2018
Jul
29
-
五行の欠けを補う風習のこと
返信が追い付いていないのですが、少しずつメールも読んでいます。
いつも温かいメールをありがとうございます。
今日はメールにて教えていただいたお話で、面白かったものを少しご紹介させていただきます。
(お教えくださった方へ、感謝です! 引用して良いかどうか微妙だったので要旨のご紹介だけ、すみません)
台湾や中国大陸には、五行の欠けている気を名付けなどで補う風習があるのだとか。※五行とは? 記事下参照
たとえば出生時の命式(占星術で言うホロスコープのようなもの)で、足りない気が「水」だったとします。
この場合、名の漢字に「水」を表す偏を付けるのだとか。さんずい「氵」などでしょうか?
最近では五行に属する天然石を身に付ける方法もあるらしい。
西洋のパワーストーン的な考え方を取り入れたのか、東西融合でちょっと混乱しますね。笑
まあ、この程度の縁起担ぎのような風水は無害な健康法のようなもの。
滋養強壮に良い食物を選ぶことに似ています。
『風水に中毒し過ぎてはならない理由』に書いたほどの絶大な運命操作の力はないと思うので、構わないと思います。
それで心安く楽しく暮らせるなら、いいのではないでしょうか。
行き過ぎていなければ、「やめろ!」と目くじら立てることではありません(パワーストーンを買い過ぎて破産しかかっているなら「やめろ」と忠告しますが)。神社でお守りを買う程度のことに怒る必要はないですね。
厳密に考えるなら、改名などの運命操作も有害なのかもしれません。
ただ、健康法くらいの気休めはあっても構わないと思う。
人間社会は全員が楽しく幸せであれば、それでいいのです。
ただ誰かの我がままのために一人が泣いてはいけない、カルトに騙されて人生・財産・生命を失う人がいてはいけない、というだけのこと。
どうしても苦しみが耐え難いなら、お守りを身に付けて緩和することを願っても良いと思います。
「カルマの分割払い」はOKです。決して負債がなくなったわけではない、ということを認識して、欲を貪り過ぎなければいい。
意外と私はフレキシブル^^
私について「金科玉条を死守する」「杓子定規」のイメージを持たれている人がいるかもしれませんが、小さなことにまで目くじら立てるタイプではありません。
参照 >>「法治」とは何か。法の適用とリーガルマインド、フレキシブルについて
この性格を「大雑把だ」「矛盾している」と非難する人もいそうですね。
でも実は現実の法律の適用も同じなんです。罪の軽さ重さに関わらず一律の刑を与えるわけではなく、「量刑」で刑を軽くしたり重くしたりします。
ただ、決定的に許されないことはあるわけです。この場合は最高刑が科されます。
時々カルト宗教にはまってしまう人々や、殺人を犯す人のように決定的にやってはいけないことをする人がいます。そういう大罪まで許してしまうのは絶対にいけない、と私は思っています。
東洋の人治主義のように、人間関係やトップの都合で許される罪があってはならない。これが公正ということです。
話が逸れました。どういった風水が有害なのか、という話に戻ります。
時々これはまずいなあ、と感じるのは
「風水を駆使して億万長者となった」
と自慢する人を見かけたときです。
そこまでの運命操作をしては来世で苦労をするだろうに、と気の毒に思います。
また、そのように自慢する人々に騙され、風水に中毒して大金をつぎ込む人がいることはさらに憐れです。
風水ばかりに操られて引っ越しを繰り返す人や、出勤のたびに方角を気にして日常生活をまともに送れなくなる人々など、家族に害を与えている人もやめるべきだと思います。
風水で信者を募っている宗教などは言うまでもなく有害です。
現代中国人には、子の出生時の命式が有利になるよう帝王切開をする人がいるとも聞きます。
せっかく子が携えてくる人生計画を、親の我がままで変えていいものか。
「帝王切開されることも運命の一つ」
と言う人もいるのですが、どうでしょうね。
私はそうは思いません。
せっかくの運命を親に奪われることを、もったいないと感じる。
人間社会で不運とされる出来事が魂を磨く。それがどれほど貴重な機会であるのか、魂はどれほど長期間その金に等しい機会を待って生まれたのか、地上の人間は知るべきです。
“人事を尽くす”
のは、あくまでも与えられた人生計画の宿命の上で。
“天命をまつ”
ということもまた、地上の現実努力をした後には必要なのだと思います。
道教の祖である老子の思想は、どちらかと言うとこちらの“無為”(あるがままに生きる)であると私は感じます。
“無為”とは何もせず怠けるという意味ではなく、与えられた天命のもと真っ当に生きること。
ほんの少しの愉しみを得ながら、日々を生きていく。すなわち与えられた天命を生きていくのが人としての正しい生き方。仏教的に言えば、「カルマを閉じる行い」だと思います。
五行について、ごくごく簡単な解説はこちら。初心者の方向けです。 ⇒五行占い 入門編
(東西の宗教観については持論ですので、間違っているところもあるかもしれません。一つの考えとしてお読みください)
いつも温かいメールをありがとうございます。
今日はメールにて教えていただいたお話で、面白かったものを少しご紹介させていただきます。
(お教えくださった方へ、感謝です! 引用して良いかどうか微妙だったので要旨のご紹介だけ、すみません)
五行の欠けを補う風習
台湾や中国大陸には、五行の欠けている気を名付けなどで補う風習があるのだとか。※五行とは? 記事下参照
たとえば出生時の命式(占星術で言うホロスコープのようなもの)で、足りない気が「水」だったとします。
この場合、名の漢字に「水」を表す偏を付けるのだとか。さんずい「氵」などでしょうか?
