ニュートン本の結論:「運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
長々とニュートン本のレポを書いてきましたが、この記事にて締めたいと思います。
(メインテーマとして取り上げるのはこの記事で最後とします。また他の話で引用することはあります)
※「ニュートン本」とは:前世だけではなく死後世界について、たくさんの退行催眠被験者の証言を集めたレポート。マイケル・ニュートン著。⇒ニュートン本、サイトでのご紹介記事
〔目次〕
・ニュートン本の結論
・仏教圏ではない国に住む人々の、意外過ぎる反応
・欧米化で日本でも進む思想の衰退
・私が占星術で考えていたこと。運命VS自由意志
・人生計画が変えられないように見えるのは、変えると損をするから
・ニュートン氏の被験者たちも同じことを言っていた
・私の結論。東と西を足した話が真実である
ニュートン本の結論
二冊の著書の最後のほうで、ニュートン氏が章タイトルとして掲げた結論に私は驚いてしまいました。
「自由意志と運命――運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
驚いた理由は、私にはあまりにも当たり前過ぎることだったからです。
あれだけ多くの被験者を催眠にかけ、大量の霊界情報を仕入れた結論がこんな当たり前のこととは。
ただ思えば私も前世記憶がない頃、このような考え方は「当たり前」ではなかったかもしれません。
もちろん私は仏教圏の日本育ちですから「因果応報」や「カルマ」といった用語はよく耳にしていましたが、ただの道徳としか捉えておらずまさか本当のことだとは思っていなかったものです。
(おそらく皆様も現在そうではないでしょうか?)
それでも仏教圏に住む我々は、キリスト教圏の人たちと比べれば「因果応報」「自業自得」といった仏教用語を日常的に使っていますので、まだこの考え方に馴染みがあるほうですね。
仏教圏ではない国に住む人々の、意外過ぎる反応
「人間の運命は神が決めたもの」と幼い頃から教え込まれているキリスト教圏の人々は、上の結論を聞くと本気で混乱してしまうようです。
たとえばニュートン氏がバンクーバーで講演をしたとき、ある取り乱した女性からこのように叫ばれたらしい。
「あなたのようなニューエイジの専門家は、私たちには人生の選択をする自由があると言い、一方で過去のカルマのせいで何かの計画に従う運命にあると言いますが、いったいどっちなんですか。私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから。私の人生は悲しみでいっぱいです」葬儀などで僧侶の説法中に、こんなクレーム発言をする人はいませんよね?笑
僧侶の説法を本気で信じているわけではないにしても、「全く理解が出来ずに取り乱してしまう」という人は存在しないかと思います。
アメリカと比較して、日本人は思想的に幅広い発想ができる教育を受けたという点、恵まれているのだなと思いました。
欧米化で進む思想の衰退
しかし最近は日本でも、
「運命 VS 自由意志」
の対立で悩む若者が増えているようです。
欧米文化が流入して久しく、「因果応報」の考えが理解しづらくなっているからでしょうか。
特に占いでは、「運命 VS 自由意志」で二派に分裂していることを感じます。
西洋占星術でも中国占術でも、生まれた時に定まる運命(運勢)を読む手法がありますが、その結果を提示されたとたん
「私は自由意志で生きる! 運命 = 神に抗ってやる!」
と激しい反発を見せる人がいるのです。
自由意志で生きると決めている人が、どうして占いで自分の運命を知りたがるのかは謎ですが、ともかく「人間は自由意志でどのような運命にも対抗できる」と頑なに信じている人たちはかなりの人数存在するわけです。
この人たちは中国系の風水など、運勢を変えて金持ちになれるという「裏ワザ」にはまりやすくなります。
いっぽうで、ニュートン氏の講演で取り乱した女性のように
「私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから」
と信じている人たちも多くいます。
西洋占星術を選ぶのはこちら派の人が多い。
西洋占星術ではこの女性の発言が真実であるとしか思えない場面に遭遇します。確定的な運命、大筋の人生計画というものは現実にあり、それは予め出生時のホロスコープに書き込まれているようなのです。
ある人の死後にホロスコープを開いてみたら、全ては始めから決められたことだったと知って愕然とするという体験は、西洋占星術をやる者なら皆がしていると思います。
このように見てくるとまるで矛盾しているように思えますね。
上の女性が「いったいどっちなんですか!?」と混乱してしまうのも当然と言えます。
でもそう思ってしまうのは、視点が現世という狭い時限にしかないからです。
私が占星術で考えていたこと。運命VS自由意志
「運命 VS 自由意志」、どちらが真実か?
