Tag中国史 1/10

死せる劉さん、生けるPを走らす

【ご注意】C国から閲覧している方は、この記事内のリンクをクリックしないよう気を付けてください※タイトル変更しました。→「P」とはこちらのこと社会的な話は皆さん興味がないようで、あまりクリックされない。身の危険を冒しながら書いているのに残念。まあ、ここは政治ブログではないから、それで構わない。こんなことには関わらないほうがいい。私もできることなら、ウヨだのサヨだの何だの、現代のきな臭い話はなるべく避けた...

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お屠蘇は血行不良にとても効きます、たぶん

正月休み、終わってしまいますね。残念。もう少し読書して、ブログの更新もする予定だったのだけど全く進まずに終わってしまった。と、言うのも実は、正月2日から寝込んでしまったため。(具合の良い時に少しだけブログ更新していました)原因は屠蘇(おとそ)です。元旦・2日と、たった二杯の屠蘇を飲んだだけで倒れて寝込んだという。苦笑いや屠蘇が毒だなどと言うつもりはありません。むしろ体にとても良いことが証明されまし...

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志って、何だろう? 裴松之の怒りが理解できなかった件

(一般の方々にも関係ありそうな話なので、トップに上げておきます。若干、占星術にも関係あります)一昨日、翻訳して『諸葛亮伝2 少年期~青年期 』を上げました。ざっと解説を書き、後でまた修正・追記しています。ここは「テキストを適当に読み流すだけ」などという諸葛亮の性格タイプが正しく表れたエピソードが書かれていて、自分でよく知っていると思い込んでいた箇所。しかし裴松之(はいしょうし。三国志の注を書いた人...

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ナチュラルボーン・サイコパス、曹操

ご報告。『正史・三国志』で曹操の伝も始めました。 12/30筆 →曹操の伝、『武帝(太祖)紀』再び拡散希望の記事へリンクしていて「しつこい!」と思われるでしょうが、検索で初めて来られる方向けです。ご容赦を。以下は余談。自作品に絡めた話です。曹操への個人的感情今まで書いたことがなかったかもしれない。曹操について私個人の感情を書いておきますと、実際のところ「皆無(ゼロ)」です。意外ですか? 驚かれるでしょう...

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正史『諸葛亮伝』2 少年期~青年期

正史 目次へ本文訳 (養父の)諸葛玄が死ぬと、亮は農作をして自給自足で暮らした。※1 この頃、亮は『梁父の吟(りょうほのぎん)』という歌を好んで歌っていた。※2 亮の身長は八尺(184センチ)※3、つねに自分を管仲・楽毅※4 になぞらえていたが、当時彼の周囲にいた人々は認めなかった。 ただ亮の友人だった博陵の崔州平・徐庶元直らは「まさにその通りだ」と言っていた。吉野解説諸葛亮の若い頃に関する記述です。...

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勉強が好きか、嫌いかで人間の価値は決まらない

雑談です。「勉強嫌いだった」というネガティブ情報は不利なのか昨夜、『先主伝(劉備伝)』の2を上げたのだけどさっそく不安を覚えている。何故なら「あまり読書を好まず、狩りや乗馬、音楽を好んだ。また、流行の美しいファッションに身を包んでいた」という記述があるので。つまり勉強嫌いの都会的な遊び人タイプだったということ。フィクション劉備ファンの方、史実はこんな感じの人ですが、大丈夫ですか……?史実を書いている...

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孔明という名前(字)の意味

諸葛亮の字、「孔明」という熟語の意味を解説致します。※この記事は一人の実在人物の名について語ったものであり、名付けについての解説ページではありません。 →名付けで調べている方はこちらの記事へ字(あざな)とは何かまず古代中国の名前について、基礎知識から。古代中国の成人は、「姓(氏)+名」とは別に「字」という呼び名を付けます。「字」は日本語で“アザナ”と読みます。日本で言う「通称」という意味のアザナ・あだ...

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「蜀ファンへメッセージ」に対するお言葉に泣かされています(返信)

またこのジャンルへ戻り恐縮です。先日上げた『三国志ジャンルの捏造記事について +蜀ファンへメッセージ【拡散希望】』に関して、温かいお言葉や情報をいただいております。ありがとうございます。他にもご心配されている方がいるかもしれないので、差し支えのない範囲で、公開にて返信させていただきます。■中国事情について教えていただきましたまず、中国における諸葛亮評価についてたくさんの書き込みを教えていただきました...

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正史『諸葛亮伝』1 生まれ、幼少期

正史 目次へ2018/12/20より、『先主伝』と同時進行で翻訳していくことにしました本文訳 諸葛亮は字(あざな)を孔明といい、(徐州の)琅邪郡陽都の人で、漢の時代(前漢)に司隷校尉となった諸葛豊の子孫である。 父は名を珪といい、字は君貢、後漢の末期に太山郡の丞を勤めた。珪は亮が幼いときに世を去った。 その頃、叔父の玄が袁術の所管する予章太守となった。玄は(父親を失くした亮たちを引き取り)、亮とその弟の均を...

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正史『先主伝(劉備伝)』 3 黄巾の乱、義兵として名を上げる

正史 目次へ本文訳 霊帝時代の末、黄巾の乱が起きた。※1 この反乱を鎮めるために、州や郡はおのおの義兵(義勇兵。大義のためにみずから志願する民間兵)を募った。 先主は豪商の出資金で集めた仲間を率いて義兵として立ち、校尉の鄒靖のもとで戦った。 この戦闘で活躍し功績をあげた先主は、安喜県の尉という官職に任ぜられた。  その後、督郵(見回りの役人)が安喜県を訪れた際、先主は謁見を求めたが拒絶された。怒っ...

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