最近では五行に属する天然石を身に付ける方法もあるらしい。
西洋のパワーストーン的な考え方を取り入れたのか、東西融合でちょっと混乱しますね。笑
まあ、この程度の縁起担ぎのような風水は無害な健康法のようなもの。
滋養強壮に良い食物を選ぶことに似ています。
『風水に中毒し過ぎてはならない理由』に書いたほどの絶大な運命操作の力はないと思うので、構わないと思います。
それで心安く楽しく暮らせるなら、いいのではないでしょうか。
行き過ぎていなければ、「やめろ!」と目くじら立てることではありません(パワーストーンを買い過ぎて破産しかかっているなら「やめろ」と忠告しますが)。神社でお守りを買う程度のことに怒る必要はないですね。
欲張り過ぎなければいい
厳密に考えるなら、改名などの運命操作も有害なのかもしれません。
ただ、健康法くらいの気休めはあっても構わないと思う。
人間社会は全員が楽しく幸せであれば、それでいいのです。
ただ誰かの我がままのために一人が泣いてはいけない、カルトに騙されて人生・財産・生命を失う人がいてはいけない、というだけのこと。
どうしても苦しみが耐え難いなら、お守りを身に付けて緩和することを願っても良いと思います。
「カルマの分割払い」はOKです。決して負債がなくなったわけではない、ということを認識して、欲を貪り過ぎなければいい。
意外と私はフレキシブル^^
私について「金科玉条を死守する」「杓子定規」のイメージを持たれている人がいるかもしれませんが、小さなことにまで目くじら立てるタイプではありません。
参照 >>「法治」とは何か。法の適用とリーガルマインド、フレキシブルについて
この性格を「大雑把だ」「矛盾している」と非難する人もいそうですね。
でも実は現実の法律の適用も同じなんです。罪の軽さ重さに関わらず一律の刑を与えるわけではなく、「量刑」で刑を軽くしたり重くしたりします。
ただ、決定的に許されないことはあるわけです。この場合は最高刑が科されます。
時々カルト宗教にはまってしまう人々や、殺人を犯す人のように決定的にやってはいけないことをする人がいます。そういう大罪まで許してしまうのは絶対にいけない、と私は思っています。
東洋の人治主義のように、人間関係やトップの都合で許される罪があってはならない。これが公正ということです。
有害な風水とは
話が逸れました。どういった風水が有害なのか、という話に戻ります。
時々これはまずいなあ、と感じるのは
「風水を駆使して億万長者となった」
と自慢する人を見かけたときです。
そこまでの運命操作をしては来世で苦労をするだろうに、と気の毒に思います。
また、そのように自慢する人々に騙され、風水に中毒して大金をつぎ込む人がいることはさらに憐れです。
風水ばかりに操られて引っ越しを繰り返す人や、出勤のたびに方角を気にして日常生活をまともに送れなくなる人々など、家族に害を与えている人もやめるべきだと思います。
風水で信者を募っている宗教などは言うまでもなく有害です。
現代中国人には、子の出生時の命式が有利になるよう帝王切開をする人がいるとも聞きます。
せっかく子が携えてくる人生計画を、親の我がままで変えていいものか。
「帝王切開されることも運命の一つ」
と言う人もいるのですが、どうでしょうね。
私はそうは思いません。
せっかくの運命を親に奪われることを、もったいないと感じる。
人間社会で不運とされる出来事が魂を磨く。それがどれほど貴重な機会であるのか、魂はどれほど長期間その金に等しい機会を待って生まれたのか、地上の人間は知るべきです。
“人事を尽くす”
のは、あくまでも与えられた人生計画の宿命の上で。
“天命をまつ”
ということもまた、地上の現実努力をした後には必要なのだと思います。
道教の祖である老子の思想は、どちらかと言うとこちらの“無為”(あるがままに生きる)であると私は感じます。
“無為”とは何もせず怠けるという意味ではなく、与えられた天命のもと真っ当に生きること。
ほんの少しの愉しみを得ながら、日々を生きていく。すなわち与えられた天命を生きていくのが人としての正しい生き方。仏教的に言えば、「カルマを閉じる行い」だと思います。
★解説。「五行の気」とは何か?
五行とは、古代中国の思想です。ここから派生した占いや、運命改善の方法があります。日本では「風水」と呼ばれている開運術も、この五行思想から派生しています。五行について、ごくごく簡単な解説はこちら。初心者の方向けです。 ⇒五行占い 入門編
(東西の宗教観については持論ですので、間違っているところもあるかもしれません。一つの考えとしてお読みください)
- 関連記事