私はこれらの著者の信者というわけではないので誤解されませんように。他人の話は共鳴する箇所を認めますが、丸ごと鵜呑みにするタイプではありません)

ただし前回死んだ直後の記憶は明瞭に持っているので、比較してお話しできることはあると思います。

ここから引用するのは上の書籍より、アレグザンダー氏の臨死体験。
並べて私の体験や考えを書いていきます。



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死後の世界は存在する 『プルーフ・オブ・ヘブン』紹介と感想 1

 久しぶりに読んだスピ本は、エベン・アレグザンダー氏の『プルーフ・オブ・ヘブン』です。

昔買って積読していたものを正月休みに掘り出して読みました。
 
 


プルーフ・オブ・ヘヴン―― 脳神経外科医が見た死後の世界 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 文庫
(アマゾンをリンクしています。読者レビューは参考になると思います)

今さら何故この本を掘り出して読んだのかと言うと、去年末にこんなご質問を受けたからです。

死後の世界って本当にあるのですか? (自分は、死後は無だと信じたくない)」

別ジャンルを経由し当ブログへ来られた方からの質問でした。根本的でストレートな問いを新鮮に感じました。

おそらくこの問いへ最も現実的に(地上の概念で)回答しているのは、医師が臨死体験を検証したこの本なのではないか。そう考えて本棚から掘り出し読んでみた次第です。

当記事ではこの本の内容紹介と、私自身の感想を書いていきます。

本の内容紹介

『プルーフ・オブ・ヘブン』とは、アメリカの脳神経外科医エベン・アレグザンダー氏が自らの臨死体験を綴った記録です。

彼は2008年に細菌性髄膜炎という大変めずらしい感染症に罹り、死の淵をさまよいました。
脳は菌に侵され機能停止。
死亡の確率97%→99.9%と、ほぼ生存可能性ゼロで昏睡状態にあったそうです。
仮に奇跡が起きて命が助かったとしても元の生活ができるまで回復する見込みはありませんでした。

しかし奇跡中の奇跡が起きて彼は目を覚まし、そのうえ脳機能も完全に回復して通常の生活に戻ったといいます。

菌に破壊されたはずの脳細胞が完全に元通りになったメカニズムは分かっていないようです。
医師にも理解できない奇跡が起きたとしか言いようがありません。

この昏睡状態にあった最中、アレグザンダー氏自身は“死後世界”に飛び様々な景色を見て、真理の体験をしていたそうです。
奇跡的に蘇ったのも死後世界からの支援があったからなのでしょうか? 
その点は匂わす程度で詳しい説明はありません。おそらくアレグザンダー氏ご本人にもはっきりしたことが分からないのだと思います。医師ならばなおさら、医学を超えた蘇生は説明不可能でしょう。

また脳外科医である彼にとって最も驚愕だったことは、脳が機能停止していた最中に明晰な映像を見ていたことでした。

これは医学の知識を超えた現象で、死後も世界を知覚する“意志”(魂)が実在しており、“死後世界”が続いていると考えなければ説明のつかない体験でした。

一般に、臨死体験とは
「死に瀕した人体が恐怖を和らげるため、脳内麻薬を出して見せている幻覚」
と説明されています。
しかしアレグザンダー氏のように脳の機能が停止した状態では脳内麻薬が出るはずもなく、幻覚を創作することはおろか、そもそも視覚野が停止しているわけで幻覚を再生する(映像を見る)ことも不可能だったわけです。

つまりアレグザンダー氏は脳と完全に切り離された状態で、人体の機能を介することなく死後世界の映像を見たことになります。

それまで医師らしく「死後は無」と考え、患者が語る臨死体験もバカにして耳を傾けてこなかったアレグザンダー氏。
ですが、自身の体験以降は死後世界を信じるしかなくなりました。

そして脳外科医だった自分がこのような体験をしたのは、人類に死後世界の実在を伝えるために違いないと考え一念発起。
ありのままの体験を綴り発表したのだそうです。

脳外科医が専門知識をバックに臨死体験を検証した書籍、しかも自分自身の体験を検証した本はもちろん史上初。
この書籍は全米で大きな話題を呼び、ベストセラーとなりました。

当然ながら唯物主義者からの「この医師は嘘つきだ!」との否定論(と言うか誹謗中傷)、キリスト教徒たちからの猛反発など様々な攻撃を受けているようです。
しかしイデオロギーや宗教に囚われない一般の人々からは、死後世界の科学的証明であるとして多大な関心が寄せられています。

【・・・具体的な死後世界の内容は次記事で引用します】

唯物主義カルト信者の説得は時間の無駄


私がこの本を長いこと“積読”で放置してしまったのは、今さら死後世界の科学的検証を読むのは面倒だな……と思って後回しにしたくなったからでした。

この種の専門家の本はたいてい、唯物主義者からの批判を想定した反論にページを費やすものだからです。(下の補足※参照)

