【誕生月に思った】記憶の中の「あの頃」に実年齢が近付く…妙な感覚

近況と雑談です。

 

この夏休みブログの引っ越しで忙殺されたため忘れていましたが、私もまた一つ年を取りました。

メールにてお祝いをくださった方、ありがとうございます。 

 

ところで私の誕生日とは関係ないのだけど、今月前半、旧Twitter(x)のトレンド十位内に「諸葛孔明」と上がっていてドキリとしました。現代のトレンドに上がるとは複雑。

何かまた精神を踏みにじられる中傷でなければいいが…、と警戒しながら開いたところ可愛いフィギュアの画像が。

 ◥◣ 商品化決定 ◢◤
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ねんどろいど
キャスター/諸葛孔明
____________
彩色原型初公開です!
https://x.com/gsc_kahotan/status/1819516550451548438/photo/1


 筆者のその時のポスト。(政治アカウントのためリンクしません)

 

ねんどろいど って何ですか? 魔法学校か何かのマンガキャラ??
と年寄りには分からないことだらけなのですが笑、とりあえず可愛い少年の姿だったから良かった。

本を片手に持っているところが嬉しかったです。相棒(=本)いた!と思いました。

現代の学生であることもいいですね。変な帽子とか変な扇とか(失礼)持っていないところがいい。

まさに孔明にも私にも誕生日プレゼントだと感じて幸せな気分になりました。

歴史界隈におぞましい犯罪者ばかり溢れている昨今、めずらしく純粋な趣味のほっこり作品を見せられ癒されたのです。オーディエンスからのお祝いということにして受け取っておきました。

 

さて現代、現実。

年齢だけで言えば私も“老境”となりました。何も成し遂げられていませんし成長もしていないというのに。

「人生は葉の上の露が渇くようにあっという間」と言いますが、本当に一瞬で時が過ぎ去ったと感じます。

私の場合、恥ずかしながらこうしてずっと十代の頃の体験を語り続け、若い方々向けの神秘話を発信しているせいか全く時が過ぎた感覚がありません。タイムスリップかと思うくらいです。

 

――いや、と言いますか、この体験で語っていた記憶は五十代なので「一瞬で今の年齢が追いついた」感覚もあります。

記憶と現実が逆転したような? なんだか変な感覚ですね。

 

かつて記憶にある自分は遥かに年上、教師たちや親よりも上の仰ぎ見る年寄りでした。

それで「年配の人の意識ってどんなだろう?」と精一杯背伸びして想像していたものです。もちろん自分の記憶としては覚えているのですが、現実肉体がその年齢でなければ実感が湧かないことも多いのです。

それが今は年相応に、“等身大”として語ることができる年になったのだなと妙な感慨を覚えます。

 

この感覚は独特なので表現しづらいですが……最も近いのは、親の年齢に追いついた時の感覚でしょうか。

たとえば自分が高校生の頃、親が五十代で苦労していたとします。

遥かに年上の親の大変さなど高校生に分かるはずがありません。親子で似た性格だから、背伸びをして想像してみれば何となく分かるような気もするでしょう。でも実感はまるで追いつきません。

時が過ぎ「あの頃」の親の年齢に追いついてから、ようやく親の苦労が実感として理解できるようになるもの。そんな感覚に近いです。

 

私の場合、今世と前世の状況は180度違いますから(無名一般人・忙しさも段違い)、殺人的多忙に追い込まれたときの肉体感覚などは体感できませんけどね。できたら死んでいます。

ただ精神的な辛さは実感として分かるようになりました。

たとえばもう無理はできないんだな、とか。自分でコントロールがきかないほど弱気になってしまうものなんだな、とか。

 

【関連記事】 魂が記憶しているもの、肉体が記憶しているもの。肉体感覚は実感としては再生されない


私は体は今のところ同世代より健康だと思います。若く見られますし実際に大きな病気もない。もともと体力はないほうなので(何の自慢)、老化で体力が下がってきて困るなどという実感もまだありません。

それでもやはり心は昔より弱くなった気がします。

体より先に心のエネルギーのほうが弱るのは意外でした。案外、大人のほうが子供よりもダメージに弱いらしい。

 

今回ブログ引っ越しで参ってつい「かまってちゃん」な甘えを見せてしまったのも、年を取ったせいかもしれません。

子供みたい、と言いましたが私は子供の頃のほうが甘えなかったですね。

ここで誰にもSOSを出さず黙って耐えてしまうと過去の二の舞かなという気がします。

だから今後は少しだけ“自分に甘く”生きていこうと決意しました。世間的にはあり得ない決意表明。笑


 小説更新などあちこち手につかなくなっておりますが、マイペースに存在を続けていくつもりです。見捨てないで眺めてくださると幸せに思います。

 


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折り畳みホロスコープと、五行イメージ。陣形について、等々(返信)


〔2018/10/23筆。最近よく読まれる八陣図に関連する話なのでトップ上げしておきます〕

 

 メールでいただいたお話です。

こちらのインスピレーションは見事に核心を突いていて、感動してしまい、さてどう返そうかと考えあぐねているうちに遅くなってしまいました。
書籍の情報を集めて考察の上、お話ししようと考えていたのですが時間が取れず。
それで、とにかく埋もれさせておくには勿体ないお話と思いましたので、恐縮ですがそのまま引用させていだだきます。

