転生モノ大流行の時代 …願いが叶い過ぎたかもしれない

 


11/28日テレ『仰天ニュース』にて、“輪廻転生”特集がありました。
テレビ局が流す番組としてはめずらしい話題です。
(この番組、偏向や殺人話が多くて私は苦手なのですが時々変わったジャンルがあり、その時だけ眺めています)

内容は真面目に生まれ変わりの話でした。

第二次世界大戦中に空軍兵士だった頃の前世記憶を持つ男の子など、実際の体験談が再現ドラマで紹介されていて面白かったです。
今のところまだ動画サイトで配信されているようなので興味ある方は視聴してみてください。
生まれ変わり猫(笑)の話はほっこりします。


YouTube 生まれ変わり猫

 

※以下、辛口表現あり。この記事には「なろう系」ジャンルへ批判的な箇所もありますが、最終的には今の流れを称賛していますのでご容赦ください。


転生モノ大流行の時代。どうしてこうなった?


番組曰く。
なんでも最近、『推しの子』や『転生したらスライムだった』のように転生モノが一大ブームだとかで、
「ブームに乗って輪廻転生特集やってみました!」
だそうです。

――え。“最近”転生モノがブーム?

そんな最近のブームでもない気がしますが笑、確かにメジャー作品にも当たり前に転生設定が出てくるようになったのは最近のことでしょうか。

転生モノを流行らせたのはご存知、『小説家になろう』という投稿サイト。
「なろう系」と称されるこの転生小説とは、厳密にいえば生まれ変わりをテーマとするファンタジーではなくて異世界転移モノの変化型に過ぎませんね。

『ナルニア国物語』以来の古典的な異世界転移は必ずこちら側、つまりスタート地点の現実世界へ戻って来なければならなかったのですが、『十二国記』辺りから「異世界へ行ったまま」設定が出てきました。
行ったままにする必然を作るために「転生」という設定が編み出されたのではないか? と思われます。

「なろう系」はたいてい現世でニートだったり無能サラリーマンだったり、うだつの上がらない人生を送っていた人が死んで、異世界に生まれ変わりぶっちぎりのチート(ズルいほどの絶対能力者)として活躍するという物語でした。
そのチートな展開に酔う主人公や読者を揶揄して「俺TUEEE」と呼ぶネットスラングも生まれたりしました。

「しょせん読者の妄想を叶えるドリーム小説の亜種だ」
との批判も高く、大人たちからは低俗と見られていたのですが、当時の子供たちには大受けして大流行していましたっけ。

それが15年くらい前? もっと前かな。

私は流行した時にすでに大人だったので「なろう系(異世界モノ)」を読んだことがないのですが、子供だったら楽しんでいただろうジャンルだと思いました。

自分も現実で自信のないタイプだから、異世界でチートになる妄想が楽しいのは分かりますよ。
いっそパラレルワールドに行って理想の自分になりたいと願ったこともある。中学生の頃。
そのうちそんな妄想も卒業して、現実に目覚めた結果「何もできない脇役でいいや」と開き直り、今この感じになっていますけどね。これはこれで自分を見誤ったかもしれず、良くなかったなと思う。

何にせよ子供たちが夢中になれるエンタメが盛り上がるのは結構なこと。
子供たちが文化を作るのだから。

しかしなろう系の流行以降、オンラインノベルやライトノベルの小説ジャンルが「異世界転生」一色で染まって行ったことには閉口しました。

この頃、大人の小説ジャンルはすでにミステリ一色で染まっていました。殺人設定がなければ小説にあらず、という謎の法律があるかのよう。文学賞でデビューした作家たちも「ミステリー小説じゃなければ出版してもらえない」と嘆いていたようです。
いっぽう、自由だったはずの子供向けライトノベルまで「異世界転生」一色で染まっていき、異世界設定がなければライトノベルにあらずの業界となってしまいました。

小説にはSFや恋愛、純文学、日常を描いたほのぼの系など様々なジャンルがあったはずなのですが隅に追いやられ、消えかけています。

結果、日本の小説は貧しくなりました。
このために小説離れが加速したと思います。

それでも商業の人たちは金欲しさにワンジャンルのゴリ押しを続ける。
「異世界転生」も一時の流行だったはずが出版社は気付かずにこだわり続けているので、今の十代はライトノベルから離れてしまったと言われています。今、ライトノベルを買っているのは年齢高めの層だとか…。

「ライトノベルに若い世代がついてこない。未来がない」と嘆いているけど、そんな状況を作っているのはワンジャンルの一神教で他を排除している自分たちだと思いますよ。
マンガ界のように目先の利益だけに飛びつかず、様々なジャンルを保護し打ち出していけば良かったのに。
(そのマンガ界も今や外国勢力に狙われていて危ういが)

