「真理」や「天道」を無きものにする反転思想家たち

冒頭、険悪な報告からとなります。
心の弱い方、険悪な話が苦手な方はリンクをクリックしないようご注意ください。

読者様より、かつて筆者へ殺害を臭わせる脅迫文を送り付けてきた犯罪者のものらしいSNSアカウントを見つけたことご報告いただきました。

ご報告くださった方によれば「そのアカウントから個人情報を辿り住所特定に動いている」とのこと…、
確かに公開情報を閲覧するだけなら不法行為とはならないのですが、住所特定して直接に嫌がらせするのは犯罪なのでやめましょう。分かっているでしょうけど。

返信コメントやDMなどで絡むのも控えてください。
相手方はメールの文面からも、平気で人を殺すカルト活動家であることが分かります。反社会的な人物に絡むのは大変危険です。

私も該当アカウントのURLを教えていただきましたが、全体に危険な香りが漂っていてあまり深く読めませんでした。
ただここのブログに反応して書いたような記事が散見されましたね。
リンクも貼らずに反論、否定を書き連ねています。陰口で不満を吐き出さずにいられない陰険さが表れている。
上のメール文でもそうでしたが人と話をすることが完全にできないタイプであるらしい。
どっちが「人の話を聞かない・融通のきかない」人物なのでしょうか? 彼らは鏡を見ながらつい自分のことを言ってしまう癖があるようです。

悪魔思想家たちはこんな感じ


別館記事を読まない方のために簡単に解説しておきます。

現代、彼のような反社会的人物は概ねM主義者であり、反転思想家(たとえばニーチェなど反哲学者を名乗る者)を強く崇拝しています。

いわゆる典型的な「悪魔崇拝※」と呼ばれる思想の持ち主ですね。

※ここで「悪魔崇拝」と呼ぶのは古代の宗教差別を抜いた狭義、近代思想における反転主義のことです。現代において暴力至上を掲げ、歴史捏造や言論弾圧、殺人・破壊活動をしている勢力のこと。

実際に犯罪活動をしているか否かで醜悪さのグラデーションはありますが、善良さを憎み・あらゆる悪事を正しいと本気で信じている点がコピーロボットのごとく共通しています。
思考を失っているために命令されたならどのような残虐な犯罪でも遂行する。
善悪の観念も反転していますから、そもそも人としての言葉が通じません。前記事でも書いた「魂を喰われたハニワ」です。

本人たちは「自分は人間である。自分の頭で考えている」と思い込んでいるが自我を失っていることに薄々気付いているため、この点を指摘すると激怒します。
“人間”の定義をすり変えているようですし、“自分の頭で考える”もカルトを受け入れるという意味に変換しているようです。

…このように彼らは言葉の意味を反転させていますから何を言っても処置なし。自らを省みて悔いることは永久にないのでしょう。このため鏡を見て敵の姿だと思い込み、自分自身を忠実に表現する罵詈雑言を叫んでいます。

主張の特徴


過去記事と繰り返しになりますが、上のSNSを参考として彼らに共通する主張を抽出しますと

・「善人こそ悪人だ。善良な者こそおぞましい支配者だ」「無辜の民を虐殺することこそ正義だ」などと、人類の価値観とは反対のことを述べる。善良さへの徹底的な憎しみ、道徳を破壊する衝動を持つ。

・「真理は存在しない」「事実も存在しない」と主張。だから自分たちに都合の良い歴史事実を創作していいと信じている。「願望を唱えれば過去も書き変えられる」と本気で信じる、引き寄せ法則の狂信的な信者である。

・ニーチェやマルクスを代表とする悪魔思想家を熱烈に信奉している。そもそも彼らの主張はニーチェやマルクスの丸ごとコピーである。自分自身の考えは持たない。個人の意志を失っている全体主義者

等々です。
抽出のためには役に立ちました。教えてくださってありがとう。


「真理はない! 天道は憎むべき一神教だ!」と叫ぶ悪魔の手下たち


この件に関連して思い出しましたが、最近あの勢力に乗っ取られているWikipediaで
「天道とは一神教のこと。人類が憎み打倒すべき宗教」
との思想誘導が書き込みされているらしいですね。

真理だけではなく、天道も無きものにするつもりか。
嘘を吐き犯罪ばかりしている彼らにとって真理や天道があると都合が悪いようです。

――と言うことは、真理や天道に怯えているわけですね? その時点で真理・天道の存在を認めたことになるのですが、自家撞着(矛盾)に気付かない愚かな鴨さん。

「天に唾する」とはこのことです。
人間社会を正すために悪人を罰する親切な神様がいるわけではなくて、上に吐いた唾がただ重力で自分の顔に返ってくるだけなのですよ。

こんな自然法則すら彼らは憎み、「法則なんか存在しない!」と主張しているのですが。願望を唱えても無駄。宇宙の摂理は厳格であること、いずれあなたの身をもって分かるんじゃない?
まあ星の重力に支配されるのも嫌だと言うのなら宇宙空間に亡命すればいい。誰も止めないので、どうぞどうぞ地球を出て行って。
いや宇宙そのものを憎んでいるのでしたっけ。ならば宇宙を出て行けば?