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引越し完了…ようやく繋がりました。結果:一つ前に戻る

 旧URL(https://ksnovel-labo.com/)をブックマークされていた方々、しばらく行方不明となって申し訳ありませんでした。

本日ようやく繋がったようです。

旧URLにwwwが付いています。リダイレクトされていますのでブラウザで見ている方は問題ないと思いますが、RSSでは通知されないはず。修正よろしくお願いします。

※RSSアプリで受信がうまくいかない場合、改めて「 https://www.ksnovel-labo.com/ 」にて検索し直すと改善します

 

結果、他に選択肢がないため一つ前に戻ったわけですが。

またロックされないよう発言に気を付けながらの運営となります。これから自由な発言もできなくなりますね。まるで…(自粛)

行ったり来たりした経緯についてはメモ帳のリンクご参照ください。

 


 

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ご案内〔旧ブログ読者様・初めてお越しの方へ〕

 


ご来訪ありがとうございます。


このブログはかつて小説『我傍に立つ』の裏話を書く目的で開設したものです。

長年続けるうちに作者の体験談、プライベート雑談、趣味の占星術メモ、社会問題まで幅広く書く雑記帳となりました。

身軽になるため2024年8月に移転しています。

過去記事はおよそ1200記事でしたが、ここではリアクション(リンクやご感想)のあった記事、アクセスの高い記事など150記事+αほどを抜粋して転載しています。


過去記事倉庫 … 過去記事は限定公開としました。小説読者様のみパスワード入力でお読みいただけます。→読み方はこちら

 

おすすめ過去記事リストはこちら … かつて当ブログで「要パス」として限定公開していた記事の一覧です。当ブログのコアな記事となります。note有料公開あり。

 

別館のご案内 … 占星術ブログ、東洋史ブログなどへのご案内。近々新しいブログ(近代思想・都市伝説)も始める予定。

 

重い話は別館に分けるとして。

ここ「ksnovel-labo.com」では軽めの雑談やプライベート話、別館更新のお知らせを配信していきたいと思います。

 

更新は気まぐれなのでRSSアプリのご使用をおススメします。 

また主に深夜に投稿していますので通知音を切っておいてください。

〔これまでRSSアプリで更新を受け取って来られた方へ、サブドメイン「www」付のURLへ変更お願い致します ※RSSアプリで受信がうまくいかない場合、改めて https://www.ksnovel-labo.com/ にて検索し直すと改善します〕


【初めての方はこの下も必ずお読みください】

このブログを閲覧されるに当たっての注意点、要パスワード記事について:

・このブログはPG12です。まだ中学生になっていない子は、おとなといっしょでなければ読んではいけません。

・パスワード記事は『我傍に立つ』または『僕が見つけた前世』読者様限定です。メールで筆者にパスワードを問い合わせるのではなく、入力画面に表示される説明の通りにご入力ください。

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このブログでは小説のモデルとした人物について実名で書きますが、これは実名でなければ書けない裏話をするためであり、集客目的ではありません。

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【予言】2025年7月問題、たつき諒マンガが示唆する暗号


ブログ引っ越しを終えたら書こうと思っていた話です。


近頃話題となっている、たつき諒氏の『私が見た未来』というマンガはご存知でしょうか?
1999年に出版されたマンガですが、表紙絵で東日本大震災を予言していたとして話題になりました。
さらに2021年発刊の復刻版では「2025年7月の大災難」を予言していることで壮絶な話題となっています。

メンタルに支障をきたす人続出。子供たちへの影響は?

私もこの本のことは以前から知っていましたが、最近の過熱ぶりは行き過ぎているのではと感じています。
恐怖心でメンタルに支障をきたしている人たちが続出していますし、何より子供たちへの影響を心配している人も多いでしょう。

まあ我々もノストラダムス予言世代。
子供の頃からずっと「1999年に人類は必ず滅ぶ」と教えられて育ちました。
多くの健全な子供にとっては人格にもたいした影響を及ぼさないことが分かっています。その時が過ぎれば「五島勉はどうしたんだ。謝れ※」などと懐かしい笑い話となるだけです。
「どうせ1999年に×ぬんだから~」と言って勉強をサボった子もいるようですが、それはサボる理由として予言を使っただけと思われます。完全に本人が悪いです。
(そんなことよりこのロスジェネ世代は人口の多さと大不況で人生を奪われるのですがね。そちらの予言は無かったのか?)



ただ『ノストラダムス大予言』の深刻な影響と考えられるものは、地下鉄サリンテロなどを起こしたカルト宗教など、終末論を唱える宗教団体に絡めとられやすい人々を育てたことではないでしょうか?

