Tag歴史 1/11

「プラハの春」が教えてくれるもの。言葉は魂を守る最後の砦

先日、池上彰氏がテレ東の番組で「チェコ、プラハの春」を解説してくれて嬉しかった。日本ではあまり知られていない歴史だが、とても大切な話だから広く伝えてもらえるとありがたい。日本において「リベラル」を偽装したK産主義(社会主義)が本当はどのような思想で、どのような暗黒の歴史を持つのか、若い人たちが知るきっかけとなればと願う。そして支配から魂を守るために「言葉」がどれほど大切なのかということを、少しでも...

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お屠蘇は血行不良にとても効きます、たぶん

正月休み、終わってしまいますね。残念。もう少し読書して、ブログの更新もする予定だったのだけど全く進まずに終わってしまった。と、言うのも実は、正月2日から寝込んでしまったため。(具合の良い時に少しだけブログ更新していました)原因は屠蘇(おとそ)です。元旦・2日と、たった二杯の屠蘇を飲んだだけで倒れて寝込んだという。苦笑いや屠蘇が毒だなどと言うつもりはありません。むしろ体にとても良いことが証明されまし...

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志って、何だろう? 裴松之の怒りが理解できなかった件

(一般の方々にも関係ありそうな話なので、トップに上げておきます。若干、占星術にも関係あります)一昨日、翻訳して『諸葛亮伝2 少年期~青年期 』を上げました。ざっと解説を書き、後でまた修正・追記しています。ここは「テキストを適当に読み流すだけ」などという諸葛亮の性格タイプが正しく表れたエピソードが書かれていて、自分でよく知っていると思い込んでいた箇所。しかし裴松之(はいしょうし。三国志の注を書いた人...

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ナチュラルボーン・サイコパス、曹操

ご報告。『正史・三国志』で曹操の伝も始めました。 12/30筆 →曹操の伝、『武帝(太祖)紀』再び拡散希望の記事へリンクしていて「しつこい!」と思われるでしょうが、検索で初めて来られる方向けです。ご容赦を。以下は余談。自作品に絡めた話です。曹操への個人的感情今まで書いたことがなかったかもしれない。曹操について私個人の感情を書いておきますと、実際のところ「皆無(ゼロ)」です。意外ですか? 驚かれるでしょう...

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正史『諸葛亮伝』2 少年期~青年期

正史 目次へ本文訳 (養父の)諸葛玄が死ぬと、亮は農作をして自給自足で暮らした。※1 この頃、亮は『梁父の吟(りょうほのぎん)』という歌を好んで歌っていた。※2 亮の身長は八尺(184センチ)※3、つねに自分を管仲・楽毅※4 になぞらえていたが、当時彼の周囲にいた人々は認めなかった。 ただ亮の友人だった博陵の崔州平・徐庶元直らは「まさにその通りだ」と言っていた。吉野解説諸葛亮の若い頃に関する記述です。...

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「平和構文」でも、やはり私は洗脳なしでいきたいです(返信)

伊藤計劃『虐殺器官』のレビューにて私が書いた、私は長年思ってきたけど、これと逆のことはできないのだろうか?人を100%狂わせ虐殺に向かわせる地獄の聖書があるのなら、それと真逆に、100%穏やかな気持ちにさせて虐殺を抑えさせる構文が。「虐殺器官」ではなく「平和器官」や「生存器官」を発動させる構文。という考え。これに対していただいたB様のご意見に瞠目しました。引用:虐殺構文について興味深く読みました。...

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正史『武帝紀(曹操)』1 生まれ~少年期

正史 目次へ2018/12/30より、『蜀志』と同時進行で『魏志』のうち『太祖紀(曹操の伝)』のみ翻訳開始。本文訳 太祖武皇帝(曹操のこと)は、沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の人である。姓は曹、諱(いみな)は操、字(あざな)は孟徳という。 (曹家は)漢で相国を勤めた参の子孫。桓帝の時代に(曹操の祖父に当たる)曹騰は中常侍・大長秋となり、費亭候に封ぜられた。養子の嵩が後を継ぎ、官職は大尉に至ったが、その...

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勉強が好きか、嫌いかで人間の価値は決まらない

雑談です。「勉強嫌いだった」というネガティブ情報は不利なのか昨夜、『先主伝(劉備伝)』の2を上げたのだけどさっそく不安を覚えている。何故なら「あまり読書を好まず、狩りや乗馬、音楽を好んだ。また、流行の美しいファッションに身を包んでいた」という記述があるので。つまり勉強嫌いの都会的な遊び人タイプだったということ。フィクション劉備ファンの方、史実はこんな感じの人ですが、大丈夫ですか……?史実を書いている...

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「蜀ファンへメッセージ」に対するお言葉に泣かされています(返信)

またこのジャンルへ戻り恐縮です。先日上げた『三国志ジャンルの捏造記事について +蜀ファンへメッセージ【拡散希望】』に関して、温かいお言葉や情報をいただいております。ありがとうございます。他にもご心配されている方がいるかもしれないので、差し支えのない範囲で、公開にて返信させていただきます。■中国事情について教えていただきましたまず、中国における諸葛亮評価についてたくさんの書き込みを教えていただきました...

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正史『諸葛亮伝』1 生まれ、幼少期

正史 目次へ2018/12/20より、『先主伝』と同時進行で翻訳していくことにしました本文訳 諸葛亮は字(あざな)を孔明といい、(徐州の)琅邪郡陽都の人で、漢の時代(前漢)に司隷校尉となった諸葛豊の子孫である。 父は名を珪といい、字は君貢、後漢の末期に太山郡の丞を勤めた。珪は亮が幼いときに世を去った。 その頃、叔父の玄が袁術の所管する予章太守となった。玄は(父親を失くした亮たちを引き取り)、亮とその弟の均を...

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