そもそも「天道」とは本来、星々の通る道のこと。その道を読み、人の運命に照らし合わせて「宿命」などの解釈が生まれただけ。
「悪いことをすれば自分に返る」の幼稚園児でも分かる因果応報ですね。
現代風に翻訳するなら宇宙法則のことです。
もちろん全天体、全法則のことを指すのであって、人を支配する神様を崇める一神教などのことではありません。笑
どこまで無知なのでしょうか。無知ゆえに言葉の定義を平気で歪めている。恥ずかしいな。


あと「真理はない!」について。
そもそも何についての真理なのか? 定義することもせず、ただ「真理はない・真理はない」と唱えているなら狂った宗教です。彼らはオ×ム真理教を批判しているが似た者同士。

真理が存在するかしないかは「何について」かによるでしょう。
たとえばある歴史事実が存在したかどうか。とのテーマならば、過去の厳然たる出来事で「事実という真理」は確かに在ることになる。
これは記録書に書かれたか否かは関係がない。
人が知った瞬間に過去の事実が消えるわけもない
(だとすれば全ての歴史事実は無かったことになる。あなたがここに生まれたという事実も存在しないことになる)

それを「事実は存在しない! 解釈があるだけだ」、「真理は知られた瞬間に消えるのだ!」などと狂った主張をし、自分たちの都合で好き勝手に歴史改造しているのが彼らです。
しかも真理は知られた瞬間に消えると言いながら、何故か自分たちの目的に合わせた歴史事実は「存在する」とご都合主義を唱えるし。
これこそ彼ら悪魔崇拝カルトが「人類の敵」と呼ばれている所以。

……と、専門ではないから哲学の話はこの辺でやめておきます。

なお当ブログで時々使っている「真理」という言葉は、「天道」と似た宇宙法則を指します。そのなかでも核心法則を指す。
それを多くの人が知れば人間社会も大きく改善されるはずと私が感じているものです。
この意味での真理はただ「存在するもの」なので、人が知ったからと言って消えるわけではありません。
月や太陽が人に見られた瞬間に消えていないのと同じことです。
月や太陽なども「在るのに無い」、と叫ぶのがいかに狂った主張か分かるでしょう。

【参考になる話、引用】


1.真理を考え過ぎて自家撞着に陥り壊れていった反哲学者たち:
「悪」は「善」から分泌される——哲学者・古賀徹が語る「真理」とは。より
哲学が、一番大事にしているのは「真理」です。「真理」を僕なりに説明すると、「在るものを『在るもの』として示すこと。在るのに無いフリをしないこと」だと思っています。
↑このシンプルな考えで良いのでは? と思いますが、現代では反哲学が蔓延しているから学べば学ぶほど狂っていくようですね。
そして毒書に魂を喰われて操られ、ドン・キホーテのように無意味な敵と戦う「運動」で人生を消耗していくのでしょう。

そしてあるとき、自分の中に根を張っていた常識が突然崩れ、テキストが言わんとしていることが、洪水のようにドドーッと頭に流れ込んできて、モノの見方が完全に書き換えられる瞬間
↑悟りをひらいたかのようですが、もしかしたらこれこそ「魂が喰われていく」瞬間なのかもしれません。
あらかじめ持って生まれた人間としての道徳心が乗っ取られ、非現実的な思想にコントロールされる。
(例:まともな人間は幼児を虐待できないが、イデオロギーに思考を乗っ取られた者は「幼児虐待は正義! 虐待してはならないと言うのは悪の常識だ!」と言って行う。人としての最も根本的な道義を“破壊すべき常識”と呼んだとき、人は人ではなくなる

ハンナ・アーレントの述べる「自分自身との静かな対話」を放棄してしまう瞬間です。

引用文中、アンダーラインは当ブログ筆者による:
「ソクラテスやプラトン以来、私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例が無いほど大規模な悪事をね。私は実際、この問題を哲学的に考えました」

思考の風がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅に至らぬよう」(映画「ハンナ・アーレント」(字幕版)のシーンから)



2.当ブログ内の読書メモから
『ガラス玉演戯』より、神様の言葉
真理はあるよ、君。だが、君の求める『教え』、完全にそれだけで賢くなれるような絶対な教え、そんなものはない。君も完全な教えにあこがれてはならない。友よ、それより、君自身の完成にあこがれなさい。神というものは君の中にあるのであって、概念や本の中にあるのではない。真理は生活されるものであって、講義されるものではない。戦いの覚悟をしなさい、ヨーゼフ・クネヒトよ、君の戦いがもう始まっているのが、よくわかる」
ヘッセもユングなどと交流があり、当時の悪魔崇拝思想に触れた人だと思います。
ただヘッセはニーチェ思想について「意味が分からなかった。何故あのような書物が称賛されているのか分からない」(要旨)と述べています。
このエピソードや上の引用文から、ヘッセは自身との静かな対話を放棄しなかった人だと分かります。嘘つきではなかったということです。

おそらく自分に理解できないものを、見栄で「理解した」と嘘をついた瞬間に思考は乗っ取られ始めるのではないでしょうか?
理解できないくせに他人の言葉をトレースする。その思考の放棄こそ人間辞める瞬間。
日本人の高学歴にはこの種のタイプが多い気がします。受験勉強によって、教科書をトレースしそのまま回答する訓練しかして来なかったからです。幼少期から奴隷として調教されてきたのだと言えるでしょう。

(読者様はどうか教科書の奴隷となりませんように)

【真理について関連する話】 占いは歴史学ではない→まとめ
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