サリンテロに及んだカルト宗教の信者たちは『ノストラダムス大予言』を信じて育った世代で、「ハルマゲドン」こと人類滅亡を待ち望むあまり自分たちで蛮行に及んでしまいました。
そのように極端な狂信者として育つのがほんの一部だったとしても、悪影響の程度があまりにも大きいために社会へ多大なダメージを負わせます。

もしも予言をばらまくことに誰かの意図があるとしたら、人類滅亡後の救済に憧れてテロという蛮行に及ぶ“兵隊”を育てることが第一でしょう。

(追記)予言をばらまくことについて他の理由。
・計画を予め暗示して“同志”へ周知させる
・実現した時に「この未来は予言されていた、天の計画だ」と宣伝して正当化する


メディア主導感で臭う怪しさ

今回の2025年7月予言で私が「臭うなあ…」と感じているのは、メディア主導で急激に拡散されていることです。

YouTubeではこの話題に関する動画が大量に上げられています。
 

再生回数が稼げるから・面白い話題だからと取り上げている一般チャンネルがほとんどでしょうが、スポンサーを多く持つ有名インフルエンサーもこの予言を声高に叫んでいることが気になります。


毎日新聞や文春オンラインなどの大手メディアもこぞってこの話題を取り上げています。
 

大手メディアが予言拡散をバックアップしていることで怪しい臭いが増大していますね。

特に「毎日新聞か……」ということで、色々思い出す人も多いでしょう。
ちなみにサリンテロを起こした宗教団体教祖をテレビ番組に出演させて「救世主」と持ち上げたのは毎日系TBS。

もはや赤く染められたお金の臭いしかしません。


占星術解釈:たつき氏の予言は否定しません

誤解しないでほしいのは、私はたつき氏の予言を否定する者ではないということです。

おそらく彼女の予知夢は実現する可能性が高いでしょう。
問題はその夢がどんな未来を表すのか、そして何故ここまでメディアがバックアップして急激に拡散されているかということです。


占星術をする者として未来予測をしてみるなら…うーん… 
 

吉凶が拮抗していますね。
これをぱっと見て「地震が起きる」と言う占星術師は少ないでしょう。

融和する星々が多く、不穏とは言えない星回り。二大勢力が対岸で向き合っているようにも見えますので、平和というわけでもないのですが。
少なくとも地のエネルギーに偏りがなく爆発力が感じられません。だからたとえば噂されているような「巨大地震が起きる」「火山が噴火する」と占断するのは難しいと思います。
天王星×金星、海王星×土星のコンジャンクションが気にはなります。ただどこかに偏りがなければ地のエネルギーは爆発しづらい。
と言うことは自然現象としての地震や噴火が起きる可能性は低いでしょう。あるとすれば対立する二者の間で起きる“人の行い”という推測になります。

天からの災害、すなわち「太陽フレア」とか「彗星衝突」は否定しきれません。
ただあくまでも占星術として読むなら、そこまで絶望的な災厄が天から降ってくるようには見えないのです。それこそ1999年のほうが可能性ありましたね。

このホロスコープは正確ではありませんが五角形も浮き上がります。
(なんとなく筆者自身のホロスコープに近いので感覚的にも分かるのですが)
結界が張り巡らされていると感じます。

これをもし悪く解釈するならば、陰謀(計画)が張り巡らされていることになりますね。
計画には天の計画と地上の人々の陰謀とがありますが、このホロスコープの場合は後者でしょうか。

向き合っている二大勢力…おそらく同盟者たちのバランスがぎりぎり保たれている瞬間と見えます。
しかしこの結界が破られたとき、あるいは「陰謀スタート」で故意にバランスが崩されたとき爆発的なエネルギーが生じる可能性があります。
張られた結界が強ければ強いほど破れたときの被害は大きいのです。


私の推測する2025年7月

たつき諒氏は夢で巨大な津波が襲うビジョンを見たとのこと。
その原因については言及していません。

ただ
「地震もないのに津波が来た」
と仰っていることを上ホロスコープと照らし合わせると、何か人為的な力で“災難”が起こされるのではないかと私は想像します。

たとえば
“アジアで戦争を起こすために日本にある米軍基地・原発を破壊しておかねばならない。
そのために日本列島を津波で破壊しよう”
――と考える勢力があるのかもしれません。
それで海底噴火もどきを故意に起こすということが考えられます。

(追記すると、7月ということも重要ポイントです。日本の元首相暗×、米国元大統領暗×未遂も7月でした。あの党にとって7月は陰謀を実行する記念月なのかもしれません)

こう言うとまた
「人工地震なんてアタオカの妄想。陰謀論、陰謀論。デマデマ」
というお題目が唱えられるはずですが、現代技術なら可能なことを否定するほうがアタオカです。

地震はともかく海底火山を装った核爆発、などでしたら100%可能でしょう。
もちろん自然現象として隠蔽するにはメディアの言論統制が必要ですが、彼らはメディアを牛耳っているため隠蔽は朝飯前です。

多くの人がスマホで動画撮影していた目の前で、暗×事件や暗×未遂事件を起こして架空の物語にすり替えることすら朝飯前だったのですから。
誰も現場に行けない遠海の爆発などいくらでも「自然現象」と創作できますね。

だから仮にたつき諒氏のビジョンが実現してもそれが人工だという話は表に出て来ないでしょう。
メディアが自然現象だと大声で叫んでウヤムヤにするはずです。

もしかしたら彼女の予言が急に宣伝されるようになったのも、今後の軍事計画を「自然現象だ」とプロパガンダするための布石かもしれません。


たつき諒氏マンガ、表紙の暗号

ここで私が気になっていたことを一つ指摘。

『私が見た未来』の表紙絵なのですが、何故か手で左目が隠されています……。

この「手で左目(片目)を隠す」とは悪魔崇拝を表すポピュラーなハンドサインであり、同志へアピールするための暗号でもあります。
 
世界中のマルクス主義者が起こすデモでは、よく権力側の暴力で片目を失った少女などが象徴として使われます。これは悪魔崇拝を信奉する同志へのアピールなのです。

秘密結社イルミのポーズ、プロビデンスの眼を現す…などと都市伝説界隈で言われていますがどうなのでしょうか。
筆者は北欧神オーディンを現しているのでは? とも思います。逆さ吊りに遭っている状態、すなわち“反抗者”やアンチの側から物を見る、の意味です。

