本は雑読がおススメ。現代の毒書で魂を喰われないために

 お気付きの方もいるかもしれませんが、少し前に読書ブログ『On a rainy day』を削除しました。
もう更新する予定もないので。

しかしここのところ読書に関する記事がクリックされることが多いため一部ここで復帰させています。

たとえば

二流の読書でバカになる? 広く浅くの雑読を後押しする、嬉しい言葉

とか。
読書レビューは少なめにしていますが、よくクリックされている

『アルジャーノンに花束を』は、あなたを知る物語である(小説とドラマの感想)
伊藤計劃『虐殺器官』感想。同時代に生き、虐殺を眺めた者としてのシンパシィ

など残しています。
他は気が向いたら読書カテゴリで復帰させていきます。



ミスリードの修正


今、早めの終活として過去に自分の書いたものを整理していこうと考えています。
遺すべきものは遺す。
判断を誤っていて、ミスリードする危険のあった記事は削除または修正していかねばと。

(それで水瓶座の基礎解釈も修正したものです)

なかでもミスリードの危険が大きかったのは読書ブログだったと思います。

少し前まで私は現代で行われている思想誘導の犯罪を知らず、毒の含まれている本を注意もせずに紹介していました。
さすがにニーチェやヒトラー、マルクスなど悪魔臭の強い書物は私自身が生理的に無理ですからお奨めすることはありませんでしたが、太宰治はうっかり紹介してしまいましたね。

その他にも今の目では有害だと分かる“毒書(どくしょ)”を紹介していました。
それもそのはず、出版されている本の9割が毒書。現代では偏った思想を持つ作家しか世に出ないよう言論コントロールされているからです。

昔の大人たちが「本なんか読むもんじゃない」と言っていた理由が遅ればせながらようやく分かりました。

たぶん私と同世代の人たちの多くは未だに全く気付いていないでしょう。
テロリストたちが敗北して大人しくなり、改心したように装っていた時代を生きてきたからです。
それが今になって俄かに復活して我が物顔に振る舞い始めました。まるでトコジラミのように再繁殖している。

私が目覚めたのは『三国志』で行われている犯罪に気付いたおかげなのですが、コロナと米国大統領選挙がダメ押しでしたね。我が国の元首相暗殺事件も。

もともとあのカルト思想家たちが悪の限りを尽くしていたことは歴史として知っていました。
まさか今でも僅かも改心することなく、現代の自由主義圏(と言われている日本や米国)でここまでの悪事を堂々とやってのけるとは。

私も性善説に少し傾いて甘い夢を見ていたこと反省しています。
人間は誰でも良心を持ち、いつか自分の過ちに気付けば恥じて改心するものだと信じていました。

しかしそんな考えは夢想に過ぎなかった。
一度カルト思想に脳を侵された者は、騙されたことを自分で認めたくないので永久に改心することなどなく、死ぬまで非合理な嘘をばらまき他人の生き血を吸い続けることしかできないようです。
ぬか漬けの野菜と同じ。一度でも犯罪行為に中毒した脳は二度と元に戻ることがないのでしょう。


魂を喰われない読書


最近になって若かりし頃のカルト夢想を取り戻し、嘘八百のプロパガンダ活動に勤しんでいるお年寄りたちを眺めていると
“瞳が空洞”
ということに気付きます。

「目を見ればその者の本質が分かる」と豪語する私の上司ほど人物鑑定眼がなくとも分かるくらい明々白々。
まるで埴輪(はにわ)のように瞳が真っ黒で生物を感じさせません。

こんな感じ:

 

上司にこの話をしたところ

「あれは背後の者に操られちゃってんだよ。恐怖で操られているのか、思想洗脳されてるのか知らないが、とにかく自分自身が空っぽなの。カルト宗教の信者と同じだね。ああなったら殺人でも何でも命令されれば実行するよ」
と言っていました。私と同じ印象を持っていたようです。

おそらくあの埴輪と化している者たちは、魂が喰われて空っぽになっているのではないかな? と私は感じています。

何に魂が喰われてしまったのかと言うと、本などに含まれている毒思想に。

このたび復帰させた記事『二流の読書でバカになる?』でも触れていますが、どうやら限られたジャンルの本を聖書のごとく崇め、何度も繰り返し読む精読タイプが“魂を喰われる”ことが多いようです。

もちろん良書なら精読もいいでしょう。
たまたま選んだ聖書が良質な心を養ってくれるのであれば繰り返し読んでも構わない。
ただし無知なうちは毒かどうか区別がつかない。毒書を何度も読み込んでいると、気付かないうちに根本から魂を蝕まれ二度と元の人間には戻れなくなってしまうのだと思います。

そして現代の本には強度の毒素が含まれていることがほとんど。
しかも教育現場でも偏った思想を持つハニワ教師たちが毒書を子供たちに奨めています。
特に教師の言いなりになる「良い子」の子供たちは素直に毒を飲んでしまう。何度も、何度も。

「本を読むな」とは私は言いません。
毒を含む本でも読まなければ知識が得られませんし、無知ならばなおさら教祖からの直接の勧誘で洗脳されることがあるからです。

その代わり毒を深く飲み込まないことですね。
つまり、書かれた言葉を鵜呑みにしない。誰かの言葉を完全に脳へトレースしない。教科書の従順な羊にならないこと。

魂を喰われないためには上記事で書いたように雑読が有効です。
毒を含む本、含まない本をたくさん読むことが身を守ると思います。

私がこれまで毒を含む本を読んだとしても、気付けば修正できているのは雑読をしてきたからだと言えます。

我ながらどうかと思いますが、どのような本を読んでも深く自分の中に取り込まない癖があります。
どうやら人並み以上に理解力はあり、心に響く思想には賛同するものの、必ず自分とその本の思想との違いを見つけて批判的に読んでしまう。
(これは歴史人物に対しても同じ。約一名を除きどんな歴史人物にも完全には同調できなかった)

生まれつき他人の思想を自分の脳にトレースすることが難しいようです。だから教祖の信者にはなれなかったし右にも左にもなれない。
これこそ私が“特殊”で“独自性がある”と言われてきたことの所以なのだと思いますが、普通の本能に欠ける障碍だったと言えるかもしれません。

多くの人は私のような障碍者ではないはずなので他人の思想をトレースする本能を持つでしょう。
カルトは高度な心理学でその健全な本能を利用し、信者として捕らえて魂を喰い尽くそうと狙っています。
その罠にはまりやすい行動が「毒書を繰り返し読むこと」なのです。

自律思考で本を読め! と叫んでも難しかったかもしれません。
だからせめて分かりやすい行動として、広くジャンルを定めずの雑読をおススメしています。

 

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