小説ジャンルが貧しくなった結果、人の心も貧しくなったと感じます。
文化は心を作る。
だから文化が貧しいと社会もすさみ皆の心が貧しくなる。

「チートな主人公でなければ生きている意味がない」と考える勘違いな絶望世代も、このワンジャンルな貧しい文化で育てられたと思います。
ワンジャンルでは他の考え方を学ぶ機会がないからです。思考の逃げ道がなくなり、現状を受け入れるための発想の転換ができなくなるんですね。

【関連記事】 みんな主人公になりたい? モブキャラとは何か


転生モノの新ジャンル、「現世での生まれ変わり」


そのようなわけで、あらゆる方面で弊害が出て批判の声が高くなりつつある「転生モノ」ジャンルですが、最近は新たな傾向が生まれているようです。

それは
『推しの子』
『パリピ孔明』※
などのように、異世界へ行かずに現実世界で生まれ変わるという設定です。

※私から見ると『パリピ孔明』はフィクションの孔明が、生まれ変わらずにそのまま転移してきたのだから「フィクションから現実への異世界タイムスリップ」設定に思えます。ただ、作者はこの設定を「転生」と言い、読者も納得しているみたいなのでまあいいんじゃないですか。ジャンル定義は作者と読者の合意?なのだから。

異世界縛りのない自由なマンガ作者が、なろう系から転生要素だけ取り入れ新たなジャンルを生んだと言えますね。

結果、一周回ってオーソドックスな生まれ変わりファンタジーに戻っている気もします。

が、『ぼくの地球を守って』などの古典と違うのは、生まれ変わりを真面目に描く気はさらさらないところです。前世確認などはどうでもいい感じで話が進み、ただ特異な設定を活かした新天地でのあれこれが描かれます。

つまり読者の夢想を叶えるための転生設定、という本質は「なろう系」の異世界モノと変わらないと言えます。

〔夢想とは〕
『推しの子』…もしも推しに愛される子供に生まれ変わったら?
『パリピ孔明』…もしもフィクション孔明が今に転生して軍師になってくれたら?

等。

とは言え、転生モノが異世界から現実世界へ変わってきたのは良い傾向です。

このたび私は久しぶりに「なろう」さんをお借りし眺めていましたが、異世界チートのワンパターンではなく生まれ変わりの苦悩を描く大人な作品も増えましたね。

善きかな善きかな。

そういった新・転生ジャンルには
「現実→現実」
「異世界→異世界」
の2パターンあり、さらに未来だけではなく過去に転生するパターンもあります。
ただどちらも同じ次元でがんばる! という設定で素晴らしいと思いました。

この同一次元で生まれ変わり頑張るというスタンスが大事なんですね。
関係ない世界へ飛んでしまわない。
現状(過去)を都合良くチャラにしない。
前世があり、良いことも悪いことも引きずって、その流れのなかで生きる姿勢を見せなければならない。

つまり何の努力もしないで移動しただけでチートになることはないのだ、過去の罪は無条件にチャラにできないのだ、…という人類として当たり前の価値観を描かなければならないのですよ。
その肝心なところをカットしたファストフード小説が子供の心を貧しくするのは当たり前。

今後この方向で進化していけば、「転生ジャンル」も文化作品として大きく成長していくのではないかと思います。
もちろんエンタメ要素を完全に捨てる必要はありませんので念のため。
チートだろうがモブだろうが主人公として「ここで頑張る!」の気概があれば良いのです。


願いが叶い過ぎた昔…やっと理想に近付いたか


かつて、私は世の中に「生まれ変わり」をテーマにした創作が少ないのを嘆いていました。

なろう系が流行る以前の日本では、『ぼく地球』や三島由紀夫の『豊饒の海』くらいしか転生を扱った有名作品が無かったと思います。マイナーな作品では時々見かけましたが。

もう少し転生をテーマにした創作が増えて欲しいな……。
(そうなれば輪廻転生の話も伝わりやすくなる)

密かにそう願っていたところ、なろう系で爆発的に「転生モノ」ジャンルが流行ったので驚きました。

でも、何か違う。
異世界への逃避は「輪廻転生」ではない。

どうも私の願いは始め叶い過ぎてしまう傾向があるようです。それも願ったのとは違う変な方向に。

あれから十数年。
今ようやく少し均整が取れて願いが正しく実現しそうで、嬉しく思います。

いずれ皆が「現世→現世」の輪廻転生を自然に受け入れる時代が来ますように。
その真理から得られる価値観が人類を成長させ、幸せにしますように。(それは価値観が古代へ戻る、ということかも)

善い方向へこの芽が育つことを願います。
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