まあたつき諒氏がこの絵を描いたのは悲惨な災難への悲しみを表現したかったから、というだけの偶然かもしれません。

ただ気になったので言及してみました。

(他に手相が描かれているのも気になりますが、手相にはあまり詳しくないので言及しません)


仮に偶然ではないとすれば、たつき氏も初めから「赤い計画」の関係者ということになりますが……。最初に刊行したとき有名になっていないからそれは無いかな? 

皆様はどう思われるでしょうか。
 
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善悪は吉凶に対応している


 昨夜のメモより残したい話をここに拾い上げておきます。

〔2024/7/10筆。日付変更〕

今の時代こそ胸に刻みたい言葉

これは今の時代こそ必要なのでは?と思える言葉です。
道に恵(したが)えば吉。逆に従えば凶。これ影響たり。


『書経』という中国古典からの引用。
漢文だと難しく感じるかもしれませんが、現代日本語にすればいたって当たり前の真理だと分かるはず。


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未来も過去も書き換え可能!? スピリチュアル量子力学を考える〔運命論2022年版-2〕

 


〔2022/09/27筆。日付変更で上げ〕

最近スピリチュアル界で流行している説について考えます。

スピリチュアル分野で“引き寄せ法則”を主張する人たちが、「科学的裏付け」と称してよく論拠にしているのが量子力学です。

「世界は意識によって創造されていることが証明された。したがって思考は現実化する。望むものは何でも引き寄せて物質化できる、過去も書き換えらえる」
と言うのですが、さて本当なのでしょうか?

私が思うに、それはエセ物理学です。

何故そう言えるのか、当記事ではなるべく分かりやすく解説していきます。

量子力学の前提…物が観測で変わる?

先にお断りしておきますと筆者は理数系ではありませんし物理学については完全に素人です。
このため、もしかしたら細部には間違いがあるかもしれません。量子力学の専門家の方へ、用語や認識等に誤りがあればご指摘ください。

ただ自分で言うのも何ですが、昔から“一を聴いて本質を知る”のが得意なほう。
ターゲットをきちんと見据えた場合には、だいたいの核心:構造や真実性が感じ取れるという特技を持ちます。

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私がここで、標本となって伝えたいことは何か?

 


〔2024/3/24筆。大事な話なので上げ。前半のみ常体→敬体へ改稿しました〕

最近アクセスの高い『経緯2.記録と向き合う。「現実調査」の過程 』を読み返していて、今さらながら「時代は変わった……」と思い知りました。

皆様はあの記事を読んで、表の左側を
「後から創作した話」
と思うはず。
でも私は17歳当時、本当に何も知らないで左側に書かれた内容を思い出したものです。

たとえば“忠臣の鑑”というワードも、周囲の人々から言われた言葉として(意訳で)思い出しました。そう呼ばれた人は何万人もいると思い込んでいたのでごく自然に受けとめていました。わりと特殊なケースだと知り、ショックを受けたのは後々のことです。

それに当時は実際、知られていない話でした。少なくとも周囲の友人は誰も知りませんでした。
「教養の欠如した時代」に生まれ育ったもので。

あれから、何故かどんどん流行りだし。
昔に比べれば遥かに多くの人に知られるようになりました。
これもきっとオーディエンスたちの嫌がらせ 支援のおかげだと思います。やれやれ。


若い頃はこんな時代が来るとは思っていなかったので平気で公表したのでした。
それはただ「正直でありたい」と思ったから経緯を告白しただけのことでした。

最初にそうしてしまったために逃れられず、撤回もできず、今日までこうして世間から嘲笑される話をし続けるしかありませんでした。

でも今となっては、正直に語っていて良かったと思います。
たとえ有名とならなくても小説という形で自分自身の記憶がこの世に存在できて良かった。(記憶は多分に間違っている箇所もあるのだろうけど、核心の気持ちは間違いなく真実です)

他人に踏みにじられるばかりの過去。ここに僅かでも自分の言葉で語ることができたことを、心から有難く思っています。

それと私は今、死後世界を証明する標本となりたいと願っているので、あのとき本当のことを言って良かったと思います。

もちろん私の話など信じない人がほとんどでしょうが、1000人のうち一人でも信じてくれたら嬉しく思います。
「魂は存在する」「死は終わりではない」という伝説が真実であると確信する人がこの世に一人でも増え、唯物思想の打破に貢献できるなら本望です。

繰り返し書きますが、
「天知る、地知る、我知る、人知る」
という言葉こそこの世で広めるべき真実です。これはカルマの法則にも適っています。
しかし、唯物思想は「天」も「地」も「人」も否定します。
天地とのつながりを失った「我」は欲望の奴隷となり、道徳も失う。
結果、虐殺の王をヒーローとして崇拝し、無実の人に拷問を与え処刑することを「正しい」と称賛する人々が大量に出てきます。我が子を虐待し、なぶり殺しにすることを心から愉しむ者まで野放しになる。

