菜根譚~普通に生きるに優る修行はなし

 プライベートで最近、読み始めたのは『菜根譚』です。

『菜根譚』全訳注

もう十年以上前に購入して、長年読みたいと思ってきたのですが仕事本を優先していたため読めずに来ました。
先日コンビニで『菜根譚に学ぶ』という雑誌を見かけて思い出し、本棚の奥から発掘したものです。

コンビニに雑誌が並んでいるということは知らないうちに流行りだしたんですかね、『菜根譚』。
皆が本当の癒しを求めているようです。
分かるな。疲れるよなあ、現代。

私もここのところスピリチュアル本などで、人間の欲望がプンプン臭う『引き寄せの法則』を見かけるたび、モヤモヤして心が疲れていたので『菜根譚』に救われる想いがします。高原で深呼吸する気分です。

多くを求めず。
謙譲の精神で。
頭を低くして、日常を大切に生きる。
これこそ人間の幸福な生き方。

――『菜根譚』は書かれた時代からして仏教の影響を受けているのだけど、「解脱しなければならない」という脅迫すらもなく、自然体の人間らしい生き方を最善とします。
過激な修行を押し付けることもないのが何より良い。
仏教よりも、どちらかと言えば古来の道教の影響のほうが強いと私は感じます。
「満ちれば欠ける」。
つまり、
「陽極まれば陰に転ず」。
全てはバランスであり、得た物は返さねばならないのが宇宙の法則。
過剰に求めて貪る者は必ずツケを払わされる。
完全無欠な名声を得た者は後に危難に遭う。

私としては耳に痛い言葉も多いのだけど(「悪事を厳しく諫め過ぎるな」など。厳し過ぎるもんな……)、なんだか心の故郷に帰ってきた想いで癒されます。
これこそ馴染みある世界。
そう言えば自分(前世も?そしてもちろん現世も)は、幼い頃からこんな精神世界に棲んでいたのでした。

いつ頃から、『引き寄せ』だの、『夢(=欲望)を叶えなえれば人間失格』という脅迫に晒されてきたのだろう?
長い長い、孤独な闘いをしてきた気がします。
皆さんもそうではないですか。

現代人は何かいつも脅迫に晒されていますよね。
「貪れ、貪れ。もっと貪れ!」
「負け犬になったら笑い者になって恥をかくぞ。金を得よ、成功せよ。思考で欲望を引き寄せよ!!」
などと耳元で怒鳴る人が多い。
そうでなければ
「アセンションに乗り遅れるな! 今すぐ肉体を棄て個性を棄て、悟って解脱せよ!」
みたいな脅迫をする団体もあるな。
人間性を踏みにじる恐ろしい時代です。

金持ちになること、名声を得ることだけがそんなに素晴らしいのか?
あるいは解脱(個性を失う死)だけがそれほど素晴らしいのか?
どちらも他人より優位に立ちたいだけではないか。
つまり「勝ち組」に入って他人を見下ろしたいだけ、でしょう。それが本音。
「解脱」を最高とする人々よ、「他人より上に行きたい」と言うこと自体がエゴ丸出しだし、そんな人に「解脱」は無理だと思いますね。

たとえば私は『菜根譚』のこんな言葉が素晴らしく、真実と思います。

二一
 家庭に個の真仏あり、日用に種の真道あり。人よく誠心和気、愉色婉言もて、父母兄弟の間をして、形骸両つながら釈け、意気こもごも流れしめば、調息観心に勝ること万倍なり。

(どの家庭にも真の仏がいて、日常にこそ真実があるのだ。高度な瞑想や修行よりも、家族で人間らしく楽しく生きることのほうが、万倍も優れた修行だよ。ということ)

一万年の転生記憶を思い出した私も、魂の法則からこう保証します。
普通に生きるに優る修行はなし。と。


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