私が自分の記憶から確信していることは、「どちらも真実」です。
つまり視点を現世に限ったときには
人生計画の大筋は誕生時に確定している
が真実となります。
しかし視点を三世(…過去世、現世、来世…)に広げると、
魂は自分の運命を自分で決定していく
が真実となります。
このことをお寺の説法風にではなく、分かりやすくするため現代のゲームルール風に表現しますと、こうなります。
1.ログイン(出生)前に自分のアバタ―(肉体)を自分で選択。魂の属性や経験値により、選択可能なアバタ―候補がいくつか提示される。
2.アバタ―のスペック(才能)は、過去ログイン履歴の経験値によって決まる。
3.アバタ―に与えられる課題(運命)も、過去のログイン履歴から自動計算され設定される。
4.ログイン後に大筋のシナリオを変更することは原則として不可。
5.次回のログイン(来世)時に選べるアバタ―・シナリオはこれまでの履歴に今回の行動を加味して計算され提示される。
「4」の項目でお気付きかもしれませんが、シナリオを変更することは“原則として”不可となっています。
つまり人生計画のシナリオは変更することが、現実には可能なのです。それを実行しているのがおそらく風水などの裏ワザを使って大金持ちになったりしている人たちでしょう。
あるいは西洋占星術でも、予め何月何日に交通事故に遭うことを知っていたら外出を控え、事故に遭う運命を避けることができると言えます。
最大の計画変更は、自殺です。課題を消化する以前に自殺するという計画は誰のシナリオにもない(ホロスコープにも表れません)ので、自殺した者は生まれる前のシナリオを変更したことになります。
このように計画変更した人たちにとっては、
「私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから。」
という上の女性の発言が真実とはならないわけです。
しかし多くの人がシナリオ変更を選ばないですね。
まるで決定された運命の通りに生きているように見える。
何故なのか。
それは、シナリオを変更してしまえば自分自身が来世で(あるいは霊界で)損をするからです。
人生計画が変えられないように見えるのは、変えると損をするから
運命変更の裏ワザを使って金持ちになったりすることや、自殺することは、せっかく経験値を上げるために与えられた人生というチャンスを逃すことになります。
マイナスに振れたバランスを取るために計画された課題だとしたら、その放棄によってさらにマイナスに転じます。そして来世にはもっと苦しい課題を与えられることになる。
自殺した場合は何度も書いてきましたが「始めからやり直し」となります。同じ人生、いや、おそらくもっと重い課題を負う人生が繰り返されることになります。※
裏ワザを使って金持ちになった場合は、来世の運勢を前借りしてしまった可能性が高くなります。無意味に気楽に生きた人生によって、もっとマイナスのカルマを負うことになるでしょう。(前にも書いたように、これは負債を返すべき時に返さず、借金を重ねることに似ています)
だから人間界で金や名誉ばかりを望むのは間違っているし、欲望を満たす生活に溺れてはいけず、苦しいことがあったからといってすぐに逃げてはいけないのです。
※ニュートン氏の本では例外として、「病気などで肉体に耐え難い痛みがあった」場合にのみ自殺はやむを得ないことと表記されています。しかし私が思うにそう公式通りではなく、個別の事情によるでしょう。たとえば、本来なら死ぬべきだった肉体が無理に延命されている場合に、延命を拒否することは「自殺」とはなりません。
ニュートン氏の被験者たちも同じことを言っていた
以上のように私は自分の記憶から考えてきましたが、ニュートン氏の被験者たちも口を揃えて同じことを言っていると知って驚きました。
(このことから、ニュートン氏の被験者たちの記録は解釈を除いて真実だろうと考えた次第です)
正直、来世はもっと自由に計画するものと考えていたのですが、先に肉体候補がありその中から選ぶのは意外でした。でも理に適っています。
若い魂には因果応報の計算式を使うことが難しいので、「タイムマスター」と呼ばれる専門家が計算したものを受け取るという感じですかね。言わば、会計士などのサービスを受けるようなものでしょうか?
付け加えると、ニュートン氏の結論
「運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
の「何千年にもわたる」という箇所は特に重要です。
日本では「前世で悪いことしたから今世で酷い目に遭ったんだ。自業自得だ」などと言って差別することがありますが、運命の法則はそんなに単純ではありません。
何故なら、現世の運命は過去何千年にもわたるカルマが積み重なった結果だからです。
運命計画は宇宙法則に加え、「タイムマスター」なる専門職が計算して初めて選択肢を提示できるものらしいので、地上に生きている人間ごときが想像することは不可能です。
ちなみに、東西の占いで導き出されるホロスコープや推命といったものは、「タイムマスター」が計算した出生地点を示す座標と思われます。
出生する肉体は、この地上における誕生日時+場所によって示されます。
マスターがピンで刺した誕生日時+場所を目指し、魂たちは降りていくのでしょう。
(だから占いが当たると言うのは、始めから計画通りの目標地点に降りていくため当然なのです)
このピンを刺すことのできる適切な地点を探すのは、実は非常に困難なことです。
たとえば「魂は死後30年で転生する。転生回数は7回」といった宗教教義を信じている人たちは
「数千年間も転生していない? そんなことはあり得ない!」
などと言いますが、そんなことはざらにあります(笑)。
ニュートン氏の被験者たちも証言しているように、千年や二千年、適切な肉体を待っている魂はたくさんいるようです。
宗教の教義はたいてい、教祖にとって都合の良いフィクションが混ざっているから鵜呑みにしないのが賢明です。
私の結論。東と西を足した話が真実である
ニュートン本レポも最後になるので書いておきますと、私は常々、
「東の思想と西の思想を足した話が真実である」
と思ってきました。
西のキリスト教以降の思想は、全く真実からかけ離れています。
民衆から搾取しようと目論むキリスト教会による、教会のためだけの教義は、新興の悪徳宗教と変わらない欺瞞に埋め尽くされています。そんな都合の良い宗教パンフレットは微塵も信じるに値しません。
ただしキリスト信者たちの「神の言葉を直接に聴きたい」という願望から、現代のスピリチュアリズムが生まれているため、その敬虔な姿勢には感謝します。
東の仏教は仏教で、死んだらすぐに輪廻から解脱できて悟りを得られ無に至ると信じているのは、飛躍し過ぎ。
悟りに憧れるあまり、人間たちが堕落して傲慢になってしまったようです。
「神に耳を傾ける」という姿勢すら失ったことは残念です。おかげでマスターたちとの通信手段を失い、東洋に神託は降りなくなりました。
しかし飛躍さえしなければ、仏教思想は完全なる真実を表わしています。
仏教徒が省略してしまった中間の思想――古代ギリシャ的な「個を保ったままの転生思想(ファンタジーにあるような生まれ変わり)」、西洋人や日本人が語る「天国と地獄」などの概念を取り入れたら完璧になるはずです。
ニュートン氏の本によって上の推測が当たっていたと感じています。
裏付けていただいたこと、本当に感謝しています。