もちろん天地を意識しなくても道徳を貫ける人はいます。ただ唯物思想があるとこのような異常者たちを抑えられなくなるということ。そもそも、唯物思想は彼らが地上で悪事を自由に行うために考え出した屁理屈なので当然です。

こんな唯物思想が導いている暴力を終わらせるための一助になれるなら、私は喜んで標本になります。


「標本になる」と言っても今のままでは不十分だと承知しています。
今は家族の人生を壊してはならないと思うから、出生日の証明書などは公開できない。
でも、家族が皆世を去り、私自身も死に近付いたら公開しようと思っています。
現代の頭の良い人たちや、未来の人たちがホロスコープなどと比較して理解してくれたら幸い。

※「天知る~」の意味:おてんと様が見ている。悪事は神も自分も知っている。=犯罪が裁かれなくても悪いことをすればカルマの絶対法則で負債を負うということ/アカシックレコードに全ログ残ってますよ!と翻訳してもいいでしょう。



参考になる話、追加 

唯物思想の弊害はこの方が書いている通り。下線は当ブログ筆者による。
『永劫回帰(wikipedia書き手。2019年3月24日現在)』
永劫回帰批判

しかし、『歴史の終わり』を書いたフランシス・フクヤマらに批判されているように、蓄積している知識や歴史が、近代化という不可逆な方向性を持っているのは社会科学的な事実であり、永劫回帰の思想は人類史的なスタンスから見れば誤りである。歴史は繰り返しているようで、弁証法的に発展しているのである[注釈 1]。

また、自然科学的観点に立てば、1.世界はエントロピー増大の法則により常に拡散・多様化していくので類似の状況が再現されてもまったく同じ状況が再現されることはないという熱力学的見解や、2.有限の系に無限の時間を与えても繰り返しが起こるとは限らないことを発見したカオス理論、あるいは、3.本質的に不確定性を内包する量子論など、特に物理学によって永劫回帰を否定することが可能である[注釈 2]。

また、ニーチェの能動的ニヒリズムは、ナチスにヴェルサイユ体制打破という政治的目的に利用され、結果的にヨーロッパに破滅的な戦災を与えた。戦後、新左翼の若者たちの間でも流行し、彼らの刹那的で、盲動的な暴力行為を煽った。絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪すら存在しないと言うことは、あらゆる蛮行や凶行もすべて許されてしまうと言う危険思想に容易に直結する。その政治的に利用されやすい危険性と反省から、哲学者の永井均はその敗北の完璧さにおける思想的な意義を賛美しつつも、「ニーチェは思想家としては敗北した。マルクスには復活の可能性があるが、もはやニーチェにはない」と指摘している[2]。フランシス・フクヤマも、「ユダヤ的対等願望(奴隷道徳)は、ゲルマン的優越願望(貴族道徳)に勝利した」[注釈 3]と指摘し、弁証法的に発展する歴史には目的や終わりがあるとして、歴史の終わりを説いた。ブッダは「犀の角のようにただ独り歩め」と説き、ニヒリズムの政治化を戒めている。

永劫回帰は科学的に確定される現象や政治思想としてではなく、あくまでも実存主義の構えの柱の一つであり、個人の心的現象内によって発生しうるものなのかもしれない。ニーチェは、個人幻想の枠内ならば、人間は因果律も時間軸も超えられることを叫び、個人幻想の絶対的自由を主張したかったとも解釈しうる。これについて、永井均は永劫回帰は思想と言うよりも、ある日突然ニーチェを襲った体験である点を強調している[3]。

永井均はニーチェ哲学とは徹底した「問い」であると指摘している。確かにニーチェ哲学は狂気をはらんでいるが、それは無知や短絡的思考からくる狂気ではない。一般人なら適当なところでやめてしまう疑問を問い続けた結果であり、哲学的思索を徹底したがゆえに発生する狂気なのである。民主主義は価値相対主義を説くが、すべての価値を相対化し続けたら、絶対的な善悪だけでなく相対的善悪も否定されてしまい、究極的には善悪すべてが無意味化するのではないのか? 民主主義は国民の平等を説くが、すべての国民に平等に価値があるということは、すべての国民には平等に価値がないと言い換えられるのではないのか? キリスト教は普遍愛を説くが、すべてを平等に愛すると言うことは、何も愛していないというニヒリズムなのではないのか? フランシス・フクヤマはニーチェの近代批判は本質的で根源的であり、論理的に反駁するのが困難であることを認めている。永劫回帰の能動的ニヒリズムから貴族道徳の復活を説くニーチェ思想は、現代人の視点からしたら危険思想以外のなにものでもないので、多数派の支持を受けることはなく、もはや政治思想として復活することはありえない。その点においてニーチェは思想家としては間違いなく完敗した。しかし、感覚的に拒否できても、論理的に反駁することが困難である点がニーチェ哲学の特徴のひとつである。


>絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪すら存在しないと言うことは、あらゆる蛮行や凶行もすべて許されてしまうと言う危険思想に容易に直結する

そう。
このため蛮行を目的に生まれてきている者たちに大活用されている。
現代の病の原点である。

>感覚的に拒否できても、論理的に反駁することが困難である点がニーチェ哲学の特徴のひとつである。

今のところはね。
だけど自然科学でも政治でも誤っており、道義に反するということは、合理ではないということだろう。
地上に照らせば必ず反駁する論理がある。

ニーチェさんが自身で反駁してくれたらいいのにな。
(生まれ変わりを否定したニーチェ自身がもし別の肉体を持って別の人生を歩んでいるとしたら、ただそれだけで『ツァラトゥストラ』の反駁になる。世界が変わる)
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“多様性を求めるつもりが排除” …真の「水瓶座らしい生き方」とは?