しかし死後世界の存在を自明と知る体験者にとって、結論ありきで否定に終始するカルト信者との議論は時間の無駄と思え、退屈を感じてしまいます。

もっと伝えるべき大切な真理があるはずで、ページを割くべきなのは「死後世界は存在するのか、どうなのか?」と迷っている普通の人たちに向けた事実体験の提供でしょう。

頭の悪い反論者を説得するお遊びは後回しで良い。よほど暇だったら読もう。

――と、読まないうちから偏見を持ってこの本を読まずにきたのですが、意外にも冒頭から小説のような文体で惹きこまれました。

ご本人も一般向けの言葉で易しく綴ることを優先したと語っています。
否定論者、誹謗中傷への反論も少なめです。それより家族との絆の話が多かったため楽しく読めました。

医学的検証は巻末に付録として収録されている程度でした。
やはり専門家が客観的に自分の体験を検証するスタンスは面白いですね。

また著者はこの原稿執筆前に他人の臨死体験を記録した書物などは一切読まないようにしたそうで、スピリチュアル系の書籍の影響がない文章も良かったと思います。

これはたぶん私のスタンスとも同じだったので共感できたのだと言えます。
私も他の人の話から影響を受けたくないと考え、自分の体験を綴ることを優先し知識は後から仕入れた者です。前世記憶を含め。
体験以前はスピリチュアル系の本を読んだこともなければ、死後世界や前世があるなどと本気で信じたこともありませんでした。
だから自分の体験は価値観の大逆転と言えましたし、好奇心で客観的に眺めることができたと思います。
アレグザンダー氏も同じように好奇心を発揮して客観的に検証しているのが分かります。

余計なことですが文章の表現手法が自分と似ていたことも面白く、苦笑していました。
( )で括った説明文を多用、“――”をつい使ってしまう。
何故こういう癖がついてしまうのか? 思うに、日ごろ専門書ばかりを読んでいる人が一般向けに説明しようと頑張るとこうなるのかもしれません。

話が逸れました、すみません。

とにかく専門家が書いたわりに読みやすい本でした。

フワフワしたファンタジーの押し付けもありません。ただ体験が綴られているだけ。
このため宗教に洗脳されることを警戒している人も安心して読めると思います。

「死後世界は存在するのかどうか?」
疑問を抱いているこのジャンル初心者の方にもおススメできます。

ただし後述するように、悪用されがちな思想表現はあったのでその点だけ注意してください。
全てのスピリチュアル体験者に共通するのですが、言葉足らずによって蛮行の言い訳に利用される欠陥を残すことがあります。
アレグダンザー氏の場合も
「世界は一つに繋がっている」とか
「自由のために悪は必要」、
「世界は思考で創作されている。思考が全て」
などと我がままな人が喜んで飛びつきそうな表現があります。
このような全体主義・引き寄せ詐欺に利用される表現はもう少し説明が必要だったでしょう。

※補足 唯物主義カルトとの議論は無駄な時間


唯物主義者(=自覚あるなしに関わらず現代では左翼と呼ばれる集団)は、自分たちの教義を押し付けるための、結論ありきの主張しかしないカルト信者です。

一つ一つ証拠を検証して科学で批判するならまだしも、証拠・前提を黙殺することで自分の主張を押し通そうとする。
または証拠を自己の結論に都合良く捻じ曲げたり※、暴力・殺人を含めたあらゆる手段を講じて言論弾圧をします。

※たとえば「アレグザンダー氏の脳は機能停止していなかった」などと事実を改造して否定論を掲げているようです

事実や科学に基づき否定は不可能だという声が高まった場合は、その体験者本人を
「嘘つきの人格障碍者だ」
「統合失調症だ」
とレッテルを貼り、人格攻撃の誹謗中傷をばらまく手法を使い始めます。
アレグザンダー氏も「嘘つきだったから以前の病院を解雇された。奴は人格障碍者だ」などと誹謗中傷をばらまかれているようです。
こうしてその人の主張は丸ごと信頼性がないのだという印象操作を行い、言論を封じようとします。

なお、この“糖質”呼ばわりで言論弾圧する手法をガスライティングといいます。
スピリチュアル系の体験に限ったことではなく、虐殺や選挙不正などの歴史事実についてもこの手法で封じ込めが行われているのはご存知のこと。呆れますね。

要するに彼らは死後世界だろうと歴史事実だろうと、自分たちだけが絶対正しいとの妄信で都合の悪い異論を弾圧するだけです。
言論弾圧そのものが目的、命令に従い脊髄反射だけで動いている活動家とも言えます。

目に見える地球上の現実すら「嘘を百回唱えれば真実になる」と信じ実行している者たちなのですから、見えない次元を滅ぼすことなど朝飯前だと思っているのではないでしょうか?
この唯我独尊の唯物主義者たちを反社カルト信徒と呼ばずして何と呼ぶべきか。

そんな思考停止のカルト信者に付き合ってあげるのは時間の無駄。

滅びゆくカルトに割く時間は我々にはありません。暴力をふるってこない限り無視でOKです。
(ただし暴力をふるいがちな集団です。暴力や名誉毀損を受けた場合は速やかに警察へ通報しましょう)


>>次の記事へ続きます
 
 
 
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