 


〔2020/12/20筆。日付変更、一部改稿〕

ここのところ書いてきた通り、2021年以降は“水瓶座”らしい世界へシフトしていきます。

では「水瓶座らしい生き方」って何なのでしょうか?

今年初め~前回の記事でも説明してきたのですが、いまいち分からないという方が多いかもしれない……。

重複もありますが、ここで改めてまとめておきます。

自分軸という言葉、正しく伝わっているでしょうか?

私は性根(ASC)から水瓶座なので「水瓶座らしい生き方」が感覚で分かります。しかし、無意識に染みついた主義・振る舞いだからこそ表現するのが難しいところがあります。

そうでなくても言葉で伝えるのは難しい。

たとえば“自分軸”という言葉も、漢字の表面的な意味に囚われる人は「自分の我がまま・自己中心的な意見を他人に押し付けること」と曲解してしまうだろうと思います。

(以下数行、二つのテーマが混在して話が分かりづらくなっていたためカットします)

水瓶座らしい“自分軸”とは、ただ他者と比べない自分軸ということです。

他者との比較・競争を判断基準としないこと。嫉妬だけを原動力として生き、「マウント取る」だの「取られる」だのという上下の話ばかりしているような人は、これからの水瓶座らしい世界観に乗ることはとうてい無理でしょう。

自分は自分。他人は他人。そう理解すること。自分は誰の上でもなく下でもないという真実を悟る。

つまり分かりやすく言えば、ありきたりな表現ですがオンリーワンで生きることです。それが水瓶座らしい個性を大切にする生き方です。

私はずっとそういう生き方をしてきました。前世も含め。
いつもオンリーワン(ナンバーワンではなく)と言われてしまうのは、「自分は自分。他人は他人」と本心から思っているせいではないか?と想像しています。
 

最も水瓶座らしい歌

古い歌ですが、このような水瓶座の世界観を最もよく表しているのがSMAPの『世界に一つだけの花』です。

自分に誇りを持ち、自分だけの花を咲かせる。他者と自分を比べるためではなく。……

歌詞引用:

NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one


花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

『世界に一つだけの花』作詞:槇原敬之 作曲:槇原敬之 j-lyric.netより引用

ちなみにこれは確か仏教の説法から取った話だったと思います。多神教らしい考え方(多様性ではなく)で私は大好き。これからの水瓶座時代にはピッタリです。

【詳細(別館)】


平等・多様性という言葉が上滑りしています。排除する人になっていませんか?

水瓶座時代へ近付いたせいなのか、最近は水瓶座のシンボルである「自由・平等・博愛」をイメージするような用語を口にする人が増えました。

たとえば流行りのSDGsなどもこの流れを利用した看板です。

“多様性”や“ジェンダーフリー”などの旗を掲げることも流行っていますね。私が子供の頃には考えられない時代となりました。

もともと私は、人種や民族・性別(性志向)で差別することが大嫌い。私自身が差別を発想することも無いし、差別を目撃しただけで精神的にダメージを受けます。そんな自分の特性は子供の頃は特殊で浮いていました。周りの誰も「差別の発想をしない」ということ自体が分からないので、想いを胸に秘め口にチャックをして生きてきました。

ところが今、周りのほうが「反差別、反差別」と騒ぎ始めたので逆に白けています。

SDGsなどを掲げる団体をうさん臭いなと感じるのは、もともとその気持ちを持って生まれた我々には、あの旗が偽物であり嘘だと丸分かりだからです。いずれ真逆の正体を明かして暴力革命に突っ走ることは火を見るより明らか。

だいたい今さらあえて争点として掲げていること自体が、本心から「反差別」を願っている人々ではない証拠。しかも他人を誹謗中傷・吊るし上げするために「反差別」という言葉を利用しているのが分かるので、怒りを覚えます。

今、SNSの流行に乗って「ジェンダーフリー!」「フェミニズム!」を叫んでいる一般女性たちも多いですね。

申し訳ないけど私には皆さんの口にする「平等」は上滑りしているように見えます。

実はその上滑り、最も危険なことです。本物ではない、本心ではないものは必ず暴走する。「本当の平等とは何か」ということも分からないのに口から出まかせで唱えているので、見た目だけの平等を求めようとして無理にフラットにしようとしているのですね。そのうち平等圧力という暴力を快楽として行うようになる。自分たちの思うフラットに従わない者を「反乱分子」と呼んで切り捨てる(殺す)。

暴走の例。昨日のtumblrメモより転載:
“多様性を求めているつもりが、「排除」を進めていた”

名言。これだよ私が彼ら彼女らに言いたかったことは!

「フェミニスト」の皮を被り、男性を言い負かすことに快感を覚えていた私の話

…これは女性の日常的な問題を書いているかのようだけど、暴力が始まる経緯を具体的に記した名記事だと思った。

結局、女性の攻撃は女性に向かうという矛盾が特に悲しかったね。それはただの嫉妬心で性的衝動だと言える。性を否定しながら、誰よりも性に生きている。獣化だ。

最近流行のニワカ「平等性」「多様性」求道者たちは、何が平等で公平なのか分かっていない。だからとにかく吊るし上げ・排除しかしない。

ただ自分一人の我がままを押し通し、他者から奪うことを「平等」だと思っている。

似非平等の罠にはまった人たちが100%暴力に走る背景。

アメリカではフェミニズムが行き過ぎていて、女性が可愛らしい服を着たり、派手なメイクをしているだけで女性から暴力をふるわれるそうだ。最悪だ。

皆、着たい物を着て好きな人と結婚すれば(結婚したくなければ付き合っていけば)いいのに。

勘違いの平等も多様性も、いい加減にしたら?

本当の平等や多様性は個性を認めること

フェミニンで可愛い服を着たい女の人もいるんだ、それでOKでしょ。

可愛い女性が好きな男も多い。そのどこが悪い?

他者の好みを認められないのはあなたが誰よりも「多様性が無くて狭量」「差別主義者」だということ。

その気持ちは嫉妬心から来ている。

他人軸の嫉妬心は、他者を尊重するという意味での真の平等とはかけ離れている。

こんな悲しい暴力を最近あちこちで見かけるようになりました。あなたもこうなっていませんか?

(なお、リンク先の記事であのような口撃を「正論ロジハラ」と呼んでいますが、他者を攻撃することだけを目的とした論理の捻じ曲げは正論とは言えません。詭弁と言うのです。言葉は正しく使おう。おさらい→ロジハラとは何?

上で書いた通り、一見平等を求めている人が暴力に走るのは「他人軸=他者との比較で生きている」からです。

金儲けしている者、賢い人、美貌に恵まれている女性などを眺めて「ズルい。こんなの不公平」と嫉妬ばかりしているので、「反差別」の旗を利用して対象を攻撃。そして“敵”である優位者を倒し、相手の持ち物を奪ってしまう。
……現実にこんな革命が行われた国はたくさんあって、全て大虐殺を繰り返すディストピアになってしまったという歴史があります。すでに実証されていますので、あの旗について行っては絶対にダメですよ。残虐な殺され方をする人たちはもちろん不幸ですが、獣化して殺戮マシーンとして生きることになる人も不幸です。

私は今、とにかく「男女とも仲良くすればいいのに」と思っています。
男女は違っていて当たり前。水瓶座は中性的な星座で、私自身は中性的なほうですが男性らしい人や女性らしい人が好きですよ。男らしい格好や、女らしい格好を好む人たちは大いに結構。人は誰もが自由にファッションを楽しむべきです。

「ジェンダーフリー」と言いながら同性愛者だけをチヤホヤし、異性愛を禁じる・非難するのもおかしい。そんな態度をする人は全く自由主義者ではありません、ひどい嘘つきです。誰かが性別や性志向によって差別され、後ろめたい想いをする社会は異常で間違っています。

お互いの生まれ持った個性を認め合い、尊重し合うのが水瓶座の世界です。

(暴力をふるう者ではない限り)相手の個性を認めてどうか仲良くしてください。

 

真の平等と公平を理解しよう

新時代、水瓶座の時代に乗り遅れたくないなら真の“平等”と“公平”を理解しておきましょう。

水瓶座は「反差別」と言うより「無差別」です。始めから差別心が無い。だから嫉妬で攻撃する対象がありませんし(不公平を是正すべきとは言うかもしれませんが攻撃目的ではない)、見た目のフラットさにもこだわりません。

他人の個性と能力をそれぞれに認め、それぞれに応じた評価※をすべきだと思っています。

結果の平等ではなく機会の平等。結果の平等にこだわる社会は、恐怖のディストピアです

法律も正当であれば守るべきと思うのがバランス主義の水瓶座らしい考え方。水瓶座は自由が好きなのですが、無制限な自由を求める極端なアナキストではありません。

この人間社会で無制限に何もかも自由と言うのは難しいでしょう。殺人までもが自由とは言えませんから。他者から命・人権・自由を奪うような我がままは決して許されません。だから相手の肉体や心を殺す暴力を制御しなければいけないと考えます。社会を破壊して殺戮を推奨するようなカルト思想も、無制限に許すべきではないのです(弾圧するという意味ではありません。人類の免疫で殺人思想を防いでいくべきということ)。

それから、水瓶座は性善説でも性悪説でもありません。どちらの存在も知っていて認めています。ただしこの世で他者を傷付け、奪って貪るのは許されないと考えるだけです。人道主義(漢語の意味で)こそ水瓶座の判断基準です。

 

まとめ

ここで水瓶座らしい生き方をまとめておくと、

何事も、極端に走らず。

急がず、慌てずに。

皆が責任ある自由を持って生きる方法を探し。

全てを見渡して拾い上げながら、トータルで真ん中の道を歩いて行く。

ということになると思います。

ほとんど自分のポリシーを表現しただけ(笑)なのですが、強度の水瓶座として参考までに。

 

【占星術館の関連記事】

K's Fortune Labo 宿曜占星術×西洋占星術: “水瓶座の時代”に共産社会主義が実現する!? 真相を星座の解釈から読んでみた
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矛盾は成長の証? 考えが変わったということ

 

 

 前記事、『賛辞を無視してきた私も、人間の言葉は無視できない』に関連して。

過去、こちらの記事で見事に矛盾したことを書いていたことに気付き、自分で驚いている。

他人の評価と自分は関係ないものと考えるしかなく、と言うことは結局、有名になろうがなるまいが現世に遺る評価は「自分とは関係ない」ことになる。

これは現在生存する有名人でも同じ話だと思いますよ。
現代の芸能人はネットでエゴサーチをするようだが、どうしてそんなことをするのか全く分からない。
「自分」と「他人の評価」は全く別物。
二種の世界は永久に断絶していて、決して交わることはない。
結局、他人の評価は自分にとって何の関係もないのです。

『人は誰でも15分間だけは有名になれる』より
……「関係ない」は言い過ぎだったなと思って、撤回しておいた。

でもこの頃は「関係ない」と思っていたんだよな本当に。
今もまだ、他人の評価が現実の自分に影響を及ぼすことはないから、「評価など関係ない」とは思っているが。

現に私は今でも自分(吉野圭)のエゴサーチをしない。
仕事に支障をきたすなど現実への影響がない限り、どうでもいい。
 ※現実に影響を及ぼすなら賠償請求させていただきますので注意してください

他人の評価に振り回されることは本当に危険で、その評価に合わせて自分を繕うことは最もやってはいけないことだと思っている。
「独裁者とは自らが頂点にいるために信奉者の奴隷になっているひと」、全くその通りだと思う。

何事も、いついかなる時も他人軸であってはならない。
核では変わらない自己を保ち続けなければならない。

ただ最近知った評価は、初めて人間としての誠実さから発したもので、さらに「核の自己」に触れていたから向き合ってみようと思った。

自分が精神的に一段上に行くためには、そろそろ現実のこととして受け入れて感謝しなければならないのだと感じている。
この膨大な重荷を受け入れなければ終われないのだと思う。

そんなわけで、
矛盾しているのは考えが変わったからで、考えが変わるということは成長の証だと思って眺めてください。

私も皆さんと同じ、現代文化に浸って育った現代人の一人。
天上で何が計画されているかなど把握していないし、果てしない過去の歴史など本当には理解が及んでいない。

遅ればせながら、今ようやく少し勉強しようと思っているところ。

私の変化を見守ってくだされば幸い。



〔2019/04/07筆。2024年現在は再び黒い思惑に騙される日本人を眺めやる気を失っています。自戒のためこの記事をトップ上げ。結局は人の評価に動かされているなあと反省〕
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「魂“中心”主義」が新時代の光明となる

 


〔2022/05/22筆。日付変更で上げておきます〕

思いつきを書きますね。

別館で更新した記事「あの陰謀論を解説」を書いていて思ったことは、やはり魂や死後世界の確信が重要だということでした。

何度も書いてきましたが。
間もなく古い時代が終わりを告げ、本格的な風の時代が始まります。

古い時代が何であったのかというと、占星術館で書いたとおり「地の時代」でした。
人類は地がもたらす物質的豊かさ(石油、鉱物による科学的恵み。安定社会)を享受したけれども、唯物主義で地に縛り付けられヒエラルキーに囚われ、身動きが取れない全体主義で苦しみました。まさに“地獄”と思えるような奴隷世界を味わった人も多かったわけです。

では、これから風の時代へ人類を切り替えるにはどのような思想・文化が必要でしょうか?

――新しい時代の文化の基礎となるのは、間違いなく「魂」であろうと昨日記事を書いていてふと思いました。

ちょうどこの文を書いていた瞬間でした。
実際、彼らは徹底した唯物主義者であり、神はおろか死後世界も魂も信じません。魂を信じないからこそ、「個」を否定する全体主義者とならざるを得ないのです。
そう、鍵は「魂」。
この地獄を崩壊させるのは、個性を保ち続ける「魂」の存在を信じる最もシンプルな人類の信仰心だけです。

何故なら理論上、個々に意志を持つ「魂」があると確信した人類で全体主義は広まりようもない。
殺すことでも屈服させられない、何物にも縛られない完全自由な「個の意志」があるとしたら、支配者たちは奴隷を縛り付けることが不可能となるからです。
だからこそ、支配者たちにとって「魂」の存在、「死後世界」の実在は恐怖で仕方ないのです。奴隷を縛り続けるため絶対に否定しなければならない、ということになります。
(自分が死後に永遠の地獄へ堕ちると確信する意味でもきっと恐怖でしょう)

現に今、あの全体主義者たちがネット上のあちこちで
「魂は存在しない」
「生まれ変わりはあり得ないと証明された」
との大量書き込みをしているようです。
彼らは昔からそのような証明不可能な断定をばらまいてきましたが、最近ますます唯物主義での抵抗が激しくなっていますね。
明らかに焦っているご様子。
悪魔たちの断末魔という感じです。

いくら断定的に「魂は無い」と言っても証明不可能なものは不可能。
「悪魔の証明」という用語を使うまでもなく、唯物思想は真実ではないからです。

間もなくその時は訪れます。物神が死に、羊たちが軛から解き放たれるときが。

お互いに「魂」として飛び立ち、全体主義を切り裂く光明となりましょう。

【追記】単純な唯心論も悪用されがちで危険なので「魂“中心”主義」としました。
 
 
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